五百羅漢
3行でわかるあらすじ
本所の小間物屋惣兵衛の妻お里が病気で坊主頭になり、惣兵衛が女中と不倫して後妻にする。
後妻も火事で坊主頭になり、さらに二人の子どもも生まれつき毛がなく、一家全員坊主頭に。
惣兵衛は逃げ出し、残された後妻が子どもを背負って「本所五つ目、五百やかん」と托鉢に回る。
10行でわかるあらすじとオチ
本所五つ目の小間物屋惣兵衛は、妻お里と仲睦まじく暮らしていたが子どもはいなかった。
お里が病気で寝込むと、惣兵衛は女中を雇うがすぐに不倫関係になってしまう。
病気の勘の鋭いお里は気づいて悔しがり、髪の毛が全部抜けて坊主頭になってしまう。
女中が妊娠して出産直前にお里は亡くなり、女中がそのまま後妻に収まる。
生まれた子どもは全く毛がなく、生えても来ない坊主頭だった。
お里の三周忌に後妻が仏壇で拝んでいると、燈明の火が髪に燃え移って坊主頭になってしまう。
惣兵衛は「一家全員坊主頭では化け物屋敷のようだ」と嘆いて逃げ出す。
残された後妻は乳飲み子を抱えて暮らしていけず、子どもを背負って托鉢に回る。
羅漢寺の僧が「本所五つ目、五百羅漢」と托鉢に回るのを真似て歌う。
最後は「本所五つ目、五百やかん」と、羅漢(らかん)を薬缶(やかん)に掛けたオチで締めくくられる。
解説
「五百羅漢」は江戸落語の中でも異色の作品で、仏教寺院の名前をタイトルにしながら、実際の内容は家庭崩壊と因果応報を描いた重厚な物語です。本所五つ目にあった羅漢寺(現在の目黒区)を舞台背景にしており、江戸の地理や文化を知る上でも貴重な作品です。
この噺の特徴は、単なる笑い話ではなく、不倫という道徳的な問題を正面から取り上げている点にあります。主人公惣兵衛の軽薄さと無責任さが、最終的に家族全体の破滅を招くという構造は、現代でも通用する人間ドラマの普遍性を持っています。
特に印象的なのが「坊主頭」というモチーフです。最初は病気による自然な脱毛から始まりますが、次第にそれが因果応報的な意味を持つようになり、最終的には一家の象徴的な特徴となります。これは仏教の「業(カルマ)」の概念とも重なり、深い宗教的含意を感じさせます。
最後のオチ「五百やかん」は、羅漢寺の「羅漢(らかん)」と薬缶(やかん)を掛けた言葉遊びです。薬缶は坊主頭の形に似ていることから、一家全員の坊主頭という状況を見事に言い表しています。単なる駄洒落ではなく、物語の内容と完璧に呼応した秀逸なオチと言えるでしょう。
この作品は江戸時代の庶民の生活や道徳観、そして因果応報という仏教思想の浸透ぶりを物語る貴重な文化遺産でもあります。現在でも落語愛好家の間で愛され続けている名作です。
あらすじ
昔、本所に五百羅漢の羅漢寺があった。
元禄年間の建立で、本所五つ目に移り、明治になって本所緑町に移り、さらに目黒不動の隣に移った。
これは本所五つ目にあった頃のお噺。
当時、本所五つ目の五百羅漢にちなむ川柳に、「五つ目は男やもめが五百人」、「釈尊は施主ばかりでも五百人」、「羅漢寺に儲かるという仏なし」(尊者(損じゃ)ばかりという洒落)などがあり、”本所のらかんさん”と人々から親しまれていて、羅漢寺の僧は♪「本所ぉ~五つ目ぇ~、五百ぅ~羅か~ん」と節をつけ、幟をかついで托鉢に回っていた。
本所五つ目の小間物屋の惣兵衛さんは、姉さん女房のお里さんと二人暮らし。
仲は睦まじいが子どもはなく、いつも重い荷物を背負って得意先を回っている。
ある時、お里さんが病で臥せってしまった。
旦那は付きっきりで看病していることも出来ないので女中を雇ったのだが、すぐに二人はいい仲になってしまった。
病人の勘は鋭く、すぐにお里さんは感づいて悔しくてしょうがない。
起きて二人の間に割って入れもせず、そのうちに髪の毛が全部抜け落ちて坊主頭になってしまった。
さらに女中の腹に子ができ、生まれる寸前にお里さんは可哀想に死んでしまった。
親の因果が子に報い・・・、怪談話っぽくなってきたが、この子の頭は全く毛がなく、生えても来ない。
女中はそのまま後妻に居直ったが、お里さんの三周忌に、何を悟ったのか、お里さんの夢でも見て悩まされているのか、「おかみさんに申しわけのない、悪いことをした」と、仏壇に燈明を上げて熱心に拝んでいると、燈明の火が髪の毛に燃え移って、すっかりやかん頭、坊主頭になってしまった。
商売から帰って来た惣兵衛さんがこれを見て、「お里といい、今の女房といい、子どもまでも毛がないのはわたしの普段の行いのせいなのだろうか」と、反省したのか、もうこんな化け物屋敷みたいな家にはいられないと思ったのか、二人を置き去りにして逐電してしまう。
残された後妻は乳飲み子を抱え暮らして行けない。
後妻さん、子どもをおぶって、幟を立てて家々を托鉢、もらいに歩いた。「♪本所ぉ~五つ目ぇ~、五百ぅ~やか~ん」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 五百羅漢 – 釈迦の弟子である五百人の阿羅漢を祀った寺。本所五つ目にあった羅漢寺には五百体の羅漢像がありました。
- 羅漢寺 – 元禄年間に建立された寺。本所五つ目から本所緑町、最終的に目黒不動の隣に移転しました。
- 本所五つ目 – 現在の東京都墨田区にあった地名。羅漢寺があったことで知られています。
- 托鉢(たくはつ) – 僧侶が鉢を持って家々を回り、施しを受けること。この噺では羅漢寺の僧が「本所五つ目、五百羅漢」と節をつけて回っていました。
- 小間物屋 – 化粧品や装飾品、日用雑貨などを扱う商売。江戸時代の庶民的な商売でした。
- やかん頭 – 坊主頭のこと。薬缶の形に似ていることからこう呼ばれました。
- 因果応報 – 善悪の行いに応じた報いがあるという仏教の教え。この噺の根底にあるテーマです。
- 業(ごう) – 仏教用語で、過去の行いがもたらす結果。この噺では惣兵衛の不倫が家族全体に影響を及ぼします。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜお里の髪が抜けたのですか?
A: 病気と精神的ストレスが原因です。夫の不倫に気づいた悔しさと悲しみで髪が抜け落ちたという、心身相関の描写です。江戸時代にも精神的ストレスが身体に影響すると考えられていました。
Q: なぜ子どもは生まれつき毛がなかったのですか?
A: これは因果応報の表現です。不倫によって生まれた子が、最初の妻お里と同じ坊主頭という形で「業」を背負っているという仏教的な解釈です。
Q: なぜ後妻の髪も燃えたのですか?
A: お里の三周忌に拝んでいた際の事故ですが、これも因果応報として描かれています。不倫相手だった後妻が、亡きお里への罪悪感から拝んでいる時に起きた出来事です。
Q: 「五百やかん」とは何ですか?
A: 「五百羅漢(ごひゃくらかん)」と「薬缶(やかん)」を掛けた言葉遊びです。一家全員が坊主頭(やかん頭)になったことを、羅漢寺の托鉢の節に乗せて表現したオチです。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 昭和の大名人。重いテーマを軽妙に語り、因果応報の皮肉さを見事に表現しました。
- 三遊亭圓生(六代目) – お里の悲しみ、後妻の罪悪感、惣兵衛の無責任さを丁寧に演じ分けました。
- 柳家小三治(十代目) – 人間国宝。一家の崩壊過程を静かに、しかし深く描き出します。
関連する落語演目
同じく「因果応報」を描いた古典落語
不倫を扱った古典落語
家庭崩壊を描いた古典落語
本所を舞台にした古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「五百羅漢」は、不倫と因果応報という重いテーマを扱いながら、最後は言葉遊びで締めくくるという、落語ならではのバランス感覚が光る作品です。
最大の魅力は、坊主頭という視覚的なモチーフが物語全体を貫いている点です。お里の病気による脱毛から始まり、子どもの無毛、後妻の火傷、そして最後の「五百やかん」まで、すべてが坊主頭で繋がっています。この一貫性が、物語に強い印象を与えています。
惣兵衛の無責任さは、現代の不倫問題にも通じます。病気の妻がいるのに女中と関係を持ち、最後は家族を捨てて逃げる。この身勝手さは、今も昔も変わらない人間の弱さです。現代でも、不倫で家庭を壊し、責任を取らずに逃げる人は少なくありません。
お里の悲劇も深いものがあります。病気で苦しんでいるのに、夫の裏切りに気づき、髪まで抜けてしまう。現代の医学でも、精神的ストレスが脱毛症を引き起こすことは知られています。この噺は、心身の関係を江戸時代から理解していたことを示しています。
後妻の立場も複雑です。最初は不倫相手でしたが、お里の三周忌に罪悪感から拝んでいる。人間は悪事を働いても、良心の呵責を感じる。しかし燈明の火が髪に燃え移るという「罰」を受ける。これは因果応報の視覚化です。
子どもの無毛という設定は、親の罪が子に及ぶという「業」の概念を表現しています。現代的には受け入れがたい考えかもしれませんが、親の行動が子に影響を与えるという意味では真実です。不倫で生まれた子が、複雑な家庭環境で育つことは、ある意味で「業」を背負っているとも言えます。
一家全員が坊主頭になるという極端な展開は、落語的な誇張ですが、家族全体が問題を共有するという意味では象徴的です。一人の不倫が家族全体を巻き込み、最終的には家庭崩壊に至る。この連鎖反応は、現代の家庭問題にも当てはまります。
惣兵衛が逃げ出すという結末も現代的です。問題が大きくなりすぎて、責任を取れずに逃げる。現代でも、借金や家庭問題から逃げる「蒸発」は社会問題です。惣兵衛の姿は、責任から逃げる人間の典型を示しています。
最後に後妻が托鉢に回るという展開は、自業自得とも、生きるための必死の努力とも取れます。不倫相手として入った家で、結局すべてを失い、子どもを背負って物乞いをする。この皮肉な結末は、因果応報の厳しさを表現しています。
「五百やかん」というオチは、悲劇を笑いに変える落語の技法です。重い話を最後に言葉遊びで締めくくることで、聴衆に考える余地を残します。これは落語の深さであり、単なる笑い話ではない人生の教訓を含んでいます。
この噺は、不倫の代償、因果応報、家族の絆、責任の重さなど、多層的なテーマを含んでいます。江戸時代の物語ですが、現代にも通じる普遍的な人間ドラマです。
実際の高座では、お里の悲しみ、惣兵衛の身勝手さ、後妻の複雑な心情など、演者の表現力が見どころです。ぜひ実際の高座や動画でお楽しみください。








