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【古典落語】高野駕籠 あらすじ・オチ・解説 | 船場商人の駕籠釣りと高野山勘違い劇

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話芸の殿堂-古典落語-高野駕籠
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高野駕籠

3行でわかるあらすじ

船場の旦那が本妻・妾・手代と四丁の駕籠で海釣りに出かけ、駕籠のまま海に入って釣りをする。
本妻と妾の釣り糸が絡まって譲り合う様子を見て、旦那は苅萱道心の故事を思い出し出家を決意する。
紙を取りに浜へ行った旦那が戻らず、皆が高野山へ出家したと思うが、実は厠に行っただけだった。

10行でわかるあらすじとオチ

船場の商人が本妻、妾、手代と一緒に四丁の駕籠で住吉参りをした後、堺の大浜まで足を延ばす。
旦那が船で釣りをしようと提案するが、女性陣は船が怖いと嫌がってしまう。
そこで旦那は駕籠のまま海に入って釣りをすることを思いつき、駕籠屋に海中での釣りを依頼する。
駕籠屋は珍しい仕事に喜んで引き受け、四つの駕籠で海に入って釣りを始める。
慣れない釣りをする本妻と妾の釣り糸がからんでしまい、互いに相手を立てて自分の糸を切ろうと言い争う。
この様子を見た旦那は苅萱道心の「黒髪溶けて蛇となる」の故事を思い出し、世の無常を感じる。
旦那は釣り竿を投げ捨て、芝居がかった口調で出家への決意を語り始める。
釣りを止めた旦那は紙を忘れたと言って駕籠で浜に戻り、そのまま姿を消してしまう。
残された一行は旦那が高野山に出家しに行ったのではないかと心配になる。
しかし駕籠屋が「紙持って浜のこうや(厠)へお出掛けになりました」と答えて、高野山と厠の音の類似でオチとなる。

解説

「高野駕籠」は上方落語の代表的な演目で、船場商人の風流な遊びと突飛な発想を描いた滑稽噺です。この噺の最大の見どころは、駕籠のまま海に入って釣りをするという奇想天外な設定と、最後の「高野山」と「厠(こうや)」を掛けた洒落落ちです。

物語の中核となる苅萱道心の故事は、平安時代末期の武将加藤繁氏が出家して高野山の苅萱道心となった説話で、妻と妾の嫉妬から世の無常を悟って出家するという内容です。この古典的な教訓話を現実の些細な出来事に重ね合わせる旦那の大げささが、上方商人の気質をよく表しています。

オチは典型的なダジャレオチで、聞き手が「高野山への出家」という重大事を想像したところで、実際は生理的欲求による「厠への外出」だったという落差が笑いを生んでいます。上方落語特有の言葉遊びと、商人の実利的な性格を巧みに組み合わせた秀逸な構成の作品です。

あらすじ

船場の旦那が、本妻とお妾さん、手代の四人連れ、四丁の駕籠で住吉さんに参ったあと、
旦那 「堺の大浜までやってくれ」、駕籠屋は久しぶりの遠乗りで喜んで、紀州街道を大浜まで来ると、旦那は船で釣りをしようと言い出す。
女連中は船は怖いので嫌だと言う。

旦那 「そなら、駕籠で釣りしよう。
駕籠屋さん海の中に入っとくれ。駕籠賃はずむよって」

駕籠屋 「えらいこと考えなはったな。けどこんな銭儲けは滅多にあらへんで・・・」と、四つの駕籠で海に入って釣りを始めた。

釣りなんか慣れていない本妻とお妾さん、並んで釣り糸を垂れていたが、すぐにお妾さんの糸が本妻の糸にからんでしまった。

お妾 「ご寮人さんの糸が切れたらどんならん。私の糸を切ります」

本妻 「いえ、あんたの方に魚が掛かったらしいさかい、私の糸を切ったらええ」、「私が・・・」、「私が・・・」と互いに相手を立てて、ええ格好して言い争っている。

それを見ていた旦那は釣り竿をカラリと投げて、芝居がかって、「ああ、恐るべし、恐るべし。
これにて思い当たりしこそあれ。
加藤左衛門尉繁氏は、女房、妾を一つに置き、見れば仲良き姿にて碁を打ちたる態なれど・・・黒髪溶けて蛇となる。髪と糸とは異なれど今まのあたり、この様を・・・」と、石童丸の苅萱道心の心持だ。

旦那 「もう釣りは止めじゃ。おい駕籠屋、ちょっと浜へ駕籠を戻してくれ」

浜へ下りた旦那 「わし、チリ紙忘れた。駕籠屋さん、紙持ってぇへんか」と、紙を受け取って、どこかへ行ってしもうた。

海では気がつくと旦那の駕籠がない。
駕籠屋に聞くと、「浜に戻らはりました」、みな駕籠で浜へ向かう。

本妻 「どこへ行かはったんやろ」

お妾 「黒髪が蛇になったなんとか・・・えらい難しいこと言うてはりましたで」

手代 「さては苅萱道心のことを思い出して、出家するお心にでもならはったんと違うやろか」

本妻 「もしや髪を落としに高野山に行かはったと違うか」

駕籠屋 「へえ、紙持って浜の"こうや(厠)"へお出掛けになりました」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 高野(こうや) – 高野山のこと。真言宗の聖地で、空海(弘法大師)が開いた霊場。江戸時代には出家の代名詞として使われた。また、「高野」は隠語で厠(便所)を意味することもあり、このオチで両方の意味が掛けられている。
  • 駕籠(かご) – 人を乗せて担ぐ乗り物。江戸時代の主要な交通手段の一つ。船場の旦那が四挺も持っているのは相当な財力の証。
  • 苅萱道心(かるかやどうしん) – 「苅萱」の物語の主人公。妻子を捨てて高野山で出家した武士。その子石堂丸が父を探して高野山を訪れるが、父は身を明かさずに会わなかったという悲話。説経節や浄瑠璃の題材として有名。
  • 船場(せんば) – 大阪の商業地区。江戸時代から続く商人の町で、大阪商人の代表的な地域。この噺の主人公も船場の旦那として登場する。
  • 御新造(ごしんぞう) – 商家の主人の妻の敬称。「奥さん」「おかみさん」と同義。この噺では「ご寮人さん」として登場する。
  • お店(おたな) – 商家で働く使用人、特に番頭や手代を指す。この噺では手代が登場する。
  • 黒髪溶けて蛇となる – 苅萱道心の物語の中の有名な言葉。女性の執念や嫉妬の恐ろしさを表現した言葉で、黒髪が蛇のように絡み合う様子を描いている。

よくある質問(FAQ)

Q: 「高野」という言葉にどんな掛詞が使われていますか?

A: 「高野」には三つの意味が掛けられています。一つ目は「高野山」という仏教の聖地、二つ目は出家して仏門に入ること(高野山に登ること)、三つ目は隠語で「厠(便所)」を意味します。オチでは、旦那が「高野へ行く」と思われていたのが実は単にトイレに行っただけという、三つの意味を巧みに使った地口オチになっています。

Q: 苅萱道心の物語とこの噺の関係は?

A: 苅萱道心は妻子を捨てて高野山で出家した武士の物語で、江戸時代には説経節や浄瑠璃で広く知られていました。この噺では、旦那が釣り糸が絡まった場面から「妻と妾の争い」を連想し、苅萱道心の「黒髪溶けて蛇となる」という言葉を思い出します。しかし実際は便所に行くだけという、荘厳な仏教説話を笑いに変える落語ならではの展開です。

Q: なぜ旦那は四挺もの駕籠を用意したのですか?

A: 船場の旦那が住吉参りと釣りに行くのに、正妻、妾、手代それぞれに駕籠を用意し、さらに自分の分も含めて四挺としたのは、当時の富裕な商人の豪勢さを表現するためです。また、四人が別々の駕籠に乗ることで釣り糸が絡まるという笑いの種も生まれます。江戸時代の駕籠は高価な交通手段で、四挺も使えるのは相当な財力の証でもあります。

Q: この噺は上方落語と江戸落語のどちらですか?

A: 上方落語の演目です。船場という大阪の地名が出てくることや、登場人物の言葉遣いが上方言葉であることから明らかです。「ご寮人さん」「お妾」「手代」といった呼び方や、「~しなはる」「~やろか」といった言葉遣いも上方の商家の典型的な表現です。江戸落語には同様のストーリーの演目はありません。

Q: 駕籠のまま海に入って釣りをするというのは現実的ですか?

A: 四挺の駕籠で海に入って釣りをするという設定自体が非現実的で、落語ならではの誇張表現です。実際には駕籠が水に浸かって使い物にならなくなるでしょうし、駕籠屋も引き受けないでしょう。この荒唐無稽さが笑いの要素となっており、現実離れした設定から生まれる滑稽さは、落語の魅力の一つです。

Q: オチの「紙持って浜のこうや(厠)へお出掛けになりました」の意味は?

A: 旦那が「紙を忘れた」と言って浜に戻ったのは、実はトイレに行くためでした。駕籠屋が「紙持って浜の"こうや"へお出掛けになりました」と答えたとき、周りの人たちは「高野山」だと思い込んでいますが、実際には「厠(こうや)」という隠語を使っています。「高野山に出家」という重大事と「便所に行く」という日常の用事の落差が笑いを生んでいます。

名演者による口演

この噺は上方落語の中でも比較的演じられる機会の少ない演目ですが、いくつかの名演が残されています。

  • 桂米朝 – 上方落語の大看板として、この噺を丁寧に演じています。苅萱道心の話を聞かせる場面では荘厳さを出しながら、オチでは一転して軽妙な笑いを生み出す、メリハリのある口演が特徴です。船場の旦那の風流ぶりと実利的な面の両方を巧みに表現しています。
  • 桂枝雀 – 独特のテンポと表情で、四挺の駕籠が動く様子や釣り糸が絡まる混乱を視覚的に表現します。旦那が芝居がかって苅萱道心の話をする場面では、大げさな身振りで笑いを誘い、オチの「こうや(厠)」の掛詞を際立たせる演出が見事です。
  • 桂南光(当時は桂べかこ) – 軽妙な語り口で、船場の旦那の豪勢さと滑稽さを同時に描き出します。苅萱道心の説明部分も分かりやすく、現代の観客にも楽しめる工夫がされています。妻と妾のやり取りも上品かつユーモラスに表現します。
  • 桂文珍 – 現代的な感覚を取り入れながら、古典の味わいを損なわない演出。旦那と妾の関係性の描写に現代的な夫婦関係を重ねて、観客の共感を得る工夫をしています。駕籠のまま海に入るという突飛な設定を、視覚的に分かりやすく表現します。

関連する落語演目

同じ「駕籠」をテーマにした噺

  • 住吉駕籠 – 駕籠に乗った男女の色恋話を描いた上方落語の名作

「便所」を題材にした噺

  • 海長散本舗(かいちょうさんほんぽ) – 便所に関する薬の話

苅萱道心や仏教説話をパロディにした噺

  • 蒟蒻問答 – 禅問答を装った蒟蒻屋の話
  • 餅搗き問答(もちつきもんどう) – 仏教問答をユーモラスに描いた噺

船場の旦那が登場する噺

  • 堺飛脚 – 船場の商家を舞台にした人情噺
  • 堺夢 – 船場の旦那の夢にまつわる話

妻と妾が登場する噺

  • 船場の女郎屋(せんばのじょろや) – 船場の旦那と女性関係の話
  • 三十石(さんじっこく) – 船場の旦那が大阪から京都へ向かう道中の話

この噺の魅力と現代への示唆

「高野駕籠」は、一見すると荒唐無稽な設定ですが、その中に江戸時代の大阪商人の生活文化や価値観が巧みに織り込まれています。

四挺もの駕籠を使って釣りに行くという贅沢さは、船場商人の財力と遊び心を象徴しています。同時に、正妻、妾、手代という関係性が当時の商家の人間関係を反映しており、身分や立場の違いが自然に描かれています。

苅萱道心という仏教説話を持ち出すことで、一瞬この噺が人情噺や教訓話に転じるかと思わせておいて、実はただの便所話だったというオチは、落語ならではの「聖なるものを笑いに変える」手法の典型です。荘厳な仏教説話と日常の生理現象という、最も高貴なものと最も卑俗なものを対比させることで、人間の本質的な平等性や滑稽さを浮き彫りにしています。

現代においても、この噺は「見栄を張ること」と「本音」のギャップを笑いに変える普遍的なテーマを持っています。大げさな決意表明をしておきながら、実は些細な用事だったという経験は、誰もが共感できるのではないでしょうか。

また、妻と妾を同時に連れて遊びに行くという設定は、現代の倫理観からは受け入れがたいかもしれませんが、当時の社会における多様な人間関係のあり方を知る上で、興味深い資料となっています。時代によって変わる価値観と、変わらない人間の本質を同時に感じられる演目です。

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