廓大学
廓大学(くるわだいがく)は、道楽息子の若旦那が四書五経の「大学」を遊廓版にパロディ化し、父親を煙に巻く言葉遊びの傑作です。「格子(孔子)の内におります」と、儒学と廓言葉を見事に掛けて落とす知的な構成が聴きどころ。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演目名 | 廓大学(くるわだいがく) |
| ジャンル | 古典落語・滑稽噺 |
| 主人公 | 若旦那(道楽息子) |
| 舞台 | 商家の二階 |
| オチ | 「格子(孔子)の内におります」 |
| 見どころ | 儒学の経典を遊廓でパロディ化する高度な言葉遊び |
3行でわかるあらすじ
道楽息子の若旦那が父親に勉強しているふりをするため、吉原細見を隠して四書五経の「大学」を読んでいるように装う。
父親に問い詰められると、儒学の「大学」を遊廓でパロディ化した「廓大学」を即興で作り上げて披露する。
遊女の名前を儒者の先生として紹介し、「格子(孔子)の内におります」という言葉遊びでオチをつける。
10行でわかるあらすじとオチ
道楽が過ぎて二階に軟禁状態の若旦那を、番頭が様子を見に行くと四書五経を読んでいる。
番頭は若旦那が改心したと思い込み、大旦那に報告して喜ばれる。
しかし実際の若旦那は吉原細見を読みながら遊廓のことばかり考えている。
父親が様子を見に来ると、慌てて吉原細見を隠し「大学」を読んでいたと言い訳する。
父親が「大学朱熹章句」を読んでみろと言うと、若旦那は機転を利かせて「廓大学」を創作する。
「大客朱熹章句、ご亭主の曰く、大概は格子の嘘にして諸客床に入るの門なり」と遊廓版「大学」を披露。
父親が吉原の車夫の話はどこに書いてあるかと問うと、「娼の門の前に曰く、日々荒っぽく」と応じる。
父親が細見を見つけて問い詰めると、「玉章、松山」という遊女を儒者の先生だと言い張る。
父親が「そんな先生どこにいる」と聞くと、若旦那は巧妙に答える。
「格子(孔子)の内におります」と、孔子と格子(遊廓の窓)をかけた言葉遊びでオチとなる。
解説
「廓大学」は江戸落語の言葉遊びと教養を組み合わせた代表的な作品で、儒学の経典である四書五経の「大学」を遊廓の世界でパロディ化した傑作です。
この落語の背景には、江戸時代の武士階級が必修として学んだ漢学の素養があり、当時の観客は「大学朱熹章句」などの原典を知っていたからこそ、そのパロディの絶妙さを理解できました。
物語の核心は、正統な儒学の道徳書を「究極の遊女買いの手引書」に置き換えるという「並外れた反逆精神」にあります。
若旦那が即興で創作する「廓大学」は、原典の「大学は孔子の遺書にして、諸学に入るの門なり」を「大概は格子の嘘にして、諸客床に入るの門なり」と見事にパロディ化し、儒学の権威を茶化しています。
最後の「格子(孔子)の内におります」という言葉遊びは、聖人孔子と遊廓の格子を重ね合わせた高度な言語技巧で、江戸の庶民の知的ユーモアの結晶と言えます。現代では儒学の基礎知識を持つ人が少なくなったため、この落語の真の面白さを理解するのは困難ですが、江戸時代の教養と娯楽が見事に融合した文化的価値の高い作品として評価されています。
聴きどころは、若旦那が即興で「廓大学」を創作していく過程です。原典の文の構造を保ちながら、一語一語を遊廓の世界に置き換えていく技巧は、落語家の語りの腕が問われる場面でもあります。また、父親が次第に言い負かされていく展開は、権威が若者の機転に敗れるという痛快さがあり、当時の庶民が日頃の鬱憤を晴らす格好の笑いとなっていました。
成り立ちと歴史
「廓大学」は江戸時代中期から後期にかけて成立したとされる江戸落語の演目です。当時の寺子屋教育で「大学」の素読が行われていたことを背景に、庶民が身につけた漢学の素養を遊びに転用するという、江戸の町人文化を象徴する作品です。原典の「大学朱熹章句」は朱子学の基本テキストとして武士階級の必修科目でしたが、町人にとっては窮屈な学問の象徴であり、それを茶化すことに痛快さがありました。
江戸時代、吉原遊廓は単なる遊興の場にとどまらず、文芸・芸能の発信地としても機能していました。吉原細見は定期的に刊行される遊廓のガイドブックで、遊女の名前や格付けが記されたもので、若旦那がこれを「大学」と偽って読んでいるという設定は、当時の若旦那衆の実態を反映しています。「細見のにくいところへ穴をあけ」という劇中に登場する川柳も、実際に吉原を題材にした川柳が多く詠まれていた時代背景を示しています。
演者の系譜としては、五代目古今亭志ん生がこの噺の名手として知られ、江戸っ子の教養と洒落を体現する口演で評判を取りました。その子息である三代目古今亭志ん朝も父から受け継ぎ、より洗練された語り口で現代の観客にもパロディの面白さを伝えました。柳家小三治は原典との対比を丁寧に描く演出で定評があり、立川談志は若旦那の「知的反逆」という側面を独自に強調しました。現代では原典を知る観客が少なくなったため、演者が「大学」の一節を先に紹介してからパロディを披露する工夫も見られます。
あらすじ
道楽が過ぎて二階に軟禁状態の若旦那。
大旦那はもう勘当しかないとも考えている。
二階の様子があまりにも静かなので、心配した番頭が上がってみると若旦那はなにか難しそうな本を読んでいる。
番頭 「いつもとは違ってお堅い本を・・・なんでございます」
若旦那 「これは大学、これは中庸、論語に孟子だよ。
親父がこのとおり四書五経やらいろんな書物を買って横丁の漢学の先生に頼んで勉強させてくれた。その親の恩も顧みず、放蕩に身を持ち崩したのは情けないし、詫びても詫びきれない・・・」と、やけに殊勝な言い草だ。
番頭は若旦那が本当に反省、改心したものと思い込んで、大旦那に報告する。
大旦那 「そうか、今まであいつには随分とだまされてきたが、大学の素読でもしているようなら今度の改心は間違いないだろう」と、ほっと安心しているが、二階の若旦那は番頭がいなくなると、「吉原細見」なんぞを開きながら、一人で吉原の思い出などをぐずぐずと喋っている。
若旦那 「・・・おやじは吉原へ行きさえすれば必ず騙されると思っていやがる。
廓でおれぐれえの顔になれば、仲の町を通れば芸者でも若い衆(し)でも幇間でもおれにあいさつしなければむこうで恥かくてえ様子も知らんで、女郎を買えば瘡かくなんて言いやがる。・・・世の中、開化開化で騒いじゃいるが、吉原には昔のままところがある。大門近辺の車夫なんぞは毎日、江戸の華の喧嘩を稼業にしているようなもんだ。・・・どうかして親父を廓へ一ぺん連れてって、おれが花魁や芸者に可愛がられ、たいそう売れているところを見せてやりたいね。・・・この細見を見ると古い川柳を思い出すよ。"細見のにくいところへ穴をあけ"、ちくしょう、どうしても今夜行きたくなってきやがったよ・・・」、夢中になっていたが後ろに人の気配を感じてひょいと後ろを振り向くと、何とも言えない表情を浮かべて親父が立っている。
大旦那 「おや、だいぶご勉強だ、番頭からお前さんは改心なさって素読をしていると聞いたが、後ろで立ち聞きしていたら、おまえ夢中になって廓の話をしていたようだが、なんの本を素読していたんだね?」
若旦那 「へえ、大学の素読をしていました」
大旦那 「お前さんが子どものころ、漢学の先生のところから帰って来て、「大学朱熹章句・・・」と言うのを聞きなれていたぞ。
今読んでいたのとは少し違うようだからちょっと読んで聴かせてくれ」
若旦那 「これは今度できました廓大学と申して新規に文部省が作った大学で・・・へへぇ」
大旦那 「いちいち断らずに早く読んでみろ」
若旦那 「ええ、大客朱熹章句、『ご亭主の曰く、大概は格子の嘘にして諸客床に入るの門なり。
独りこの辺の損するによる。
本望之に伏す。
客者必ず其の迷わざるに庶(ちか)し』
(子程曰く、大学は孔子の遺書にして、諸学徳に入るの門なり。
独りこの篇の存するによる。
而して論孟之に次ぐ。
学者必ず其のたがわざるに庶からん)
大旦那 「そこには、吉原の大門の車夫は荒っぽくて毎日喧嘩するてぇなことが書いてあるのか?」
若旦那 「へえ、『娼の門の前に曰く、日々荒っぽくしてまた日に荒っつぽく』、とな」
(湯(とう)の盤の銘に曰く、日々に、あらたに、また日にあらたなり)
二人の廓大学問答は続いて行く。
いい加減におちょくられて堪忍袋の緒を切らして、
大旦那 「どれ見せろ!これは細見じゃないか。馬鹿にしおって。"玉章(たまずさ)、松山(まつやま)"、なんだこれは」
若旦那 「恐れながら、儒者ですよ。号を松山(しょうざん)先生、玉章(ぎょくしょう)先生いうお方です」
大旦那 「こんな先生どこにいるんだ」
若旦那 「一緒に行ってごらん遊ばせ、格子(孔子)の内におります」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 四書五経(ししょごきょう) – 儒学の基本経典。四書は「大学」「中庸」「論語」「孟子」、五経は「易経」「詩経」「書経」「礼記」「春秋」を指します。江戸時代の武士階級は必修として学びました。
- 大学朱熹章句(だいがくしゅきしょうく) – 四書の一つ「大学」に朱熹(南宋の儒学者)が注釈を加えた版。「大学は孔子の遺書にして、諸学に入るの門なり」という有名な冒頭文があります。
- 吉原細見(よしわらさいけん) – 吉原遊廓の遊女や店の情報を掲載したガイドブック。遊女の名前、格付け、所属する店などが記載されており、吉原遊びの必携書でした。
- 格子(こうし) – 遊廓の店先にある格子窓のこと。遊女が格子越しに客を迎える様子は吉原の象徴的な風景でした。この噺では「孔子(こうし)」との掛詞になっています。
- 花魁(おいらん) – 吉原の最高級遊女。位の高い遊女は「花魁」と呼ばれ、豪華な装いで道中を練り歩く「花魁道中」が有名でした。
- 仲の町(なかのまち) – 吉原遊廓のメインストリート。両側に遊女屋が並び、桜が植えられた華やかな通りで、吉原遊びの中心地でした。
- 大門(おおもん) – 吉原遊廓の唯一の出入口。この門を境に別世界が広がっていました。門の近くには客を乗せる車夫たちが待機していました。
- 玉章(たまずさ)・松山(まつやま) – 吉原細見に実際に載っていた遊女の名前。若旦那はこれを儒者の「玉章(ぎょくしょう)先生」「松山(しょうざん)先生」と言い張ります。
よくある質問(FAQ)
Q: 「廓大学」のパロディはどのくらい正確なのですか?
A: 非常に巧妙です。原典の「大学は孔子の遺書にして、諸学に入るの門なり」を「大概は格子の嘘にして、諸客床に入るの門なり」とパロディ化し、文の構造を保ちながら遊廓の世界に置き換えています。当時の観客は原典を知っていたからこそ、このパロディの絶妙さに笑えたのです。
Q: なぜこの落語は江戸時代の教養を知らないと理解しづらいのですか?
A: この噺の面白さの核心は、儒学の権威ある経典「大学」を遊廓の世界でパロディ化するという「知的な反逆」にあります。原典を知らないとパロディの妙味が分からず、単なる言葉遊びにしか見えないため、現代では理解が難しくなっています。
Q: 吉原細見は実在したのですか?
A: はい、実在しました。江戸時代から明治時代にかけて定期的に発行されていた吉原遊廓のガイドブックで、遊女の名前、店の情報、格付けなどが記載されていました。吉原遊びをする男性の必携書でした。
Q: 「格子の内におります」というオチの意味は?
A: 「孔子(こうし)」と「格子(こうし)」の音が同じことを利用した掛詞です。父親が「そんな先生(儒者)はどこにいる」と問うと、若旦那は「格子(遊廓の格子窓)の内におります」と答えることで、「孔子先生も遊廓にいる」という二重の意味を持たせています。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。吉原遊廓(江戸)を舞台にしており、江戸の庶民文化と儒学の教養が融合した作品です。上方では新町や島原が遊廓でしたが、この噺は吉原を舞台にしています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 江戸っ子の教養と洒落を体現した名人で、この「廓大学」でも若旦那の機転と父親とのやり取りを絶妙に演じました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 父・志ん生から受け継いだこの噺を、より洗練された語り口で演じました。パロディの妙味を現代の観客にも分かりやすく伝える工夫が見られました。
- 柳家小三治 – 古典の教養を重んじる演出で知られ、この噺でも原典「大学」とパロディの対比を丁寧に描きました。
- 立川談志 – 独自の解釈で、若旦那の「知的な反逆」という側面を強調した演出を見せました。
関連する演目
同じく「吉原遊廓」を舞台にした古典落語



「言葉遊び」が秀逸な古典落語



「道楽息子」を主人公にした古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「廓大学」は、江戸落語の知的ユーモアと言語芸術が結晶した傑作です。最後のオチ「格子(孔子)の内におります」は、聖人孔子と遊廓の格子窓を重ね合わせた高度な掛詞で、江戸庶民の教養の高さと反骨精神を象徴しています。
この噺の本質は、単なる言葉遊びではなく、儒学という当時の「権威」を茶化すという「知的な反逆」にあります。若旦那は父親を騙すために即興で「廓大学」を創作しますが、その内容は原典の構造を完璧に踏襲しながら、意味を180度転換させるという高度な技巧です。
「大学は孔子の遺書にして、諸学に入るの門なり」(大学は学問の入り口である)を「大概は格子の嘘にして、諸客床に入るの門なり」(遊廓の格子の嘘が客を床に入れる入り口である)とパロディ化する発想は、現代で言えば「真面目な学術書をエンタメに翻案する」ような大胆さがあります。
現代では儒学の素養を持つ人が少なくなり、この噺の真の面白さを理解するのは困難になっています。しかし、「権威をパロディ化する」「真面目な世界と遊びの世界を対比させる」という構造は普遍的で、現代でも「ビジネス書vs遊びの極意」のような形で応用できるテーマです。
また、若旦那の「吉原では自分は顔が利く」という自慢や、「親父を連れて行って見せたい」という願望は、若者の承認欲求を描いており、時代を超えた共感を呼びます。
実際の高座では、原典「大学」の一節を先に紹介してから「廓大学」を披露する演者もおり、対比を明確にすることでパロディの妙味を現代の観客にも伝える工夫が見られます。教養と娯楽が見事に融合した江戸文化の粋を、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。
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