二丁ろうそく
3行でわかるあらすじ
極度のけちで有名な吝右衛門が、妻の実家での出産祝いに行く際、小僧の長松と共謀してろうそくをタダで手に入れる作戦を企てる。
長松が忘れたふりをして泣けば実家がろうそくをくれるという算段で、実際に祝いの席で作戦を実行する。
しかし肝心な時に長松が「ろうそく二丁持って来てしまいました」と言い間違えて作戦が台無しになる。
10行でわかるあらすじとオチ
しわい屋のけち右衛門は四十過ぎてやっと嫁を取ったが、子どもができて金がかかることを嘆いている。
妻は実家で出産し、お祝いの席に呼ばれることになったが、けち右衛門はここでもタダ食いとろうそくの入手を企む。
小僧の長松に「ろうそくを忘れたふりをして泣け」と指示し、そうすれば実家がろうそくをくれると算段する。
実家では赤ん坊を見て一時は喜ぶが、大きなあくびを見て「こんなに大きな口ではどれだけ飯を食うか」と心配する。
美味しい料理をたらふく食べて満足し、帰り支度を始める際に作戦を実行することにする。
けち右衛門が「長松、提灯をつけなさい」と言うと、長松は打ち合わせ通り泣き出す。
けち右衛門が「どうしたんだ」と聞くと、長松は「忘れて」と言うところまでは良かった。
しかし続けて言うべきは「ろうそくを持って来るのを忘れました」なのに、間違えて言ってしまう。
「ろうそく二丁持って来てしまいました」と長松が言うため、ろうそくがあるならなぜ泣くのかと不審がられる。
けちな算段が裏目に出て、かえって恥をかく結果となる言葉遊びのオチ。
解説
落語「二丁ろうそく」は、極度のけちな人間の浅ましさとそれが裏目に出る滑稽さを描いた古典落語の代表作の一つです。
主人公の吝右衛門は「しわい屋」として登場し、結婚も子育ても全て金勘定で考える典型的なけちキャラクターとして描かれています。
この噺の見どころは、けち右衛門が小僧の長松と共謀してろうそくをタダで手に入れようとする作戦の細かさと、それが最後の最後で長松の言い間違いによって台無しになる痛快さです。
オチは「地口落ち」の一種で、「ろうそくを忘れた」と言うべきところを「ろうそく二丁持って来た」と言い間違える言葉遊びが核となっています。
このような小さな失敗が大きな恥につながる展開は、江戸時代の庶民にとって身近で親しみやすい笑いの要素でした。
また、けちな人間が最終的に損をするという勧善懲悪的な要素も含んでおり、聞き手に道徳的な教訓も与える構成になっています。
あらすじ
しわい屋吝(けち)右衛門は、四十を過ぎても不経済だと女房を持たなかったが、親類や回りの者たちからやいのやいのと言われて、仕方なく災難とあきらめてやっと嫁を取った。
吝右衛門は嫁さんになるべく近づかないでいたが、冬になって煎餅布団で寝ているのが寒くなって、女房の布団に入って寝るようになったら子どもができてしまった。
こりゃあ当然の成り行きだが。
さあ大変、金がかかることになったと、
吝右衛門 「子どもはできないつもりでもらったのに、できちまったから実家(さと)へ帰そうか」
番頭 「そんなことはできません。
奥様はご実家の方が安心してお産ができるでしょう。せめて身二つになるまでご実家にお預けになったらいかがでしょう」、なるほどその方が金もかからないしと吝右衛門も納得し、おかみさんは実家で出産まで預かってもらう。
十月(とつき)経って、
番頭 「奥様のご実家から赤ん坊が生まれたからおいでを願いたいと、お迎いが参りました」、もう少し日延べはできないかなんて渋っている吝右衛門に、
番頭 「・・・ご実家ではたいそうなお祝いの席をもうけて、ご馳走などもずいぶんとございましょう」
吝右衛門 「へえ、そうかい、行こう行こう。
ご馳走が出るんなら一人で行っちゃつまらない。小僧の長松を連れて行こう」、長松を呼んで、
吝右衛門 「これからおかみさんの実家に行くから一緒に行きな。
あっちでご馳走が出るから、明日の朝の分まで食べてきなさい。
それから切溜を持って行くように。ご馳走を切溜に詰め込んで持って帰ってうちの者に食べさせるんだ」、「へい、かしこまりました」
吝右衛門 「それから提灯も持って行きな。蝋燭(ろうそく)はいらないから」
長松 「ろうそくがなければ灯りがつきやしません」
吝右衛門 「帰る時になったら、"長松、提灯つけとくれ"というから、その時にお前が、"ろうそく持って来るのを忘れました"と大声で言って、"わぁ~"と泣き出すんだ。
そうすると実家の方でそんなことで泣くには及ばないと、ちゃんとろうそくをくれる。
用心のために一本余計に二本くれるから心配するな。半丁ばかり灯して歩いて、火を消せばろうそくが二本もうかるというもんだ」
やはり金を貯める人は違う、偉い、いやせこい。
さて、出かけようとすると長松は汚いすり減った下駄を履いている。
吝右衛門 「なんだその下駄はみっともない。・・・向こうにいいのがあったら間違えたふりして履いて来い」、まるで下駄泥棒に行くようだ。
さて、実家に着いて赤ん坊を見て、さすがの吝右衛門も金勘定を忘れてしばし大喜びだが、赤ん坊が大きなあくびをすると、
吝右衛門 「生まれたばかりでこんな大きな口を開けるようでは、いまにどんなにお飯(まんま)を食べることやら・・・」、実家の人たちは面白い冗談を言うお方だと笑っているが、吝右衛門は真剣そのもの、また一つ心配事が増えたのだ。
美味い料理もたらふく食べて大満足で、泊まってくださいと引き止めるのを、吝右衛門は店のことがあるからと、帰り支度を始める。
吝右衛門 「これ、長松、提灯をつけなさい」、長松が打ち合わせどおりに、「わぁ~」と泣くと、
吝右衛門 「これ、お目出度いところへ来て泣くやつがあるか、どうしたんだ」
長松 「忘れてろうそく二丁持って来てしまいました」
この噺は、ケチの行き過ぎた算段が、些細なミスによって裏目に出る滑稽さを描いた作品です。けち右衛門の緻密な計画と、長松の単純なミスの対比が見事で、江戸庶民の生活感覚と、ケチな性格への風刺が効いています。
落語用語解説
二丁(にちょう)
本来は「二本」や「二個」を意味する数え方。ろうそくの場合は二本のろうそくを指します。この噺では、忘れたと言うべきところを「持って来てしまった」と言う落ちに繋がる重要な言葉です。
けち右衛門
極端なケチな人物を指す名前。「右衛門」は江戸時代の一般的な男性名の一部で、「けち」を強調するための命名です。実在の人物ではなく、ケチな性格を象徴する典型的なキャラクター名です。
内祝い(うちいわい)
身内で祝い事を行うこと。この噺では、生まれた赤子の祝いを指します。親類縁者が集まり、祝いの席を設ける江戸時代の慣習です。
手前ども(てまえども)
自分たちのことを謙遜して言う表現。奉公人である長松が、自分と主人のけち右衛門を指して使っています。
口を揃える(くちをそろえる)
言うことを事前に打ち合わせて一致させること。けち右衛門が長松に対して、セリフを何度も練習させる場面で使われています。
算段(さんだん)
計画や策略を練ること。けち右衛門がろうそくを手に入れるために綿密な計画を立てる様子を表します。
奉公人(ほうこうにん)
商家や武家に雇われて働く使用人。長松はけち右衛門の家で働く奉公人です。江戸時代の一般的な雇用形態でした。
しくじる
失敗すること、へまをすること。長松がセリフを間違えることを恐れたけち右衛門が使った言葉です。
女房の里(にょうぼうのさと)
妻の実家のこと。この噺では、けち右衛門の妻の実家で内祝いが行われます。
泣き真似(なきまね)
泣いているふりをすること。けち右衛門は長松に、ろうそくを忘れたと言って泣き真似をするよう指示しました。
恥をかく(はじをかく)
人前で面目を失うこと。長松のセリフの間違いによって、けち右衛門の策略が暴露され恥をかく結果になります。
吝嗇(りんしょく)
ケチなこと、必要以上に物惜しみすること。この噺の主題となる性格で、けち右衛門はその典型的な人物として描かれています。
よくある質問 FAQ
なぜけち右衛門はろうそくを買わずに手に入れようとしたのですか?
極端なケチな性格だからです。ろうそくは江戸時代には比較的高価な日用品でしたが、それでも買えないほどではありません。けち右衛門は金を使うことを極端に嫌い、妻の実家の同情心を利用して無料で手に入れようと考えました。この性格の極端さが噺の面白さの核心です。
なぜ長松は何度も練習したのにセリフを間違えたのですか?
「忘れました」と「持って来てしまいました」という正反対の内容を、緊張した状況で言い分けるのは難しいからです。長松は単純な性格で、けち右衛門に何度も叱られながら練習したことで、かえって混乱してしまったと考えられます。人間の失敗の本質を突いた設定です。
江戸時代のろうそくはどのくらいの価値があったのですか?
ろうそくは蝋を原料とした高級照明器具でした。庶民は主に菜種油の行灯を使い、ろうそくは特別な時や裕福な家庭で使われました。二丁(二本)のろうそくは、けち右衛門のような人物にとっては無視できない出費だったのです。
この噺の落ちはどこが面白いのですか?
「忘れました」と言うべきところを「持って来てしまいました」と正反対のことを言ってしまう言葉遊びと、綿密な計画が一瞬で崩壊する皮肉さです。けち右衛門の策略が暴露され、かえってろうそくを差し出す羽目になる展開が、ケチな性格への痛烈な風刺になっています。
けち右衛門のような極端なケチは実在したのですか?
落語では誇張されていますが、江戸時代には吝嗇家は確かに存在しました。ただし、この噺のような極端な人物は創作です。落語は人間の性格や欲望を極端に描くことで、観客を笑わせると同時に、人間性への洞察を提供する芸能です。
なぜこの噺は現代でも演じられるのですか?
ケチな性格や計画の失敗という普遍的なテーマを扱っているからです。時代が変わってもろうそくから電気に変わっただけで、節約しすぎて失敗する人間の性質は変わりません。人間の欲望と失敗という本質的なテーマが、時代を超えて共感を呼びます。
名演者による口演
この噺は、ケチな人物の性格描写と、緊張感のある場面転換が見どころです。以下の名演者たちが、それぞれの個性で演じてきました。
- 古今亭志ん朝 – 軽妙な語り口で、けち右衛門の焦りと長松の混乱を巧みに表現
- 立川談志 – 辛辣な人間観察眼で、ケチな性格への風刺を効かせた演出
- 桂米朝 – 上方落語的な柔らかさで、人物の心理を丁寧に描写
- 三遊亭円生 – 古典的な格調で、江戸時代の生活感覚を丁寧に再現
- 柳家小三治 – 間の取り方が絶妙で、長松のセリフの間違いに至る緊張感を見事に表現
関連する落語演目
粗忽長屋(そこつながや)
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勘違いから生じる混乱を描いた噺。「二丁ろうそく」と同様に、単純なミスが大きな騒動を引き起こす構造が共通しています。
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子猫(こねこ)
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動物を使った計画が失敗する噺。計画通りにいかない展開が「二丁ろうそく」と似ています。
七段目(しちだんめ)
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芝居好きの人物が失敗する噺。人間の性格的な弱点が引き起こす笑いという点で共通性があります。
この噺の魅力と現代への示唆
「二丁ろうそく」は、過度な節約や計算高さが裏目に出る人間の滑稽さを描いた作品です。けち右衛門の綿密な計画は、長松の単純なセリフの間違い一つで崩壊します。
この噺が示すのは、人間が完璧にコントロールできると思っている状況でも、予期せぬ要因で失敗することがあるという教訓です。特に、他人を利用しようとする計画は、その人間の予測不可能性によって失敗しやすいのです。
現代社会でも、過度な節約や効率化を追求するあまり、かえって損失を被ることがあります。また、人を利用して得をしようとする行為は、往々にして信頼を失うという大きな代償を払うことになります。
けち右衛門の失敗は、誠実さと適度な寛容さの重要性を、笑いを通じて教えてくれます。江戸時代の庶民の知恵が詰まった、今でも通用する人生訓と言えるでしょう。
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