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【古典落語】ねぎまの殿様 あらすじ・オチ・解説 | 殿様がねぎまを『ニャー』と呼ぶ珍妙なグルメ噺

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話芸の殿堂-古典落語-ねぎまの殿様
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ねぎまの殿様

3行でわかるあらすじ

殿様が広小路の煮売屋でねぎま鍋を食べ、店の早口で「ニャー」と聞き間違える。
屋敷で料理番に作らせるが、上品すぎて白い鍋は「チュー」、本物は「ミケ」と呼ぶ。
最後は醤油樽に座って庶民風に食べれば美味いという結末。

10行でわかるあらすじとオチ

雪見に出かけた殿様が下谷広小路の煮売屋に入り、ねぎま鍋を注文する。
店の者の早口で「ねぎま」が「ニャー」と聞こえ、殿様は「ニャー」だと思い込む。
ねぎの熱い芯が飛び出す鉄砲仕掛けに驚きながらも、ダリの酒と共に大満足。
屋敷に戻り料理番の留太夫に「ニャー」を作らせるが、何のことか分からず困惑。
側用人の三太夫から「ねぎま」だと聞いて作るが、白い部分だけの上品な料理になる。
殿様はこれを「チュー(鼠色)」と呼び、本物の「ミケ(三毛猫)」を要求。
ねぎの青い部分とマグロの血合いを入れた三毛猫色の鍋を作り直させる。
ぐらぐら煮立った鍋とダリの酒で殿様は満足するが、まだ何か足りない。
「座っていては美味うはない。醤油樽を持て」と命じる。
庶民と同じ醤油樽に座って食べてこそ本物の味という皮肉なオチ。

解説

この噺は「目黒のさんま」と並ぶ殿様シリーズの代表作で、身分の高い人物が庶民の食べ物に魅了される構図が共通しています。
「ねぎま」という料理名が「ニャー」に聞こえるという言葉遊びから始まり、白い鍋を「チュー(鼠)」、本物を「ミケ(三毛猫)」と呼ぶ展開は、殿様の世間知らずと側近たちの苦労を見事に描いています。
料理の材料の色を動物の毛色に例える発想は秀逸で、上流階級の形式主義と庶民の実用主義の対比が効いています。

最後の「醤油樽を持て」というオチは、どんなに材料や調理法を真似ても、環境や雰囲気まで含めてこそ本物の味わいだという深い真理を含んでいます。
演者によっては、殿様の世間知らずぶりを愛嬌たっぷりに演じ、留太夫の困惑ぶりや三太夫の必死の通訳を滑稽に描きます。
江戸時代の身分社会を風刺しながら、食の楽しみは身分を超えて共通するという普遍的なテーマを扱った名作です。

あらすじ

本郷のある大名の殿様、庭の雪を眺めていたら向島の雪見がしたくなった。
側用人の田中三太夫をお供にお忍びで屋敷を出て、湯島の切通しから池之端仲町、下谷広小路までやって来ると小料理屋が並び、煮売屋からはいい匂いが漂って来る。

腹の虫が鳴って来た殿様は、三太夫が下々の者どもが入る店だと止めるのも聞かずに縄のれんをくぐって入って行く。
店の者 「へい、らっしゃい。宮下へどうぞ」で、柏手を打って大神宮さまの下の醤油樽に座った。

殿さまはいい匂いのする鍋の名が分からず、
殿様 「あそこで町人の食している物は何と申す」、店の者が早口で言う、ねぎまが、「にゃー(ぎま)・・・」に聞こえて、

殿様 「さようか、そのニャーを持て・・・」

店の者 「へい、ねぎま一丁、酒は三六かダリで」、三六は一合、三十六文、ダリ(駕籠屋などの符牒で4のこと)は四十文の灘の生一本で、そこは殿様、ダリを注文。
運ばれてきたグラグラと煮立った小鍋の中は、ねぎの青いところも、マグロの骨も血合いも混ざっている。

早速、殿様、箸でねぎをつまんで口に入れて噛むと、ぴゅーと熱い芯が鉄砲のように飛び出て喉を直撃。
目を白黒させて殿様、「このねぎは鉄砲仕掛けになっておる」、熱くてマグロのだしの効いた鍋と、ダリをお代わり、二合飲んで殿様はすっかり満足。
すっかりいい気分に酔ってしまってもう向島などには行く気もなくなり屋敷へご帰還と相成った。

さあ、広小路で食べたねぎま鍋の味が忘れられないのは、「目黒のさんま」の殿様と同じ。
料理番の斎藤留太夫を呼んでねぎまの注文だ。「ニャーが食したい」、留太夫、殿様の前で、「ニャーとはニャンでございますか」とも、「ニャンとも分りませぬ」とも言えず、困り果てて三太夫に聞きに行って納得、早速ニャーを料理して殿様の御前に。

あの店の味を期待していた殿様、出て来たのはさめたお椀の汁。
一口食べてあまりのまずさにがっくり。
そりゃあそうだマグロは血合いなんかは捨てて蒸して、ねぎは白いところだけとろとろに茹でてしまって、あのニャーとは名ばかり、似ても似つかぬ代物だ。

殿様 「これはニャーではない。
チューではないか。ミケのニャーを作って参れ」、留太夫、殿さまは日本語を喋っているのかと耳を疑って、また三太夫のところへ。

三太夫 「ねぎの白と青いところ、マグロの血合いの色で三毛猫の「ミケ」、貴殿の作ったのは鼠色一色で「チュー」である」と、見事な翻訳、迷訳?だ。

今度は留太夫、ねぎまを三太夫のレシピどおりに料理してぐらぐら煮立った鍋を、「ミケのニャーを持参いたしました」と、差し出したところ殿様、「これぞニャーである。酒のダリを持て、三六はいかんぞ」、ニャーとダリで大満足の殿様、

「留太夫、座っていては美味うはない。醤油樽を持て」

落語用語解説

ねぎまの殿様(ねぎまのとのさま)

この噺のタイトルで、「目黒のさんま」と並ぶ殿様シリーズの代表作です。殿様が庶民の食べ物である「ねぎま鍋」に魅了され、屋敷で再現させようとする滑稽な展開を描いています。

ねぎま

葱(ねぎ)とマグロを煮込んだ鍋料理のことです。江戸時代の庶民の味として親しまれ、煮売屋や居酒屋で提供されていました。この噺では店の早口で「ニャー」と聞こえるという言葉遊びが物語の発端となります。

ニャー

「ねぎま」が早口で言われて「ニャー」と聞こえたという設定です。猫の鳴き声に似ていることから、後に白い鍋を「チュー(鼠)」、三毛猫色の鍋を「ミケ」と呼ぶ動物シリーズの言葉遊びへと発展します。

チュー

殿様が料理番の留太夫が最初に作った白いだけの上品な鍋を「チュー(鼠色)」と呼んだものです。ねぎの白い部分だけを使い、マグロも血合いを除いた結果、色が鼠色一色になってしまった失敗作を指します。

ミケ

三毛猫のことで、殿様が本物のねぎまを「ミケのニャー」と呼んだものです。ねぎの白と青、マグロの赤い血合いが混ざった色が三毛猫の毛色に似ていることから名付けられました。この言葉遊びがこの噺の最大の見どころです。

煮売屋(にうりや)

煮物や鍋物を売る庶民的な飲食店のことで、江戸時代の外食産業の代表でした。広小路などの繁華街に多く、安い酒と煮込み料理を提供していました。この噺では殿様がお忍びで入る店として登場します。

下谷広小路(したやひろこうじ)

現在の東京都台東区上野にあった広小路で、江戸時代には多くの店が並ぶ繁華街でした。火除け地として幅の広い道が設けられ、庶民の行楽地として賑わっていました。

醤油樽(しょうゆだる)

煮売屋などで客が腰掛ける代わりに使われた空の醤油樽のことです。この噺では、殿様が最初に広小路の煮売屋で醤油樽に座って食べたことが、最後のオチ「醤油樽を持て」に繋がります。

ダリ

駕籠屋などが使っていた符牒(隠語)で「4」を意味し、四十文の上等な灘の生一本の酒を指します。三六(さぶろく)は三十六文の安い酒で、殿様は当然高い方の「ダリ」を注文します。

三六(さぶろく)

三十六文の安い酒のことで、一合の値段です。「ダリ」が四十文の上等な酒であるのに対し、庶民が飲む普段の酒がこの三六でした。殿様は「三六はいかんぞ」と区別しています。

鉄砲仕掛け(てっぽうじかけ)

熱いねぎを噛むと、中の芯が鉄砲のように飛び出して喉を直撃する様子を表現したものです。殿様が初めてねぎま鍋を食べた際に驚く場面で使われ、庶民の食べ物の荒々しさを象徴しています。

側用人(そばようにん)

大名に近侍して雑務を取り扱う役職のことです。この噺では田中三太夫が側用人として登場し、殿様のお供をしたり、料理番の留太夫に殿様の言葉を通訳したりする重要な役割を果たします。

料理番(りょうりばん)

武家屋敷で料理を担当する役職のことです。この噺では斎藤留太夫が料理番として登場し、殿様の「ニャー」という謎の注文に困惑し、三太夫の通訳を頼りに料理を作る苦労が描かれます。

よくある質問 FAQ

Q1: なぜ殿様は「ねぎま」を「ニャー」と聞き間違えたのですか?

A1: 煮売屋の店員が早口で「ねぎま」と言ったため、「にゃー(ぎま)」と聞こえたという設定です。殿様は世間知らずで庶民の食べ物に疎いため、そのまま「ニャー」という料理名だと思い込んでしまいました。この勘違いが、後の「チュー」「ミケ」という動物シリーズの言葉遊びへと発展する面白さの源泉となっています。

Q2: 「チュー」と「ミケ」の違いは何ですか?

A2: 「チュー」は料理番が最初に作った白いだけの上品な鍋で、鼠色一色だったことから殿様が名付けました。「ミケ」は本物のねぎま鍋で、ねぎの白と青、マグロの赤い血合いが混ざった色が三毛猫の毛色に似ていることから名付けられました。この色の違いを動物の毛色に例える発想が、この噺の最大の見どころです。

Q3: なぜ料理番の留太夫は最初に失敗したのですか?

A3: 留太夫は殿様用の料理を作る職人なので、庶民的な荒々しい料理を知らなかったからです。ねぎの青い部分やマグロの血合いは下品だと考えて除き、上品に仕上げた結果、白い鍋(チュー)になってしまいました。上流階級の形式主義と庶民の実用主義の違いが、この失敗に表れています。

Q4: 「醤油樽を持て」というオチの意味は?

A4: どんなに材料や調理法を真似ても、環境や雰囲気まで含めてこそ本物の味わいだという深い真理を含んでいます。殿様が広小路の煮売屋で醤油樽に座って食べた時の味が忘れられず、屋敷でも同じように醤油樽に座って食べようとする姿は、食の本質が形式ではなく雰囲気にあることを示唆しています。

Q5: この噺は「目黒のさんま」とどう違うのですか?

A5: どちらも殿様が庶民の食べ物に魅了されるという共通の構造を持っていますが、「目黒のさんま」は場所(目黒)が味の決め手というオチであるのに対し、「ねぎまの殿様」は雰囲気(醤油樽に座る)が味の決め手というオチです。また、「ねぎまの殿様」には「ニャー」「チュー」「ミケ」という動物の言葉遊びがあり、より滑稽な要素が強い作品です。

Q6: 三太夫の「翻訳」はなぜ必要だったのですか?

A6: 殿様と料理番の留太夫の間には身分の差があり、直接会話することが難しかったため、側用人の三太夫が仲介役となりました。また、殿様の世間知らずで独特な表現(「ニャー」「チュー」「ミケ」)を、料理番が理解できる言葉に変換する必要がありました。この通訳の滑稽さが、この噺の笑いの要素の一つとなっています。

名演者による口演

五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)

志ん生はこの『ねぎまの殿様』を得意とし、殿様の世間知らずぶりを愛嬌たっぷりに演じました。特に「ニャー」「チュー」「ミケ」という動物シリーズの言葉遊びを、独特の飄々とした語り口で表現し、聴衆を笑わせながらも温かみのある人情を感じさせる名演でした。

三代目三遊亭円生(さんゆうていえんしょう)

円生はこの噺を丁寧な人物描写で演じ、殿様の純粋な食への興味と、側近たちの苦労を見事に対比させました。三太夫が留太夫に「ねぎの白と青、マグロの血合いで三毛猫」と説明する場面では、論理的でありながら滑稽な通訳を絶妙な間で表現しました。

三代目桂米朝(かつらべいちょう)

米朝はこの噺を上方落語として演じ、殿様の料理への執着と、料理番の困惑を軽妙に描きました。煮売屋での殿様の庶民的な楽しみ方と、屋敷での形式張った雰囲気の対比を鮮やかに表現し、最後の「醤油樽を持て」というオチを深い余韻とともに締めくくりました。

八代目桂文楽(かつらぶんらく)

文楽はこの噺を緻密な構成で演じ、広小路の煮売屋の雰囲気から屋敷での料理の場面まで、細かい描写で聴衆を引き込みました。特に殿様が初めてねぎまを食べる場面での「鉄砲仕掛け」の驚きを、見事な仕草と表情で表現しました。

十代目柳家小三治(やなぎやこさんじ)

小三治はこの噺を現代的な感覚で演じ、殿様の孤独と食への純粋な興味を描き出しました。身分の壁を越えて庶民の食べ物に魅了される殿様の姿を、笑いの中に哀愁を込めて表現し、最後の「醤油樽を持て」というオチを、食の本質への洞察として締めくくる名演でした。

関連する落語演目

目黒のさんま

https://wagei.deci.jp/wordpress/meguronosanma/
『目黒のさんま』は「ねぎまの殿様」と並ぶ殿様シリーズの代表作です。どちらも殿様が庶民の食べ物に魅了され、屋敷で再現させようとして失敗するという構造が共通しており、食の本質は形式ではなく環境や雰囲気にあるというテーマを描いています。

青菜

https://wagei.deci.jp/wordpress/aona/
『青菜』は植木屋が旦那の屋敷で豪華な食事を御馳走になる噺です。「ねぎまの殿様」では逆に殿様が庶民の食べ物を楽しむという構造で、身分を超えた食の楽しみという点で共通するテーマがあります。

ちりとてちん

https://wagei.deci.jp/wordpress/chiritotechin/
『ちりとてちん』は食べ物の名前を巡る騙しの噺です。「ねぎまの殿様」も「ねぎま」が「ニャー」と聞き間違えられるという、食べ物の名前を巡る言葉遊びがあり、料理名の混乱が笑いを生む点で共通しています。

初天神

https://wagei.deci.jp/wordpress/hatsutenjin/
『初天神』は父親と子どもの欲望の対立を描いた噺です。「ねぎまの殿様」でも殿様の食への欲望と側近たちの困惑という対立構造があり、権力者の欲望が周囲を振り回すという点で共通するテーマがあります。

時そば

https://wagei.deci.jp/wordpress/tokisoba/
『時そば』は江戸の庶民の食べ物である蕎麦を扱った噺です。「ねぎまの殿様」も庶民の食べ物であるねぎま鍋を扱っており、江戸時代の外食文化と庶民の食の楽しみを描く点で共通しています。

この噺の魅力と現代への示唆

『ねぎまの殿様』は、「目黒のさんま」と並ぶ殿様シリーズの傑作で、身分の違いを超えた食の本質を描いた作品です。表面的には殿様の世間知らずを笑う噺ですが、実は深い洞察を含んでいます。

この噺の中心テーマは、「本物の味」とは何かという問いです。料理番の留太夫は殿様のために最高の材料と技術を使って料理を作りますが、結果は白いだけの「チュー(鼠色)」になってしまいます。ねぎの青い部分やマグロの血合いという「下品」な部分を除いた結果、味も色も失われてしまったのです。

これは上流階級の形式主義を風刺していると同時に、食の本質が素材の全体性にあることを示唆しています。現代の高級料理でも、見た目の美しさや形式にこだわりすぎて、素材本来の味を失ってしまうことがあります。庶民の「ねぎま鍋」は荒々しいかもしれませんが、素材をまるごと使うことで本来の味を引き出しているのです。

「ニャー」「チュー」「ミケ」という動物シリーズの言葉遊びも、単なる滑稽さを超えた意味があります。殿様は料理の名前を知らず、色で判断して動物に例えるしかありません。これは言語と認識の関係を示しており、私たちが知らないものをどう理解し表現するかという問題を提起しています。

最後のオチ「醤油樽を持て」は、この噺の核心を突いています。どんなに材料や調理法を真似ても、環境や雰囲気まで含めてこそ本物の味わいだということです。広小路の煮売屋で醤油樽に座って食べたからこそ美味かったのであり、屋敷の立派な座敷で食べても同じ味にはなりません。

これは現代でも通用する真理です。高級レストランで食べる料理が必ずしも美味しいとは限らず、時には屋台や大衆食堂で食べる料理の方が心に残ることがあります。食の本質は、料理そのものだけでなく、その時の気分、場所、一緒に食べる人、雰囲気など、すべてが合わさって作られるのです。

また、この噺は身分の壁についても示唆しています。殿様は庶民の食べ物を楽しみたいと願いますが、側用人の三太夫は最初「下々の者どもが入る店」だと止めます。しかし殿様は身分を超えて煮売屋に入り、本当の楽しみを見つけます。食の楽しみは身分を超えた普遍的なものであり、むしろ身分の壁が本物の経験を妨げているという皮肉が込められています。

三太夫の「翻訳」も興味深い要素です。殿様の独特な表現を料理番に伝える際、「ねぎの白と青、マグロの血合いで三毛猫」という論理的な説明が必要になります。これはコミュニケーションにおける仲介者の重要性を示すと同時に、異なる世界に住む人々が理解し合うことの難しさを表現しています。

現代社会でも、高級志向と庶民志向、形式と実質、ブランドと本物の価値など、この噺が扱うテーマは依然として重要です。B級グルメが人気を集めるのも、形式を超えた本物の味を求める人々の欲求の表れでしょう。

『ねぎまの殿様』は、笑いながら食の本質、身分の壁、コミュニケーションの難しさ、そして本物の経験とは何かについて考えさせてくれる、奥深い作品です。「醤油樽を持て」という最後の一言には、どんなに権力や財産があっても、本物の経験は形式を超えたところにあるという、普遍的な真理が込められています。

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