写真の仇討
写真の仇討(しゃしんのあだうち)は、芸者に振られた甥を中国の故事「予譲」で諭す叔父と、写真を短刀で突いたら血が流れるという恐怖の展開が繰り広げられる古典落語です。大仰な忠義の物語から一転、「なに、あたしが指を切ったんで」という脱力の真相が明かされる落差が笑いを誘います。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演目名 | 写真の仇討(しゃしんのあだうち) |
| ジャンル | 古典落語・滑稽噺 |
| 主人公 | 作次郎(甥)・叔父 |
| 舞台 | 江戸・叔父の家 |
| オチ | 「なに、あたしが指を切ったんで」 |
| 見どころ | 中国故事の格調高さと間抜けなオチのギャップ |
3行でわかるあらすじ
新橋の芸者に振られた甥の作次郎が心中を決意して叔父を訪ねる。
叔父は中国の故事「予譲」を引き合いに出し、写真に恨みを晴らすよう諭す。
写真を短刀で突くと血が流れるが、実は作次郎が指を切っただけだった。
10行でわかるあらすじとオチ
甥の作次郎が思い詰めた様子で叔父を訪ね、新橋の芸者に振られたと告白する。
心中を決意した作次郎に、叔父は早まるなと諭し始める。
叔父は中国の故事を語り、智伯の家来・予譲が主君の仇を討とうとした話をする。
予譲は捕らえられたが、趙襄子は着物を渡して恨みを晴らさせた。
予譲は着物を剣で突くと血が流れ、その後自害したという。
叔父は作次郎に芸者から貰った物はないかと尋ねる。
作次郎が写真を持っていると答えると、叔父はそれを突いて恨みを晴らせと言う。
作次郎が短刀で写真を突くと、畳に真っ赤な血が流れる。
叔父が「執念とは恐ろしい」と驚く。
作次郎「なに、あたしが指を切ったんで」というオチ。
解説
「写真の仇討」は、中国の故事と江戸の人情噺を巧みに組み合わせた古典落語の傑作です。前半で語られる「予譲」の故事は、『史記』刺客列伝に記された実在の話で、「士は己を知る者のために死す」という有名な言葉の出典でもあります。この格調高い故事を使って甥を諭す場面は、まるで講談のような重厚さがあります。
叔父が予譲の故事を引用して、着物を突いたら血が流れたという神秘的な話を聞かせ、聞き手も「写真からも血が出るのか」と緊張感を持って聞いているところで、実は単に作次郎が自分の指を切っただけという間抜けなオチに転換します。この格調高い前半と脱力系のオチのギャップが、この噺の最大の魅力です。
「あたし」という女性言葉を使うところも、作次郎の気弱で頼りない性格を表現しており、心中を決意するような大それたことができる人物ではないことを暗示しています。中国の英雄譚と江戸の軟弱な若者の対比が、この噺をより一層面白くしています。
オチの構造としては「考えオチ」と「逆さオチ」の複合型といえます。聴き手は予譲の故事の流れから「写真にも執念が乗り移ったのか」と考えますが、実際には単に不器用な若者が指を切っただけという真逆の結末に転換されます。壮大な伏線からの拍子抜けという落差が、笑いの核心です。
また、明治以降に「写真」という近代的な小道具が登場することで、古い故事との時代のギャップも生まれ、噺に独特の味わいを与えています。写真という当時の最新技術と、春秋時代の古い故事という組み合わせ自体が、叔父の学識と甥の軽薄さを象徴しています。
成り立ちと歴史
「写真の仇討」は、明治期に成立したとされる比較的新しい古典落語です。写真が日本に普及し始めた幕末から明治初期の時代背景を反映しており、当時の人々にとって写真はまだ珍しく神秘的なものであったことが、この噺の成立に大きく関わっています。写真に魂が宿るという迷信が広く信じられていた時代だからこそ、「写真を突いたら血が流れる」という展開にリアリティがあったのです。
原話は中国の『史記』刺客列伝に登場する予譲のエピソードで、これを落語に仕立て直したものです。予譲の故事は江戸時代から講談や読本で広く知られており、落語家がこの教養をベースに、写真という新しい文明の利器と組み合わせて滑稽噺に仕立てました。同じく中国故事を引用する落語には「千早振る」などがあり、学識をひけらかす登場人物が滑稽な結末を迎えるという構造は江戸落語の一つの型といえます。
演者の系譜としては、三遊亭圓生(六代目)が格調高い語り口で演じたことで知られ、予譲の故事を講談調で語る前半部分の重厚さと、脱力系オチとの落差を見事に演出しました。古今亭志ん朝(三代目)は叔父と甥の会話をより軽妙に演じ、現代の寄席でも親しまれる演目として定着させました。
あらすじ
思いつめた様子で甥の作次郎がやって来た。
叔父さん「どうしたんだ、そんなに浮かない顔をして?」
作次郎 「惚れていた女に騙されで、振られました」
叔父さん 「そんなのはよくある話だ。その女は白か黒か?」
作次郎 「どっちかというとブチで・・・」
叔父さん 「犬じゃないんだから。素人女か玄人、遊女とか芸者とか、どっちだ?」
作次郎 「新橋の芸者です。
これから短刀で一突きで女を殺して自分も死ぬ覚悟です。叔父さんには大変お世話になりましたのでお暇(いとま)を言いに来ました」
叔父さん 『そんな早まったことをすれば後で悔やむことになる。
こんな話がある、昔、晋の国の智伯(ちはく)という人が趙襄子(ちょうじょうし)に滅ぼされて殺され、智伯の家来の予譲(よじょう)は主人の仇を討う機会を狙っていたが捕らえられてしまった。
趙襄子は一人で主君の仇を討とうとするのは立派であると予譲を解き放った。
それでも予譲は復讐をあきらめず、顔や体に漆を塗り、炭を飲んで声を変え、乞食姿で機会を狙っていた。
ある日、豫譲は橋の下で待ち伏せて趙襄子の暗殺を狙ったが、趙襄子の乗った馬が殺気を感じて動かなくなったため見破られ、また捕らえられてしまう。
趙襄子 「一度は助けてやったのになぜまたわしの命を狙うのだ。
お前は昔は范氏と中行氏に仕えていたが、両氏とも智伯に滅ぼされた。
だが、智伯を討とうはせずに逆に仕えた。なぜ、智伯にだけ忠を尽くし仇を討とうとするのだ?」
豫譲 「范氏と中行氏の扱いは人並であったが、智伯は私を国士として遇してくれたので、国士としてこれに報いるのみ。"士は己を知る者のために死す"という」
趙襄子 「あっぱれな心構えではあるが、今わしがここで討たれれば国が乱れる。これをわしと思って存分に恨みを果たせ」、着ていた着物を脱いで豫譲に渡した。
豫譲は無念と剣で着物を突くと血がタラタラ。
豫譲はそこで自害し、趙襄子も一年も経たずに死んでしまったという。
お前もその女から何かもらったものはないか?』
作次郎 「・・・写真があります。いつも懐に大事に持っています」
叔父さん 「振られた女の写真など後生大事に持っていてどうする。突くなり破るなどして恨みを晴らしなさい」、なるほどと作次郎は持ってきた短刀で女の写真を思い切りズブリと突いた。
すると畳の上に真っ赤な血がダラダラ・・・。
叔父さん 「おお、執念とは恐ろしいものじゃ。写真から血が流れた」
作次郎 「なに、あたしが指を切ったんで」
落語用語解説
- 予譲(よじょう) – 中国春秋時代の刺客。『史記』刺客列伝に記された人物で、主君・智伯の仇を討とうとした忠義の士として有名です。
- 趙襄子(ちょうじょうし) – 中国春秋時代の晋の有力者。智伯を滅ぼした人物ですが、予譲の忠義に感動して二度も命を助けました。
- 智伯(ちはく) – 中国春秋時代の晋の有力者。予譲の主君で、趙襄子に滅ぼされました。
- 士は己を知る者のために死す – 予譲の有名な言葉。自分を認めてくれた主君のために命を捧げるという武士道精神を表しています。
- 新橋の芸者 – 江戸・明治期の新橋は芸者の名所で、多くの男性が通い詰めました。
よくある質問(FAQ)
Q: 予譲の故事は実話ですか?
A: はい、『史記』刺客列伝に記された実在の人物です。主君の仇を討つために顔や体に漆を塗り、炭を飲んで声を変えるなど、執念深く復讐を狙った話として有名です。
Q: なぜ着物を突いたら血が流れたのですか?
A: 故事では、予譲の執念が着物に乗り移り、剣で突くと血が流れたとされています。この神秘的なエピソードが、写真を突いたら血が流れるという展開の伏線になっています。
Q: オチの「あたし」という言い方には意味がありますか?
A: 「あたし」は女性的な言葉遣いで、作次郎の気弱で頼りない性格を表現しています。心中を決意するような大それたことができる人物ではないことを暗示しています。
Q: 「写真の仇討」はいつ頃成立した噺ですか?
A: 写真が日本に普及し始めた明治期に成立したとされます。写真に魂が宿るという迷信が広く信じられていた時代だからこそ、写真から血が出るという展開にリアリティがありました。
Q: この噺のオチはどのタイプに分類されますか?
A: 「考えオチ」と「逆さオチ」の複合型です。予譲の故事から執念で血が出たと思わせておいて、単に指を切っただけという真逆の結末に転じる構造です。格調高い伏線からの脱力という落差が笑いの核心となっています。
名演者による口演
- 三遊亭圓生(六代目) – 昭和の名人。予譲の故事を格調高く語り、オチとの落差を見事に演出しました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 叔父と甥の会話を軽妙に演じ、脱力系のオチを際立たせました。
- 柳家小三治 – 人間国宝。作次郎の情けなさを愛嬌たっぷりに演じました。
- 三遊亭圓窓(五代目) – 中国故事の部分を丁寧に語り込み、教養落語としての側面を際立たせた口演で知られました。
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この噺の魅力と現代への示唆
「写真の仇討」は、格調高い中国の故事と間抜けなオチのギャップが最大の魅力です。予譲の壮絶な復讐譚を聞いた後で、「指を切っただけ」という脱力系のオチは、聴衆の予想を見事に裏切ります。
叔父が甥を諭すために中国の故事を引用する場面は、落語の中でも珍しい格調の高さを持っています。しかし、その教訓を受けて行動した作次郎が、自分の指を切るという間抜けな結果になるところに、人間の滑稽さが表れています。
また、失恋で心中を決意するという大げさな行動と、実際は指を切る程度の不注意という対比も、この噺のユーモアを生み出しています。
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