首提灯
3行でわかるあらすじ
品川遊興の帰り道で田舎侍に道を聞かれた男が、相手を見くびって悪口雑言を浴びせ痰まで吐きかける。
侍の羽織を汚したことで堪忍袋の緒が切れた侍に居合で首を斬られるが、男は首を斬られたことに気づかず歩き続ける。
やがて首がグラグラして斬られたことに気づくが、火事の混雑で自分の首を提灯代わりに掲げて通り抜ける。
10行でわかるあらすじとオチ
金が入って品川宿のなじみの女の所へ遊びに行った男が、機嫌よくほろ酔い加減で帰路についている。
芝山内の追いはぎの出る寂しい場所で「おい、待て」と声をかけられ、追いはぎかと思いきや背の高い侍だった。
侍は田舎なまりで「麻布にめえるには、どうめえる」と道を聞いてきただけだった。
男は追いはぎでなくほっとして田舎侍と見くびり、「丸太棒、ぼこすり野郎、かんちょうれい」と悪口雑言を浴びせ始める。
調子に乗った男はさらに侍に痰を吐きかけ、身をかわした侍が「行け」と言ってもまた痰を浴びせた。
今度は痰が侍の羽織にかかり、それが殿様から拝領した大事な羽織だったため侍の堪忍袋の緒が切れる。
侍は居合腰で男の首を一刀のもとに斬り落として立ち去る。
男は首を斬られたことに気づかず「広い世間にあなたがいなきゃ」と鼻歌交じりで歩くが、声が漏れて首も横から後ろへ回る。
首に触ると血がべっとりついてやっと斬られたことに気づき、首をささえながら歩く。
前方で半鐘が鳴り大勢の人が駆け出してくる火事の大混雑で、男は壊れ物の首が危険と判断し、自分の首をひょいと差し上げて提灯代わりにして「はいごめんよ」と言いながら通り抜ける。
解説
「首提灯」は江戸時代の超自然的ホラーコメディ落語で、現実離れした設定を堂々と描いた異色作です。
この落語の特徴は、首を切られた後も男が平然と歩き続けるという超自然的な状況を、まるで日常の出来事のように淡々と描いている点です。
男の傲慢さと侍への無礼が招いた結果でありながら、その後の展開は完全にナンセンスコメディとなっています。
特に秀逸なのは、火事の混雑という実際的な問題に対して、自分の首を提灯代わりにするという荒唐無稽な解決策を提示するオチです。
「首提灯」というタイトル自体がオチを示しており、視覚的なインパクトと言葉遊びを組み合わせた落語らしい構成になっています。
江戸時代の身分制度や武士の名誉感を背景にしながらも、最終的には完全に非現実的な世界に突入する、落語の持つ自由さと創造性を象徴する作品といえます。
あらすじ
金が入って品川宿のなじみの女の所へ遊びに行く男。
ほろ酔い加減で、機嫌もよく気も大きい。
増上寺の鐘を聞きながら、芝山内の追いはぎの出るというさみしい所へさしかかると、「おい、待て」と声がかかる。
てっきり追いはぎと思いきや、背の高い侍だった。「何かようか、おじさん」と問うと、「麻布にめえる(参る)には、どうめえる」と田舎なまりで聞いてきた。
追いはぎでなくほっとし、田舎侍と見くびった男は、「丸太棒、ぼこすり野郎、かんちょうれい、二本差しが怖くて焼き豆腐が食えるか」と言いたい放題、悪口雑言を浴びせ、悪態をつき始める。
さらに調子に乗った男は侍に痰(たん)を吐きかける。
身をかわした侍は「行け」というが、男は図に乗ってまた、痰を浴びせた。
これが侍の羽織にかかった。
殿様から拝領した大事な羽織を侮辱され、堪忍袋の緒が切れた侍、腰をひねって抜き手も見せない居合腰で、男の首を斬って、そのまま立ち去る。
首を斬られたことも知らずに品川に向かう男、「広い世間にあなたがいなきゃ、こんな苦労はしやすまい」なんて鼻歌まじりだが、声が漏れる。
首も横から後ろへ回り始めた。
グラグラして来た首にさわると血がべっとり、やっと斬られたことが分かった男、首をささえながら歩いていく。
すると前方で半鐘の音、大勢の人が邪魔だ、邪魔だと駆け出して来て大混雑で、壊れ物の首が危ない。
困った男、自分の首をひょいと差し上げると提灯がわりに、
「はいごめんよ、はいごめんよ、はいごめんよ」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 品川宿(しながわしゅく) – 東海道五十三次の第一番目の宿場町。江戸四宿の一つで、遊郭も併設されていました。江戸から一番近い宿場町として、江戸の庶民が遊びに行く場所でした。
- 芝山内(しばさんない) – 増上寺の境内とその周辺地域のこと。増上寺は徳川家の菩提寺で広大な敷地を持っていましたが、夜は人通りが少なく追いはぎが出ると恐れられていました。
- 居合(いあい) – 抜刀術の一種で、刀を鞘に納めた状態から素早く抜いて斬る武術。「居合腰」は居合の構えのことで、抜き手も見せずに一瞬で斬るという意味です。
- 丸太棒(まるたんぼう) – 丸太のように太く不格好な体つきの人を罵る言葉。田舎侍を馬鹿にして言う悪口です。
- ぼこすり野郎(ぼこすりやろう) – 江戸時代の罵倒語。「ぼこすり」は田舎者や野暮な人を指す言葉で、洗練されていない人を嘲笑う表現です。
- かんちょうれい – 「勘定例」が訛ったもので、「金勘定もできない馬鹿」という意味の罵倒語。田舎者を馬鹿にする江戸っ子の言葉です。
- 二本差し(にほんざし) – 大小二本の刀を差した武士のこと。武士の象徴であり、町人は一本差しすら許されませんでした。「二本差しが怖くて焼き豆腐が食えるか」は、武士を恐れないという強がりの表現です。
- 拝領(はいりょう) – 目上の人や主君から物を賜ること。殿様から拝領した羽織は武士にとって何よりも大切な宝物であり、それを汚すことは殿様を侮辱することと同じでした。
- 半鐘(はんしょう) – 火事を知らせるための鐘。江戸では火事が頻繁に起きたため、半鐘の音は緊急事態を示す合図でした。
よくある質問(FAQ)
Q: 首を斬られても歩き続けるというのは、どういう意味ですか?
A: これは完全にナンセンスコメディの設定です。実際には首を斬られたら即死しますが、この噺では超自然的な状況として、男が首を斬られたことに気づかずに歩き続けるという荒唐無稽な展開を楽しむ作品です。江戸落語には、このような非現実的な設定を堂々と描く自由さがあります。
Q: なぜ男は侍にあんなに失礼な態度を取ったのですか?
A: 男はほろ酔い加減で気が大きくなっていた上に、追いはぎではなくただの田舎侍だと見くびったからです。江戸時代には厳しい身分制度がありましたが、江戸っ子の間には武士を軽く見る風潮もありました。ただし、この男の場合は度を越しており、その傲慢さが悲劇(喜劇)を招く原因となっています。
Q: 「首提灯」というタイトルの意味は?
A: 自分の首を提灯のように掲げて火事の混雑を通り抜けるという、この噺のクライマックスシーンから来ています。「首」と「提灯」という通常は結びつかない二つの言葉を組み合わせることで、視覚的なインパクトと言葉遊びを同時に表現した秀逸なタイトルです。
Q: なぜ侍は男を斬ったのですか?
A: 直接的な原因は、男が吐いた痰が殿様から拝領した大切な羽織を汚したことです。武士にとって主君から拝領した品は命よりも大切なものであり、それを汚すことは殿様を侮辱することと同じでした。また、度重なる無礼と侮辱に対する武士の名誉を守るための行動でもありました。
Q: この噺は怪談ですか、それとも滑稽噺ですか?
A: 基本的には滑稽噺です。首を斬られるという怖い設定ですが、その後の展開は完全にコメディであり、特にオチは視覚的なギャグです。江戸落語には、怖い設定を笑いに変えてしまう伝統があり、「首提灯」はその代表例です。
Q: 現代でもこの噺は演じられますか?
A: はい、現代でも演じられています。ただし、首を斬られるという残酷な描写があるため、演者によっては演じ方を工夫したり、時代背景をしっかり説明したりします。ナンセンスコメディとしての性格を前面に出すことで、現代の観客にも楽しんでもらえる演目です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 昭和の大名人。この噺でも男の傲慢さと侍の怒りを対比させながら、首を斬られた後のナンセンスな展開を自然に演じる技術が光りました。特に火事の混雑で首を提灯代わりにする場面の描写が秀逸でした。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。格調高い芸風で知られますが、この噺では超自然的な設定を堂々と演じることで、かえって滑稽さが際立つ名演を残しました。
- 柳家小三治 – 現代の名人。この噺では男の酔った様子と侍の田舎なまりを巧みに描き分け、首を斬られる前後の緊張感と滑稽さのコントラストを見事に表現します。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 美声と端正な語り口で知られる名人。この噺でも超自然的な設定を淡々と語ることで、かえってナンセンスコメディとしての面白さを引き出す演出が評価されています。
関連する落語演目
同じく「品川宿」が舞台の落語


「侍と町人」の対立がテーマの落語


「超自然的・荒唐無稽」な設定の落語



「江戸の夜・火事」が登場する落語


この噺の魅力と現代への示唆
「首提灯」の最大の魅力は、現実離れした設定を堂々と描く落語の自由さにあります。首を斬られても歩き続けるという超自然的な状況を、まるで日常の出来事のように淡々と語る演者の技術と、それを楽しむ観客の想像力が、この噺を成立させています。
現代社会では、こうした荒唐無稽な設定はファンタジーやSF、ホラーコメディといったジャンル小説や映画で楽しまれていますが、江戸時代の落語にすでにこうした娯楽の原型があったことは興味深いです。「首提灯」は、人間の想像力と笑いの本質が時代を超えて変わらないことを示しています。
また、この噺には「傲慢さへの戒め」というテーマも潜んでいます。男が侍に対して無礼な態度を取ったことが悲劇の原因であり、調子に乗って他人を見下す行為の危険性を教えています。ただし、教訓臭さを前面に出すのではなく、ナンセンスコメディに包んで提示することで、説教くささを避けているのが落語の巧みなところです。
「自分の首を提灯代わりに掲げる」というオチの視覚的なインパクトも見事です。火事という緊急事態に対して、首が取れかかっているという別の緊急事態を抱えた男が、その首を逆に利用するという発想の転換は、逆境をユーモアに変える江戸庶民の機知を象徴しています。
現代の観客にとっては、この噺は純粋なエンターテインメントとして楽しむのが一番でしょう。首を斬られても歩き続けるという設定に「そんなバカな!」と思いながらも、その後の展開に引き込まれていく体験は、落語ならではの楽しさです。
実際の高座では、演者が首を斬られた後の男の動きをどう演じるか、火事の混雑をどう表現するかなど、身体表現の工夫も見どころです。ぜひ生の落語会や動画配信で、複数の落語家の演じる「首提灯」を聴き比べて、その違いを楽しんでください。


