崇徳院
3行でわかるあらすじ
若旦那が清水参りで出会った美女から崇徳院の和歌を書いた紙をもらい恋患いになる。
大旦那からその娘を探すよう頼まれた熊五郎が「水がたれる」と聞き間違えて捜索する。
風呂屋36軒床屋18軒回っても見つからず、最後に鏡を割って「割れても末に買わんとぞ思ふ」オチ。
10行でわかるあらすじとオチ
出入りの店の大旦那から呼ばれた熊五郎、若旦那が気の病で寝込んでいると聞かされる。
若旦那から話を聞き出すと、清水参りで出会った美しい娘への恋患いだった。
娘は別れ際に「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いた紙を渡してくれた。
下の句が「割れても末に逢はんとぞ思ふ」の崇徳院の歌で、いずれ再会し夫婦になりたいという意味。
大旦那からその娘を探し出すよう頼まれ、見つければ借金棒引き、三軒長屋もくれると約束。
熊五郎は「水がたれる女の人」と聞き間違えて、あちこち探し回っても見つからない。
女房の助言で崇徳院の歌を大声で歌いながら風呂屋や床屋を回ることに。
風呂屋36軒、床屋18軒回っても見つからず、夕方に同じ床屋にふらふらで入ってくる。
そこで同じように恋患いの相手を探している頭(かしら)と出会い、もみ合いの末に鏡を割ってしまう。
オチ:頭が「なに心配いらねえ、割れても末に買わんとぞ思ふ」と崇徳院の歌をもじったダジャレ。
解説
「崇徳院」は、平安時代末期の上皇・崇徳院の歌を題材にした古典落語で、教養と言葉遊びが絶妙に組み合わされた作品です。
崇徳院の歌「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 割れても末に逢はんとぞ思ふ」は、保元二年(1156年)の保元の乱で負けて讃岐された崇徳院が、京都への思いを詠んだもので、百人一首にも収録されています。
この落語の面白さは、熊五郎が「水もたれるような」を「水がたれる」と聞き間違えて、全く関係のない人を探し回るところにあります。
最後の「割れても末に買わんとぞ思ふ」は、元の歌の「逢はん」を「買わん」に変えて、鏡の修理代の心配をしないという、古典の哀れを込めたダジャレオチとなっています。
あらすじ
熊五郎が出入りの店の大旦那から呼ばれ行くと、若旦那が具合が悪く寝込んでいるという。
ある名医の見立てによると、気の病だという。
いろいろ聞いてみたが誰にも心の中を打ち明けないので、気心の知れた熊さんになら心の中を明かすかも知れないから、聞き出してくれと頼まれる。
若旦那の部屋に行き、やっと聞き出すと恋患いと言う。
相手は20日ほど前に清水さまにお参りに行った時、茶店で出会った水もたれるような綺麗な娘さん。
別れ際に、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いた紙を渡してくれた。
下の句が「割れても末に逢はんとぞ思ふ」の崇徳院の歌で、いずれ再会し夫婦になりたいという意だと言う。
熊五郎は大旦那からその娘さんを探し出すように頼まれる。
探し出しせば借金を棒引き、今住んでいる三軒長屋をくれると約束だ。
早速探しに出るが、この辺に水がたれる女の人はいないかと聞いて回っているだけで見つからない。
女房から崇徳院の歌を大声を出して歩き、人のよく集まるフロ屋とか床屋へ行くように言われてまた探し始める。
熊さん 「瀬をはやみ・・・」、「ちょいと豆腐屋さん」
熊さん 「瀬をはやみ岩にせかるる~・・・、あれっ、ずいぶん子どもが集まってきたな。
紙芝居屋じゃねんだ。あっちへ行け!」
熊さん 「瀬をはやみ・・・」、「ウー、ワンワンワン」、「犬まで怪しんでいやがら。
床屋へでも入ってみるか。こんちわ」、「いらっしゃい」、「混んでますか」
床屋 「今ちょうど空いたところで・・・」、「さいなら」
熊さん 「瀬をはやみ・・・」
通行人 「ほう、あなたは崇徳院さまのお歌がお好きなようですな」
熊さん 「もし、あなた崇徳院の歌をご存知で?」
通行人 「このごろ、うちの娘が始終その歌を口にしておりますんで、あたしも覚えちまって・・・」
熊さん 「えっ、お宅のお嬢さんが、・・・お嬢さんはたいそうな器量良しじゃありませんか?」
通行人 「親の口から言うのもなんですが、ご近所ではとんびが鷹を産んだなんて・・・」
熊さん 「しめた、水がたれますね」
通行人 「水はたれませんが、まだときどき寝小便をやらかしまして」
熊さん 「えっ、寝小便を? おいくつで?」
通行人 「五歳です」、「さいなら、瀬をはやみ・・・」、ついにフロ屋を36軒、床屋を18軒回り、ふらふらになって夕方に同じ床屋に入ってくる。
そこへ店(たな)のお嬢さんが恋患いをし、崇徳院の歌を手がかりに相手を四国に探しに旅立つという、頭(かしら)に出会う。
お互いの店に来いと、もみ合っているうちに、鏡を割ってしまう。
床屋 「そ~ら、やっちまった。
鏡割っちまって。どうしてくれるんだい」
頭 「なに心配いらねえ、割れても末に買わんとぞ思う」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 崇徳院(すとくいん) – 日本の第75代天皇(1119年-1164年)。保元の乱で敗れて讃岐に配流され、その地で崩御。怨霊伝説でも知られる。
- 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 割れても末に逢はんとぞ思ふ – 崇徳院の和歌。急流が岩に分かれてもやがて合流するように、今は離れてもいずれ再会したいという恋の歌。百人一首77番。
- 清水参り(きよみずまいり) – 京都の清水寺への参詣。江戸時代は観光地としても人気で、若い男女の出会いの場でもあった。
- 頭(かしら) – 鳶職や大工などの親方・棟梁のこと。江戸っ子の典型的な職業。
- 出入り(でいり) – 商家に出入りする職人や御用聞きのこと。熊五郎はこの店の出入り職人。
- 気の病(きのやまい) – 精神的な病気、特に恋患いなどの心の病を指す。
- 三軒長屋(さんげんながや) – 江戸時代の庶民向け集合住宅。一棟に三軒の部屋がある長屋。
よくある質問(FAQ)
Q: 崇徳院の和歌は本当に恋文として使われていたのですか?
A: はい、実際に江戸時代には崇徳院の和歌は恋文として人気がありました。特に「瀬をはやみ」の歌は、離れ離れになった恋人同士が再会を誓う際によく使われました。
Q: なぜ熊五郎は「水がたれる」と聞き間違えたのですか?
A: 若旦那が「水もたれるような美しい娘」と形容したのを、熊五郎が「水がたれる女」と聞き違えたのです。これは熊五郎の教養のなさと、早とちりな性格を表現する演出です。
Q: 風呂屋36軒、床屋18軒は実際に回れる数ですか?
A: これは誇張表現で、実際には不可能な数です。熊五郎の必死さと、探し回った挙句の疲労困憊を表現するための数字です。
Q: 最後のオチ「買わんとぞ思ふ」の意味は?
A: 元の歌の「逢はん(会おう)」を「買わん(買おう)」に変えた言葉遊びです。割れた鏡の弁償を「いずれ買って弁償する」という意味で、古典の格調高い歌を庶民的なダジャレに落とし込んだオチです。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 「崇徳院」は江戸落語の演目です。江戸っ子の熊五郎や頭(かしら)など、江戸の町人文化を背景にした噺です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 昭和の名人。崇徳院を十八番の一つとし、熊五郎の愛嬌ある人物描写と、歌を歌い歩く滑稽さを見事に表現。人間国宝の古今亭志ん生の次男。
- 柳家小三治 – 現代落語界の重鎮。丁寧な語り口で、若旦那の恋患いの切なさと熊五郎の騒動を対比させる演出が特徴。人間国宝。
- 春風亭小朝 – 現代の名手。テンポよく軽妙な語り口で、特に熊五郎が歌いながら探し回る場面を面白おかしく演じる。
- 柳家さん喬(四代目) – 古典を大切にしながら、独自の工夫を加えた演出で知られる。崇徳院でも和歌の美しさと庶民の滑稽さの対比を際立たせる。
関連する落語演目
同じく「恋患い」がテーマの古典落語
和歌や歌が登場する古典落語
熊さん・八っつぁんが活躍する江戸落語
この噺の魅力と現代への示唆
「崇徳院」は、格調高い和歌と庶民の滑稽な騒動を組み合わせた、落語ならではの構成が魅力です。崇徳院の和歌「瀬をはやみ」は百人一首の中でも人気の高い恋の歌で、現代でも多くの人に愛されています。
熊五郎の「水がたれる」という聞き間違いから始まる大騒動は、コミュニケーションの行き違いが生む笑いの典型例です。現代でもSNSやメールでの誤解から生まれるトラブルがありますが、この噺は「思い込み」の危うさと滑稽さを江戸時代から教えてくれています。
最後の「割れても末に買わんとぞ思ふ」というオチは、雅な和歌を俗な言葉遊びに転換する見事な技法です。教養と庶民性、雅と俗、この対比こそが落語の醍醐味と言えるでしょう。
実際の高座では、熊五郎が「瀬をはやみ~」と歌いながら町を歩き回る場面が最大の見せ場となります。演者によって歌い方や疲労困憊の表現が異なり、それぞれの個性が光る噺でもあります。機会があれば、ぜひ寄席や動画配信でお楽しみください。











