太閤の猿
3行でわかるあらすじ
豊臣秀吉が自分にそっくりな猿を探させ、その猿に袋竹刀で大名たちの首筋を打たせるいたずらをしていた。
独眼竜伊達政宗が登城前夜に猿を脅して仕返しをしかけ、猿が二人の板挟みで行ったり来たりする羽目に。
「猿とは、辛いね」という言葉遊びで、これが東雲節の原点だというオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
天下人になった豊臣秀吉が、世間で「猿にそっくり」と言われているのを知っている。
曽呂利新左衛門に「余の顔が猿に似ておるというが真か」と聞くと、「猿が幸いも殿下に似たものかと存じます」と答える。
秀吉が「余にそっくりの猿を探してまいれ」と命じ、丹波の国から瓜二つのような猿が三百両で買われてくる。
太閤は猿を気に入り、自分と同じ風体、扱いにせよと命じ、猿は毎日登城して秀吉のそばにいる。
秀吉は猿に袋竹刀を持たせ、人の首筋をバシッと打つことを教え込み、加藤清正、福島正則らが犠牲になる。
独眼竜伊達政宗が「いくら殿下の寵愛の猿といえども大名を打つとはけしからん」と言い、登城前夜に猿を脅していじめる。
翌朝、秀吉が「猿、行け」と命じても、猿は政宗に睨まれて太閤の所へ逆戻りしてしまう。
秀吉と政宗の意地の張り合いの板挟みで、猿がその間を行ったり来たりする羽目になる。
そこで歌ができたとさ、「猿とは、辛いね」。
オチ:「猿とは、辛いね」という言葉遊びで、これが東雲節の「♪てなことおっしゃいましたかね~」の原点というオチ。
解説
「太閤の猿」は、豊臣秀吉と伊達政宗という武将同士の心理戦を描いた上方落語の名作です。
秀吉が「猿顔」と呼ばれていたことは武将感太記や川角太閤記などの史書にも記載されており、史実をユーモラスに脱色した作品です。
伊達政宗が秀吉のいたずらに屈しない独立不羈の精神を見せる一方、猿は両者の板挟みで右往左往する哀れな存在として描かれています。
最後の「猿とは、辛いね」は、「さるとは、つらいね」の音の駄洒落で、これが江戸時代末期から明治時代にかけて流行した東雲節の由来とされています。
あらすじ
「♪何をくよくよ川端柳、焦がるる何としょ 水の流れを見て暮らす、東雲のストライキ さりとは辛いね、てなこと、おっしゃいましたかね~ 」、東雲節の原点、ルーツ?のお噺。
天下人になり太閤殿下と呼ばれ権勢を極めている豊臣秀吉。
世間では猿にそっくりと言っているのを知っている。
ある日、お伽衆の曽呂利新左衛門に、「余の顔が猿に似ておるというが真か」と聞いた。
曽呂利といえども、「はい、そっくりです」とは言えず、「猿が幸いも殿下に似たものかと存じます」と答えた。
すると太閤は「面白い、余にそっくりの猿を探してまいれ」との命を発した。
すぐに顔はもちろん、体つきもそっくりな猿を求めて家来どもが各地に散った。
しばらくして丹波の国の百姓が飼っている太閤に瓜二つの猿が、三百両で買われ太閤に献上された。
猿と対面した太閤はすっかりこの双子のようにそっくりな猿が気に入り、自分と同じ風体、扱いにせよと命じ、太閤の影武者のような猿が誕生した。
武村三左衛門宅へ預けられた猿は、部屋に鳥屋を作って入れられ、太閤と同じ食事を食べ、毎日、登城していつも太閤のそばにピッタリ寄り添って、どっちがどっちだか分からないほどだ。
大名たちは廊下ですれ違う時は、「ははぁ~」と二回頭を下げて通る始末だ。
これが面白くなって来た太閤は猿に袋竹刀を持たせ、人の首筋をバシッと打つことを教え込んだ。
最初の犠牲者、餌食になったのは加藤清正だ。
太閤に拝謁し頭を下げている所に、「猿、行け」で猿がチョコチョコ寄って来ていきなり首筋を袋竹刀でバシッと叩いた。
虎退治で名をはせた豪傑清正、「無礼者」と猿を取り押さえるかと思いきや、「これは殿下ご寵愛の猿、ははぁ~」と平伏で、なんとも情けない。
これに味をしめた二人?は福島正則、加藤嘉明、片桐且元らを次々に袋竹刀の血祭りに上げて面白がっている。
この噂が独眼竜と恐れられている奥州伊達政宗の耳に入った。「いくら殿下の寵愛の猿といえども大名を打つとはけしからん。余が諌(いさ)めてまいる」と乗り込んで来た。
登城の前日に武村宅に行き、二百両で猿に会わせてもらい、猿の首筋をつかんで畳に鼻をこすりつけ、こっぴどく猿をおどし、顔を覚え込ませ、
「明日登城の折に余を打たば、その場において引っ裂いてくれる」と言って帰った。
翌朝、太閤は伊達政宗の拝謁を受ける。
昔からの子飼いの家来とは違い政宗は客分だ。
でもまた例のいたずらをやって見たくなるのが人情?だ。
太閤の「猿、行け」に、袋竹刀を持ってチョコチョコチョコ、政宗の首筋を叩こうとする猿を独眼竜がグイッと睨んだ。
猿は昨日、散々にいじめられたおっさんだと気づき、太閤の所へ逆戻りだ。
太閤に「猿、行け」と言われ、また政宗の所へ行って、ギロッと片目で睨まれ、また戻れば、「猿行け」で太閤と政宗の意地の張り合いの板挟みで、その間を行ったり来たりの猿が一番辛かった。
そこで歌ができたとさ、「猿とは、辛いね」、♪てなことおっしゃいましたかね~
落語用語解説
- 太閤(たいこう) – 関白を辞した人の尊称。豊臣秀吉を指す。
- 袋竹刀(ふくろしない) – 革袋で包んだ竹刀。稽古用で当たっても怪我をしにくい。
- 曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん) – 秀吉に仕えた御伽衆。機知に富んだ逸話が多い。
- 東雲節(しののめぶし) – 江戸末期から明治にかけて流行した俗謡。「さりとは辛いね」の歌詞で知られる。
- 独眼竜 – 伊達政宗の異名。幼少時に右目を失明したことから。
- お伽衆(おとぎしゅう) – 大名に仕えて話し相手をする役職。
よくある質問(FAQ)
Q: 「猿とは、辛いね」というオチの意味は?
A: 「さるとは、つらいね」と「去るとは、辛いね」の駄洒落です。秀吉と政宗の板挟みで行ったり来たりする猿の苦労を表現しつつ、東雲節の歌詞「さりとは辛いね」の由来としています。
Q: 秀吉が猿に似ていたのは本当ですか?
A: 武将感太記や川角太閤記などの史書に「猿顔」の記述があり、史実に基づいた逸話です。秀吉自身もそれを気にしていたとされています。
Q: 伊達政宗はなぜ猿を脅したのですか?
A: 大名を打つ猿を許せないという義憤と、秀吉への対抗心から。政宗の独立不羈の精神を表現した場面です。
名演者による口演
- 桂米朝(三代目) – 上方落語の重鎮。秀吉と政宗の駆け引きを見事に演じました。
- 森乃福郎 – 上方落語の名手。猿の右往左往する様子を滑稽に描きました。
- 笑福亭松鶴(六代目) – 上方落語の大御所。武将たちの威厳と滑稽さを絶妙に演じ分けました。
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同じく「歴史上の人物」がテーマの古典落語


動物が登場する古典落語


上方落語の名作


この噺の魅力と現代への示唆
「太閤の猿」は、豊臣秀吉と伊達政宗という歴史上の人物を題材にした上方落語の名作です。天下人のいたずらと独眼竜の反骨精神が生み出す心理戦は、権力者同士の駆け引きを軽妙に描いています。
板挟みになった猿の苦労は、現代社会における上司と上司の間に挟まれるサラリーマンの姿にも通じる普遍的なテーマです。


