真田小僧
3行でわかるあらすじ
ずる賢い子供の亀坊が、留守中に来たおじさんの話で父親の熊さんを焦らせて小遣いをせしめる。
実はそのおじさんは按摩さんだったと判明し、父親は呆れて真田幸村の話を始める。
亀坊は六連銭の説明に使った50円玉を全部持って焼き芋を買いに逃げ、父親は「うちの真田も薩摩へ落ちた」と嘆く。
10行でわかるあらすじとオチ
亀坊という賢い子供が父親の熊さんに小遣いをねだるが断られる。
母親からもらうと言い、留守中に来たおじさんの話を近所に言いふらすと脅す。
心配になった熊さんは、話の続きを聞くために5円を渡す。
母親がおじさんを喜んで座敷に上げたと聞き、さらに10円を渡して続きを聞く。
障子の隙間から覗いたという話でまた10円取られ、結局そのおじさんは按摩さんだったと判明。
呆れた熊さんは、妻に真田幸村の賢さを語り、六連銭の家紋の話をする。
亀坊が帰ってきて、講釈で真田三代記を聞いてきたと話す。
六連銭の紋を教えるため、熊さんが50円玉を6つ並べて説明する。
亀坊は自分で並べると言って50円玉を全部持って逃げ出す。
「今度は焼き芋を買ってくる」と言う亀坊に、熊さんは「うちの真田も薩摩へ落ちた」と嘆く。
解説
「真田小僧」は、子供の知恵と親の甘さを描いた滑稽噺の傑作です。
亀坊の巧みな話術で次々と小遣いをせしめる展開は、子供の純真さと狡猾さが絶妙に混ざり合っています。
特に秀逸なのはオチの構造で、真田幸村が大坂城落城後に薩摩(鹿児島)へ落ち延びたという伝説と、亀坊が薩摩芋(焼き芋)を買いに行くことを掛けた地口落ちになっています。
六連銭という真田家の家紋を説明するために使った50円玉が、そのまま亀坊の小遣いになってしまうという展開も見事で、親の教育的な話が逆に子供に利用される皮肉が効いています。
あらすじ
亀坊が父親の熊さんにまとわりついて小遣いをねだるがもらえない。
それじゃ、お母っさんにもらうという。
この間、留守の時に来たおじさんのことを近所中に話すといえば必ずくれるという。
これを聞いた熊さんは不安になって、話の続きを聞きたがる。
亀坊は寄席で聞く時も木戸賃は前払いだといって金をせびるので、仕方なく5円を渡す。
亀坊 「お母っさんはそのおじさんの手を取って、嬉しそうに"うちのがいなくてちょうどよかった"なんて言って座敷にあげた」、「それからどうした」で、もう10円せびられる。
亀坊 「お母っさんが外へ遊びに行くようにとお金をくれたので、後は分からない」
熊さん 「なんで肝心なところで外へ出て行ったんだ」
亀坊 「あたいも気になったから戻ってきて障子の隙間から覗いた」、「どうだった、何が見えた」と熊さんは気が気でない。
亀坊 「ここは大事な切れ場だからもう10円おくれ」、熊さんが仕方なく10円を渡すと、
亀坊 「よく見たらそのおじさんは、いつも来る横丁の按摩(あんま)さんだった」と言って、外へ駆け出して行ってしまった。
そこへ帰ってきたかみさんにこの事を話して呆れられるが、かみさんはうちの亀坊は近所の子ども達より知恵が働くなんていう。
熊さんはあんなのは知恵者じゃあない。
それに引き換え真田幸村の子どもの頃はと、「真田三代記」の一説を女房に語り始める。
「城を取り囲まれた時、まだ14歳だった幸村が、父の昌幸に進言し、敵方の永楽通宝のついた旗を立てて夜討ちに出て、敵方が混乱し同士討ちをしているすきに脱出し危機を逃れ、それ以来、真田の家紋は永楽通宝を6つ並べた六連銭になった。
大阪城落城後は薩摩に落ち延びたともいわれている。うちのガキとは比べものにならない」
こんな話をかみさんにしていると、亀坊が帰って来た。
金を返せというと講釈を聞きに行って全部使ってしまったという。
何の講釈かと聞くと真田三代記だと言い、すらすらと語り出す。
亀坊は六連銭とはどんな紋なのかを聞く。
熊さんが上に3つ下に3つ並べてあるんだと話しても何度も聞くので、こういうふうにと50円玉を並べ始る。
亀坊は今度は自分が並べると言い、銭をかき集め、全部持って表へ飛び出して行ってしまった。
熊さん 「こん畜生、また講釈を聞きに行くのか」
亀坊 「今度は焼き芋を買ってくる」
熊さん 「ああ、いけねえ うちの真田も薩摩へ落ちた」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 真田幸村(さなだゆきむら) – 戦国時代の武将で本名は真田信繁。大坂の陣で徳川家康を追い詰めた勇将として知られます。江戸時代には講談や軍記物で人気があり、賢い武将の代表格でした。
- 六連銭(ろくれんせん) – 真田家の家紋。六文銭とも呼ばれ、六つの銭(永楽通宝)を並べた紋です。三途の川の渡し賃(六文)を意味し、「いつ死んでも構わない」という覚悟を表すと言われています。
- 薩摩(さつま) – 現在の鹿児島県。真田幸村が大坂城落城後に薩摩へ落ち延びたという伝説があります。この噺では「薩摩芋(さつまいも=焼き芋)」との掛詞として使われています。
- 按摩(あんま) – マッサージを生業とする職業。江戸時代は盲人が従事することが多く、家々を回って施術していました。この噺では母親が留守番中に呼んだだけという、何でもない訪問者でした。
- 木戸賃(きどせん) – 寄席や芝居小屋の入場料。亀坊は「寄席でも前払いだ」と言って、話の続きを聞くための前払いを要求します。
- 永楽通宝(えいらくつうほう) – 室町時代から江戸時代初期に流通した中国の銅銭。真田家の六連銭の紋にはこの銭が使われています。
- 真田三代記(さなださんだいき) – 真田家三代(幸隆・昌幸・幸村)の活躍を描いた軍記物。江戸時代には講談や歌舞伎で人気の演目でした。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜこの噺を「真田小僧」というのですか?
A: 亀坊が真田幸村のように知恵を働かせて父親から金を巻き上げるずる賢さから、「真田小僧」と名付けられています。ただし幸村の賢さは正義のため、亀坊の賢さは小遣い稼ぎのためという皮肉が込められています。
Q: 六連銭の紋の由来は本当にこの噺の通りですか?
A: この噺での説明(永楽通宝の旗の故事)は落語用の創作です。実際の六連銭は三途の川の渡し賃(六文)を意味し、「いつでも死ぬ覚悟がある」という武士の心構えを表す紋とされています。
Q: 「薩摩へ落ちた」とはどういう意味ですか?
A: 二つの意味が掛けられています。一つは真田幸村が大坂城落城後に薩摩(鹿児島)へ逃げたという伝説。もう一つは亀坊が薩摩芋(焼き芋)を買いに逃げたということ。このダブルミーニングがオチの妙味です。
Q: 亀坊は本当に賢い子なのですか?それとも悪い子ですか?
A: 亀坊は知恵が働く賢い子ですが、その知恵を小遣い稼ぎに使っているという点で「ずる賢い」と言えます。ただし、落語では子供の悪知恵を愛嬌として捉え、親子の微笑ましいやり取りとして描いています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 明瞭な語り口で亀坊の狡猾さと父親の呆れ顔を見事に演じ分けました。
- 柳家小三治 – 人間国宝。亀坊の純真さとずる賢さのバランスを絶妙に表現し、親子の情愛も感じさせます。
- 春風亭一朝 – テンポの良い語り口で、亀坊が次々と金をせしめる展開をリズミカルに演じます。
- 古今亭志ん生(五代目) – 独特の崩した語り口で、親子のやり取りを愛嬌たっぷりに描きました。
関連する落語演目
同じく「賢い子供」が登場する古典落語



親子の情愛を描く古典落語



歴史上の人物が登場する古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「真田小僧」は、子供の知恵と親の甘さを温かく描いた傑作です。
亀坊の巧みな話術は、現代で言えばプレゼンテーション能力や交渉術に通じるものがあります。留守中のおじさんの話で父親を焦らせ、話の続きを小出しにすることで次々と金を引き出す――このテクニックは、情報の出し方と相手の心理を巧みに操る技術です。
熊さんも決して愚かではありません。途中で「按摩さんだった」とわかった時点で亀坊の策略に気づきながらも、最後は真田幸村の話を教育的に語ろうとする――親心の優しさが滲み出ています。
しかし、その教育的な話がまた亀坊に利用されてしまう。六連銭の説明に使った50円玉が、そのまま小遣いになってしまうという皮肉は、「教育しようとしたことが逆効果になる」という普遍的な親の悩みを表現しています。
オチの「うちの真田も薩摩へ落ちた」は、真田幸村の落城と焼き芋(薩摩芋)を掛けた見事な地口落ちです。英雄の逃走と子供の逃走を重ね合わせることで、亀坊の賢さ(?)を皮肉っぽく称賛しています。
現代でも、子供の巧妙な言い訳に振り回される親、教育的に話したことが逆に利用される状況は、多くの家庭で見られるのではないでしょうか。この噺は、親子のやり取りの普遍性を愛嬌たっぷりに描いています。
実際の高座では、演者によって亀坊の狡猾さや父親の呆れ顔の表現が異なり、それぞれの個性が楽しめます。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


