お玉牛
3行でわかるあらすじ
雪の夜に武士の親子が山里の与平次夫婦の家に泊まり、武士が亡くなって娘の玉菊がお玉として養女になる。
美人で気立ての良いお玉に村の男たちが求婚し、茂平が鎌で脅してお玉に夜中に忍んでくる約束をさせる。
与平次がお玉の部屋に牛を寝かせる計略を立て、茂平が暗闇で牛をお玉と勘違いして抱きつき、牛が「モー」と鳴いてオチになる。
10行でわかるあらすじとオチ
紀州と大和の境の山里の堀越村で、百姓の与平次夫婦(気立ての良いおるいさん)が住んでいる。
ある雪の夜、疲れた武士(松本丹下)と美しい娘(玉菊)が一晩泊めてくれと頼み、おるいさんが可哀想に思って家に入れる。
武士は脱藩して娘と共に乳母を頼って旅をしていたが、乳母は既に死んでいて帰る途中で、その夜に武士も亡くなってしまう。
玉菊はお玉として与平次夫婦の養女になることを決め、美人で気立ての良い彼女に村の若い男たちが群がり贈り物を持って日参する。
中でも”あばばの茂平”が鎌で脅してお玉に「うん」と言わせ、夜中に忍んでくる約束を強引にする。
お玉が泣いて帰ってきたので、与平次が一計を案じ、お玉の部屋に牛を寝かせ、お玉は夫婦の部屋に避難させる。
夜中に茂平が忍んできて、真っ暗な中で牛をお玉と勘違いし、「えらいでっかい体やなあ」と言いながらあれこれ触り回す。
茂平は牛の尻尾を髪の毛、牛の角を簪と思い込み「二本もさしとるやがな」と言って牛の角を揺り動かす。
牛がたまらず目を覚まして「モー」と鳴くと、茂平は驚いて転がるように逃げ出し、村の若い者たちのところに駆け込む。
村人に「お玉をうんと言わしてきたか」と聞かれた茂平は「いや、モーと言わした」と答えてオチになる。
解説
『お玉牛』は古典落語の中でも特に巧妙な仕掛けが施された傑作です。武家の娘が百姓の養女になるという身分の転換から始まる物語は、江戸時代の社会情勢を背景にした人情味豊かな設定です。
この演目の最大の見どころは、与平次の機転の利いた計略にあります。娘を守るために牛を身代わりにするという発想は、親心と知恵を併せ持った庶民の強さを表現しています。また、茂平の強引な求婚方法は当時の男性社会の一面を描写しており、社会批判の要素も含んでいます。
物語の構造も秀逸で、茂平が暗闇で牛の特徴(大きな体、尻尾、角)を次々と人間の女性の特徴と勘違いする描写は、聴衆の想像力を刺激し笑いを誘います。特に角を簪と間違える場面は、牛の特徴を最大限に活用した演出の妙技です。
オチの言葉遊びは実に秀逸で、「うん」という肯定の返事と「モー」という牛の鳴き声の対比が絶妙です。茂平が期待していた女性からの「うん」という返事の代わりに、牛の「モー」を引き出してしまうという皮肉な結末は、落語の言葉遊びの真髄を表現しています。
この作品は人情、機知、そして言葉遊びが見事に調和した、古典落語の代表的な名作といえるでしょう。
あらすじ
ここは紀州と大和の境の山里の堀越村。
百姓の与平次夫婦。
嫁さんのおるいさんは、人三化七の器量だが、気立ての良さは村一番、いや紀州+大和で一番でバランスが取れている。
ある年の冬の雪の夕方、表戸をトントンと叩く音。
若い女連れの疲れてやつれた武士が一晩泊めてくれと言う。
与平次は旅の者は泊めてはならんというお触れが出ているので、泊めることはできないと断るが、おるいさんが雪の中で冷たそうに立っている娘を見て、可哀そうと思って二人を家の中に入れる。
武士はもと西国の大藩に仕えていた松本丹下と名乗り、よんどころない事情で脱藩し、娘の玉菊を連れ紀州加太淡島の娘の乳母を訪ねたが、あいにくと死去していてやむを得ず帰る途中という。
この玉菊の綺麗なことと言ったら、与平次がこれがおるいさんと同じ人間かと思うほど。
おるいさんが粗末だが暖かい食事を出すと、二人はよほど腹が減っていたのだろう物も言わずにたいらげてしまった。
その夜は、武家親子を奥のひと間に寝かせ、与平次夫婦はいろりのそばで寝た。
夜更けに玉菊が隣で寝ている父親が冷たくなっているのに気づく。
与平次夫婦を起こし手をつくしたが、蘇(よみがえ)ることはなかった。
村の庄屋にこのことを話し、ひそかに野辺の送りをすませた。
さあ、残ったのは娘の玉菊さん。
もともと帰りたくもなし、与平次夫婦の親切に心を打たれ、「ここに留まりたい」と言う。
与平次夫婦に異存はなく、玉菊は生まれてすぐに大坂へ預けられたおるいの妹とし、名前もお玉にして一緒に暮らすこことなった。
姉妹にしては全然似ていない顔立ちだが二人は馬が合う。
村人たちもおかしいなとは思っても文句があるはずもない。
ことに若い連中は若い娘が来るだけでも噂となるのに、これが器量よしで気立てが良くて、同じ村に住むのだから大変だ。
お玉に会おうと、大根、人参、芋、大豆なんかを持ってお玉の家へ日参する始末だ。
家の中は土産物、貢ぎ物で寝る所もないなんていう有様。
川の土手で若い者が集って、誰がお玉を、”取った”、”うん”と言わせた、”唾をつけた”、なんてことで盛り上がっている。
中には長々とお玉との夢物語を喋り続ける妄想男もいる。
そこへ鎌を持った”あばばの茂平”が意気揚々とやって来て、「この俺がお玉をうんと言わせた」としゃしゃり出た。
茂平が言うには、土橋の下で鎌を振りながら、「おい、玉ちゃん、この間から手紙やってるのに返事もなし。
ここで逢うたが百年目、さあ、うんと言えばよし、いやと言えば、この鎌をどてっ腹へお見舞い申すぞ。うんか、いやか、”うん鎌か”」と迫ったら、お玉は「そんな手荒いことせんでも・・・うんでおますがな・・・今晩、夜中の鐘を合図に裏から忍んで来とくなはれ、切り戸を開けて待ってます」。
これを聞いた連中はやっかみながら茂平に一杯おごらせるのが関の山。
一方のお玉は泣いて家に帰って、茂平に脅された顛末を与平次夫婦に話す。
与平次は一計を考える。
夫婦の部屋にお玉を寝かせ、お玉の部屋にはこの間買ってきた牛を寝かせるという算段だ。
おるい 「あんな荒い牛に茂平が突かれたら騒動やがな」
与平次 「夜中に他人(ひと)の家に忍んで来る奴や。まして、村で嫌がられている茂平ならみんなが助かる」
さて、その夜、牛小屋から引き出されて綺麗な部屋でふわふわの布団を掛けられ大満足でぐっすりと寝込んでいる牛ちゃん。
そこへ忍んで来た茂平、真っ暗な中、小声で「おい、玉ちゃん、俺や俺や、・・・えらいでっかい体やなあ、寝太りということか・・・」、茂平はどこが足やら頭やらとあちこちを撫でさわり回っている。
茂平がお玉の髪の毛と思って尻尾を掴むと、牛は尻尾でピシーッと茂平の顔にビンタを食らわす。
それでもめげない茂平は、「・・・玉ちゃん、びんつけを仰山つけて、ええ、匂い・・・げぇー臭あぁー・・・」
さらに牛の角を持って「ここに、かんざしさしとるな。・・・・あれ、二本もさしとるやがな。・・・なあ、玉ちゃん、恥ずかしがらずに何とか言うてな」と、牛の角を持って揺り動かしたから、牛もたまらず目を覚まして、「モー」。
茂平は驚いて転がるように逃げ出して、若い連中が飲んで騒いでいるところへ駆け込んだ。
村人 「なんや、茂平やないか。どうしたんや」
茂平 「お玉のところへ行てきた」
村人 「えらい・・・それで、お玉をうんと言わしてきたか」
茂平 「いや、モーと言わした」
落語用語解説
脱藩(だっぱん)
武士が主君の許可なく藩を抜けること。江戸時代には重罪とされ、見つかれば切腹や死罪になることもありました。松本丹下のように「よんどころない事情」で脱藩する武士は、帰る場所もなく行き場を失う存在でした。幕末には坂本龍馬をはじめ多くの志士が脱藩しましたが、この噺の時代設定では社会的に追い詰められた状況を表す重大な選択です。
人三化七(にんさんばけしち)
器量(容姿)の評価を表す言葉で、「人間が三割、化け物が七割」という意味。つまり美人とは言えないという婉曲的な表現です。江戸時代の庶民の間でユーモラスに容姿を評する慣用句でした。おるいさんはこの表現で容姿は今ひとつだが、気立ての良さで補っているキャラクターとして描かれています。
野辺の送り(のべのおくり)
葬儀のこと。特に遺体を墓地や火葬場まで送ることを指します。「野辺」は野原を意味し、昔は墓地が村はずれの野原にあったことから由来します。松本丹下の場合、旅の途中で亡くなった身元不明に近い武士のため、村の庄屋の判断で「ひそかに」葬儀を執り行ったという設定です。
日参(にっさん)
毎日参ること。この噺では村の若い男たちが、お玉に会いたい一心で毎日のように贈り物を持って与平次の家に通う様子を表しています。本来は神社仏閣に毎日お参りすることを指しますが、転じて熱心に通うことの比喩として使われます。
うん鎌か(うんかまか)
茂平がお玉を脅す際の駄洒落。「うんと言うか、いやと言うか」という問いかけと、「鎌」を掛けた言葉遊びです。「うんか、いやか」が「うん鎌か」に変換され、鎌を振り回す茂平の脅しの台詞として機能しています。関西弁特有のリズムと言葉遊びが活きた表現です。
切り戸(きりど)
大きな引き戸や門の一部に設けられた小さな出入り口。夜間や裏口として使われる通用口で、人一人がやっと通れる程度の小さな扉です。茂平が忍び込む際の出入り口として設定されており、密会や夜這いの場面でよく登場する小道具です。
簪(かんざし)
女性が髪に挿す装飾品。江戸時代には身分や年齢、既婚・未婚によって様々な種類がありました。この噺では、茂平が暗闇で牛の角を簪と勘違いする場面で重要な役割を果たします。「二本もさしとるやがな」という台詞は、牛の二本の角を二本の簪と誤認した滑稽さを表現しています。
よくある質問
なぜ与平次夫婦はお玉を養女にしたのですか?
与平次夫婦がお玉を養女にした理由は、まず人情味からです。おるいさんが雪の中で立っている玉菊を見て「可哀そう」と思って家に入れたように、困っている人を放っておけない性格が根底にあります。父親の松本丹下が亡くなった後、行き場のない武家の娘を見捨てられなかったのです。また、お玉自身も「ここに留まりたい」と申し出ており、双方の意思が一致したことも大きな理由です。江戸時代には養子縁組は珍しくなく、血縁関係がなくても家族として受け入れる文化がありました。おるいさんの妹という設定にすることで、村人たちにも説明がつき、社会的にも受け入れやすい形を取ったのです。さらに、子供のいなかった与平次夫婦にとって、気立ての良いお玉は実の娘のように可愛いと思えたことも大きな要因でしょう。
茂平が鎌で脅すのは犯罪ではないのですか?
現代の感覚では明らかに脅迫罪や強要罪に該当する行為ですが、江戸時代の農村社会では、法的な問題として扱われることは少なかったと考えられます。特に村内の若者同士の諍いや恋愛沙汰は、村の自治的な解決に委ねられることが多く、奉行所に訴えるような重大事として扱われることはまれでした。ただし、この噺では茂平の行為が「村で嫌がられている」と明確に描写されており、社会的には非難されるべき行為として認識されています。与平次が牛を使った計略で茂平を懲らしめることは、村の自治的な「制裁」として機能しているのです。落語としては、茂平の乱暴な行為が最終的に報いを受けるという「勧善懲悪」の物語構造になっており、聴衆はこの結末に溜飲を下げることができます。
オチの「モーと言わした」の意味を詳しく教えてください
このオチは「うん」と「モー」という二つの返事を対比させた絶妙な言葉遊びです。茂平は鎌で脅してお玉に「うん」と言わせ、夜中に忍び込んで再び「うん」という肯定の返事をもらうつもりでした。村人たちも「お玉をうんと言わしてきたか」と尋ねており、これは「お玉から承諾の返事をもらったか」という意味です。しかし茂平が暗闇で抱きしめたのは牛であり、牛の角を揺り動かしたことで牛が「モー」と鳴いてしまいました。つまり、人間の「うん」という肯定の返事の代わりに、牛の「モー」という鳴き声を引き出してしまったという皮肉な結末です。「うん」も「モー」も一種の返事ではありますが、その意味は天と地ほど違います。茂平の期待は完全に裏切られ、村人たちにも恥をかくことになる、言葉遊びとしても物語としても完璧なオチとなっています。
この噺は上方落語ですか、江戸落語ですか?
「お玉牛」は上方落語の演目です。舞台が「紀州と大和の境の山里の堀越村」と明確に関西地方に設定されていること、登場人物の名前(与平次、おるい、茂平)や台詞が上方の言葉遣いであること、「あばばの茂平」という上方落語特有のキャラクター造形などから明らかです。また、「うん鎌か」という駄洒落や全体的な言葉のリズムも関西弁の特徴を活かしたものです。上方落語は人情噺が多く、武士の親子を泊める場面や、お玉を養女にする経緯など、人情味あふれる描写が特徴的です。東京の落語家が演じる場合でも、この噺は上方の雰囲気を残して演じられることが多く、登場人物の言葉遣いも関西弁のままであることが一般的です。
暗闇で牛と人間を間違えることは現実的にありえますか?
現代の感覚では信じがたいかもしれませんが、江戸時代の農村の夜の暗さは現代人の想像を超えるものでした。電気はもちろんなく、月明かりがなければ真っ暗闇で、手元すら見えない状況が普通でした。屋内も行灯の明かり程度で、それも寝る時には消してしまいます。茂平が忍び込んだ時も「真っ暗な中」と描写されており、視覚情報がほぼゼロの状態です。そのような状況では、触覚だけが頼りになりますが、牛の大きな体を「寝太りした人間」、尻尾を「髪の毛」、角を「簪」と勘違いすることは、あながち不自然ではありません。特に茂平は期待と緊張で興奮しており、冷静な判断ができる状態ではなかったでしょう。落語としては誇張された設定ですが、当時の暗闇の恐ろしさと、思い込みの力を巧みに利用した筋書きと言えます。
名演者による口演
桂米朝「お玉牛」
上方落語の人間国宝・桂米朝師匠による「お玉牛」は、人情噺としての深みと滑稽噺としての笑いを見事に両立させた名演です。米朝師匠は松本丹下が亡くなる場面を丁寧に演じ、お玉が養女になる経緯に人情味を持たせています。一方、茂平が暗闇で牛を触る場面では、効果音と間の取り方で聴衆の想像力を最大限に刺激します。特に牛の角を簪と勘違いする場面では、茂平の驚きと困惑を絶妙に表現し、笑いを誘います。オチの「モーと言わした」も、茂平の恥ずかしさと村人たちの反応を丁寧に描いて、言葉遊びの妙味を引き出しています。
桂枝雀「お玉牛」
桂枝雀師匠の「お玉牛」は、エネルギッシュな演出と身体表現が特徴です。枝雀師匠は茂平が暗闇で牛を探る場面を、全身を使った身振り手振りで表現し、視覚的にも楽しめる演出にしています。牛の尻尾でビンタを食らう場面では、効果音と顔の表情を駆使して爆笑を誘います。また、村の若い者たちが川の土手で盛り上がる場面も、一人一人のキャラクターを演じ分け、賑やかな雰囲気を作り出します。枝雀師匠独特のテンポの良さと、オーバーアクションが「お玉牛」の滑稽さを最大限に引き出した名演です。
笑福亭鶴瓶「お玉牛」
笑福亭鶴瓶師匠の「お玉牛」は、現代的な感覚を取り入れた演出が魅力です。鶴瓶師匠は村の若い男たちの心理描写を細かく演じ、お玉への憧れや嫉妬心をリアルに表現します。茂平のキャラクターも、単なる悪役ではなく、不器用で粗暴だが憎めない人物として描きます。暗闇で牛を触る場面では、茂平の期待と現実のギャップを強調し、観客の共感と笑いを同時に引き出します。オチも、茂平の恥ずかしさと同時に、どこか哀愁を感じさせる演出で、人間味あふれる「お玉牛」に仕上げています。
関連する落語演目
取り違えや勘違いを題材にした噺

「粗忽長屋」は、人違いによる勘違いが笑いを生む代表的な噺。「お玉牛」の茂平が牛を人間と勘違いする展開と共通する、勘違いの滑稽さが魅力です。

「抜け雀」は、人間と動物(雀)が物語の鍵となる噺。「お玉牛」における牛の役割と同様に、動物が重要な登場「キャラクター」として機能しています。
人情噺

「芝浜」は、夫婦の絆と人情を描いた上方落語の名作。「お玉牛」の前半部分、与平次夫婦がお玉を養女にする人情味と共通する要素があります。

「文七元結」は、困っている人を助ける江戸っ子の人情を描いた噺。与平次夫婦が旅の武士親子を助ける場面と同様の、庶民の温かさが描かれています。

「子別れ」は、親子の情愛を描いた人情噺。お玉が養女になる経緯や、与平次がお玉を守ろうとする親心と通じるテーマがあります。
言葉遊びが秀逸な噺

「寿限無」は、長い名前の繰り返しによる言葉遊びの代表作。「お玉牛」のオチ「モーと言わした」と同様に、言葉の響きで笑いを生む技法が共通しています。

「ちりとてちん」は、食べ物の名前を使った言葉遊びが特徴。「うん鎌か」などの駄洒落と同様に、言葉の掛け合いで笑いを作る技法が見られます。
この噺の魅力と現代への示唆
「お玉牛」は、人情と知恵、そして言葉遊びが三位一体となった古典落語の傑作です。この噺が持つ普遍的な魅力は、現代社会にも多くの示唆を与えてくれます。
まず、与平次夫婦が旅の武士親子を助ける場面は、困っている人を見過ごせない人間の本質的な優しさを描いています。おるいさんが雪の中で立っている玉菊を見て「可哀そう」と思って家に入れる判断は、規則(お触れ)よりも人の心を優先する人間性の表れです。現代でも、ルールや効率ばかりを優先する社会に対して、人間的な温かさの大切さを思い出させてくれます。
茂平の強引な求婚方法は、暴力や脅迫による支配という負の側面を描いています。しかし、与平次が力で対抗するのではなく、知恵(牛を使った計略)で茂平を懲らしめる展開は、暴力には知恵で対処するという教訓を含んでいます。現代のハラスメント問題やパワーバランスの不均衡に対しても、力の対抗ではなく知恵や制度で解決する重要性を示唆しています。
また、暗闇での取り違えという設定は、思い込みや先入観の危険性を象徴しています。茂平は「お玉がいる」という思い込みから、牛の特徴をすべて人間の特徴と解釈してしまいます。現代でも、確証バイアスや認知の歪みによって誤った判断をすることは少なくありません。情報を客観的に見る重要性を、滑稽な形で教えてくれる噺と言えるでしょう。
オチの言葉遊び「モーと言わした」は、期待と現実のギャップを鮮やかに表現しています。人生において期待通りにいかないことは多々ありますが、それをユーモアに変える精神性は、現代人が学ぶべき「笑いに変える力」です。失敗や恥ずかしい経験も、笑い話として語れる余裕が、人生を豊かにしてくれます。
さらに、上方落語特有の人情味と滑稽さのバランスは、人生の悲喜こもごもを表現しています。父親の死という悲しい出来事から始まりながら、最後は爆笑のオチで終わる構成は、人生の浮き沈みをそのまま反映しています。悲しいことがあっても笑える瞬間がある、その両方を受け入れる柔軟さが、この噺の根底に流れているのです。


