水屋の富
3行でわかるあらすじ
水屋の親八が富くじで八百両という大金を当てる。
縁の下に隠すが、盗まれる不安で疑心暗鬼になり仕事も手につかない。
ヤクザ者に盗まれてしまうが「これで苦労がなくなった」と安堵する。
10行でわかるあらすじとオチ
深川で水売りをする貧しい水屋が、一攫千金を夢見て富くじを買う。
なんと千両の大当たりで、即金で八百両を受け取る。
大金の隠し場所に困り、縁の下の丸太に釘を打って風呂敷包をぶら下げる。
泥棒や強盗に襲われる夢ばかり見て、まともに眠れなくなる。
朝晩、竿で風呂敷包の存在を確認することが日課になる。
仕事にも身が入らず、お得意先からは遅刻を叱られる毎日。
不審な行動に気づいたヤクザ者が留守中に忍び込む。
縁の下の風呂敷包を発見し、中身を確認すると大金だった。
ヤクザ者は風呂敷包を持って逃走してしまう。
帰宅した水屋は盗まれたことを知り「ああ、これで苦労がなくなった」と安堵する。
解説
「水屋の富」は、大金を得たことで却って不幸になってしまうという、人間の皮肉な心理を描いた古典落語です。原話は文政10年(1813年)刊行の笑話本「百成瓢」の「富の札」で、水屋がノイローゼになる場面は安永3年(1774年)の「仕形噺」から取り入れられています。
この噺の見どころは、貧乏から一転して大金持ちになった水屋が、金を失う恐怖に取り憑かれて疑心暗鬼になっていく心理描写です。毎日竿で確認する滑稽な姿や、お得意先で叱られる情けなさが、笑いを誘います。
オチの「これで苦労がなくなった」は、石田梅岩の石門心学における「あきらめの勧め」に通じる深い意味を持っています。金銭への執着から解放されたことで、初めて心の平安を取り戻すという、江戸時代の庶民の価値観が表れた名作です。
あらすじ
深川界隈の家々を回って水を売っている水屋。
一日も休めず、水桶は重たいし、儲けなどはほとんどなく貯えもない。
年を取って来てきつい仕事はやめて何か商売でも始めたいと思っちゃいるが元手もない。
その年の暮れ、当たるはずもないと思いながらも湯島天神の富くじを一枚買った。
これが千両の大当たり。
春まで待てば千両全部貰えるが、すぐには八百両だという。
八百両で御の字、商売の元手にも十分過ぎると受け取って長屋に帰った。
さてこの金をどう使うかより、どこへ置いておこうかで悩み始める。
押入れの葛籠(つづら)の底、神棚の上など、どこへ置いても不安だ。
と言っても持ち歩くには重過ぎる。
思案の末、畳をはがし、縁の下の丸太に太い釘を打ち、そこに八百両を包んだ風呂敷包をぶら下げた。
さあ、これでひと安心。
水屋の代わりが見つかるまで水屋を続けようと寝床に入るが、泥棒に入られたり強盗に襲われたりする夢を見て、まんじりともしない。
翌朝、長い竿(さお)を縁の下に差し入れて風呂敷包に当たるのを確認してから商売に出る。
長屋の路地を出る前から行き交う人たちが怪しく見えてなかなか商売に行けない。
いつもの時間に来ない水屋を行く先々のお得意の家々は、「遅いじゃないか!今頃まで何してんだ・・・」と怒らっれぱなしだ。
回り終えて疲れて長屋へ帰って、竿で縁の下の風呂敷包を確認するのが唯一の楽しみではあるが、心配事、苦労でもある。
そして寝ると八百両盗まれたり、殺されたりする悪い夢ばかり。
次の日、次の日も遅刻して家々を回る日が続く。
早く代わりを見つけて辞めたいがなかなか見つからない。
ある日、水屋の前の長屋のヤクザ者が、毎日、水屋が朝と晩に縁の下に竿を入れていることに気がつき不審に思った。
水屋が仕事に出掛けた留守を狙って忍び込んで、畳をめくって見ると縁の下に風呂敷包がぶら下がっている。
開けてびっくりの大金に、「しめた!」とヤクザ者は風呂敷包を抱えてとんずらしてしまった。
その晩、疲れて帰って来た水屋、いつものように縁の下に竿を入れても何の手応えもない。
あわてて家の中に入ると畳はめくれたまま、風呂敷包は消えていた。
水屋 「・・・ああ、これで苦労がなくなった」
落語用語解説
この演目に登場する落語ならではの言葉や、江戸時代の文化について解説します。
- 水屋(みずや):江戸時代、井戸のない家々に水を売り歩く商売。水桶を天秤棒で担いで運ぶ重労働で、貧しい職業の代表だった。
- 富くじ(とみくじ):江戸時代の宝くじ。寺社の修繕費用を集めるために行われ、湯島天神や目黒不動などが有名だった。
- 八百両(はっぴゃくりょう):江戸時代の通貨単位。現代の価値で約8000万円から1億2000万円に相当する大金。
- 千両(せんりょう):富くじの最高額。春まで待てば全額もらえるが、すぐに受け取ると八百両になるという設定。
- 縁の下(えんのした):床下のこと。江戸時代の家屋は床が高く、縁の下に物を隠すことができた。水屋は丸太に釘を打って風呂敷包をぶら下げた。
- 葛籠(つづら):竹や柳で編んだ衣類入れの箱。当時の庶民の貴重品入れだったが、水屋は盗まれる不安から使わなかった。
- 竿(さお):長い棒。水屋は毎朝晩、竿を縁の下に差し入れて風呂敷包に当たることを確認するのが日課になった。
- 疑心暗鬼(ぎしんあんき):疑いの心があると、なんでもないことまで恐ろしく思えること。水屋は大金を持ったことで、誰もが泥棒に見えるようになった。
- とんずら:逃げ出すこと。ヤクザ者が大金を持って逃走する様子を表す江戸言葉。
- あきらめの勧め:石門心学における教え。執着を捨てることで心の平安を得るという思想で、オチの「苦労がなくなった」に通じる。
よくある質問 FAQ
Q1: なぜ水屋は富くじを買ったのですか?
A: 年を取ってきつい水売りの仕事をやめて別の商売を始めたいと思っていましたが、元手がありませんでした。一攫千金を夢見て、当たるはずもないと思いながらも湯島天神の富くじを一枚買ったのです。これは当時の貧しい庶民が抱いていた典型的な夢でした。
Q2: なぜ春まで待たずにすぐ受け取ったのですか?
A: 千両全額もらえる春まで待つより、すぐに八百両を受け取ることを選びました。商売の元手としては八百両でも十分過ぎる大金であり、また長く待つ間に何か問題が起きる不安もあったのでしょう。せっかちな江戸っ子の性格が表れています。
Q3: なぜ縁の下に隠したのですか?
A: 押入れの葛籠の底や神棚の上など、どこに置いても盗まれる不安があり、かといって持ち歩くには重すぎたからです。思案の末、畳をはがして縁の下の丸太に釘を打ち、そこに風呂敷包をぶら下げるという方法を思いつきました。人目につかない場所として選んだのです。
Q4: なぜ水屋は仕事が手につかなくなったのですか?
A: 大金を失う恐怖に取り憑かれ、泥棒や強盗に襲われる悪夢ばかり見てまともに眠れなくなったからです。毎朝晩、竿で風呂敷包を確認することに時間を取られ、行き交う人が皆怪しく見えて商売に出かけるのも遅れます。お得意先では遅刻を叱られる日々が続きました。
Q5: ヤクザ者はどうやって大金のことを知ったのですか?
A: 前の長屋に住むヤクザ者が、水屋が毎日朝と晩に縁の下に竿を入れている不審な行動に気づいたからです。留守を狙って忍び込み、畳をめくって縁の下を調べると風呂敷包が吊るしてあり、開けてみたら大金だったのです。不審な行動が盗難を招いたという皮肉な展開です。
Q6: オチの「これで苦労がなくなった」とはどういう意味ですか?
A: 大金を盗まれて失ったことで、金を失う不安や恐怖から解放され、心の平安を取り戻したという意味です。八百両という大金を得たことで却って不幸になり、失ったことで幸せになるという皮肉な人間心理を表現した名台詞です。金銭への執着の愚かさを風刺しています。
名演者による口演
この演目は多くの名人によって演じられてきました。
- 三遊亭圓生(六代目):水屋の疑心暗鬼に陥る心理描写が緻密で、竿で確認する仕草が印象的な名演。
- 古今亭志ん生(五代目):水屋の貧しさと大金を得た喜び、そして不安への変化を愛おしく演じた口演。
- 柳家小三治:水屋のノイローゼ状態を丁寧に描き、最後の安堵の表情が印象的な演出。
- 桂米朝(三代目):上方版として演じ、関西弁での心理描写に独特の味わいを加えた解釈。
- 春風亭柳朝(五代目):富くじの当選から盗難まで、テンポよく展開し、オチの余韻が秀逸。
関連する落語演目
富くじや金銭への執着を描いた演目をご紹介します。
https://wagei.deci.jp/wordpress/koudunotomi/
富くじを題材にした噺。宝くじという共通テーマがあります。
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富くじに関する噺。江戸時代の宝くじ文化を描いています。
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夫婦の情愛を描いた人情噺。貧しくても幸せという対照的なテーマを持つ名作です。
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家族の絆を描いた噺。金銭より大切なものという共通のテーマがあります。
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思い込みを描いた噺。疑心暗鬼という心理状態が共通しています。
この噺の魅力と現代への示唆
「水屋の富」の最大の魅力は、大金を得たことで却って不幸になってしまうという、人間心理の皮肉を描いた構成にあります。貧しい水売りが一攫千金の夢を叶え、八百両という大金を手にします。しかしそこから始まるのは、金を失う恐怖に取り憑かれた地獄の日々です。
水屋の心理描写は見事です。縁の下に隠した風呂敷包を、毎朝晩、竿で確認することが日課になります。泥棒や強盗に襲われる悪夢ばかり見て、まともに眠れません。行き交う人が皆怪しく見え、商売に出かけるのも遅れます。お得意先では「遅いじゃないか!」と叱られる毎日です。貧乏だった頃の方が、よほど心穏やかだったことが分かります。
そして最後のオチは深い意味を持ちます。ヤクザ者に大金を盗まれた水屋が「ああ、これで苦労がなくなった」と安堵するのです。八百両を失ったことで、金を失う不安から解放され、心の平安を取り戻したのです。この結末は、石田梅岩の石門心学における「あきらめの勧め」に通じる思想で、執着を捨てることで真の幸福を得るという教えが込められています。
現代社会でも、宝くじの高額当選者が不幸になる事例は少なくありません。大金を得ることで人間関係が壊れ、金銭トラブルに巻き込まれ、却って不幸になるのです。この噺は、真の幸福は金銭の多寡ではなく心の持ちようにあるという、普遍的な真理を笑いと共に教えてくれる名作と言えるでしょう。
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