お藤松五郎
3行でわかるあらすじ
錦絵に描かれるほど美しい水茶屋「いろは」の看板娘お藤が、道具屋の旦那清三郎の愛人として暮らしていたが、元武士の一中節師匠松五郎と恋仲になる。
清三郎に見つかって乱闘になり、翌日の約束がすれ違いで松五郎はお藤が心変わりしたと誤解してしまう。
怒り狂った松五郎は刀を持ち出し、お藤をはじめ五人を殺害して自分も死ぬという凄惨な事件を起こす。
10行でわかるあらすじとオチ
両国広小路の水茶屋「いろは」の看板娘お藤は錦絵に描かれるほどの美女で、横山町の道具屋万屋清三郎の愛人として贅沢に暮らしていた。
夕立の雨宿りで元武士の一中節師匠菅野松五郎が訪れ、お藤と酒を飲むうちに恋仲になってしまう。
そこに清三郎が幇間を連れてやって来て、二階で松五郎を発見し大乱闘となる。
翌日、松五郎と葭町の佃長で会う約束をしていたお藤だが、清三郎に見つかって米沢町の草加屋に連れ込まれる。
松五郎は使い屋を迎えにやるが、お藤の母親が清三郎の使いと勘違いして追い返してしまう。
自ら迎えに行った松五郎は草加屋でお藤を見つけて女将に呼んでもらうが、お藤は清三郎から逃れて先に佃長へ向かう。
松五郎は自分を避けて逃げたと勘違いし、再びお藤の家を訪れるが母親にまた追い返される。
佃長から帰るお藤と偶然出会った松五郎は、言い訳も聞かずにお藤を殴りつける。
通りかかった長左衛門頭に止められるが、怒りが収まらない松五郎は家に帰って刀を取り出す。
母親に詫びを言い、お藤をはじめ五人の者を殺害するという「お藤松五郎恋の手違い」の悲劇的結末。
解説
落語「お藤松五郎」は「今戸五人切」「川柳宇治の村雨」とも呼ばれる人情噺の代表作です。
三話構成の世話物で、恋の三角関係から生じるすれ違いと誤解が、最終的に五人殺害という凄惨な事件へと発展する悲劇的な物語として構成されています。
特に三遊亭圓生師匠が得意とした演目として知られ、人間の感情の機微と恋愛の恐ろしさを描いた作品として評価されています。
お藤は錦絵に描かれるほどの美女という設定で、当時の両国広小路の繁華街を舞台とした江戸情緒豊かな内容となっています。
松五郎が演奏する一中節は浄瑠璃の一種で、都一中を家元とする都派の他に菅野派があり、松五郎は菅野派の師匠という設定です。
この噺の核心は「些細なすれ違いが大きな悲劇を生む」という教訓的な側面にあり、現代でも起こりうる恋愛感情のもつれから発生する事件の恐ろしさを描いた、時代を超えて共感される内容となっています。
あらすじ
お藤は日本橋横山町の道具屋、万屋清三郎の世話で両国広小路に水茶屋「いろは」を出させてもらい、柳橋の裏河岸に母親と二人で暮らしている。
お藤は柳橋の芸者も足元にも及ばない評判の美女だ。
ある夕暮れ方、夕立の雨宿りで顔見知りの菅野松五郎が傘を借りに来た。
松五郎は元は武士で、年は二十六の苦み走ったいい男で、今は一中節の三味線弾きの師匠だ。
お藤は松五郎を二階へ上げ、酒を飲み始める。
そのうちに酔って来たお藤は、「・・・いつまでもあんな人の持ち物でいるのはいやだ・・・兄さんのお嫁さんになれたら・・・」なんて言い始めた。
松五郎もお藤を憎からず思っているので、打ちとけてきた二人はやがて怪しい夢を結ぶ。
そこへ清三郎が幇間の三八と五蝶を連れてやって来る。
お藤はなんとかして清三郎を連れ出そうとするが、清三郎たちは下の部屋で飲み始めてしまった。
そのうちに二階へ三味線を取りに行った三八に松五郎は見つかってしまう。
下に降りてきて、
松五郎 「傘を借りようと立ち寄ったら、おっ母さんに酒を勧められてつい、・・・どうもひどく酔って寝てしまったらしくて・・・」
清三郎 「・・・一中節の三味線弾き・・・ふん、男っぷりはいいやなぁ、芸はどうか知らねえが・・・盃を受けてもらおう・・・」と言って盃を松五郎の額めがけて投げつけた。
額から血が流れてもじっとこらえていた松五郎だが、「端た芸人!」、「乞食野郎!」と悪口雑言を浴びせられ、ついに堪忍袋の緒が切れて、
松五郎 「乞食野郎とはなんだ。
えらそうに旦那面するんじゃねえや。がりがり亡者!赤螺屋!でこぼこ野郎!」、二人はさんざんと罵り合ったあげくに出て行った。
翌日、松五郎と約束した葭町の佃長へ急ぐお藤は、米沢町の料理屋、草加屋で飲んでいた清三郎に見つかり、幇間に無理やり引っ張りあげられてしまう。
しつこい清三郎はお藤を放そうとはしない。
一方の、佃長で待っていた松五郎は、いつまで経ってもお藤が来ないので、使い屋を頼んで迎えにやるが、お藤の母親は清三郎からの使いと勘違いし、追い返してしまう。
使い屋の話が腑に落ちない松五郎は自らお藤の家に向かう。
途中、米沢町の草加屋にお藤が清三郎と一緒にいるのを見つけて、おかみに頼んでお藤を呼んでもらう。
松五郎が下で待っているとは知らないお藤は、これ幸いと清三郎から逃れて裏梯子から店を出て佃長に向かった。
おかみからお藤はあたふたと出て行ったと告げられた松五郎は、てっきり自分を避けて逃げ出したと勘違いする。
なぜ自分を避けるようになったのかを問いただすために、松五郎はまたお藤の家に行く。
今度は母親はまた清三郎がしつこくやって来たと思って顔も出さずに追い返す。
すっかりお藤が心変わりしたと思い込んだ松五郎は浜町の自宅へ帰る途中で、佃長から戻って来たお藤にばったり出会い、言いわけも聞かずになぐりつける。
そこへ通りかかった長左衛門頭(がしら)に止められて、その場は引き下がったものの、どうしても腹の虫がおさまらない。
家へ帰って刀を取り出し、二階で寝ている母親に、相手を斬って自分も死ぬと陰ながら詫びをいい、取って返してお藤をはじめ五人の者を殺害するという、「お藤松五郎恋の手違い」というお噺。
落語用語解説
水茶屋(みずぢゃや) – 江戸時代の繁華街に多く見られた、茶や甘酒などを提供する簡易的な茶店。美人の娘を看板娘として客を集めることが多く、実質的には遊興の場となることもありました。両国広小路は特に水茶屋が多く立ち並ぶ繁華街でした。
一中節(いっちゅうぶし) – 浄瑠璃の一流派。都一中を家元とする都派と菅野派があり、松五郎は菅野派の師匠という設定です。三味線の伴奏で語る芸能で、江戸時代には人気がありましたが、現代ではほとんど演奏されていません。
幇間(ほうかん) – 宴席で客を楽しませる職業芸人。太鼓持ちとも呼ばれ、話芸や踊り、三味線などで座を盛り上げる役割を担いました。この噺では清三郎が幇間を連れて遊びに来る設定です。
錦絵(にしきえ) – 江戸時代の多色刷りの木版画。美人画や役者絵が人気で、評判の美女は錦絵のモデルになることもありました。「錦絵に描かれるほどの美女」という表現は最高級の美貌を示します。
長左衛門頭(ちょうざえもんがしら) – 町火消しの頭取。江戸時代の消防組織の責任者で、地域の有力者として住民から尊敬されていました。松五郎がお藤を殴る場面で仲裁に入る重要な役割を担います。
使い屋(つかいや) – 江戸時代の伝言や使い走りを職業とする者。現代の宅配便や連絡代行のような役割で、人を呼びに行ったり、手紙を届けたりする仕事をしていました。
よくある質問(FAQ)
Q: お藤松五郎は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。舞台が両国広小路、柳橋、浜町といった江戸(東京)の地名であり、江戸の繁華街を背景にした人情噺として発展しました。
Q: なぜ「今戸五人切」という別名があるのですか?
A: 松五郎が五人を殺害する事件が今戸付近で起きたという設定に由来します。「川柳宇治の村雨」という別名もあり、同じ内容の噺が複数の名称で呼ばれることがあります。
Q: この噺は実話に基づいているのですか?
A: 明確な実話とは言えませんが、江戸時代の心中事件や恋愛のもつれから発生した殺傷事件をモデルにしている可能性があります。当時は恋愛感情のもつれから悲劇的な事件が起こることは珍しくありませんでした。
Q: 松五郎はなぜ五人を殺害したのですか?
A: すれ違いと誤解の積み重ねが原因です。お藤が約束の場所に来なかった理由を聞かず、母親にも追い返され、完全にお藤が心変わりしたと思い込んでしまいました。元武士としてのプライドが傷つけられ、理性を失った結果が五人殺害という凄惨な事件となりました。
Q: この噺のオチはどこですか?
A: この噺は典型的な「オチのない人情噺」です。悲劇的な結末で終わり、笑いではなく聴衆に深い余韻と教訓を残す構成となっています。人情噺の多くは笑いよりも感動や哀愁を重視します。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。この噺の代表的な演者として知られ、すれ違いから生まれる悲劇を丁寧に描き、松五郎の心情の変化を見事に表現しました。圓生の「お藤松五郎」は人情噺の最高峰とされています。
古今亭志ん朝(三代目) – 美声と端正な語り口で知られる名人。お藤の美しさと松五郎の苦悩を繊細に演じ分け、若い世代にも人気がありました。
柳家小三治 – 現代の名手。人間心理の機微を深く掘り下げ、すれ違いの悲劇性を現代的な視点で演じる独自の解釈が評価されています。
春風亭一朝 – 人情噺を得意とする実力派。松五郎とお藤の恋愛感情の揺れ動きを丁寧に描き、悲劇への伏線を巧みに張る演出が特徴です。
関連する落語演目
同じく「人情噺」の代表作



「恋愛のもつれ」がテーマの古典落語



「すれ違い」を描いた古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「お藤松五郎」は、恋愛感情のもつれから発生する悲劇を描いた落語の中でも最も重厚な人情噺の一つです。
この噺の最大の魅力は、「些細なすれ違いが取り返しのつかない悲劇を生む」という普遍的なテーマにあります。お藤の母親が清三郎の使いと勘違いして松五郎の使いを追い返す、お藤が清三郎から逃げるために裏梯子から出たことを松五郎が「自分を避けた」と誤解する。これらの小さなすれ違いが積み重なり、最終的には五人殺害という凄惨な事件へと発展します。
現代でも、SNSでのやり取りの誤解や連絡の行き違いから深刻なトラブルに発展することは珍しくありません。この噺が示すのは、「確認することの重要性」と「思い込みの恐ろしさ」です。松五郎がお藤に直接事情を聞いていれば、悲劇は避けられたはずでした。
また、恋愛における「独占欲」と「嫉妬」という感情の危険性も描かれています。清三郎はお藤を「自分の持ち物」として扱い、松五郎は「裏切られた」という思い込みから理性を失います。健全な恋愛関係には相互の信頼とコミュニケーションが不可欠だという教訓が込められています。
さらに、この噺は「武士の誇り」という江戸時代特有の価値観も反映しています。松五郎は元武士で、清三郎から「乞食野郎」と侮辱されたことが彼のプライドを深く傷つけました。現代でも、社会的地位やプライドが人間関係のトラブルを深刻化させる要因となることがあります。
実際の高座では、演者によって松五郎とお藤の恋愛場面の描き方や、すれ違いの悲劇性の強調が異なり、それぞれの解釈が楽しめます。特に三遊亭圓生師匠の口演は、すれ違いの一つ一つを丁寧に描き、悲劇への伏線を巧みに張ることで知られています。人情噺の深みを味わいたい方には必聴の演目です。


