西の旅②
西の旅②(にしのたび2) は、清八と喜六が舞子の浜から兵庫までの名所を巡り、在原行平や須磨の歴史にとんちんかんな返答を繰り返す上方落語の旅噺です。「お前の請け合うは当てにならへん」と頼母子の失敗話で落とす、名所案内と笑いが融合した道中噺の好編。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演目名 | 西の旅②(にしのたび2) |
| ジャンル | 古典落語・滑稽噺(旅噺) |
| 主人公 | 清八(案内役)・喜六(ボケ役) |
| 舞台 | 舞子の浜から兵庫宿への道中 |
| オチ | 「お前の請け合う言うは当てにならへんで。こないだ佐助はんとこの頼母子に入ったが、三っつ掛けたやつがつぶれたがな」 |
| 見どころ | 関西の名所薀蓄、清八と喜六の絶妙な掛け合い、言葉遊び |
3行でわかるあらすじ
清八と喜六が舞子の浜から兵庫までの名所を巡る関西旅道中。
清八が在原行平の松風・村雨の歴史や北風・幸辰の名物を解説するが、喜六が毎回とんちんかんな返答をする。
最後は鍛冶屋町の浜から船で大坂へ向かい、清八の請け合いに喜六が過去の失敗を持ち出して疑う。
10行でわかるあらすじとオチ
清八と喜六が舞子の浜に到着し、清八が地名の由来を説明するが喜六は「迷子」と勘違いする。
清八が根上がりの松や在原行平の松風・村雨の歴史を語ると、喜六は相撲取りの名前と混同する。
敦盛そばを食べ、松風村雨堂で在原行平と二人の海女の恋物語を聞く。
長田神社では鶏肉と卵を断つ願掛けの話で、喜六は女性が鶏の鳴き声を出すと想像する。
兵庫宿で北風という廻船問屋の話を聞き、その半被で飯が食えるという逸話に感心する。
幸辰という料理屋が北風の宴会を引き受けることから「コタツ(幸辰)に当たれ」の言い草が生まれた。
鍛治屋町の浜で海の景色を眺め、清八が各地の「端(はな)」を説明すると喜六は天狗や象の鼻を期待する。
海を青畳に例えると喜六は「縁(へり)がない」、海辺を「海辺り」とダジャレで返す。
船で大坂に帰ろうとする清八に、喜六が「板子一枚下は地獄」と不安を示す。
清八が「板子一枚上は極楽」と請け合うが、喜六は過去の頼母子の失敗を持ち出して信用しないというオチ。
解説
「西の旅②」は、関西落語の代表的な旅噺で、清八と喜六の名コンビによる掛け合いが絶妙な作品です。関西弁の温かみと、歴史ある名所の薀蓄話、そして喜六のとんちんかんな返答が三位一体となって、聞き手を楽しませてくれます。
この噺の最大の魅力は、清八の博識ぶりと喜六の天然ぶりのコントラストです。清八は舞子の浜の由来、在原行平の恋物語、廻船問屋北風の逸話など、関西の歴史と文化を織り交ぜながら案内役を務めます。一方の喜六は「舞子の浜」を「迷子」と聞き間違え、松風・村雨を相撲取りと混同するなど、一貫して的外れな反応を見せることで笑いを誘います。
特に注目すべきは、実在の地名や歴史的人物を巧みに組み込んだ構成です。在原行平の須磨での恋物語、長田神社の願掛け、兵庫宿の北風・幸辰の名物話など、関西の人々には馴染み深い話題が散りばめられています。これにより、地域色豊かな落語として親しまれてきました。
言葉遊びも秀逸で、「北風に当たって寒うなったら、コタツ(幸辰)に当たれ」や、海を青畳に例えて「縁(へり)がない」「海辺り」などのダジャレが効いています。最後の頼母子の失敗談で清八の信用度を疑うオチも、人間関係のリアルな一面を描いており、笑いの中に人情を感じさせる仕上がりとなっています。
成り立ちと歴史
「西の旅」は上方落語の旅噺として古くから親しまれてきた連作シリーズで、金比羅参りの帰りに西国の名所を巡る道中を描いています。この②「舞子から兵庫」は、①「明石名所」に続く後編にあたり、明石から舞子の浜を経て兵庫宿に至る道中の名所を案内する構成になっています。成立時期は江戸後期から明治初期と推定されます。
上方落語における旅噺は、喜六と清八という定番コンビの掛け合いを軸に、各地の名所旧跡の蘊蓄を織り込む形式が確立されていました。この噺に登場する在原行平と松風・村雨の恋物語は謡曲「松風」としても知られ、廻船問屋北風の逸話は兵庫津の歴史書にも記録されており、落語が単なる笑い話ではなく庶民の教養としても機能していたことを示しています。
桂米朝(三代目)がこの噺の復活と整理に大きく貢献しました。米朝師匠は関西の地理や歴史に精通しており、埋もれかけていた旅噺の蘊蓄を丹念に調査して高座に掛けました。現在演じられている「西の旅」の形は、米朝師匠の研究と口演によるところが大きいとされています。桂枝雀や桂南光など米朝門下の演者にも受け継がれ、上方落語を代表する旅噺として定着しています。
あらすじ
清八 「どや、いい景色やろここが舞子の浜や」
喜六 「どこに迷子がおる」
清八 「ここはな、昔、神功皇后さまが三韓征伐の際に童を集めて、ここで舞をまわしなさったとも、 このへん一帯の潮が、一時はここへ舞い込んで来るので舞い込みが浜、また、この松が舞を舞うた形に見える、それで舞子が浜とかいうな」
喜六 「わしはやっぱり舞を舞うた童が帰り道に迷子になったんからやと思うがな」
清八 「そやないわ、見てみい、松がみな潮風にさらされて姿がゆがんで、舞を舞うているよう見えるやろ。根元は砂が流されて根が上がってしまって、"根上がりの松"というのや」、敦盛塚のそばの敦盛そばを食って、菅の井戸跡、菅公手植えの松を見て、松風村松堂へやって来た。
清八 「昔、この地に流された在原行平が、退屈しのぎに須磨の浜を散歩している時に多井畑の村長の娘で「もしほ」に「こふじ」という、美しい二人の娘が汐汲みを しておった。
行平が、"そなた達はいずれの娘じゃ"と問うと、娘は砂の上に"白波の寄する渚に世を過ごす 海女の身なれば宿も定めず"と書いた。
行平は雛には稀な娘と感心して二人を側女にした。
名前も「もしほ」に「こふじ」でなくもっとよい名を考えていると、松風がサーッと吹いてきて、村雨がパラパラと落ちて来たので、姉を松風、妹を村雨と名づけたんや」
喜六 「うまいこと風が吹いて、雨が降ってきよったなあ。雷が光って、ゴロゴロなったら、稲妻と雷電や」
清八 「それじゃ相撲取りやがな。
三年経って行平は許されて都へ帰った。
その時詠んだ歌が"立ち別れいなばの山の峰に生ふる 待つとし聞かばいま帰り来む"の百人一首で有名なの歌や。残された二人は頭を丸めて世捨て人になったが、行平さんのことを忘れられず、毎日、松の枝にすがって都の方を眺めていたら、その枝だけが残って、"都恋しき片枝の松"、姉妹の庵がこの松風村雨堂や」
あちこち見物しながら兵庫へと進んで行く。
長田(ながた)神社に寄って、
清八 「ここは鶏肉と卵を断って願掛けすれば願いか叶うで。氏子の女子衆は歯を鶏の羽根を使うて染めているそうやで」
喜六 「それで時々、コケコッコ~と鳴くとか」、柳原惣門から兵庫宿に入って行く。
清八 「柳原には二つの名物、北風と幸辰があるねん」、
喜六 「何やそれは?」
清八 「北風は廻船問屋で、こら大したもんやで、お大名でも北風の鼻息うかごうたというぐらいや。北風の半被一枚持ってたら食うに困らんというのや」、「何でや?」
清八 「いつ船が入ってくるやら分らんさかいに、ここの台所にはメシと汁と漬物だけは切らしたことがない。
何百人という人足が四六時中出入りしてて、腹が減ったら勝手に飯食うようになったあるねん。ちょっとこの半被を借りてひっかけて行たら、いつでもただで飯が食えたちゅうぐらいや」
喜六 「そらぁ、えらいもんやなあ」
清八 「この北風の大きな宴会を引き受けたのが料理屋の幸辰や」
喜六 「そら大きい宴会やろな」
清八 「そやから北風に当たって寒うなったら、コタツ(幸辰)に当たれ、てな言い草ができたんねん」、札の辻から鍛治屋町の浜に出て、
清八 「見てみいな。
穏やかな波やで。向こうに見えたるのが淡路の岩屋の端(はな)、こっちが天保山の端、紀州加太の端、岸和田の端、近くが和田の端(和田岬)や」
喜六 「ハナばっかりやな。天狗の鼻や象の鼻はあらへんのか?」
清八 「そんなもん、あらへん。今日は凪やで、海一面青畳をひいたようやないか」
喜六 「畳にしては縁(へり)がないな」
清八 「海にへりがあるかいな」
喜六 「このあたりを海辺りという」
清八 「アホなことばかり言わんと、船に乗ろ。大阪まで足の伸ばして寝て帰るがな」
喜六 「板子一枚下は地獄ちゅうがな」
清八 「板子一枚上は極楽や。わしが請け合う」
喜六 「お前の請け合う言うは当てにならへんで。こないだ佐助はんとこの頼母子に入ったが、三っつ掛けたやつがつぶれたがな」
二人は鍛冶屋町の浜から船で大坂に向かう。
落語用語解説
この噺に登場する落語ならではの用語を解説します。
- 西の旅(にしのたび) – 金比羅参りの帰りに西国の名所を巡る旅噺のシリーズ。①明石名所②が舞子から兵庫。
- 喜六清八(きろくせいはち) – 上方落語の定番コンビ。喜六がボケ、清八がツッコミ・案内役。
- 舞子の浜(まいこのはま) – 兵庫県神戸市の海岸。神功皇后の舞の伝説が由来とされる名所。
- 在原行平(ありわらのゆきひら) – 平安時代の歌人・貴族。須磨に流され松風・村雨との恋物語が有名。
- 松風・村雨(まつかぜ・むらさめ) – 在原行平が名づけた海女の姉妹。謡曲「松風」の題材にもなった。
- 根上がりの松 – 砂が流され根が露出した松。「値上がり」との掛詞で縁起が良いとされた。
- 敦盛そば – 舞子の名物そば。平家の武将・平敦盛の逸話にちなむ。
- 長田神社(ながたじんじゃ) – 神戸の古社。鶏肉と卵を断つ願掛けで知られる。
- 北風(きたかぜ) – 兵庫の大廻船問屋。その繁盛ぶりは伝説的で、半被一枚で飯が食えると言われた。
- 幸辰(こうたつ) – 兵庫の料理屋。北風の宴会を引き受けたことから「コタツに当たれ」の言い草が生まれた。
- 頼母子(たのもし) – 相互扶助の金融システム。複数人で掛け金を出し合い順番に受け取る。つぶれる(破綻する)こともあった。
- 板子一枚下は地獄 – 船底の薄い板一枚の下は海で、沈めば死ぬという意味。船旅の危険性を表す言葉。
よくある質問(FAQ)
Q1: なぜ喜六は「舞子の浜」を「迷子」と聞き間違えたのですか?
A: 音が似ているための言葉遊びです。清八が「舞子の浜」と言ったのを、喜六は「迷子」と勘違いし、「どこに迷子がおる」と返します。このとんちんかんな掛け合いが上方落語の魅力です。
Q2: 在原行平の松風・村雨の物語は実話ですか?
A: 伝説です。平安時代の貴族・在原行平が須磨に流された際、二人の海女と恋仲になったという話は、謡曲「松風」などでも有名な物語で、関西では広く知られた伝承です。
Q3: 「北風に当たったらコタツ(幸辰)に当たれ」の意味は?
A: 大廻船問屋の北風と料理屋の幸辰を使った言葉遊びです。「北風に当たって寒くなったら、炬燵(コタツ)に当たれ」と「北風(廻船問屋)と取引したら、幸辰(料理屋)で宴会をする」の二重の意味になっています。
Q4: 「海にへりがない」「海辺り」のオチの意味は?
A: 清八が海を「青畳のよう」と表現したのを受けて、喜六が「畳には縁(へり)があるが海にはない」と返し、さらに「このあたりを海辺り(うみべり)」とダジャレで返す言葉遊びです。
Q5: 最後の頼母子の話は何を意味していますか?
A: 清八が船旅を「板子一枚上は極楽」と請け合ったのに対し、喜六が「お前の請け合いは当てにならない」と過去の頼母子の失敗(破綻)を持ち出して信用しないという皮肉なオチです。
Q6: この噺はシリーズ物ですか?
A: はい、「西の旅」シリーズの一部です。①が「明石名所」で明石の人丸神社、②が「舞子から兵庫」で、金比羅参りの帰りに西国の名所を巡る連作旅噺となっています。
名演者による口演
この噺を得意とした上方落語の名人たちをご紹介します。
- 桂米朝 – 関西の地理と歴史の薀蓄が詳細で、清八の博識ぶりと喜六の天然ぶりの対比が見事。
- 笑福亭仁鶴 – 喜六のとんちんかんな返答が自然で笑いを誘う。在原行平の物語の語り口が情感豊か。
- 桂枝雀 – テンポの良い掛け合いで、「迷子」「相撲取り」などの勘違いが絶妙。関西弁のリズムが心地良い。
- 桂文枝(五代目) – 舞子から兵庫への道中の景色描写が美しく、喜六と清八の性格を巧みに演じ分ける。
- 桂南光 – 北風と幸辰の逸話の説明が分かりやすく、最後の頼母子のオチが自然に響く。
関連する落語演目
この噺に関連する演目をご紹介します。
- 時そば – 言葉遊びと掛け合いを楽しむ古典。機知に富んだ会話が共通する。
- 野崎詣り – 喜六と清八の旅噺。「山椒は小粒でも」の言い間違いが有名。
- 文七元結 – 庶民の人情を描いた名作。旅の中での人間模様という点で通じる。
- 粗忽長屋 – 勘違いから生まれる笑い。喜六の勘違いと似た構造。
- 目黒のさんま – 名所巡りと食べ物の噺。敦盛そばなど食の要素が共通。
この噺の魅力と現代への示唆
「西の旅②」は、関西の名所を巡りながら、清八と喜六の絶妙な掛け合いを楽しむ旅噺の傑作です。
清八の博識ぶりが光ります。舞子の浜の由来、在原行平と松風・村雨の恋物語、長田神社の願掛け、兵庫宿の北風・幸辰の逸話など、関西の歴史と文化を織り交ぜた案内は、まるで観光ガイドのようです。百人一首の歌や謡曲「松風」など、古典文学の知識も散りばめられています。
一方の喜六は、一貫してとんちんかんな返答を繰り返します。「舞子の浜」を「迷子」、松風・村雨を「稲妻と雷電(相撲取り)」と勘違いし、女性が「コケコッコー」と鳴くと想像するなど、その天然ぶりが笑いを誘います。
言葉遊びも秀逸で、「北風に当たったらコタツ(幸辰)に当たれ」や、海を青畳に例えて「縁(へり)がない」「海辺り」などのダジャレが効いています。特に「端(はな)」を説明する場面で、喜六が「天狗の鼻や象の鼻はあらへんのか」と返すボケも見事です。
最後の頼母子の失敗談で清八の信用度を疑うオチは、人間関係のリアルな一面を描いており、笑いの中に人情を感じさせます。友人の請け合いを信じられないというのは、現代でも共感できる感情でしょう。
関西の名所を巡りながら、言葉遊びと人情を楽しめる、上方落語ならではの魅力に満ちた作品です。
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