長崎の赤飯
3行でわかるあらすじ
勘当された金次郎が長崎で廻船問屋の娘お園と結婚し、父に呼び戻される。
身重のお園が乞食に変装して江戸まで夫を追いかけてくる。
渡辺喜平次の計らいで夫婦は無事に結ばれ、初節句に長崎から赤飯が届く。
10行でわかるあらすじとオチ
金田屋の金左衛門は勘当した息子金次郎が長崎で結婚したことを知る。
番頭の久兵衛が嘘の手紙で「父危篤」と知らせ、金次郎を江戸に呼び戻す。
金左衛門は息子を江戸に留めるため、渡辺喜平次の娘おいちとの縁談を進める。
身重のお園は夫を追って江戸へ向かい、乞食姿に変装して金田屋に到着。
久兵衛は「金次郎は死んだ」と嘘をつくが、そこへ金次郎が帰宅して嘘がばれる。
縁談話で面目を潰された渡辺喜平次がお園を連行して取り調べる。
喜平次はお園の貞女ぶりに感心し、娘いちと偽ってお園を輿入れさせる。
婚礼で綿帽子を取るとお園だと判明し、めでたく夫婦は結ばれる。
生まれた子は長崎の跡取りとして送られ、初節句に人形を送る。
その返礼に長崎から赤飯が届き、「長崎の赤飯」という言葉通りになる。
解説
『長崎の赤飯』は、江戸時代の長距離移動の困難さと、その中で貫かれる夫婦愛を描いた壮大な人情噺です。「長崎から赤飯が来る」という言い回しは、「ありえないこと」「突拍子もないこと」を意味する江戸時代の慣用句で、この噺はその言葉を実際に現実にしてしまうという洒落た構成になっています。
物語の見どころは、身重のお園が乞食に変装してまで江戸まで夫を追いかける献身的な愛情と、渡辺喜平次の粋な計らいです。喜平次は町方取締り方という立場でありながら、お園の貞女ぶりに感動し、自分の娘いちと偽って輿入れさせるという大胆な演出で夫婦を結びつけます。この展開は、武士の情けと江戸っ子の粋を体現しています。
「入鉄砲に出女」という関所の厳しい取締りにも触れており、江戸時代の社会制度も巧みに織り込まれています。お園が関所を通過できたのは乞食姿に変装していたからという設定も、当時の現実を反映しています。
最後に実際に長崎から赤飯が届くというオチは、単なる洒落に留まらず、両家の和解と繁栄を象徴する見事な締めくくりとなっています。親子の情、夫婦愛、そして江戸と長崎という遠隔地を結ぶ壮大なスケールを持つ、古典落語の中でも特に感動的な作品の一つです。
あらすじ
昔は何か空想的な突拍子もない話をすると、「そんなことを言うと長崎から赤飯が来る」と言った。
日本橋金吹町の質両替商、金田屋の大旦那の金左衛門は息子の金次郎を勘当してからというもの寂しくてしようがない。
てっきり音信不通、行方知れずと思ってあきらめてはいたが、ある日、かみさんとは手紙のやりとりをしていることを知る。
その手紙の中には、「・・・御父上様、ご眼病の由、・・・驚き入り候えども、遠路のこと故、丸山の梅園身代り天満宮へ日参いたし候・・・」などと書かれている。
かみさんは、勘当された金次郎を伊勢の弥左衛門のところへ預けた。
商用で長崎に行く弥左衛門について長崎に行った金次郎は、廻船問屋の長者屋の一人娘、お園に惚れられて養子に入り、もうすぐ子どもが生まれると、打ち明ける。
かみさん 「・・・あたしもそろそろお暇をいただいて長崎の方へまいりたいと・・・」なんて、金左衛門をあわてさせたりする。
金次郎の居所がわかった金左衛門は番頭の久兵衛を呼んで、息子を長崎から呼び戻す作戦を練る。
久兵衛は金左衛門が大病で明日をも知れぬ身体との手紙を書き、早飛脚で長崎に届けさせた。
びっくりした金次郎、身重のお園は心配だが、父親の死に目に会えないのは不孝を重ねることになると、お園に宛てた手紙を手文庫に入れて、黙って江戸へ旅立った。
帰って見れば金左衛門は元気で拍子抜けだがひと安心、だが、今度は長崎のお園ことが心配になって、
金次郎 「もう一度、長崎に行って子どもが生まれましたあと何とか話をつけてからこちらへ帰り、孝行を尽くしたいと・・・」、一方、金左衛門はずっとこのまま江戸に引き留めておきたくなるのは人情というもの。
また、久兵衛に相談すると、
久兵衛 「一度長崎に帰ったらもうこちらへはお戻りにならないでしょう。・・・若旦那にこちらでお嫁さんをもたせておしまいなさい」
金左衛門 「だって、長崎に嫁さんが・・・そうかそれしか手はないか、そいじゃ急いで嫁を探しておくれ」、これからあちこちに話を持って行く。
まもなく、金田屋の出入りの背負小間物商の重兵衛が、八丁堀岡崎町の町方取締り方の渡辺喜平次の娘、おいちとの縁談話を持ち込んだ。
喜平次は町家でも相当な家であれば嫁がせてもいいというのだ。
早速、金左衛門は渡辺家を訪れておいちさんに会って、その器量の良さ、武家の娘の品格の高さに惚れ惚れ、「もし、倅がいやだというなら、あたしがもらってもいい」なんて、図々しいことまで言っている。
金左衛門は金次郎の気持ちなんぞはそっちのけで、おいちとの縁談を進めてしまう。
一方、遠く離れた長崎のお園は、急に金次郎の姿が見えなくなってあちこちと尋ねたが分からない。
手文庫の手紙を見て江戸に行ったことを知り、婆やに相談する。
婆や 「金次郎様はもうこちらへは帰ってはいらっしゃいませんよ。私がお供いたしますから江戸にお迎えにまいりましょう」ということで、身重のお園と婆やは、書置きを残して江戸へと旅立った。 途中で婆やとははぐれてしまい、女の一人旅となってしまって危ないので、雲助や胡麻の灰から身を守るため乞食同様の姿に変装し顔も汚して、ひたすら江戸を目指して行く。
やっとの思いで江戸に入り、金吹町の金田屋の前に立った時には嬉しさと、安堵から乞食の身なりを変えるのも忘れて店へ飛び込んでしまう。
小僧の定吉に物乞いと間違われて追い払われそうになりながらも、なんとか番頭の久兵衛に会って、長崎から出て来たことを話す。
びっくりした久兵衛から話を聞いた金左衛門が格子から覗くと、腹ぼての女乞食が店の隅に座っている。
困ってうろたえる金左衛門に、
久兵衛 「若旦那は死んだことにして追っ払いましょう」と、むごい提言をする。
金左衛門 「仕方ない、お前、うまくやっておくれ」、久兵衛は顔をくしゃくしゃにして本当に泣きながら、「若旦那はお亡くなりでございます・・・」、気を失いかけて、
お園 「・・・せめてお墓にお参りを・・・」
久兵衛 「おい、定吉、菩提所の深川の霊厳寺へお連れして・・・」、定吉は何を言われているんだかわからずキョトンとしていると、外出していた金次郎が帰って来た。
だまされたと知ったお園さんは金次郎の胸倉をつかんで、
お園 「あんたは・・・死んだなんて言って・・・」、乞食姿、顔も泥だらけででもそこは夫婦の仲、すぐにお園と分かった金次郎はお園を抱えて湯殿できれいさっぱりに身体を洗い、着物を着替えさせて、手を引いて両親の目の前へ。
あまりのお園の変わりように目を白黒させていた金左衛門だが、もう二月足らずで孫の顔が見られると聞いて、おいちとの縁談話などすっかりその気も失せてしまった。
ちょうどそこへおいちとの婚礼の日取りを決めに重兵衛がやって来た。
可哀想なのは番頭の久兵衛だ。
おいちとの縁組は永久に延期なんて言ったもんだから、重兵衛からこっぴどく殴られて泣きっ面だ。
重兵衛から話を聞いた渡辺喜平次が金田屋に乗り込んで来る。
ずかずかと奥座敷に入って、
喜平次 「長崎からまいったという婦人はお前か。ちと取り調べたき事がある」と、有無を言わさずお園を引っ立てて行った。
困った金左衛門 「久兵衛、これから渡辺様へ行ってよくお詫びをして、この二百両をお渡しして、お園さんを連れて帰って来ておくれ」
損な役回りばかりの久兵衛、今度は殴られるだけではすまないんじゃないかと、びくびくで渡辺家の門をくぐった。
案の定、二百両は突き返され、さらに、
喜平次 「お園というのは何だ。
長崎から来るわけがなかろう。・・・東海道へ来れば今切の関、さらには箱根の関所がある。"入鉄砲に出女"と言って、女人の通行は厳しく取り締まれておる・・・急ではあるが今日は日取りもよく、今宵、いちの輿入れをいたすから、さように取り計り願いたい。すぐ立ち帰ってその事をお告げ下さるよう・・・」、急いで久兵衛は店へ立ち帰って、おいち輿入れの件を報告する。
金左衛門 「う~ん、じゃあ今夜婚礼か。・・・たいした支度はいらないよ。
蛤のお吸い物なんざ贅沢だ。蜆(しじみ)のお汁にでもしときな」、それでも店の者総出で松屋橋まで、おいちの駕籠を迎えに行く。
さて、金田屋の座敷で婚礼が始まった。
喜平次 「・・・不束(ふつつか)な者ではあるが手前の娘いち、末永く供白髪まで添い遂げていただきたい。・・・」、扇子でおいちの綿帽子をぱっとはねのけると、
金次郎 「・・・あっ、おまえはお園・・・お父っつぁん、お園ですよ・・・」
金左衛門 「あぁ、こりゃどうも、お料理が粗末過ぎるじゃないか。すぐ取り替えるように・・・」、さすが両替商で現金な親父だ。
喜平次 「・・・お園どのを連れ帰って取り調べたところ・・・夫恋しさのあまりはるばる長崎から艱難辛苦・・・思えば貞女・・・娘いちは以前より剃髪をしたいとの望み、尼になるという・・・これも定まる因縁というもの・・・聞けば長崎では跡目を継ぐ者がないとのこと。このいち(お園)の腹より生まれた子は男女を問わず長崎につかわし、当家は金次郎夫婦が相続をいたしたならば、両家ともよろしからん・・・」と、目出度し目出度し。
月満ちて生まれた子は金太郎と名づけて、長崎の長者屋へ跡取りとして送り届けた。
今年は金太郎の初節句というので十軒店で人形を買って長崎に送ってやった。
その返礼に届いたのが、「長崎の赤飯」だったとか。
落語用語解説
赤飯(せきはん)
もち米と小豆を蒸した祝い事に欠かせない料理。初節句や誕生日など、おめでたい時に食べます。
勘当(かんどう)
親が子を家から追放し、親子の縁を切ること。江戸時代には家の秩序を保つために行われました。
廻船問屋(かいせんどんや)
船で荷物を運ぶ商売を仲介する問屋。長崎は貿易港として栄え、廻船問屋も多く存在しました。
入鉄砲に出女(いりでっぽうにでおんな)
関所での厳重な取締り対象。江戸への武器持ち込みと、人質として江戸に留め置かれた大名の妻女が国元へ逃げ帰ることを防ぐための制度です。
箱根の関所
東海道の要所にあった関所。特に女性の通行は厳しく取り締まられました。
質両替商(しちりょうがえしょう)
質屋と両替商を兼ねた商売。金田屋は日本橋の有力商人という設定です。
番頭(ばんとう)
商家の使用人の中で最も位の高い人。店の実務を取り仕切る重要な役職です。
早飛脚(はやびきゃく)
急ぎの手紙や荷物を運ぶ飛脚。江戸と長崎間は約千キロあり、通常便でも十数日かかりました。
町方取締り方(まちかたとりしまりかた)
江戸の治安維持を担当する役職。町奉行の配下で、町の警察のような役割を果たしました。
綿帽子(わたぼうし)
花嫁が婚礼の際にかぶる白い布。顔を隠すために使われ、披露宴で取り除かれます。
輿入れ(こしいれ)
嫁が輿に乗って婿の家に入ること。正式な婚礼の儀式です。
初節句(はつぜっく)
生まれた子が初めて迎える節句。男児なら五月、女児なら三月に祝います。
よくある質問 FAQ
Q1: 「長崎から赤飯が来る」という言い回しはどういう意味ですか?
A1: 江戸時代の慣用句で「ありえないこと」「突拍子もないこと」を意味します。江戸と長崎は約千キロ離れており、当時の交通手段では赤飯のような保存の難しい食べ物が届くことは不可能だったため、このような言い回しが生まれました。
Q2: なぜお園は関所を通過できたのですか?
A2: 乞食姿に変装していたためです。「入鉄砲に出女」という厳しい取締りは、大名の妻女が江戸から国元へ逃げ帰ることを防ぐためのものでした。乞食姿であれば武家の女性とは思われず、関所を通過できたという設定です。
Q3: 渡辺喜平次はなぜお園を助けたのですか?
A3: お園の貞女ぶりに感動したからです。身重の体で長崎から江戸まで夫を追いかけてきた献身的な愛情と、取り調べでの気品ある態度に心を打たれ、娘いちと偽って輿入れさせるという粋な計らいをしました。これは武士の情けと江戸っ子の粋を体現しています。
Q4: 金左衛門はなぜ息子を騙して江戸に呼び戻したのですか?
A4: 勘当した息子を許して家に戻したかったが、親の意地もあって素直に呼び戻せなかったためです。「父危篤」という嘘で呼び戻し、江戸に留めるために縁談話を進めるという強引な方法は、不器用な親の愛情を表現しています。
Q5: 生まれた子を長崎に送ったのはなぜですか?
A5: 渡辺喜平次の提案によるものです。長崎の長者屋には跡取りがおらず、金田屋には金次郎がいるため、生まれた子を長崎の跡取りとして送ることで両家の繁栄を図りました。これにより金次郎とお園は江戸に残り、両親の近くで暮らせることになります。
Q6: この噺の教訓は何ですか?
A6: 夫婦愛の強さと親子の情の深さを描いた人情噺で、明確な教訓というより感動を与える物語です。ただし、「親の愛情は時に不器用で強引」「真実の愛は困難を乗り越える」「人の真心は人を動かす」といったメッセージが込められています。
名演者による口演
六代目三遊亭圓生
圓生の「長崎の赤飯」は壮大なスケールを丁寧に描き、お園の健気さと喜平次の粋な計らいを感動的に演じました。
五代目古今亭志ん生
志ん生は番頭久兵衛の損な役回りを面白おかしく演じ、人情噺の中に笑いを織り交ぜる絶妙なバランスでした。
三代目古今亭志ん朝
志ん朝はお園の旅路の描写が詳細で、身重の体で千里を駆ける苦難を聴衆に実感させる演出が見事でした。
八代目桂文楽
文楽は金左衛門の親としての不器用な愛情と、喜平次の武士らしい粋を対比させて描き、格調高い高座を作り上げました。
五代目柳家小さん
小さんは最後に実際に長崎から赤飯が届く場面を印象的に演じ、タイトル回収の見事さを強調しました。
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西国街道の旅を描く噺。長距離の旅という設定で関連性があります。
この噺の魅力と現代への示唆
「長崎の赤飯」の最大の魅力は、江戸と長崎という遠隔地を舞台にした壮大なスケールと、その中で貫かれる夫婦愛と親子の情です。身重のお園が千里の道を駆けて夫を追いかける姿は、現代の交通機関が発達した時代では想像しにくい困難を伴うものでした。
「長崎から赤飯が来る」という慣用句を実際に現実にしてしまうという構成も見事です。最初は「ありえないこと」の比喩として語られる言葉が、物語の最後に本当に実現するという展開は、落語ならではの洒落た仕掛けです。
金左衛門の不器用な親心も印象的です。息子を許したいのに素直になれず、嘘の手紙で呼び戻し、江戸に留めるために勝手に縁談を進めるという強引な方法は、現代の毒親を思わせる面もありますが、当時の親の権威と愛情の表現として描かれています。
番頭久兵衛の損な役回りも面白いポイントです。主人の命令で嘘をつき、殴られ、詫びに行かされるという立場は、サラリーマンの悲哀にも通じます。しかし、これも江戸時代の奉公人の忠義として描かれています。
渡辺喜平次の粋な計らいは、この噺のハイライトです。町方取締り方という立場でありながら、お園の貞女ぶりに感動し、娘いちと偽って輿入れさせるという大胆な演出は、武士の情けと江戸っ子の粋を象徴しています。形式にとらわれず、真心を重んじる姿勢は現代でも学ぶべき点です。
「入鉄砲に出女」という関所制度も歴史的に興味深い要素です。江戸幕府の支配体制を維持するための政策で、大名の妻女を人質として江戸に留め置き、国元への逃亡を防ぐという仕組みでした。お園が乞食に変装して関所を通過したという設定は、この厳しい制度を巧みに物語に織り込んでいます。
現代への示唆としては、「真実の愛は困難を乗り越える」というメッセージがあります。お園の献身的な愛情は、現代の遠距離恋愛や国際結婚にも通じるテーマです。距離や障害があっても、真心があれば乗り越えられるという普遍的な真理を描いています。
また、「親子の和解」というテーマも重要です。金左衛門は勘当した息子を許し、結局は孫の顔を見て喜びます。現代でも親子の確執は多く存在しますが、最終的には血のつながりが勝るという人間の本質を感じさせます。
生まれた子を長崎の跡取りとして送るという解決策も興味深いです。両家の利益を考えた合理的な判断で、現代のビジネスでいう「ウィンウィンの関係」を築いています。家と家の繋がりを重視する江戸時代の価値観が反映されています。
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