鬼薊清吉
3行でわかるあらすじ
継母に辛く当たり盗みを重ねた清吉が家を出され、10年後に義賊「鬼薊」の頭領として帰還するも勘当される。
継母が病死し、父親の自殺を清吉が助けた後、清吉は義賊として活動を続ける。
最後は辞世の句「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」を残して32歳で刑場の露と消える。
10行でわかるあらすじとオチ
大工・安兵衛の息子清吉は継母おまさに辛く当たり、父親に嘘をついて夫婦喧嘩を起こさせる。
家主に清吉の盗癖を告発され、安兵衛は息子を刺そうとするが、おまさが必死に止める。
清吉は遠方に奉公に出されるが、3ヶ月で逃げ出し悪事を重ねて義賊の頭領となる。
10年後、立派な身なりで帰宅した清吉だが、小判の入った財布を見た父親に正体がばれる。
清吉は改心できない旨を告白し、暇乞いと勘当を願い出て金を置いて去る。
これを苦にしておまさが病死し、3年後に安兵衛が戎橋から身投げしようとする。
通りかかった清吉が父親を助け、その後清吉は義賊として活動を続ける。
清吉は「ある所から盗んでは貧しい人に施した義賊」として知られるようになる。
最終的に清吉は捕らえられ、32歳で刑場に向かうことになる。
辞世の句「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」を残して刑場の露と消える。
解説
「鬼薊清吉」は古典落語の中でも特に重厚で悲劇的な色彩の強い人情噺として知られています。この噺の最大の特徴は、通常の落語とは異なり、笑いよりも人間の業の深さや家族愛の複雑さを描いた社会派的な作品であることです。
物語の構成は三幕構成となっており、第一幕は継母との確執と家庭崩壊、第二幕は10年後の帰還と再度の別れ、第三幕は義賊としての活動と最期という流れで展開されます。特に継母おまさの人物造形が秀逸で、息子に虐げられながらも慈愛を失わない母性が描かれています。
タイトルの「鬼薊」は、清吉の盗賊としての異名であると同時に、鋭いとげを持ちながらも美しい花を咲かせる薊の花に清吉の複雑な人間性を重ね合わせた象徴的な命名です。辞世の句「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」は、自らの生涯を薊に例え、悪事を重ねながらも最後は枯れ果てる運命を詠んだもので、古典落語のオチとしては極めて文学的で哀愁に満ちています。
この噺は江戸時代の社会問題である継子いじめ、貧困、犯罪などを扱いながら、最終的には親子の情愛と人間の善性を描いた深い作品として評価されています。
あらすじ
大工の安兵衛の死んだ先妻の子の清吉は、生さぬ仲の継母のおまさにつらく当たっている。
今日も芝居を見て寿司を食うから三十文くれとせがむ、
おまさ 「お父っつぁんの休みの日に連れて行ってもらいなはれ。
わたしが頼んで連れてもろたげよ。お腹空いたら、家(うち)でご飯食べなはれ」と、やさしく言ってお膳を出したが、清吉はお膳を庭に蹴飛ばしてふてくされて出て行ってしまった。
清吉は長屋の路地で仕事から帰って来る安兵衛を待ち伏せて、
清吉 「遊びから戻って来てお母はんに飯食わして言うたら”子どもは日に一ぺん食たらえぇのや”言うねん。あんまりお腹が減ったさかい、勝手にお膳出して食べよ思たら”親の言うこと聞かん子や”言うて、表へ引きずり出されて水溜まり突き転ばされたんや・・・こない着物が汚れて・・・」と、嘘っぱちを並べる。
酔っ払っている安兵衛は清吉の言うことを疑わず、家に帰っておまさを叱り飛ばし夫婦喧嘩が始まった。
毎度のことで長屋の連中は止めようともしない。
そこへ通り掛かった家主が割って入り、二人をなだめて酔った安兵衛を家主の家に連れて行く。
安兵衛の酔いが醒めて来た頃、
家主 「お前、おまささんみたいなええ嫁さん粗末にしたら罰が当たるぜ。それに引きかえお前とこの清吉、うちの店に並べたる品物を持って帰ったり、 銭箱から金を掴んでポイッと出て行きよったり、こないだも信楽餅屋の屋台から売上から砂糖から信楽餅まで、すっくりと盗みよった」
びっくりしして何も知らなかったことを恥じ、おのれにも腹が立った安兵衛は長屋に帰って、今までのことをおまさに謝り、出刃包丁で不肖の息子、清吉を刺そうとする。
必死に止めたおまさと二人、その夜は泣きながら夜を明かした。
翌朝、安兵衛は家主に相談して清吉を遠方に奉公に出すことになった。
それからというものは安兵衛は仕事に精を出し酒も控えるようになって、おまさと仲良く暮らして行くようになった。
早や十年が経った蒸し暑い梅雨の頃、音信も途絶えていた清吉がひょっこりと家主のところへ立派になった姿を見せた。
清吉は手土産を置いて安兵衛夫婦の家に行く。
清吉 「御免ください、お父っつぁんでございますか、ご機嫌よろしゅ~ございます」、安兵衛は立派な身なりの若者にお父っつぁんと呼ばれる筋合いもなく、家を間違ったのかときょとんとしておまさを呼ぶ。
おまさ 「お越しやす・・・?」
清吉 「お母さんでございますか、ご機嫌よろしゅ~ございます」
おまさ 「ちょっと、あんた、うちの清吉やがな・・・」と、晴れて親子三人の喜びの再会となった。
おまさは清吉に家の中を片付け、酒と肴を用意する間に風呂に行ってさっぱりしてくるように勧める。
清吉が風呂に行った後に、
おまさ 「あの子の着てる着物なぁ、上下すっくり揃えたら相当お金かかるもんやで。奉公人にあれだけええなりをさしてる店はないと思うねん」
安兵衛 「・・・そら俺では分からん、そこらに何ぞあいつの持ちもんないか?」
おまさ 「ここに財布があるわ」、開けて見ると小判がザクザク。
帰って来た清吉に、
安兵衛 「おのれはまだ悪い根性が直らんのじゃな。・・・清吉、自首せぇ、改心して真人間になってくれ・・・」
清吉 「何もかも申し上げましょ お家主のお世話でご奉公には参りましたが、三月も続かずに主人の店を飛び出して、どこへ行くともなく彷徨(さまよ)ううちに、悪いことを数重ね、今じゃ東国の地で鬼薊の頭(かしら)と立てられる身の上。 あっしが改心すると言っても、到底仲間のやつが許しちゃくれやせん。 今日帰りましたのはお暇乞い方々、勘当してもらいに帰りましたんでございます。その代わり父っつぁん、このお金は受け取ってください」
安兵衛 「言うな清吉!人もの掠め盗った金、びた一文要らん。とっとと出て行け!」
清吉 「それじゃ仕方ございません。二人ともご達者でお暮らしを・・・」、清吉は出て行ってしまった。
これを苦にして、おまさは病死してしまう。
ちょうど三年のちに安兵衛が戎橋から身を投げをするところに通り掛かって助けたのがこの鬼薊の清吉だ。
盗みはすれど非道はせず、ある所から盗んでは貧しい人に施した義賊、鬼あざみ清吉、
「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」と辞世を残して、三十二歳で刑場の露と消えた。
落語用語解説
鬼薊(おにあざみ)
薊(あざみ)は鋭い棘を持つ植物で、「鬼」がつくことで一層の荒々しさを表す。清吉の盗賊としての異名であり、鋭い棘を持ちながらも美しい花を咲かせる薊の二面性が、悪事を働きながらも義賊として貧しい人々を助けた清吉の人間性を象徴している。
義賊(ぎぞく)
富裕層から盗み、貧しい人々に施す盗賊。日本では鼠小僧次郎吉、石川五右衛門などが有名。清吉も「ある所から盗んでは貧しい人に施した」義賊として描かれており、単なる悪人ではなく、社会の不正義に抗する存在として位置づけられている。
継子いじめ(ままこいじめ)
継母や継父が連れ子を虐待すること。江戸時代の社会問題の一つで、多くの物語の題材となった。この噺では逆に、継子である清吉が継母おまさに辛く当たるという設定で、おまさの慈愛の深さが際立つ。
辞世の句(じせいのく)
死に臨んで詠む句。「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」は、自らの生涯を薊に例え、悪事を重ねながらも最後は枯れ果てる運命を詠んだもので、文学的で哀愁に満ちた名句。
勘当(かんどう)
親が子との縁を切ること。江戸時代は家父長制が強く、勘当は社会的な死を意味した。清吉は自ら勘当を願い出ており、家族への迷惑を避けるための苦渋の選択だった。
奉公(ほうこう)
商家や武家に雇われて働くこと。年季奉公として一定期間働いた後、独立するのが一般的だった。清吉は3ヶ月で奉公先を逃げ出し、盗賊の道に入った。
戎橋(えびすばし)
大阪の道頓堀にかかる橋。江戸時代から賑わいの場であり、この噺では安兵衛が身投げしようとした場所として登場する。
よくある質問
Q1: この落語はどの地域の演目ですか?
A: 上方落語の演目です。登場人物が関西弁で話し、大阪の戎橋が舞台として登場することからも、上方落語であることが分かります。江戸落語にも同様の人情噺はありますが、「鬼薊清吉」は上方落語の代表的な長編人情噺として知られています。
Q2: なぜ清吉は継母に辛く当たったのですか?
A: 母を亡くした寂しさと、継母への反発心が原因と考えられます。実母を失った子供が継母を受け入れられず、八つ当たりをするという心理は、江戸時代の継子いじめの典型的なパターンの一つです。清吉の場合、その反発が盗みという犯罪行為にまでエスカレートしてしまいました。
Q3: おまさはなぜ清吉を庇ったのですか?
A: 継母としての慈愛の深さが理由です。清吉に虐げられながらも、安兵衛が清吉を刺そうとした時に必死に止めたおまさの姿は、母性愛の象徴として描かれています。血のつながりがなくても、子供を思う気持ちは本物の親と変わらないという人間の善性が表現されています。
Q4: 辞世の句「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」の意味は?
A: 武蔵野に広がる鬼薊のように、悪事を重ねて勢力を広げた自分も、今日の暑さ(処刑)で枯れ果ててしまうという意味です。「はびこる」は勢いよく広がること、「枝葉しおるる」は枯れ果てることを意味し、自らの生涯を薊に例えた文学的で哀愁に満ちた句です。
Q5: この噺のテーマは何ですか?
A: 家族愛と人間の業の深さがテーマです。継子いじめ、貧困、犯罪という社会問題を扱いながら、おまさの無償の愛、安兵衛の父としての苦悩、清吉の義賊としての生き方など、複雑な人間関係と葛藤が描かれています。最終的には、親子の情愛と人間の善性を描いた深い作品です。
名演者による口演
二代目桂春団治
春団治の「鬼薊清吉」は、上方落語の人情噺の代表的な口演として知られています。清吉の荒々しさとおまさの慈愛、安兵衛の苦悩を丁寧に演じ分け、辞世の句の場面では深い哀愁が漂います。上方落語の伝統を色濃く残した名演です。
三代目桂米朝
米朝の「鬼薊清吉」は、登場人物の心理描写が秀逸です。清吉の反発心、おまさの母性愛、安兵衛の父としての葛藤を、細やかな演技で表現します。辞世の句の朗読も文学的で、聴く者の心に深く響きます。
六代目笑福亭松鶴
松鶴の演じる「鬼薊清吉」は、人情味溢れる温かさが特徴です。清吉の悪行も、おまさの慈愛も、人間臭く描かれ、聴く者の共感を呼びます。最後の辞世の句の場面では、清吉の人生の哀れさが胸に迫ります。
五代目桂文枝
文枝は、三幕構成の構成力を活かした口演で知られています。第一幕の家庭崩壊、第二幕の再会と別れ、第三幕の最期と、それぞれの場面の対比が鮮明です。清吉の義賊としての矜持も説得力を持って描かれます。
関連する落語演目
親子の情愛を描いた噺
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盗賊・義賊を題材にした噺
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重厚な人情噺
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この噺の魅力と現代への示唆
「鬼薊清吉」は、家族愛と社会の歪みを描いた重厚な人情噺です。
清吉の継母への反発は、現代でも見られる継親子関係の問題を表しています。実母を失った寂しさと、継母を受け入れられない葛藤。この心理は、時代を超えて普遍的なテーマです。
おまさの慈愛の深さは、血のつながりを超えた母性愛を表しています。清吉に虐げられながらも、安兵衛が清吉を刺そうとした時に必死に止めたおまさの姿は、無償の愛の象徴です。
清吉の義賊としての生き方も興味深いポイントです。「ある所から盗んでは貧しい人に施した」という設定は、社会の不正義に抗する存在として清吉を位置づけています。これは現代の格差社会にも通じる問題提起です。
安兵衛の苦悩も描かれています。息子を刺そうとする場面、勘当する場面、そして自殺を図る場面と、父親としての葛藤が克明に描写されています。
辞世の句「武蔵野にはびこるほどの鬼あざみ 今日の暑さに枝葉しおるる」は、清吉の生涯を薊に例えた文学的な表現です。悪事を重ねながらも最後は枯れ果てる運命を詠んだ句は、人生の無常を感じさせます。
家族愛、社会の歪み、人間の業。「鬼薊清吉」は、重厚なテーマを扱いながらも、最終的には人間の善性と親子の情愛を描いた、深い感動を呼ぶ一席なのです。
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