がまの油
3行でわかるあらすじ
縁日でがまの油売りが流暢な口上と剣で腕を切って薬の効果を実演し、大成功を収める。
調子に乗って酒を飲んで再び同じ実演をするが、酔って口上がぐだぐだになる。
その上薬の効果も現れず血が止まらないため、観客に「血止めはないか」と助けを求める笑話。
10行でわかるあらすじとオチ
縁日でがまの油売りが筋金入りの桜かな口上で四六のガマの油の効能を宣伝する。
あまりに切れ味の良い刃物で紙を細かく切って見せた後、薬を塗った腕に刃を当てても切れないことを実演。
さらに薬を拭い取って切ってみせ、又薬を塗ると血が止まることを実演して大好評。
調子に乗った売り主は居酒屋で飲んだ後、もう一度稼ごうと同じ場所で実演を始める。
しかし酔っているため口上がぐだぐだになり、「前足二本、後足八本」「高尾山の麓」などと間違いだらけ。
危うい手つきで紙を切り、がまの油を腕に塗って刀を押し当てると、今度は切れてしまう。
慰めるようにがまの油を何度もつけるが血は止まらず、どんどんと出続ける。
困った売り主が観客に向かって「お立会いの中に、血止めはないか」と聴くオチ。
商品の売り主がその商品の効果の無さを証明してしまった笑話である。
解説
「がまの油」は江戸時代の縁日や縁起で実際にいたがまの油売りをモデルにした古典落語の名作です。この演目の最大の見どころは、がまの油売りの精密で綾爛な口上です。「四六のガマ」の説明から始まり、筋金入りの美しい日本語で薬の効能を説く部分は、落語の中でも特に芸術性の高い部分として評価されています。
この演目の構成は「成功」と「失敗」の対比が鮮やかで、最初の完璧な実演と、酔っ払った後のぐだぐだな実演が対照的に描かれています。酔って口上がぐだぐだになる部分では、「前足の指が二本、後足の指が八本」(正しくは前四本、後六本)、「高尾山の麓」(正しくは筑波山)など、数字や地名を間違えることで酔いを表現しています。
オチの「お立会いの中に、血止めはないか」は、商品の売り主がその商品の無効を自ら証明してしまうという皮肉な結末で、落語の中でも特に秀逸なオチとして知られています。この話はアルコールの危険性を教訓として含んでいるとも読み取れ、単なる笑話を超えた深みを持った作品です。
あらすじ
昔の縁日は出店、見世物で賑やかだった。
中でもがまの油売りは幅をきかせて人気があった。
黒紋付きの着物に袴姿で、白鉢巻きに白だすき掛けで脇差を差し、ひからびた蝦蟇蛙(がまがえる)を台の上に乗せ、脇の箱にはがまの油が入っている。
さあ、がまの油売りの口上の始まりだ。
「さあさ、お立会い。
御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで。
遠目山越し笠のうち、物の文色(あいろ)と理方がわからぬ。
山寺の鐘は、ごうごうと鳴るといえども、童子来たって鐘に撞木(しゅもく)を当てざれば、鐘が鳴るやら撞木が鳴るやら、とんとその音色が分からぬが道理。・・・・・
手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、放り銭はもらわないよ。
しからば、なにを稼業にいたすかといえば、手前持ちいだしたるは、これにある蝦蟾酥(ひきせんそ)四六のがまの油だ。
そういうガマは俺の家の縁の下や流しの下にもいるというお方があるが、それは俗にいうおたま蛙、ヒキ蛙といって薬力と効能の足しにはならん。
手前持ち出だしたるは四六のガマだ。
四六、五六はどこでわかる。
前足の指が四本、後足の指が六本、これを名づけて四六のガマだ。
このガマの棲める所は、これよりはる~か北にあたる、筑波山の麓にて、おんばこという露草を食らう。
このガマの獲れるのは五月に八月に十月、これを名づけて五八十(ごはっそう)は四六のガマだ。
このガマの油をとるには、四方に鏡を立て、下に金網を敷き、その中にガマを追い込む。
ガマは、おのれの姿が鏡に映るのを見ておのれと驚き、たら~り、たらりと油(脂)汗を流す。
これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七、二十一日の間、とろ~リ、とろりと煮つめたるがこのガマの油だ。
赤いは辰砂、椰子の油、テレメンテエカにマンテエカ、金創には切り傷、効能は、出痔、イボ痔、はしり痔、横根(よこね)、雁瘡(がんがさ)、その他、腫れ物一切に効く。
いつもは一貝で百文であるが、今日はお披露目ため小貝を添え、二貝で百文だ、お立ち合い。
がまの油の効能はまだある。
切れ物の切れ味を止めるという。
手前持ち出だしたるは、鈍刀たりと言えど、先が切れて元が切れぬ、なかばが切れぬという代物ではない。
ごらんの通り、抜けば玉散る氷の刃だ、お立合い。
お目の前にて白紙を一枚切って御覧にいれる。
一枚の紙が二枚、二枚が四枚、八枚、十六枚、三十二枚、春は三月落花の形。
比良の暮雪は雪降りの形。
さて、お立合い、かほどに切れる業物(わざもの)でもガマの油を塗る時は白紙一枚容易に切れぬ。
この腕も切れない。
刀の油を拭き取る時は触ったばかりで、このくらいに切れる。
だが、お立合い、切れても心配いらぬ。ガマの油を一つつける時は、血はぴたりと止まり痛みも去って治る」
実演付き口上が終わって一人ががまの油を買い出すと、つられて我も我も買わなきゃ損損と今も昔も群衆心理は変わらない。
けっこうな売り上げにホクホク顔のがまの油売りはなじみの居酒屋でけっこう飲んでさっきほどの所を通りかかると、まだ人が出て陽も高いので、もう一丁儲けようと欲を出し店を開いた。
自慢の口上を始めるが酔いが回って、ろれつが回らない。「四六、五六はどこでわかる。前足の指が二本、後足の指が八本、・・・・・」で、見物人から「八本ありゃ、タコじゃあねぇか」、「このガマの棲める所は、これよりはる~か南にあたる高尾山の麓にて」で、四六のガマを南方へ移住させてしまった。
危うい手つきで紙を切り、がまの油を腕に塗って刀を押し当てた。
がまの油売り 「さ、このとおり、叩いても・・・・切れた!どういうわけだ?」
見物人 「こっちが聞きてぇや」
がまの油売り 「驚くことはない、この通りがまの油をひとつつければ、痛みが去って血がぴたりと・・・・止まらねえなぁ・・・・。
二つつければ、今度はぴたりと・・・・あれ、まだ止まらないね。かくなる上はいくらでもつけて薬の重みで血を止める。・・・・・あれ、止まらないぞ、とほほ、お立会い」
見物人 「どうしたんでぇ」
がまの油売り 「お立会いの中に、血止めはないか」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 四六のガマ – 前足の指が4本、後足の指が6本のガマガエルのこと。実際のヒキガエルの指の数とは異なる設定です。
- 蝦蟾酥(ひきせんそ) – ヒキガエルの皮膚から分泌される毒を乾燥させた生薬。実際に中国医学で使われていました。
- 筑波山(つくばさん) – 茨城県の名山。がまの油売りの口上では、がまの棲息地として登場します。
- 撞木(しゅもく) – 鐘を撞くための木製の棒。口上の比喩表現に使われています。
- 辰砂(しんしゃ) – 赤色の鉱物で、古来より薬として珍重されました。水銀を含む硫化物です。
- 雁瘡(がんがさ) – 皮膚病の一種。乾癬などの皮膚疾患を指す古い言葉です。
- 業物(わざもの) – 切れ味の鋭い名刀のこと。「業物」は刀剣の切れ味を表す等級の一つです。
- 桜(さくら) – 見世物や商売で客を誘うために雇われた仕込み客のこと。
よくある質問(FAQ)
Q: がまの油は実際に存在したのですか?
A: はい、実際に江戸時代の縁日で売られていました。ただし、実際の効能には疑問符がつきます。むしろ、口上の巧みさと実演のパフォーマンスが商品価値でした。現代でも筑波山の名物として「がまの油」が土産物として販売されています。
Q: 口上の「四六のガマ」は本当ですか?
A: いいえ、実際のヒキガエルの前足は4本指、後足は5本指です。「四六」という語呂の良さと、特別感を出すための創作です。このような誇張表現が口上の魅力でした。
Q: なぜ酔うと口上を間違えるのですか?
A: 酔って記憶が混乱し、数字や地名を間違えることで酔いの状態を表現しています。「前足二本、後足八本」「高尾山」などの間違いは、演者の技量が試される部分でもあります。
Q: このオチの面白さはどこにありますか?
A: 血止めの薬を売っている本人が、その薬が効かずに客に「血止めはないか」と助けを求めるという矛盾が笑いのポイントです。自己矛盾を描いた秀逸なオチとして評価されています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 三遊亭円生(六代目) – 口上の名手として知られ、特にがまの油の精密な口上を見事に演じました。酔った時との対比も鮮やかでした。
- 古今亭志ん生(五代目) – 独特の崩し方で、酔っ払いの演技が絶品でした。口上の間違い方も自然で面白く表現しました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 父・志ん生の芸を継承し、美しい口上と酔った時の対比を鮮明に演じました。
- 柳家小三治(十代目) – 人間国宝。丁寧な口上と、酔っ払いの哀れさを繊細に表現します。
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この噺の魅力と現代への示唆
「がまの油」は、江戸時代の大道芸とその失敗を描いた作品ですが、現代にも通じる多くの教訓を含んでいます。
まず、口上の素晴らしさです。がまの油売りの口上は、現代のマーケティングやプレゼンテーションに通じる要素が満載です。商品の特徴を語呂の良い言葉で説明し、実演で証明し、群衆心理を利用して販売する手法は、現代の通販番組やデモンストレーション販売にも見られます。
しかし、この噺の本当の教訓は後半にあります。酒に酔って同じことをしようとした結果の大失敗は、「アルコールと仕事の両立は不可能」という普遍的な真理を示しています。現代でも飲酒運転や酒気帯びでの業務は厳しく禁じられており、この噺の教訓は今も有効です。
また、「血止めはないか」というオチは、自分が売っている商品の無効を自ら証明してしまうという皮肉です。現代でも、誇大広告や実態のない商品を売る詐欺的商法がありますが、最終的には必ず破綻します。この噺は、誠実な商売の大切さも教えてくれます。
口上の精密さと酔った時のぐだぐださの対比は、「普段できることも、コンディションが悪いとできなくなる」という教訓でもあります。プロフェッショナルとして常に最高のパフォーマンスを維持することの難しさと大切さを、この噺は教えてくれます。
実際の高座では、長い口上をすらすらと述べる技術、酔った時の演技、実演の仕草など、演者の技量が試されます。特に口上は暗記するのが大変で、若手落語家の修行課題としても知られています。ぜひ生の落語会や動画でお楽しみください。







