唖の釣り
3行でわかるあらすじ
与太郎と七兵衛が殺生禁断の上野の池でこっそり鯉釣りをするが、見回りに見つかってしまう。
七兵衛は驚きで顎が外れて話せなくなり、身振り手振りで必死に親孝行のための釣りだと言い訳する。
許されてほっとした瞬間に「ありがとうございます」と言ってしまい、番人に「器用な唖だ。口をきいた」と看破される。
10行でわかるあらすじとオチ
与太郎が土手で釣り人をバカ呼ばわりして帰ってくると、七兵衛に殺生禁断の上野の池での鯉釣りを知られてしまう。
与太郎が口外すると脅すため、七兵衛は仕方なく与太郎を釣りに連れて行くことになる。
七兵衛は見つかった時の口上として、父の病気と親孝行のための鯉釣りという言い訳を与太郎に教える。
夜中に上野の池で釣りを始めるが、与太郎が騒いですぐに見回りに見つかってしまう。
与太郎は教わった口上を言って叩かれながらも親孝行が認められて許される。
一方、七兵衛も見つかって六尺棒で叩かれるが、ショックで顎が外れて話せなくなってしまう。
必死に身振り手振りのジェスチャーで親孝行のための釣りだと説明し、番人もなんとか理解する。
番人が「今晩かぎりは許してやる」と言うと、七兵衛はほっとして顎が元に戻る。
安堵した七兵衛が思わず「ありがとうございます」と口をきいてしまう。
番人が「ああ、器用な唖だ。口をきいた」と言うオチで、唖の演技がバレてしまう滑稽な結末となる。
解説
「唖の釣り」は、身体的な障害を扱った落語でありながら、差別的な要素を感じさせない巧妙な構成と、最後の逆転オチが秀逸な作品です。七兵衛の災難が意図的でないところに、この噺の品格があります。
この噺の構造は、前半の与太郎の天然ぶりと後半の七兵衛の窮地という二部構成になっています。与太郎が土手で釣り人を「バカ」呼ばわりしながら、自分が一番バカな行動を取っているという冒頭の皮肉が、後半の展開への伏線となっています。
七兵衛の顎が外れる設定は、現実的にはありえないことですが、落語の誇張表現として受け入れられています。ショックで言葉を失うという心理状態を、物理的な「顎が外れる」という表現で具現化した巧妙な設定です。
オチの仕組みは、七兵衛が結果的に唖の人を演じることになり、それが番人に通じて許されるという展開から、最後に本当の声を出してしまうという二段構えになっています。「器用な唖だ」という番人の言葉は、唖の人が実は話せるという矛盾を指摘したもので、演技がバレる瞬間の滑稽さを端的に表現した名セリフです。
また、親孝行という美談を口実にした密漁という設定も、道徳と実利のバランスを描いた江戸時代らしい価値観を反映しており、単純な勧善懲悪ではない人間味あふれる物語となっています。
あらすじ
与太郎が七兵衛さんところへやって来る。
七兵衛 「よお、どこへ行って来たんだ」
与太郎 「土手へ行って来た」
七兵衛 「タコ上げでもして来たのか」
与太郎 「ガキじゃあるめえし、そんなことしやしねえよ。土手へ行ったらバカが大勢いた」
七兵衛 「誰だ、そりゃ」
与太郎 「魚釣っているいる人たちだ。
いつ釣れるかも知れないのに、じっと糸を垂れているからバカだ。でも、それよりバカがいるから笑っちゃうよ」
七兵衛 「誰だ、そりゃ」
与太郎 「釣っている人の後ろで大きな荷物背負って、昼飯も食わないでずっーっと見ているバカだ」
七兵衛 「そんな間抜けな野郎はいやしねえだろ」
与太郎 「それがいるんだよ。あたいはその人の後ろでずーと見てたんだから間違えねえや」、まあ、この程度が与太郎さんです。
七兵衛 「おめえ、釣りをバカにするが、オレが釣りの好きなのは知ってんだろう」
与太郎 「夜になって出掛けんのを見たことがある。釣り竿かついで泥棒に行くのかと思っていた」
七兵衛 「そうじゃねえよ。
ここだけの話だが、殺生禁断の上野の池に行ってこっそりと鯉を釣るのよ。
その魚を魚屋に持って行って売りゃあ、結構な稼ぎになるというものよ。昼間から仕事もしないでブラブラしておめえみてえな奴と付き合っていられるのもそのお蔭よ」
与太郎 「儲かるんだったらあたいも釣りに連れてっておくれよ」
七兵衛 「駄目だそりゃ、おめえみてえのがいると足手まといで、ゆっくり釣れやしねえや」
与太郎 「そんなら、七兵衛さんは上野の池で釣りしてると、風呂屋と床屋に行って大声でバラすぞ」
七兵衛 「この野郎、単純バカと思っちゃいたが、いっちょ前に人の弱みにつけ込むとは恐れ入った。
よし、一度連れて行ってやろう。
今晩、夜更けにここに来い。
釣り道具は貸してやるから心配ねえ。誰にも釣りに行くことは喋るんじゃねえぞ」、夜更けまで待ちきれない与太郎さん、暗くなるのを待って七兵衛の家へ行って、戸をドンドン叩いて、
与太郎 「七兵衛さん、早く上野のお池に釣りに行こうよ」、これだから七兵衛さんも大変だ。
七兵衛はいざという時の対処方法を細かく話す。
七兵衛 「もし、見回りの役人に見つかったら、大声出してこっちにも合図しろよ。
それから”殺生禁断のお池であることは知っておりました。
実は私の父が長の患い、余命いくばくもございません。
今わの際に鯉が食べたいと申しておりますが、買う金もなく悪いこととは知りながらここで釣っておりました。
この鯉を食べて親の喜ぶ顔を見ましたなら、心おきなく、正直に名乗って出る覚悟でございました”と言え。二、三発六尺棒で殴られるのは覚悟しておけよ」、与太郎がこんなに長い口上を覚えられるはずもないのだが、まあ、そこはそれということにして、二人は上野の森の池へ向かった。
離れたところで釣りを始めた二人。
与太郎はどんどん釣れて楽しくて、嬉しくてしょうがない。
殺生禁断之地なんてすっかり頭からすっ飛んでしまって、キャアー、キャアー言いながら釣っている。
これを見回りの役人が見逃すはずもなく、すぐに駆け付けて六尺棒で与太郎の頭をポカリ、ポカリ、ここまでは想定内だが、与太郎が「殺生禁断のお池であることは知っておりました」と聞くや、「知っていながら釣りをするとは不埒千万・・・」と、立て続けにポカポカポカ・・・と、六尺棒で連発。「痛えっ、痛え・・・七兵衛の話と違うぞ。五発までは数えられたが後は分かんねえや」なんて呑気なもんだ。
役人は親孝行のためと聞いて大目に見てくれて無事無罪放免。
七兵衛さんへの合図の声はすっかり忘れて、すっ飛んで家へ帰ってしまった。
一方の七兵衛さんも与太郎のことなどすっかり忘れて釣りに没頭、集中していると。
役人「おい、ご同役、あそこでも釣りをしている奴がおるぞ」と、駆けつけて来て六尺棒でど突いた。
ど突かれたショックと、”あそこでも”で、与太郎も見つかって捕まってしまったのかと思ったら、急にあごがはずれてしまった。
いざという時の、「・・・悪いこととは知りながら・・・」の決まり文句を言おうとするが言葉にならない。
身振り手振りのジェスチャーで、大汗をかきながら必死に番人に言い訳をする。
やっと番人も親孝行のためと納得、今晩はやけに親孝行が出現しやしないかと疑ったものの、「あい分かった。今晩かぎりは許してやる・・・」、やっと話が通じたとほっとしたら顎が元通りになって、
七兵衛「ありがとうございます」
番人「ああ、器用な唖だ。口をきいた」
落語用語解説
- 殺生禁断:生き物を殺すことを禁じること。上野の池は幕府が管理する場所で、許可なく魚を釣ることは禁じられていた。
- 六尺棒:長さ六尺(約180cm)の棒。江戸時代の役人が持ち歩いていた警棒で、犯罪者を捕まえる際に使用した。
- 与太郎:落語によく登場する愚か者の代表的なキャラクター。この噺では天然で間抜けな行動を取る人物として描かれる。
- 親孝行:江戸時代において最も尊ばれた道徳観の一つ。七兵衛が番人に許されたのも、親孝行という大義名分があったため。
- 上野の池:上野寛永寺の不忍池。江戸時代は幕府の管理下にあり、一般人の釣りは禁止されていた。
- 唖(おし):話すことができない人を指す言葉。現代では差別的な表現として使われないが、落語では当時の言葉として使用される。
- 顎が外れる:ショックで言葉を失う様子を誇張して表現した落語的な設定。実際には顎が外れることは稀だが、落語の誇張表現として受け入れられている。
よくある質問
Q1: 「唖の釣り」はいつ頃から演じられている落語ですか?
江戸落語として古くから演じられている演目で、江戸時代の上野不忍池での密漁を題材にしています。上野は幕府の管理下にあり、一般人の釣りは禁止されていたため、このような密漁の話が落語の題材として面白がられました。現代でも演じられていますが、「唖」という言葉が差別的表現とされるため、演じ方には配慮が必要とされています。
Q2: なぜ七兵衛の顎が外れたのですか?
七兵衛が六尺棒でど突かれたショックと、「あそこでも」という役人の言葉で与太郎も捕まったと思い込んだ驚きで、顎が外れてしまいます。これは落語の誇張表現で、実際にはありえない設定ですが、ショックで言葉を失う心理状態を物理的に表現した巧妙な設定です。この設定により、七兵衛は結果的に唖の人を演じることになります。
Q3: オチの「器用な唖だ。口をきいた」はどういう意味ですか?
番人が七兵衛を許すと言った瞬間、安堵した七兵衛が思わず「ありがとうございます」と声を出してしまいます。番人は七兵衛が唖だと思っていたのに、突然口をきいたことに驚き、「器用な唖だ」と皮肉を込めて言います。これは七兵衛が演技をしていたことがバレた瞬間を表現した名セリフで、唖の演技がポロリと崩れる滑稽さを端的に示しています。
Q4: なぜ親孝行だと許されたのですか?
江戸時代において親孝行は最も尊ばれた道徳観の一つでした。父の病気のため、今わの際に鯉が食べたいという願いを叶えるための釣りという言い訳は、番人の心を動かすに十分な理由でした。たとえ密漁であっても、親孝行という大義名分があれば、番人も厳しく罰することができなかったのです。この設定は、江戸時代の価値観を反映しています。
Q5: この噺は現代でも演じられていますか?
現代でも演じられていますが、「唖」という言葉が差別的表現とされるため、演じ方には配慮が必要です。一部の噺家は「無言の釣り」などタイトルを変えて演じることもあります。ただし、七兵衛が意図的に唖を演じたわけではなく、ショックで偶然顎が外れたという設定であるため、差別的な意図はないとして、古典落語の重要な演目として継承されています。
名演者による口演
古今亭志ん生
志ん生の「唖の釣り」は、与太郎の天然ぶりと七兵衛の窮地を巧みに演じ分けます。志ん生は与太郎の「釣り人の後ろで見ているバカ」という自己認識のなさを面白おかしく語り、七兵衛の身振り手振りのジェスチャーを大げさに演じて笑いを誘います。特にオチの「器用な唖だ」という台詞を、絶妙な間と表情で演じる技術が光ります。
桂文楽
八代目文楽の「唖の釣り」は、几帳面な構成と緻密な演出が特徴です。文楽は与太郎と七兵衛の対比を明確に演じ分け、七兵衛が顎が外れて話せなくなる場面を、リアリティを持って表現します。身振り手振りで親孝行を説明する場面は、文楽の緻密な演技の真骨頂です。
柳家小三治
小三治の「唖の釣り」は、現代的な感覚を取り入れながらも古典の良さを保つ演出が特徴です。小三治は与太郎の天然ぶりを愛すべきキャラクターとして描き出し、七兵衛の窮地を笑いと同情の両面から表現します。最後のオチを、予想外の展開として効果的に演じる技術が見事です。
関連する落語演目
与太郎が登場する噺
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密漁や禁断の行為を描いた噺
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親孝行を題材にした噺
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この噺の魅力と現代への示唆
「唖の釣り」の最大の魅力は、七兵衛の災難が意図的でないところにあります。七兵衛は唖を演じようとしたわけではなく、ショックで顎が外れてしまったという設定が、この噺を差別的でないものにしています。結果的に身振り手振りで親孝行を説明し、番人に理解されるという展開は、言葉がなくても心は通じるという普遍的なテーマを示しています。
この噺は、与太郎の天然ぶりと七兵衛の窮地という二部構成で、前半と後半のコントラストが面白さを生み出しています。与太郎が土手で釣り人を「バカ」呼ばわりしながら、自分が一番バカな行動を取っているという冒頭の皮肉は、人間の自己認識の欠如を笑いとともに描いています。
現代社会においても、この噺が持つメッセージは色褪せません。親孝行という大義名分があれば許されるという設定は、江戸時代の価値観を反映していますが、現代でも家族を思う気持ちは普遍的なテーマです。また、七兵衛が安堵した瞬間に思わず「ありがとうございます」と言ってしまう場面は、人間の本性が緊張の緩みとともに現れる様子を見事に表現しており、誰もが経験する「うっかり」の滑稽さを笑いに昇華した名作です。


