木の葉狐
3行でわかるあらすじ
踊りの師匠坂東かなめが夜道で狐を怖がる二人の男に出会い、いたずら心で自分が狐だと嘘をつく。
木の葉にまじないをかけてお札に化かしたと言って渡すが、男二人は本気で信じて吉原で豪遊する。
翌朝勘定で木の葉を出すと通用せず、最後は「狐馬(うま)だ」の言葉遊びでオチがつく。
10行でわかるあらすじとオチ
江戸が東京になった頃、寂しくなったお城周辺で狐や追剥の噂が広がっていた。
踊りの師匠坂東かなめが四ツ谷での納め浚いの帰り道、夜の半蔵門で二人の男に出会う。
男二人は狐や追剥を怖がって一貫三百文しか持たないから新宿で遊べないと話している。
かなめがいたずら心で自分は豊川稲荷の使い姫の狐だと嘘をつき、二人を騙す。
男たちが町まで護衛してくれた礼として、木の葉三枚を「まじないをかけたお札」と言って渡す。
かなめは木の葉は先方にはお札に見えると説明し、男二人は半信半疑で受け取る。
翌日男二人は木の葉を本当のお金だと思って吉原の馴染みの店で豪遊する。
翌朝勘定で木の葉三枚を出すが、店の若い衆には当然木の葉にしか見えない。
本当の金は一貫三百しかないので、店は付き馬を付けて勘定を払わせようとする。
最後に兄貴分が「馬鹿を見たな、これがほんとの狐馬だ」と言って言葉遊びでオチをつける。
解説
「木の葉狐」は江戸から東京への変化という時代背景を巧みに取り入れた古典落語の秀作です。大名屋敷や旗本屋敷が取り払われて寂しくなったお城周辺という設定は、明治維新後の社会情勢を反映しており、当時の聞き手にとって非常にリアルな舞台設定でした。
この噺の技巧的な見どころは、踊りの師匠という教養ある女性が、機転と話術で男二人を完全に翻弄する展開にあります。かなめの嘘は単なる思いつきではなく、豊川稲荷から三囲稲荷まで複数の稲荷神社を巡るという具体的で説得力のある設定を即座に作り上げており、江戸時代の庶民の宗教観や地理感覚を巧みに利用しています。
最大の笑いどころは、男二人が木の葉を本当のお金だと信じ込んで吉原で豪遊してしまう愚かさと、その結果として「付き馬」を引っ張って帰ることになる顛末です。最後の「狐馬(うま)だ」は「馬鹿」と「馬」をかけた見事な言葉遊びで、それまでの展開を一言で集約する秀逸なオチとなっています。
この噺は江戸庶民の機知と欲望、そして迷信への依存を風刺的に描いており、現代でも人間の本質的な愚かさを笑いながら考えさせる作品として愛され続けています。
あらすじ
江戸が東京と変わった頃は、大名屋敷、旗本屋敷がみな取り払われて、お城の回りもたいそう寂れて、追剥が出るの悪い狸や狐が出るのという噂も広がったほどだ。
神田の五軒町に住む坂東かなめという踊りの師匠が暮れのある日、四ツ谷の師匠のところで納め浚いに出掛けた。
お浚いもよくでき、その後でにぎやかに仲間たちと飲み食いして帰りは夜になってしまった。
かなめさんは師匠が駕籠を誂えるというのを断り、一人で暗くて薄気味悪い夜道を早足で歩きだした。
半蔵門あたりまで来ると前を二人の男がひそひそ話ながら歩いて行く。
弟分 「おい、兄い、このあたりは狐が出るの追剥が出るのというから、新宿へ引き返して遊んじまおうじゃねえか」、兄貴も怖いから金勘定したら二人合わせて”一貫三百どうでもいい”しかない。
これでは新宿は遥かなりだ。
兄貴分 「狐も一貫三百しか持ってねえ人間なんぞ馬鹿にして化かしゃしねえ。追剥が出たら全部くれてやりゃいいじゃねえか」、二人も怖がっているのが分ってかなめさん、いたずら心が出て来た。
かなめ 「あのう、もしあなたがた・・・」
弟分 「ほら出た、女のかっこうしているぜ」
かなめ 「あなたがたには人間の女に見えましょうか?」
兄貴分 「なんだって、じゃあおめえは一体全体なんなんだ?」
かなめ 「わたくしは豊川稲荷にお仕えする使い姫の狐でございます。
これから三囲稲荷まで使いに参ります。
このあたりはさびしくて、野犬も多い恐ろしいところでございます。どうか町に出ますところまでご一緒してくださいませ」
兄貴分 「野犬何ぞなんでもねえ、けど野狐が出ても驚きませんね?」
かなめ 「野狐なんぞ私が小言を言えばみな尻尾を巻いて逃げて行ってしまいます」、男二人は狐とはいえ、こんな年増の別嬪さんのいい道連れができたと、用心棒のように野犬に石をぶつけながら、護持院ヶ原を通り過ぎて神田界隈に着いた。
かなめ 「ありがとうございます。ここまで来ればもう安心でございます」
兄貴分 「あっしらも浅草橋まで行きますから、そこらまでお供しましょう」、お狐さんに助平心を出して送り狼に変身するつもりなのか?
かなめ 「すぐに三囲には参りません。今川橋の白旗(幡)稲荷から人形町の三光稲荷、深川萬年橋の柾木稲荷へ参ってから、大川を渡り返して浅草の楫取稲荷、黒船稲荷の両稲荷へ参りまして、それから吾妻橋を渡って三囲へ参りますので・・・これはわずかでございますが、心ばかりのお礼でございます」
兄貴分 「なんです、こりゃあ木の葉じゃございませんか」
かなめ 「そうです木の葉ですが、まじないをかけて化かしてありますので先方にはお札に見えます」、半信半疑で二人は木の葉お札を撫でたり透かしたりして見ていたが、
弟分 「おや、もうお狐さんの姿が見えねえぜ。
どうでえ兄貴、これで吉原へ行こうじゃねえか。これだけありゃあ大尽遊びができるぜ」
能天気な二人は翌日、宵の内から吉原の馴染みの見世にあがって飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだ。
翌朝、勘定になって、木の葉三枚渡すと、
若い衆 「へへへへぇ、どうもご冗談を、これは木の葉三枚で・・・へへへ」
兄貴分 「おれたちには木の葉に見えるが、おめえにはお札に見えるだろ」
若い衆 「誰が見たって木の葉は木の葉じゃありませんか。あなたがた狐か狸に化かされたんじゃ・・・、本当の金で払ってくれなきゃ困ります」」
弟分 「ほんとの金は一貫三百しかねえんだ」
若い衆 「ふざけちゃいけねえ。仕方ねえから馬(付き馬)を付けるから馬に勘定を払いねえ」
弟分 「おやおや馬を引っ張って帰(けえ)るんだとよ」
兄貴分 「馬鹿を見たな、これがほんとの狐馬だ」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 豊川稲荷(とよかわいなり) – 愛知県豊川市にある曹洞宗の寺院。狐を神の使いとする稲荷信仰の中心地の一つで、江戸時代から庶民の信仰を集めていました。
- 三囲稲荷(みめぐりいなり) – 東京都墨田区向島にある神社。隅田川の東岸に位置し、三井家の守護神として知られていました。
- 木の葉(このは) – 狐が人を化かす際に使うとされた道具。民間伝承では、狐が木の葉に術をかけてお金に見せかけるという話が多数ありました。
- 付き馬(つきうま) – 吉原などの遊郭で、勘定を払えない客に付けられる監視役。客を実家まで送り届けて金を取り立てる役目を担っていました。
- 吉原(よしわら) – 江戸時代の公認の遊郭。現在の東京都台東区千束にあり、江戸随一の歓楽街として栄えました。
- 一貫三百文(いっかんさんびゃくもん) – 江戸時代の通貨単位。一貫文は1000文で、現在の価値で約1万円程度。一貫三百文は約1万3000円に相当します。
- 納め浚い(おさめざらい) – 年末に行われる稽古の締めくくり。踊りや芸事の師匠のもとで、一年の成果を披露する行事でした。
- 半蔵門(はんぞうもん) – 江戸城の門の一つ。現在の東京都千代田区にあり、服部半蔵の屋敷があったことから名付けられました。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜ男二人は木の葉を本当のお金だと信じたのですか?
A: 江戸時代には狐が人を化かすという民間伝承が広く信じられており、特に木の葉を使った化かしの話は有名でした。師匠が具体的に複数の稲荷神社を挙げて説得力のある話をしたため、二人は本当に狐だと信じ込んでしまったのです。
Q: 「狐馬(うま)だ」というオチの意味は?
A: 「狐馬」は「馬鹿(ばか)」と「馬(うま)」をかけた言葉遊びです。狐に化かされて馬鹿を見た上に、付き馬まで引っ張って帰ることになったという二重の意味が込められた秀逸なオチです。
Q: この噺はいつ頃の時代設定ですか?
A: 「江戸が東京と変わった頃」という冒頭の説明から、明治維新直後(1868年以降)の設定です。大名屋敷が取り払われて寂しくなったという描写が、当時の社会変化を反映しています。
Q: 踊りの師匠がなぜこんな嘘をついたのですか?
A: 男二人が狐を怖がっている様子を見て、いたずら心が出たためです。教養ある師匠が機転と話術で男たちを翻弄する展開は、江戸庶民の機知を表現した落語の典型的なパターンです。
Q: この噺は実際にあった話ですか?
A: 創作です。ただし、狐が木の葉を使って人を化かすという民間伝承は実際に存在し、江戸時代の人々に広く信じられていました。この噺はそうした伝承を巧みに利用した作品です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 人間国宝。師匠かなめの機知と男二人の愚かさを対比させた演出が絶妙で、特に吉原での豪遊場面の描写が印象的でした。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 志ん生の次男。美声で師匠かなめの上品さと、男たちの欲深さを巧みに演じ分けました。
- 柳家小三治(十代目) – 人間国宝。繊細な心理描写で、師匠のいたずら心と男たちが騙される過程を丁寧に表現しました。
- 立川談志 – 独自の解釈で、明治維新後の社会変化という時代背景を強調した演出が特徴的でした。
関連する落語演目
同じく「狐・化かす」がテーマの古典落語



同じく「吉原・遊郭」が登場する古典落語


同じく「言葉遊びのオチ」の古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「木の葉狐」は、迷信と欲望が人間の判断を狂わせることを、笑いを通じて描いた傑作です。
この噺の背景となる明治維新直後の社会変化は重要です。江戸から東京へと名が変わり、大名屋敷が取り払われて寂しくなった城下町という設定は、急激な近代化による不安と混乱を象徴しています。文明開化の時代でありながら、人々はまだ狐や追剥を信じていたという矛盾が、この噺のリアリティを生み出しています。
現代でも、科学技術が進歩した社会でありながら、人々は占いや迷信を信じ、詐欺に引っかかります。「これは本物の狐だ」と信じ込んでしまう男二人の姿は、現代の振り込め詐欺やSNS詐欺の被害者と本質的には同じです。「ありえない話」と頭では分かっていても、具体的で説得力のある話をされると信じてしまう人間の弱さは、時代を超えて変わりません。
特に興味深いのは、師匠かなめが即座に複数の稲荷神社を挙げて物語を構築する場面です。豊川稲荷から三囲稲荷、白旗稲荷、三光稲荷と、実在する神社を次々と挙げることで、嘘に真実味を持たせています。これは現代の詐欺師が実在する企業名や役職を騙って信用させる手口と同じ構造です。
また、男二人が木の葉を本物のお金だと信じて吉原で豪遊してしまう展開は、欲望が理性を覆い隠すことを示しています。「もしかしたら嘘かも」という疑念はあったはずですが、「大尽遊びができる」という欲望が判断力を奪ってしまいました。現代でも、「儲け話」に飛びついて詐欺に遭うケースは後を絶ちません。
最後の「狐馬だ」という言葉遊びのオチは、「馬鹿」と「付き馬」を掛け合わせた秀逸なものです。狐に化かされて馬鹿を見た上に、実際に馬を引っ張って帰るという二重の意味が込められており、江戸落語の言葉遊びの妙味を味わえます。
この噺は、迷信を信じることの愚かさを笑いながらも、誰もが騙される可能性があることを示唆しています。教訓として受け取るべきは、「ありえない話」には必ず裏があるということ、そして欲望に目がくらむと正常な判断ができなくなるということです。
実際の高座では、師匠かなめの上品ないたずら心、男二人の恐怖と欲望、吉原での豪遊場面、最後に木の葉を出す瞬間の演技が見どころです。ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


