宗論
3行でわかるあらすじ
浄土真宗の旦那の息子がキリスト教に惨中し、父子で宗教論争になる。
息子は「天の神が造り主」、旦那は「お前を作ったのは俺と死んだ婆さん」と大喧嘩。
飯炊きの権助が仲裁に入り、「真宗ですか」と聞かれて「仙台だから奥州でがす」と答えるオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
ある店の旦那は浄土真宗だが、息子がキリスト教に惨中して教会に通い詰めている。
息子が帰ってくると、旦那は「阿弥陀様に手を合わせろ」と説教する。
しかし息子は「偽像仏を信じていた」と反論し、「私の造り主は天の神」と主張。
旦那は「お前を作ったのはあたしと死んだ婆さんの二人だ」と反論。
息子はイエス・キリストの話をし、「信ずるものはみな救われる」と説く。
ついに旦那が手を上げそうになった時、飯炊きの権助が仲裁に入る。
権助は「宗論はどちら負けても釈迦の恥」と言って仲裁する。
旦那が「お前もその教えを知っているところを見ると真宗だろう」と聞く。
権助は「おらぁ、仙台だから奥州でがす」と答える。
オチ:「真宗(しんしゅう)」と「奥州(おうしゅう)」の音の似たダジャレ。
解説
「宗論」は明治時代のキリスト教伝来を背景にした落語で、宗教間の対立をユーモラスに描いています。
この作品の見どころは、旦那と息子の宗教論争の中で、息子が「天の神が造り主」と言えば、旦那が「お前を作ったのは俺と死んだ婆さんの二人だ」と竹を割ったような理論で反論するところです。
「宗論はどちら負けても釈迦の恥」は実際のことわざで、宗教論争の無意味さを表しています。
最後の「真宗(しんしゅう)」と「奥州(おうしゅう)」の音の似たダジャレは、権助が仙台出身だから「奥州」と答えることで、宗教的な対立を言葉遊びで解消する巧妙なオチです。
あらすじ
すべて、世の中のものには陰陽があり、男と女、宗旨にも陰陽がある。「南無阿弥陀仏」は陰で、「南無妙法蓮華経」は陽だ。
ある店の旦那。
家の宗旨は浄土真宗なのに息子がキリスト教に凝ってしまい面白くない。
息子は今日も朝から教会へ行ってしまう。
番頭は若旦那は博打で金を湯水のごとく使っているわけでも、女狂いをしているのでもないので、とがめだてしないでくださいと言うが、旦那はおさまらない。
今日こそはみっちりと小言を言ってやろうと待ち構えている。
しばらくすると息子が帰ってきて口論となる。
旦那 「この忙しい時に、店をうっちゃっておいてどこをうろついていたんだ」
息子 「はい、お父様、無断で外出したことはお詫びいたします。今日は関西からピース様というえらい牧師様がお見えになりましたのでお話を聞きにまいりました」
旦那 「お前には浄土真宗というありがたい教が伝わっているんだから、なんで阿弥陀様に手を合わせてくれないんだ」
息子 「お父様のお言葉ではございますが、私も今までは真の神のあることを知らず、お父様のごとく偶像仏を信じていたであります」
旦那 「なんだその偶像仏てえのは?お前の信じる神様てえのはどこがそんなにありがてえんだ」
息子 「我が天の神は私の造り主であります」
旦那 「馬鹿言っちゃいけないよ。
お前を作ったのは、あたしと死んだ婆さんの二人だけだ。人の手など借りやしない」
息子 「肉体を作ったのは両親ですが、知力、能力、魂を造られましたのはのは天の神様であります」
旦那 「それならお前は、あたしと、婆さんと、キリストが三角関係だったというのか」
息子 「お父様、そんなに興奮されては困ります。
そもそも、イエ~ス・キリストと言えるお方は遠きユダヤの国、処女の腹に宿られ馬小屋において産声をあげられました。
時の人民はこれぞ真の神であると、・・・哀れなる人民を救い給えと言ったであります。・・・十字架に架けられます。
その時、イエ~ス・キリストは天に向かって、"我を十字架に架けし者の罪を許したまえ"と言ったであります。
お父様、信じてください。
信ずるものはみな救われるのであります。お父様目覚めてください」
旦那 「目覚めているよおれは、これより目覚めようがねえんだよ。ほんとに怒ってんだから」
息子 ♪「十字架に架かりて・・・恵み給え~、ご町内の皆さま、今晩八時から・・・」
旦那 「なにが今晩八時だ、この馬鹿ったれが・・・」、ついに旦那が手を上げてあわやというところに、飯炊きの権助が飛び込んでくる。
権助 「まあまあ、手を下ろしてくだせえ。・・・"宗論はどちら負けても釈迦の恥"といいやす。今日のところはこの飯炊きの権助に免じて勘弁してやっておくれやす」
旦那 「お前もその教えを知っているところを見るとお前も真宗だろう。」
権助 「おらぁ、仙台だから奥州でがす」
落語用語解説
- 宗論(しゅうろん) – 宗教についての議論・論争のこと。この噺では浄土真宗とキリスト教の対立を描く。
- 浄土真宗 – 親鸞聖人が開いた仏教の宗派。念仏を唱えることで救われると説く。
- 偶像仏(ぐうぞうぶつ) – キリスト教から見た仏像のこと。偶像崇拝として批判する立場から使われる言葉。
- 釈迦の恥 – 「宗論はどちら負けても釈迦の恥」という諺。宗教論争は無意味だという教え。
- 飯炊きの権助 – 商家で飯を炊く下働きの男。仙台出身という設定で東北弁を話す。
よくある質問(FAQ)
Q: 「奥州でがす」というオチの意味は何ですか?
A: 「真宗(しんしゅう)」と「奥州(おうしゅう)」の音が似ていることを利用したダジャレです。権助が仙台(奥州)出身だから「奥州です」と答えることで、宗教論争を言葉遊びで解消しています。
Q: この噺はキリスト教を批判していますか?
A: いいえ、どちらの宗教も批判していません。宗教論争そのものの無意味さをユーモラスに描いた作品です。
Q: 「宗論はどちら負けても釈迦の恥」とはどういう意味ですか?
A: 仏教の宗派同士が論争しても、どちらが負けても仏教(釈迦)の恥になるという意味で、宗教論争の無意味さを表す諺です。
名演者による口演
- 三遊亭圓生(六代目) – 昭和の名人。宗教論争を品良くユーモラスに演じました。
- 柳家小さん(五代目) – 人間国宝。権助の東北弁を絶妙に演じました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 旦那と息子の掛け合いを軽妙に演じました。
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この噺の魅力と現代への示唆
「宗論」は、明治時代のキリスト教伝来を背景にした落語で、宗教間の対立をユーモラスに描いています。旦那と息子の宗教論争が熱を帯びる中、飯炊きの権助が仲裁に入る展開が見どころです。
息子が「天の神が造り主」と言えば、旦那が「お前を作ったのは俺と死んだ婆さん」と反論するやり取りが笑いを誘います。
最後の「真宗」と「奥州」を掛けたダジャレは、宗教的な対立を言葉遊びで解消する巧妙なオチです。


