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【古典落語】お杉お玉 あらすじ・オチの意味を解説|伊勢参りの投げ銭芸と掛詞の妙

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話芸の殿堂-古典落語-お杉お玉
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お杉お玉

お杉お玉(おすぎおたま) は、伊勢参りの喜六と清八が間の山で芸人姉妹と投げ銭勝負を繰り広げる軽妙な旅の噺です。「とんだ目にあい(間)の山とや うちつけし 石返(意趣返し)したる 事ぞおかしき」と、古歌のパロディで意趣返しする掛詞の妙が光る上方落語の好編。

項目 内容
演目名 お杉お玉(おすぎおたま)
ジャンル 古典落語・滑稽噺
主人公 喜六・清八(伊勢参りの旅人)
舞台 伊勢神宮・間の山の峠道
オチ 「とんだ目にあいの山とや うちつけし 石返したる 事ぞおかしき」
見どころ 投げ銭芸の駆け引きと、間・意趣返し・石返しの掛詞

3行でわかるあらすじ

伊勢参りの喜六と清八が間の山でお杉お玉という三味線・胡弓を弾く芸人姉妹に出会う。
投げ銭を狙って銭を投げるが器用に避けられ、業を煮やした喜六が小石を投げて反則する。
お杉がバチで跳ね返して喜六の顔に命中、大喝采を浴びた喜六は洒落た歌で応じて内宮へ向かう。

10行でわかるあらすじとオチ

明星の宿を出発した喜六と清八は、へんば餅を食べながら外宮に参拝し、間の山を越えて内宮を目指す。
間の山では三味線や胡弓をかき鳴らして「間の山節」を唄うお杉とお玉が参宮者に投げ銭を乞うている。
旅人たちがお杉お玉の顔を狙って銭を投げるが、二人はバチではじいたり巧みに避けたりして全然当たらない。
清八と喜六も銭を投げつけるがみな空振りで、銭がなくなってしまう。
業を煮やした喜六が小石を拾って投げつける反則に出る。
お杉の顔に当たると思いきや、バチで受けて見事に投げ返される。
小石が喜六の顔に「ピシィー」と命中し、見ていた旅人から「やんや、やんや」の大喝采。
短気な喜六は怒るかと思いきや、怒らずに洒落た歌を詠む。
「とんだ目にあい(間)の山とや うちつけし 石返(意趣返し)したる 事ぞおかしき」と間の山、あい(間)、意趣返し、石返しの掛詞を使って応じる。
洒落で返した喜六は清八と共に内宮に向かって旅を続ける。

解説

「お杉お玉」は伊勢参りを舞台にした旅の噺の代表的な作品の一つです。間の山は伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ実在の峠道で、江戸時代には多くの参宮者が通る要所でした。ここで歌われる「間の山節」も実際に存在した民謡で、当時の旅の文化を反映しています。

この噺の最大の魅力は、投げ銭芸という江戸時代の芸能文化を生き生きと描いている点にあります。お杉とお玉が銭を巧みに避ける技術は、単なる芸ではなく参宮者との駆け引きを楽しむエンターテイメントとして機能していました。旅人たちも当てることを本気で狙うのではなく、むしろ避けられることを楽しんでいたのです。

オチの掛詞の巧妙さも特筆すべき点です。「とんだ目にあい(間)の山」では「あい」が「間」と「遭い」の二重の意味を持ち、「石返(意趣返し)」では「石を返す」という物理的行為と「意趣返し」という報復の意味を重ねています。短い噺ながら、言葉遊びの技巧が光る秀作となっています。

また、喜六の人物描写も巧妙で、短気な性格を見せながらも最後は洒落で応じる機転の良さを表現しており、単純な怒りっぽいキャラクターを超えた魅力的な人物造形となっています。

成り立ちと歴史

「お杉お玉」は上方落語の旅噺として江戸後期に成立したとされ、伊勢参りの道中を描いた演目群の一つです。江戸時代、伊勢参りは庶民にとって一生に一度の大旅行であり、年間数十万から数百万人が参詣したとされています。間の山は外宮と内宮を結ぶ峠道として実在し、ここで「間の山節」を唄う芸人たちが参宮者相手に投げ銭を乞う光景は、多くの紀行文や浮世絵にも描かれています。

お杉お玉という名は、間の山で活動した芸人の総称として使われていたとされ、特定の個人名ではなく一種の屋号のようなものでした。三味線や胡弓を弾きながら投げ銭を避ける芸は、江戸時代中期から盛んになったとされ、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも間の山の芸人に関する記述があります。この噺は、そうした庶民の旅文化を上方落語のユーモアで描き出したものです。

演者の系譜としては、桂米朝(三代目)がこの噺の保存と整理に大きな功績を残しました。米朝師匠は伊勢参りに関する文献を丹念に調査し、間の山の風俗や投げ銭芸の実態を踏まえた上で高座に掛けています。五代目桂文枝や桂南光もこの噺を得意としており、上方落語の旅噺の伝統を受け継いでいます。短い噺ながら掛詞の巧みさが際立つ秀作として、現在も寄席や落語会で演じられています。

あらすじ

明星の宿を出発した喜六と清八は、へんば餅を食いながら宮川を桜の渡しで渡って伊勢神宮の外宮に参拝し、間(あい)の山を越えて内宮を目指す。

間の山には三味線や胡弓をかき鳴らし唄って、参宮者に投げ銭を乞うお杉とお玉がいる。
今も「間の山節」を唄っているお杉とお玉の顔を目がけて旅人が銭を投げているが、二人はバチではじいたり、たくみに避けたりして全然当たらない。

清八と喜六も銭を投げつけるがみな空振り、銭がなくなった喜六が小石を拾って投げつける反則に出た。
お杉の顔に当たると思いきや、バチで受けて投げ返し、喜六の顔に見事、「ピシィー」と命中。

見ていた旅人から、「やんや、やんや」の大喝采。
まさに、「ざまあ見ろ、バチが当たった」と言う感じだ。
短気な喜六は怒るかと思いきや、

「とんだ目にあい(間)の山とや うちつけし 石返(意趣返し)したる 事ぞおかしき」と洒落て、内宮に向かった。

落語用語解説

間の山(あいのやま)

伊勢神宮の外宮と内宮の間に位置する実在の峠道。江戸時代には多くの参宮者が行き交う要所であり、茶店や芸人が参詣客を相手に商売をしていました。「間の山節」という民謡が有名で、お杉お玉のような芸人が三味線や胡弓を弾いて投げ銭を乞う光景が日常的に見られました。「間」には「外宮と内宮の間」と「隙間」の二重の意味があり、言葉遊びの材料となっています。

投げ銭(なげせに)

江戸時代の大道芸や門付け芸などで、客が芸人に向かって銭を投げて報酬を渡す習慣。お杉お玉の場合、顔を狙って投げられた銭を三味線のバチで巧みに避けたり弾いたりする技を披露し、それ自体が芸として成立していました。単なる報酬の受け渡しではなく、芸人と客の駆け引きを楽しむエンターテイメントでした。

へんば餅(へんばもち)

伊勢神宮外宮近くの名物菓子。参宮を終えた人が帰りの馬を返す(返馬=へんば)場所で売られていたことからこの名がついたとされます。江戸時代から続く伊勢名物で、現在も伊勢参りの土産として親しまれています。餅米を使った平たい餅で、独特の風味があります。

掛詞(かけことば)

一つの言葉に二つ以上の意味を持たせる言葉遊びの技法。この噺では「あい(間)の山」が「間の山」と「遭いの山(とんでもないことに遭った山)」、「石返(いしがえし)」が「石を返す」と「意趣返し(仕返し)」の二重の意味を持っています。和歌や俳句でも重要な技法で、日本語の同音異義語の多さを活かした言葉遊びです。

喜六清八(きろくせいはち)

上方落語における定番の人物ペア。東京落語の「熊さん八っつぁん」にあたる庶民的なキャラクター。喜六は短気で粗忽な性格、清八は比較的冷静で常識的な性格として描かれることが多く、二人のやり取りが笑いを生みます。伊勢参りや旅の噺でよく登場する人物設定です。

桜の渡し(さくらのわたし)

伊勢神宮外宮への参道にある宮川の渡し場。江戸時代には橋がなく、渡し船で川を渡っていました。春には桜が美しいことからこの名がついたとされます。現在は「度会橋」が架けられていますが、歴史的な伊勢参りの重要なポイントとして落語や紀行文に登場します。

やんややんや

江戸時代の観客が拍手の代わりに発する掛け声。現代の「やんや」と同じで、賞賛や喝采を表します。お杉お玉が見事に石を跳ね返して喜六の顔に命中させた時、周りの旅人たちが発する大喝采の声として使われています。芝居や相撲などでも同様に使われた言葉です。

よくある質問

なぜお杉お玉は銭を避ける芸をしていたのですか?

江戸時代の伊勢参りでは、間の山の茶店や峠道で芸を披露する芸人が多く存在しました。お杉お玉のような投げ銭芸は、単に施しを受けるだけでなく、参宮者との駆け引きそのものをエンターテイメントとして成立させていました。旅人は銭を投げることで芸人の技量を試し、芸人は巧みに避けることで技術を披露する、という相互作用が楽しみの一つでした。当てられたら芸人の負け、避けられたら旅人の負けという暗黙のルールがあり、これは遊興の一種として広く受け入れられていました。また、三味線や胡弓のバチで銭を弾き飛ばす技は高度な技術を要し、それ自体が見世物としての価値を持っていたのです。

喜六が小石を投げたのは本当に怒ったからですか?

表面的には、何度投げても当たらない銭に業を煮やして小石を投げたように見えますが、落語の喜六のキャラクターを考えると、単純な怒りだけではなく「どうせ当たらないだろう」という半ば遊び心も含まれていたと解釈できます。上方落語の喜六は短気で粗忽な面がある一方で、憎めない人柄として描かれることが多く、悪意があって石を投げたわけではないでしょう。しかし、それが見事に跳ね返されて自分の顔に当たり、周りから大喝采を浴びるという痛快な展開になります。喜六が最後に怒らず洒落た歌で応じるのは、自分の軽率さを認めつつ、その場を笑いに変える機転の良さを示しています。江戸時代の庶民の「粋」な精神性が表れた場面と言えます。

オチの歌の意味を詳しく教えてください

「とんだ目にあい(間)の山とや うちつけし 石返(意趣返し)したる 事ぞおかしき」という歌は、複数の掛詞を巧みに使った秀逸な言葉遊びです。まず「とんだ目にあい(間)の山」の「あい」は、「間の山」の「間(あい)」と「遭い(あい)=遭遇する」の二重の意味。「とんでもないことに遭った、間の山だなあ」という意味です。次に「うちつけし」は「打ちつけた」で、石を投げたこと。そして「石返(いしがえし)」は文字通り「石を返された」ことと、「意趣返し(いしゅがえし)=仕返し」の掛詞。石を投げたら見事に跳ね返されて仕返しされたという意味と、物理的に石が返ってきたという二重の意味を持ちます。最後の「事ぞおかしき」は古語で「なんとも面白いことだ」という意味。全体では「とんでもないことに遭った間の山だなあ、石を投げたら見事に跳ね返されて(意趣返しされて)、なんとも面白いことだ」となります。短気を起こして石を投げた自分の愚かさを自虐的に笑いつつ、見事な技を讃える洒落た歌なのです。

この噺は上方落語ですか、江戸落語ですか?

「お杉お玉」は元々上方落語の演目です。喜六と清八という上方落語の定番キャラクターが登場すること、伊勢参りという関西圏からの旅を題材にしていること、言葉遣いや雰囲気が上方的であることから明らかです。江戸時代、伊勢参りは主に関西方面からの参詣者が多く、東海道を経由して伊勢神宮を目指す旅が一般的でした。間の山は実在の場所で、現在の三重県伊勢市に位置します。ただし、この噺は東京の落語家も演じることがあり、その場合は「熊さん八っつぁん」に置き換えたり、江戸風の演出を加えたりすることもあります。しかし基本的には上方落語の軽妙な言葉遊びと旅の風情を楽しむ噺として親しまれています。

実際に間の山でこのような芸人は存在したのですか?

江戸時代の伊勢参りの記録や旅日記には、間の山周辺で様々な芸人や物売りが参詣客を相手に商売をしていたという記述が多く残されています。お杉お玉のような具体的な名前の芸人の記録は定かではありませんが、三味線や胡弓を弾いて投げ銭を乞う芸人は実際に存在したと考えられます。伊勢神宮は江戸時代最大の観光地であり、年間数十万人から数百万人の参詣客が訪れたとされます。その道中には茶店、土産物屋、芸人、物乞いなど様々な人々が参詣客を相手に生計を立てていました。投げ銭を避ける芸は、当時の大道芸の一種として広く行われていた可能性が高く、落語はそうした庶民の旅の風景をユーモラスに描いたものと言えます。「間の山節」も実在の民謡で、現在も伊勢の郷土芸能として伝承されています。

名演者による口演

桂米朝「お杉お玉」

上方落語の人間国宝・桂米朝師匠による「お杉お玉」は、旅の情景描写と言葉遊びの巧みさが光る名演です。米朝師匠は伊勢参りの道中の風景を丁寧に描きながら、喜六と清八のやり取りを軽妙に演じます。特にオチの歌「とんだ目にあい(間)の山とや」の掛詞を、聞き手が理解しやすいように間を取りながら語る技術は見事です。米朝師匠の演出では、お杉お玉が銭を避ける場面で三味線のバチの動きを身振り手振りで表現し、視覚的にも楽しめる構成になっています。上方落語らしい軽快なテンポと、喜六の粗忽さと憎めない人柄を巧みに表現した名演として知られています。

桂文枝「お杉お玉」

五代目桂文枝(桂文枝を襲名する前は桂小文枝)による「お杉お玉」は、登場人物の性格描写が鮮やかな演出です。喜六の短気な性格と清八の冷静さの対比を際立たせながら、投げ銭のシーンでは観客を巻き込むような臨場感あふれる語りが特徴です。文枝師匠は銭が飛んでくる音や、バチで弾く音を効果的に使い、リズミカルな演出を加えています。また、周りの旅人たちの反応や掛け声「やんややんや」を強調することで、間の山の賑やかな雰囲気を見事に再現しています。掛詞のオチも丁寧に説明しながら語るため、初めて聞く人にも分かりやすい名演です。

桂南光「お杉お玉」

桂南光(旧名・桂べかこ)師匠の「お杉お玉」は、喜六のキャラクターを前面に出した痛快な演出が魅力です。南光師匠は喜六の「業を煮やして石を投げる」場面で、その心情を細かく描写し、観客に共感させる技術に長けています。石が跳ね返されて顔に当たる場面では、効果音と身振りを巧みに使い、視覚的にも聴覚的にも楽しめる演出になっています。オチの掛詞の歌も、南光師匠独特のリズム感で語られ、言葉遊びの面白さが際立ちます。上方落語の伝統を守りながら、現代的な感覚も取り入れた名演として評価されています。

桂枝雀「お杉お玉」

桂枝雀師匠の「お杉お玉」は、独特の大げさな身振りと間の取り方で、投げ銭が飛び交う場面を圧倒的な臨場感で描き出します。銭が次々と外れていく場面では、枝雀師匠ならではのオーバーアクションが会場を笑いの渦に巻き込みます。喜六が石を投げて跳ね返される場面の「ピシィー」という効果音の表現も鮮烈で、見る者の脳裏に焼きつく名演です。短い噺を一級のエンターテイメントに昇華させる枝雀師匠の力量が遺憾なく発揮された口演として語り継がれています。

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この噺の魅力と現代への示唆

「お杉お玉」の最大の魅力は、江戸時代の旅文化と芸能文化を生き生きと描いている点にあります。投げ銭芸という現代では失われた大道芸の形態が、当時の庶民の娯楽としてどのように機能していたかを垣間見ることができます。単なる施しではなく、芸人と客が技を競い合う駆け引きそのものが楽しみであったという文化は、現代のインタラクティブなエンターテイメントに通じるものがあります。

また、喜六が石を投げて跳ね返されるという展開は、「やりすぎると痛い目に遭う」という普遍的な教訓を含んでいます。しかし、この噺が単なる教訓話にとどまらないのは、喜六が怒らずに洒落た歌で応じるという「粋」な対応を見せる点です。失敗を笑いに変え、その場を和ませる機転の良さは、江戸時代の庶民の精神性を象徴しています。

掛詞を駆使したオチの巧妙さは、日本語の同音異義語の豊富さと、それを活かした言葉遊びの伝統を示しています。「あい(間)」「石返(意趣返し)」という掛詞は、一つの言葉に複数の意味を持たせることで、短い表現の中に豊かな情報と笑いを凝縮する技法です。現代のSNSやショートメッセージでも、限られた文字数で多くの情報を伝える工夫が求められますが、江戸時代の言葉遊びはその先駆けとも言えるでしょう。

さらに、喜六と清八という庶民のペアが主人公であることも重要です。身分や富に関係なく、旅を楽しみ、芸人との駆け引きを楽しむ姿は、庶民の生活に根ざした娯楽の在り方を示しています。現代でも旅先での偶然の出会いや予期せぬハプニングが旅の醍醐味であるように、「お杉お玉」は旅の楽しさの本質を描いた普遍的な作品と言えます。

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