酒の粕
3行でわかるあらすじ
酒粕を食べて顔が赤くなった与太郎が、熊さんの助言で「酒を飲んだ」と見栄を張る。
辰さんには「武蔵野の大盃で二杯飲んだ」「肴はマグロのぶつ切りとほうれん草のおひたし」と教わる。
寅さんに同じ話をするが、肴の名前を逆に言い間違え、さらに「焼いて飲んだ」と言って酒粕だとバレてしまう。
10行でわかるあらすじとオチ
与太郎が赤い顔をしてやってくると、熊さんに酒粕を二枚食べたと白状する。
熊さんは「見っともないから酒を飲んだと言え」と助言し、与太郎は素直に従う。
次に辰さんに会うと「酒を飲んだ」と言い張るが「二枚飲んだ」と言ってしまう。
辰さんは「武蔵野(飲み尽くせぬ大盃)で二杯飲んだと言え」と教える。
肴も「マグロのぶつ切りとほうれん草のおひたし」と具体的に指南する。
与太郎は教わった通りに寅さんに自慢げに話す。
「武蔵野で二杯飲んだ」と豪語するが、肴を「マグロのおひたしとほうれん草のぶつ切り」と逆に言う。
寅さんが「そんな大きいもので冷や酒は毒だ、お燗して飲んだのか?」と心配する。
与太郎は「心配すんな、焼いて飲んだ」と答えてしまう。
酒は焼かない、焼くのは酒粕だけなので、嘘がバレてしまうというオチ。
解説
「酒の粕」は与太郎噺の代表的な一席で、素直で憎めない与太郎のキャラクターが存分に発揮される滑稽噺です。
この噺の面白さは、与太郎が教わったことを一生懸命覚えて実行しようとするものの、肝心なところで間違えてしまう点にあります。
「武蔵野」という洒落た表現(野見尽くせん=飲み尽くせん)を覚えても、肴の名前を逆さまに言ってしまい、最後は「焼いて飲んだ」という決定的な失言で全てが台無しになります。
酒粕は焼いて食べるものですが、酒を焼くことはありません。
この最後の一言で、必死に隠そうとした酒粕の正体が露見してしまうという、言葉の取り違えによる典型的な落語のオチが秀逸です。
あらすじ
赤い顔をして与太郎さんがやって来た。
熊さん 「よお、どうした、そんなに赤い顔して」
与太郎 「酒の粕焼いて二枚も食った」
熊さん 「いい若えもんが酒の粕食ったなんて見っともねえ。
自慢できる話じゃねえぞ。人に聞かれたら酒を飲んだといいな」
与太郎 「ああ、分った。酒飲んだと言やあいいんだな」
熊さん 「そうだその方が景気がよさそうだし、男らしいっていうもんだ」、与太郎さん今度は辰さんをつかまえて、
与太郎 「おい、辰さん、あたいの顔赤いだろ」
辰さん 「ああ、赤えな。酒粕でも食ったのか」
与太郎 「そうじゃねえよ。酒飲んだんだ」
辰さん 「へえ、そうか。
ついこないだまで寝小便たれてると思っちゃいたが、もう酒が飲める一人前の男になったのか。
今度、一緒に飲みに行こうじゃねえか。で、どのくらい飲んだんだ」
与太郎さん 「このくらい大きいのを二枚も飲んじまった」
辰さん 「なんでえ、やっぱり酒の粕じゃねえか」
与太郎さん 「分かるか」
辰さん 「それを言うなら、これくらいの武蔵野でグゥーと二杯やったと言ってみな」
与太郎 「武蔵野ってなんだ?」
辰さん 「武蔵野の野っ原は広くて、とても見つくせん。野見つくせんで、飲み尽くせんほどの大盃と言うことだ」
与太郎 「なるほど武蔵野でグゥーと飲んだか」
辰さん 「武蔵野はいいが、二枚はだめだぞ、二杯だぞ」
与太郎 「肴はどうするんだ」
辰さん 「そうさな、マグロのぶつ切りとほうれん草のおひたしぐれえにしときな」
与太郎さん次が来るのを待ち構えて、
与太郎 「やあ、寅さん、おれの顔赤いだろ」
寅さん 「おや、走ったのか、逆立ちで歩いて来たのか」
与太郎 「そうじゃねえやい。酒飲んだんだ」
寅さん 「ほう、えらいな。どのくらい飲んだんだ」
与太郎 「こんな大きな武蔵野で二杯飲んだ。肴はマグロのおひたしとほうれん草のぶつ切りだ」
寅さん 「おいおい、あんまり無茶すんなよ。そんな大きいもんで冷や酒は毒だぞ、お燗して飲んだのか?」
与太郎 「心配すんな、焼いて飲んだ」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 酒粕(さけかす) – 日本酒を造る際に出る副産物。米を発酵させた後の搾りかすで、アルコール分を含むため食べると酔います。焼いて砂糖や味噌をつけて食べるのが一般的でした。
- 武蔵野(むさしの) – 関東平野の武蔵国一帯の広大な野原を指す地名。この噺では「野(の)見つくせん=飲みつくせん」という洒落で、飲みきれないほど大きな盃を意味します。
- 与太郎(よたろう) – 落語に頻繁に登場する愚かで素直なキャラクター。教わったことを素直に実行しようとするものの、肝心なところで間違えてしまう憎めない性格が特徴です。
- 冷や酒(ひやざけ) – 温めない日本酒。常温または冷たい状態で飲む酒のこと。江戸時代は「冷や酒は体に毒」と言われていました。
- お燗(おかん) – 日本酒を温めること。徳利に酒を入れて湯煎で温める飲み方で、寒い時期や体を温めたい時に好まれました。
- 肴(さかな) – 酒を飲む際に添える料理。つまみ、おかずのこと。この噺では「マグロのぶつ切り」と「ほうれん草のおひたし」が登場します。
- ぶつ切り – 魚を骨ごとぶつぶつと切ること。マグロの場合は刺身用の角切りを指すこともあります。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜ酒粕を食べると顔が赤くなるのですか?
A: 酒粕にはアルコール分が5-8%程度残っています。これを食べると体内でアルコールが吸収され、アルコールに弱い人は顔が赤くなったり、酔ったような状態になります。与太郎は二枚も食べたため、かなり赤くなったと考えられます。
Q: 「焼いて飲んだ」はなぜ失言なのですか?
A: 日本酒は「燗(かん)をする」「温める」とは言いますが、「焼く」とは言いません。「焼く」のは酒粕を食べる時の調理法です。与太郎が「焼いて飲んだ」と言ったことで、酒ではなく酒粕だったことがバレてしまったのです。
Q: なぜ与太郎は肴の名前を逆に言ったのですか?
A: 与太郎は教わったことを一生懸命覚えようとしますが、記憶力が弱く混乱してしまいます。「マグロのぶつ切りとほうれん草のおひたし」を覚えきれず、「マグロのおひたしとほうれん草のぶつ切り」と逆に言ってしまったのです。これが与太郎らしい可愛い失敗として笑いを誘います。
Q: 武蔵野(飲み尽くせぬ大盃)は実在したのですか?
A: 「武蔵野」という名前の特別な盃があったわけではなく、これは言葉遊びです。「野見つくせん(野原が広すぎて見渡せない)」と「飲みつくせん(大きすぎて飲みきれない)」を掛けた洒落で、大盃を粋に表現した江戸の言葉遊びです。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 与太郎のキャラクターを愛嬌たっぷりに演じ、素直で憎めない人物像を見事に表現しました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 明瞭な語り口で与太郎の失敗を軽妙に描き、最後のオチをキレよく決めます。
- 柳家小三治 – 人間国宝。与太郎の純粋さと愚かさを温かく描き、周囲の人々の優しさも感じさせる演出です。
- 春風亭昇太 – テンポの良い語り口で与太郎の慌てぶりを面白おかしく演じます。
関連する落語演目
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この噺の魅力と現代への示唆
「酒の粕」は、与太郎の素直さと愚かさが生む笑いを描いた傑作です。
与太郎は決して悪意がなく、むしろ見栄を張ろうと必死に努力します。熊さんや辰さんに教わったことを一生懸命覚えて、寅さんに自慢げに話そうとする――その健気な姿が愛おしく感じられます。
しかし、肝心なところで失敗してしまう。肴の名前を逆に言い、最後は「焼いて飲んだ」という決定的な失言で全てが台無しになる。この「惜しい!」というもどかしさが、聞き手に笑いと同情を同時に抱かせます。
「武蔵野」という洒落た表現も、江戸の言葉遊びの粋を感じさせます。「野見つくせん=飲みつくせん」という掛詞は、単に大盃を説明するだけでなく、江戸っ子の機知と美意識を表現しています。
現代でも、見栄を張ろうとして失敗する人、教わったことを間違えて実行してしまう人、そして素直すぎるゆえに墓穴を掘る人――与太郎のような人物は身の回りにいるのではないでしょうか。
熊さん、辰さん、寅さんといった周囲の人々が、与太郎を馬鹿にするのではなく優しく諭そうとする姿勢も、江戸の人情を感じさせます。この温かさが、単なる笑い話を超えた人間味を与えています。
実際の高座では、演者によって与太郎の純真さや慌てぶりの表現が異なり、それぞれの個性が楽しめます。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


