これこれ博打
3行でわかるあらすじ
伊勢参りからの帰り道で喜六と清八が博打に負けて襦半一枚になり、役人の手入りに乗じて明神社に逃げ込む。
祭礼の日で神主が来ると、二人は鏡餅と御神酒徳利を持って「神さんじゃ」と叫んで飛び出す。
庄屋に盗人にあったと嘘をつくが、「これこれ(狐)の仕業」と言われると「これこれ(サイコロ)の仕業」と答える。
10行でわかるあらすじとオチ
お伊勢参りから帰りの喜六と清八が水口の宿で賭場に参加する。
二人とも博打ですっかり負けて襦半一枚の惨めな姿になってしまう。
そこへ役人の手が入り賭場が大混乱となり、二人は逃げ出して明神社に逃げ込む。
ちょうど祭礼の日で神主がやって来ると、喜六は鏡餅、清八は御神酒徳利を持つ。
二人は「神さんじゃ」と叫んでお社から飛び出し、寿司や餅、酒を飲み食いしながら走る。
庄屋の家に飛び込んで「盗人にあって襦半一枚にされた」と嘘をつき、飲み食いする。
境内から男が来て「神様が襦半一枚で暴れ出した」と庄屋に報告する。
事の成り行きが分かってきた庄屋が二人に「これこれ(狐のまね)の仕業じゃろ」と言う。
喜六と清八はサイコロを振るまねをしながら「これこれ(サイコロ)の仕業です」と答えてオチとなる。
解説
「これこれ博打」は上方落語の「東の旅」(「伊勢参宮神乃賑」)シリーズの一編で、喜六と清八の伊勢参り道中を描いた連続話の一つです。
「東の旅」シリーズは元々基礎訓練のための前座噺で、上方落語では3代目桂米朝一門で入門するとまずこの「発端」を習い覚えるとされ、初高座の演目とする落語家が多いという伝統があります。
この作品の最大の魅力は、最後の「これこれ」という言葉を使った絶妙な言葉遊びにあります。
庄屋が狐の手のまねをしながら「これこれ(狐の鳴き声)の仕業じゃろ」と言うのに対し、喜六と清八がサイコロを振るまねをしながら「これこれ(サイコロを振る音)の仕業です」と答えることで、同音異義を利用した高度な言葉の芸を見せています。
このオチは狐の化かしという迷信的な解釈と、博打という現実的な行為を対比させ、人間の狡献さや機転をユーモラスに描いた作品でもあります。
また、伊勢参りという神聖な行為の帰り道で博打や詐欺に手を染めるという皮肉な設定も、人間の欲望と矛盾を描いた深みのある作品となっています。
上方落語の伝統と技巧を物語る貴重な作品であり、現在でもその言葉遊びの精巧さとユーモアは色あせることのない名作です。
あらすじ
たわいの喧嘩やいさかいをしながらも無事に鈴鹿峠を越えて水口の宿に着いたお伊勢参りから帰りの喜六と清八の二人連れ。
夜は雨となり、泊り客相手の手慰み、賭場の開帳となる。
賭け事好きな二人も仲間に入るが、博才がないのか、つきがないのか、インチキ賭博なのか二人ともすっかり負けて襦袢(じゅばん)一枚の哀れな姿になってしまった。
そのうちに役人の手が入り賭場は大混乱の大騒ぎとなった。
二人はこれ幸いにとスキを見て逃げ出し、近くの明神さまのお社(やしろ)へ逃げ込んだ。
ちょうど祭礼の日で神主がやって来ると、喜六は鏡餅、清八は御神酒徳利を持って、「神さんじゃ、神さんじゃ」と言ってお社から飛び出した。
神主や屋台の者たちが、何事かとびっくりしているうちに、「神さんじゃ、神さんじゃ」と言いながら、寿司、あんころ餅、酒などを飲み食いしながら走り続けて庄屋の家へ飛び込んだ。
ここでも「今、盗人に会って、身ぐるみはがれ襦袢一枚にされた」と言って、飲み食いする図々しさだ。
そこへ境内から男が来て、今、明神さまのお社から神様が襦袢一枚で暴れ出したから庄屋に来てくれという。
ことの成り行きが分かってきた庄屋は喜六と清八に向かい、
庄屋 「お前さん方も、襦袢一枚でよく似ている。多分、これこれ(手を上げて狐のまねをする)の仕業じゃろ」
喜六・清八 「いいえ、これこれ(サイコロを振るまねをする)の仕業です」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 東の旅(ひがしのたび) – 上方落語の連続話シリーズ。正式名称は「伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」。喜六と清八の伊勢参り道中を描いた全10編以上の長編です。
- 喜六と清八(きろくときよはち) – 上方落語の代表的なコンビキャラクター。喜六がおっちょこちょいで清八が少し賢いという設定で、二人で珍道中を繰り広げます。
- 水口(みなくち) – 現在の滋賀県甲賀市水口町。東海道五十三次の宿場町の一つで、江戸から50番目の宿場でした。
- 鈴鹿峠(すずかとうげ) – 三重県と滋賀県の県境にある峠。東海道の難所として知られ、「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と並んで旅人を苦しめました。
- 襦袢(じゅばん) – 着物の下に着る肌着。襦袢一枚になるということは、着物や羽織を全て失ったという意味で、完全に身ぐるみを剥がされた状態を表します。
- 博打・賭場(ばくち・とば) – サイコロやカードなどを使った賭博。江戸時代は禁止されていましたが、旅籠などで密かに行われることがありました。
- 明神社(みょうじんしゃ) – 神社の一種。「明神」は神の尊称の一つで、地域の守り神を祀る神社を指します。
- 鏡餅(かがみもち) – 神社や仏壇に供える丸い餅。正月や祭礼の際に神様への供物として使われます。
- 御神酒(おみき) – 神前に供える酒。神様に捧げた後、参拝者が飲むことで神の加護を得るとされました。
- 庄屋(しょうや) – 江戸時代の村の最高責任者。村政を取り仕切り、領主と農民の仲介役を務めました。
よくある質問(FAQ)
Q: 「東の旅」シリーズは何編ありますか?
A: 全部で10編以上あります。「発端」「七度狐」「煮売屋」「三十石」「夢の皮」「三十石夢の通路」「軽業」などがあり、喜六と清八の珍道中が続きます。「これこれ博打」は「七度狐」の別バージョンとも言われています。
Q: なぜ「これこれ博打」というタイトルなのですか?
A: オチで「これこれ(狐の鳴き声・手まね)」と「これこれ(サイコロを振る音・動作)」という二重の意味で使われることから、このタイトルが付けられました。言葉遊びがタイトルにも反映されています。
Q: 喜六と清八はなぜ伊勢参りに行ったのですか?
A: 江戸時代、伊勢参りは庶民にとって一生に一度の大旅行であり、信仰と観光を兼ねた娯楽でした。特に「おかげ参り」と呼ばれる集団参詣が流行し、多くの庶民が伊勢神宮を目指しました。
Q: 博打で負けたのに、なぜ飲み食いできたのですか?
A: 神様の振りをして鏡餅や御神酒を持ち出し、屋台の食べ物を奪い、最後は庄屋の家で「盗人にあった」と嘘をついて飲み食いしました。つまり詐欺と窃盗を働いたわけです。
Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、上方落語では今でも「東の旅」シリーズとして人気があります。特に桂米朝一門では入門時に「発端」を習う伝統があり、若手落語家の鍛錬演目としても重要です。
Q: 江戸落語にも「東の旅」はありますか?
A: いいえ、「東の旅」シリーズは上方落語独特の演目です。江戸落語には「お伊勢参り」を題材にした噺もありますが、喜六と清八のような連続話はありません。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語の人間国宝。「東の旅」シリーズの復興に尽力し、この噺でも喜六と清八の性格を見事に演じ分けました。
- 桂枝雀(二代目) – 米朝の弟子で、エネルギッシュな語り口で知られる名人。この噺でも喜六と清八の掛け合いを抜群のテンポで演じました。
- 桂ざこば(二代目) – 豪快な語り口が特徴。この噺でも博打場の混乱や神社での騒動を迫力満点に表現します。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれる人気落語家。軽妙な語り口で喜六と清八のやり取りを現代的に演じます。
- 桂吉弥 – 若手からベテランまで幅広い世代に支持される実力派。「東の旅」シリーズを得意とし、この噺でも言葉遊びの妙技を披露します。
関連する落語演目
「東の旅」シリーズの他の演目


狐が登場する古典落語



言葉遊びが秀逸な上方落語



博打・賭け事を題材にした古典落語


この噺の魅力と現代への示唆
「これこれ博打」の最大の魅力は、最後の言葉遊びのオチにあります。庄屋が狐の手まねをして「これこれ(狐の鳴き声)の仕業じゃろ」と言うのに対し、喜六と清八がサイコロを振るまねをして「これこれ(サイコロの音)の仕業です」と答える。同じ「これこれ」という言葉が、動作と音によって全く違う意味を持つという高度な言葉の芸です。
現代でも「言った言わない」の問題や、同じ言葉でも文脈によって意味が変わることはよくありますね。この噺は、言葉の多義性と、人間の機転や狡猾さをユーモラスに描いた作品として、今でも色あせない魅力があります。
また、伊勢参りという神聖な行為の帰り道で博打に手を出し、神様の振りをして詐欺を働くという設定も皮肉が効いています。信仰と欲望、建前と本音という人間の矛盾を、笑いに変えて描く落語の醍醐味が詰まっています。
「東の旅」シリーズは上方落語の修行の基本とされ、桂米朝一門では入門時に必ず「発端」を習うという伝統があります。喜六と清八という二人のキャラクターを演じ分ける技術、テンポの良い掛け合い、方言の使い分けなど、落語家の基礎技術を磨く演目として重要な位置を占めています。
実際の高座では、喜六と清八の性格の違いを声や仕草で演じ分ける技術、博打場の混乱や神社での騒動を表現する演技力、そして最後の「これこれ」の仕草の対比など、見どころが満載です。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


