おすわどん
3行でわかるあらすじ
再婚した徳三郎の家に毎夜「おすわど~ん」と呼ぶ怪しい声が響き、先妻の幽霊かと恐れる。
武士の荒木又ズレ先生が調査すると、正体は夜泣き蕎麦屋の「お蕎麦うど~ん」という売り声だった。
蕎麦屋が追い詰められて「蕎麦粉」を子供として差し出し、「手打ちになさいまし」と言う落ち。
10行でわかるあらすじとオチ
浅草阿倍川町の呉服商・上州屋徳三郎の女房おそめが病死し、一周忌後に女中のおすわと再婚する。
ところが毎夜「パタパタ」という音と「おすわど~ん」という声が聞こえ、先妻の幽霊かと恐れる。
家の者たちも怖がり、おすわも病気になってしまい、番頭も逃げ出してしまう始末。
困った徳三郎は町内の剣術師範・荒木又ズレ先生に化け物退治を依頼する。
夜更けになると例の音と声が聞こえ、又ズレ先生が勇猛果敢に外へ飛び出す。
すると驚いた夜泣き蕎麦屋が立っており、「お蕎麦うど~ん」と売り歩いていたのが正体だった。
「パタパタ」音は渋団扇で七輪を扇ぐ音で、すべて誤解だったと判明する。
しかし又ズレ先生は手ぶらでは帰れないと言って蕎麦屋の首を狙う。
蕎麦屋は身代わりとして「蕎麦粉」を「私の子供」として差し出す。
「蕎麦粉でございます。蕎麦屋の子だから蕎麦粉でございます」「手打ちになさいまし」という言葉遊びで終わる。
解説
「おすわどん」は、桂歌丸が1907年(明治40年)の『文芸倶楽部』に掲載された六代目桂文治の口演速記から発掘・復活させた怪談落語です。一度は廃れた演目でしたが、歌丸が手を加えて持ちネタとし、後に五代目三遊亭圓楽に直接伝授されるなど、現代に受け継がれています。
この作品は怪談落語でありながら滑稽噺の要素も併せ持つ独特な構成が特徴です。前半は典型的な怪談の雰囲気を醸し出し、「おすわど~ん」という不気味な声に聴衆を恐怖させますが、正体が判明すると一転してコミカルな展開になります。この恐怖から笑いへの転換が見事に演出されており、落語の技巧の妙味を示しています。
オチの「手打ちになさいまし」は、武士の処刑を意味する「手討ち」と蕎麦打ちの「手打ち」をかけた高度な言葉遊びです。蕎麦屋が「蕎麦粉」を自分の子供として差し出すという突飛な発想も、蕎麦屋らしい機転として描かれ、聴衆の爆笑を誘います。江戸時代の夜泣き蕎麦屋の実情(渋団扇で七輪を扇ぐ音や独特の売り声)を背景とした、時代性を反映した作品でもあります。
あらすじ
浅草阿倍川町の呉服商、上州屋徳三郎と女房のおそめは人も羨む仲睦まじい夫婦だったが、おそめは病いの床につき呆気なく死んでしまった。
徳三郎は嘆き悲しむが、一周忌も終り親類縁者は再縁を勧める。
気の進まない徳三郎だが、相手が奥で働いている女中のおすわで、気立ても器量もよく、おすわどんと呼ばれ店の者にも評判のいい働き者。
おすわなら気心も知れているし、先妻おそめも可愛がっていたので許してくれるだろうと、後添えにし、以前にも増した仲の良い夫婦が出来上がった。
ちょうど二十日過ぎた夜更けに、徳三郎は小用に立って部屋に戻るとき、表の戸を「パタパタ、パタパタ」と叩くような音がし、それに続いて、「おすわど~ん、おすわど~ん」と呼ぶ声が聞こえてきた。
その夜は気にも留めなかったが、それからというもの毎夜、「パタパタ、パタパタ」、「おすわど~ん、おすわど~ん」が続き、徳三郎は先妻のおそめが恨んで出て来たのかと思うようにもなった。
「パタパタ」、「おすわど~ん」は店の者、おすわどんにも聞こえ、みな怖気づき、おすわどんも気を病んで寝込んでしまった。
徳三郎はこのまま放って置くのはおすわのためにも店のためにもよくないと、音と声の正体を見破ろうと番頭を呼ぶ。「店のためならたとえ火の中水の中」と豪語していた番頭も、「パタパタ、おすわど~ん」の正体を見届けてくれと頼むと、「それだけはご勘弁を、今日限りでお暇をいただきます」とすっかり逃げ腰になってまったく頼りにならない。
それならと徳三郎は町内の柳生の流れをくむという剣術の荒木又ズレ先生に頼む。
さすが武士の端くれの又ズレ先生、少しも怖じ気ず、ひるまず二つ返事で承諾して上州屋に乗り込み寝ずの番だ。
夜も更けて、いつもの時刻に、「パタパタ、パタパタ」続いて、「おすわど~ん、おすわど~ん」という声で又ズレ先生は、「化け物出たり」と勇猛果敢に外へ飛び出す。
するとそこにはいきなり刀を抜いて飛び出して来た又ズレ先生を見てびっくり、呆気にとられている夜泣き蕎麦屋が立っていた。
又ズレ先生 「こらぁ、その方か、毎夜毎夜、これへ参ってご家内の名前を呼ぶのは」
蕎麦屋 「いいえ、私はこの家のおかみさんの名前を呼んだ覚えなぞございません。このあたりで毎夜商いをさせてもらっている蕎麦屋で、"お蕎麦うど~ん"と、怒鳴ってはおりますが」
又ズレ先生 「なに、"お蕎麦うど~ん"…… "おすわど~ん" バタバタさせているのは何だ」
蕎麦屋 「それは渋団扇(しぶうちわ)で七輪のケツを扇いでいるのです」
なるほど分かってしまえば、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だが、
又ズレ先生 「この家から病人も出ており、拙者もこの家の主に化け物退治を頼まれたからには手ぶらでは戻れない。よってその方の首をもらう」
蕎麦屋 「そんな無茶な、それなら身代わりで勘弁して下さい。私の子供を差し出しますから」
又ズレ先生 「うむ、引出しから出した、これは何だ」
蕎麦屋 「蕎麦粉でございます。蕎麦屋の子だから蕎麦粉でございます」
又ズレ先生 「たわけたことを申すな、こんなものを身代わりに取ってどうする」
蕎麦屋 「手打ちになさいまし」
落語用語解説
夜泣き蕎麦(よなきそば)
江戸時代から昭和初期にかけて夜間に街を流して営業した蕎麦の移動販売業。屋台を引いて町を練り歩き、「お蕎麦うど~ん」と独特の節回しで売り声を上げました。七輪で湯を沸かしながら売り歩くため、渋団扇で七輪を扇ぐ「パタパタ」という音が特徴的でした。この噺では、その売り声「お蕎麦うど~ん」が「おすわど~ん」と聞こえたことが物語の核心です。夜泣き蕎麦は庶民の夜食として親しまれ、深夜まで働く職人や商人たちに重宝されました。
荒木又ズレ先生(あらきまたずれせんせい)
町内の剣術師範として登場する武士の端くれ。「柳生の流れをくむ」という触れ込みですが、名前の「又ズレ」が既にユーモラスで、実際には頼りない人物として描かれることもあります。この噺では「化け物退治」を依頼され、勇猛果敢に飛び出すものの、正体が夜泣き蕎麦屋だと判明すると「手ぶらでは戻れない」と意地を張る滑稽な姿が描かれています。江戸時代の町道場の剣術師範は、実際には貧しい暮らしをしていることも多く、このような滑稽な描写は当時のリアリティを反映しています。
手打ち(てうち)
この噺の絶妙なオチのキーワード。武士が罪人を処刑する「手討ち」と、蕎麦を打つ「手打ち」の二重の意味を持たせた言葉遊びです。蕎麦屋が「蕎麦粉でございます。蕎麦屋の子だから蕎麦粉でございます」と身代わりを差し出し、「手打ちになさいまし」と言うことで、処刑の代わりに蕎麦を打つことを提案するという高度なダジャレになっています。江戸時代の落語では、こうした地口落ちが頻繁に使われ、聴衆の爆笑を誘いました。
上州屋(じょうしゅうや)
浅草阿倍川町の呉服商。江戸時代の商家は屋号で呼ばれることが多く、「上州屋」は上州(現在の群馬県)出身の商人が開いた店であることを示しています。主人の徳三郎は先妻のおそめと仲睦まじい夫婦でしたが、おそめの死後、女中のおすわと再婚します。この再婚が物語の発端となり、「おすわど~ん」という声が先妻の幽霊かと恐れられます。江戸時代の商家では、女中や番頭との再婚は珍しくなく、この噺もそうした時代背景を反映しています。
渋団扇(しぶうちわ)
渋紙で作った丈夫な団扇。七輪の火を起こすために使われました。この噺では、夜泣き蕎麦屋が七輪を扇ぐ際に「パタパタ」という音を立て、それが幽霊の足音のように聞こえたという仕掛けです。渋団扇は耐久性が高く、火を扇ぐのに適していたため、蕎麦屋や煮売屋などの移動販売業者に広く使われていました。この「パタパタ」という音と「おすわど~ん」という声の組み合わせが、怪談の雰囲気を醸し出す重要な要素です。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
物事の正体が分かってしまえば恐れる必要がないという諺。この噺では、「おすわど~ん」という怪しい声の正体が夜泣き蕎麦屋の売り声「お蕎麦うど~ん」だったと判明する場面で使われます。恐怖は未知のものに対する想像力から生まれるものであり、正体が明らかになれば笑い話に変わるという落語の基本構造を象徴する言葉です。江戸時代の人々も、こうした「思い込みによる恐怖」を笑いに変えることで、日常の不安を和らげていました。
一周忌(いっしゅうき)
死者の命日から一年後に行う法要。この噺では、先妻おそめの一周忌が終わった後、親類縁者が徳三郎に再婚を勧めます。江戸時代の商家では、跡取りや家業の継続のため、一周忌後の再婚は珍しくありませんでした。しかし、再婚相手が女中のおすわであることに、先妻の霊が恨んで出てくるのではないかという恐怖が描かれています。この設定は、当時の人々の死者への畏怖と再婚への罪悪感を反映しています。
よくある質問
Q1: 「おすわどん」は実話に基づいているのですか?
いいえ、「おすわどん」は創作された落語です。ただし、江戸時代の夜泣き蕎麦屋の実情(渋団扇で七輪を扇ぐ音や独特の売り声)は史実に基づいています。桂歌丸が1907年(明治40年)の『文芸倶楽部』に掲載された六代目桂文治の口演速記から発掘・復活させた演目で、一度は廃れた作品でした。歌丸が手を加えて持ちネタとし、後に五代目三遊亭圓楽に直接伝授されるなど、現代に受け継がれています。夜泣き蕎麦の売り声が幽霊と間違えられるという発想は、江戸時代の人々のユーモアセンスを反映しています。
Q2: 「手打ちになさいまし」のオチはどういう意味ですか?
「手打ち」には二重の意味があります。一つは武士が罪人を処刑する「手討ち」、もう一つは蕎麦を打つ「手打ち」です。蕎麦屋が「蕎麦粉でございます。蕎麦屋の子だから蕎麦粉でございます」と身代わりを差し出し、「手打ちになさいまし」と言うことで、処刑の代わりに蕎麦を打つことを提案するという高度なダジャレになっています。この言葉遊びは、緊迫した場面を一気に笑いに変える絶妙なオチとして、落語の技巧の妙味を示しています。
Q3: なぜ荒木又ズレ先生は蕎麦屋の首を狙ったのですか?
又ズレ先生は「化け物退治」を依頼されて乗り込んだため、正体が夜泣き蕎麦屋だと判明しても「手ぶらでは戻れない」と意地を張ったのです。これは武士の面目やプライドを保つためであり、江戸時代の武士階級の虚栄心を風刺した描写です。実際には何の悪事も働いていない蕎麦屋を処刑しようとする理不尽さは、武士階級の横暴さを皮肉る意図も含まれています。しかし、蕎麦屋の機転で「蕎麦粉」を身代わりに差し出すという滑稽な展開になり、笑いに変わります。
Q4: なぜ徳三郎は「おすわど~ん」を先妻の幽霊だと思ったのですか?
先妻のおそめと仲睦まじかったにもかかわらず、一周忌後に女中のおすわと再婚したことに、徳三郎は罪悪感を感じていました。「おすわど~ん」という声が聞こえた時、それが先妻の名前「おそめ」ではなく後妻の名前「おすわ」を呼んでいることから、おそめの霊が恨んで出てきたのではないかと恐れたのです。この心理描写は、再婚への罪悪感と死者への畏怖という当時の人々の感情をリアルに反映しており、怪談の雰囲気を醸し出す重要な要素です。
Q5: この噺はどのような教訓を伝えているのですか?
「おすわどん」の最大の教訓は、「恐怖は思い込みから生まれる」ということです。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺が示すように、未知のものに対する想像力が恐怖を生み出し、正体が明らかになれば笑い話に変わります。現代でも、根拠のない噂や誤解が不安や恐怖を引き起こすことがあります。この噺は、冷静に事実を確認することの大切さを教えてくれます。また、蕎麦屋の機転による「手打ち」のオチは、ユーモアと知恵が困難な状況を打開する力を持つことを示しています。
名演者による口演
五代目 桂歌丸
歌丸師匠は、この演目を明治時代の速記から発掘・復活させた功労者です。怪談の雰囲気から滑稽への転換を見事に演出し、「おすわど~ん」という声の不気味さと、正体が判明した後の爆笑を巧みに描き分けます。特に「手打ちになさいまし」のオチは、歌丸師匠の独特の語り口で、聴衆を大笑いさせる名演です。
五代目 三遊亭圓楽
歌丸から直接伝授された圓楽師匠は、この噺を軽妙洒脱に演じます。荒木又ズレ先生の滑稽な姿を笑いに変えながらも、蕎麦屋の機転の利いた対応を見事に表現します。圓楽師匠の演出では、夜泣き蕎麦屋の売り声「お蕎麦うど~ん」が聞き手の耳に残る印象的な演技が特徴です。
六代目 桂文治
この噺の原典となる口演速記を残した文治師匠。明治時代の落語家として、江戸時代の夜泣き蕎麦屋の実情をリアルに描き出す演出が評価されました。文治師匠の速記が後世に残されたことで、歌丸がこの演目を復活させることができました。
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この噺の魅力と現代への示唆
『おすわどん』は、怪談から滑稽への見事な転換を描いた傑作です。前半は「おすわど~ん」という不気味な声に聴衆を恐怖させますが、正体が夜泣き蕎麦屋の売り声だと判明すると一転してコミカルな展開になります。この恐怖から笑いへの転換が、落語の技巧の妙味を示しています。
この噺の最大の魅力は、「恐怖は思い込みから生まれる」というメッセージです。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺が示すように、未知のものに対する想像力が恐怖を生み出し、正体が明らかになれば笑い話に変わります。現代社会でも、根拠のない噂や誤解が不安や恐怖を引き起こすことがあります。SNSでのデマや都市伝説が広まる現象も、この噺が描く「思い込みによる恐怖」と本質的には同じです。冷静に事実を確認することの大切さを、この噺は笑いとともに教えてくれます。
また、蕎麦屋の機転による「手打ちになさいまし」というオチは、ユーモアと知恵が困難な状況を打開する力を持つことを示しています。理不尽な状況に直面した時、ユーモアで切り抜けるという処世術は、現代のビジネスシーンや人間関係にも通じる教訓です。
荒木又ズレ先生の「手ぶらでは戻れない」という虚栄心も、現代に通じるテーマです。メンツやプライドを保つために無理な行動を取ってしまう人間の弱さを、この噺は笑いに変えています。武士階級の横暴さを風刺しながらも、その底には人間の普遍的な虚栄心への皮肉が込められています。


