こんにゃく問答 落語|あらすじ・オチ「300に負けろへのあかんべえ」意味を完全解説
こんにゃく問答(こんにゃくもんどう) は、禅問答と商売交渉が完璧にすれ違う古典落語の傑作。僧が仏教の深遠な問答を手振りで行うと、こんにゃく屋が値段交渉だと勘違いし、「あかんべえ」で返すという爆笑コメディです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演目名 | こんにゃく問答(こんにゃくもんどう) |
| ジャンル | 古典落語 |
| 主人公 | 八五郎(にわか坊主)・六兵衛(こんにゃく屋) |
| 舞台 | 木蓮寺 |
| オチ | 「300に負けろってえから、あかんべえをしたんだ」 |
| 見どころ | 禅問答と商売交渉の完璧なすれ違い |
3行でわかるあらすじ
にわか坊主の八五郎が永平寺の雲水の問答を恐れ、こんにゃく屋の六兵衛が大和尚の代わりを務める。
僧が仏教の深遠な問答を手振りでそうだと、六兵衛はこんにゃくの大きさや値段の商売話と勘違いして答える。
僧は大和尚の深い教えだと感銘して帰っていくが、六兵衛は乞食坊主がこんにゃくの値段交渉をしてきたと怒る。
10行でわかるあらすじとオチ
遊びすぎて病気になった八五郎が田舎に引っ込み、こんにゃく屋の六兵衛の世話になって木蓮寺のにわか和尚になる。
永平寺の雲水・沙弥托善が問答に来て、負けると寺から追い出されると言う。
八五郎と寺男の権助は寺の物を売って夜逃げしようとするが、六兵衛が大和尚の代わりをすると申し出る。
六兵衛は何を聞かれても黙っていると言い、あきらめない時は焘で叩いて熱湯をかけると乱暴な作戦。
翨日、僧が来て仏教の深遠な問答を始めるが、六兵衛は無言の行と勘違いされる。
僧が手で小さい輪を作ると六兵衛は大きな輪を作り、僧が10本指を立てると六兵衛は5本指を立てる。
僧が3本指を立てると六兵衛は「あかんべえ」をして、僧は大和尚の深い教えに感銘して帰っていく。
僧は「大海のごとし」「五戒で保つ」「目の下にあり」という深遠な答えをいただいたと解釈。
しかし六兵衛は僧を乞食坊主だと思い、こんにゃくの大きさを小馬隖にされたと怒り、「10丁でいくらか」と値を聞かれ500だと答えたら300に負けろと言われたからあかんべえしたと説明するオチ。
解説
「こんにゃく問答」は仏教の禅問答という宗教的な主題を、商人の日常的な商売と終わせた絶妙なすれ違いコメディの古典落語です。
この作品の最大の魅力は、僧が仏教の深遠な教えを表現するための手振りと、こんにゃく屋の六兵衛が理解する商売上のやりとりが完全に一致してしまう偶然性です。
小さい輪から大きな輪への変化は「胸中の大海」と「こんにゃくの大きさ」と10本指から5本指への変化は「十方世界を五戒で保つ」と「10丁で500円」、3本指からあかんべえへの変化は「三尊の弥陀は目の下にあり」と「300円に負けろへの拒否」というように、それぞれが異なる文脈で完美に対応していることです。
また、禅の無言の行という高層な宗教体験と、こんにゃく屋の商売人としての実用的な日常という、正反対の世界が一緒に描かれていることも、江戸時代の庶民の价値観や宗教観を反映した興味深い作品です。
あらすじ
遊びが過ぎて悪い病気を引き受けた八五郎。
田舎に引っ込んで、この村のこんにゃく屋で世話になっている。
主人の六兵衛から村の空き寺、木蓮寺の和尚になってみないかと言われ、喜んでにわか坊主になる。
八五郎坊主はすぐに本性を出し、朝から茶碗酒を飲みだす始末。
寺男の権助は寺方の符牒を教えたりしている。
酒は般若湯、まぐろは赤豆腐、どじょうが踊りっ子、卵が遠めがねまたは御所車、なかに黄味(君)が入っているからだ。
鰹節が巻紙、鮑(あわび)が伏せ鐘、栄螺(さざえ)がげん骨、蛸が天蓋だ。
ある日、門前へ永平寺の諸国行脚の雲水の僧、沙弥托善が問答に来る。
問答に負けると、から傘一本で寺から追い出されるという。
八五郎は大和尚はずっと留守だと断るが帰るまで待つといい、明日もまた訪ねて来るという。
八五郎と権助は寺の物を売り払い、権助の故郷の信州丹波村に夜逃げをすることにする。
道具屋を呼んで売れるものは何でも売っている最中に、こんにゃく屋の六兵衛がやって来る。
六兵衛さん、事情を聞くと、自分が大和尚になって問答の相手をすると言い、三人で寺で酒盛りを始める。
翌朝、なんとか和尚の姿になった六兵衛は、問答で何を聞かれても黙っていると言う。
それで相手があきらめて帰らないときは、薪で叩いて、大釜に煮え湯を沸かせておいて、柄杓(ひしゃく)で頭からぶっかけ追い出してしまえと乱暴だ。
さあ、昨日の雲水の僧がやって来て本堂へ。(ここで、格調高い美文調の本堂の描写が入って)、いざ問答が始まった。
僧 「”東海に魚あり。尾も無く頭も無く、中の支骨を絶つ”、この義や如何に!」、むろん六兵衛さんの答えはない。
僧 「”法華経五字の説法は八遍に閉じ、松風(しょうふう)の二道は松に声ありや、松また風を生むや。有無の二道は禅家悟道にして、いずれが理なるやいずれが非なるや”、これ如何に!」、だが何を聞かれても黙ったままの大和尚とは真っ赤な偽物のこんにゃく屋の六兵衛。
相手の僧は勝手に無言の行と勘違いして、両手の親指と人差し指で自分の胸の前に輪を作って前へ突き出した。
すると六兵衛は両手で大きな輪を作って見せた。
すると、「はっはあっ」と、相手の僧は平伏する。
僧は、今度は10本の指を前に突き出す。
六兵衛はそれを見ると5本の指をぐっと突き出した。
またまた相手の僧は平伏する。
次に、僧は3本の指を立て前に突き出す。
六兵衛は目の下に指を置き大きく、「あかんべえ」をした。
すると相手の僧は恐れ入って平伏し、逃げるように立ち去ろうとする。
八五郎が僧を引き留めて、問答はどっちが勝ったのか聞くと、僧は自分の負けと言う。
何を聞いても黙っているので無言の行と悟り、「大和尚の胸中は」と問うと、「大海のごとし」という答え。「十方世界は」と問えば、「五戒で保つ」との仰せ。
愚僧、及ばずながらもう一問と、「三尊の弥陀は」と問えば、「目の下にあり」という答だという。
とうてい愚僧のかなう相手ではないので、修行して出直してくると言い、逃げるように退散した。
本堂へ行くと、こんにゃく屋の六兵衛さんはかんかんに怒っている。
六兵衛 「今のは永平寺の僧なんかじゃねえや、ここいらをうろついている、ただの乞食坊主だ。
俺がこんにゃく屋のおやじだとわかったもんだから、てめえの所のこんにゃくはこれっぽっちだと小さい丸をこしらえて、手でけちをつけやがった。
だから俺の所のこんにゃくは、こんなに大きいと手を広げてやったんだ。すると今度は、10丁でいくらかと値を聞いてきやがった。500だって言ったら、しみったれ坊主め、300に負けろってえから、あかんべえをしたんだ」
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 永平寺(えいへいじ) – 福井県にある曹洞宗の大本山。道元禅師が開いた日本を代表する禅寺の一つです。江戸時代から僧侶の修行の場として知られ、厳しい修行で有名でした。
- 雲水(うんすい) – 修行中の禅僧のこと。諸国を行脚して修行を積む僧を指します。「雲」のように自由に、「水」のように清らかに修行するという意味が込められています。
- 沙弥托善(しゃみたくぜん) – この噺に登場する雲水の僧名。「沙弥」は見習い僧、「托善」は善を託すという意味の戒名です。
- 禅問答(ぜんもんどう) – 禅宗において、悟りを開くために師匠と弟子が問答を交わすこと。通常の論理では理解できない深遠な内容が多く、言葉では表現できない真理を指し示すとされます。
- こんにゃく(蒟蒻) – 江戸時代から庶民の食べ物として親しまれた芋から作る加工食品。「丁」という単位で数え、1丁は約300gです。精進料理にも使われ、寺との関わりも深い食材でした。
- 般若湯(はんにゃとう) – 仏教用語で、本来は仏教の教えを表す言葉ですが、落語では僧侶が酒を飲む際の隠語として使われます。「般若の智慧が湧く湯」という意味から転じました。
- 符牒(ふちょう) – 特定の集団内でのみ通じる隠語や暗号。この噺では寺方(僧侶)が使う魚や酒の隠語が登場します。
- にわか坊主 – 急に僧侶になった人、またはその道の修行を積んでいない似非僧侶のこと。八五郎は典型的なにわか坊主として描かれています。
- 木蓮寺(もくれんじ) – この噺に登場する架空の寺院名。「木蓮」は仏教に縁の深い花で、目連尊者に由来する名前です。
- 五戒(ごかい) – 仏教の基本的な戒律で、①不殺生(生き物を殺さない)、②不偸盗(盗みをしない)、③不邪淫(不倫をしない)、④不妄語(嘘をつかない)、⑤不飲酒(酒を飲まない)の5つです。
よくある質問(FAQ)
Q: この噺の「こんにゃく問答」というタイトルの意味は?
A: 禅問答という高尚な宗教的対話が、こんにゃく屋の商売話というまったく次元の異なる会話にすり替わってしまうという、この噺の核心を表したタイトルです。「問答」が「こんにゃく」という庶民的な食べ物と結びつく意外性が笑いを生んでいます。
Q: なぜ僧の手振りと六兵衛の解釈がこれほど完璧に一致するのですか?
A: これが落語の妙味です。小さい輪→大きな輪、10本指→5本指、3本指→あかんべえという手の動きは、偶然にも仏教の深遠な教えと商売の値段交渉の両方を表現できてしまうのです。この偶然性が生む滑稽さが、この噺の最大の面白さです。
Q: 「胸中の大海」「五戒で保つ」「三尊の弥陀は目の下にあり」とはどういう意味ですか?
A: これらは僧が六兵衛の手振りから読み取った禅の教えです。「胸中の大海」は心の広さ、「五戒で保つ」は仏教の戒律による世界の秩序、「三尊の弥陀は目の下にあり」は仏は身近なところにいるという意味です。いずれも深遠な仏教思想を表現しています。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。登場人物の会話や設定から江戸を舞台にしていることが分かります。ただし、上方落語でも演じられることがあり、その際は言葉遣いなどが関西風にアレンジされます。
Q: 寺方の符牒(隠語)は実際に使われていたのですか?
A: はい、江戸時代の僧侶たちは実際に様々な隠語を使っていました。酒を「般若湯」、魚を「赤豆腐」や「踊りっ子」などと呼ぶのは、戒律で禁じられたものを表向き避けるための知恵でした。ただし、この噺に登場する隠語の一部は落語独自の創作も含まれています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 昭和の大名人。この噺でも六兵衛の純朴さと商人としての誠実さ、僧の真面目さを対比させながら、すれ違いの滑稽さを見事に表現しました。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。格調高い芸風で知られますが、この噺では禅問答の格式と商売話の庶民性のコントラストを際立たせる演出が秀逸でした。
- 柳家小三治 – 現代の名人。禅問答の場面では厳粛な雰囲気を作り、六兵衛の解釈では一転して人情味あふれる商人の姿を描き出します。間の取り方が絶妙です。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 美声と端正な語り口で知られる名人。この噺でも僧と六兵衛の両方の心情を丁寧に描き、単なる勘違い話を超えた人間ドラマに仕立てます。
関連する落語演目
同じく「禅・僧侶」がテーマの古典落語
「勘違い・すれ違い」の古典落語
「商人・商売」を扱った古典落語
「にわか坊主・偽坊主」の古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「こんにゃく問答」は、同じ動作や言葉が全く異なる意味を持つという、コミュニケーションの本質的な問題を笑いに昇華した傑作です。僧が見ているのは「仏教の真理」、六兵衛が見ているのは「商売の現実」──この二つの世界が、偶然の一致によって見事に嚙み合ってしまうところに、この噺の魅力があります。
現代社会でも、専門家と素人、経営者と従業員、親と子など、異なる立場の人々が同じ言葉を使いながら全く違うことを考えているという状況は頻繁に起こります。会議で使われる専門用語、SNSでの文章の解釈、世代間のコミュニケーション──すべてにおいて「こんにゃく問答」的なすれ違いが生じているのではないでしょうか。
また、この噺は「知識や教養の違い」を笑いの種にしながらも、どちらが優れているとも劣っているとも言っていません。僧は深遠な仏教哲学を追求し、六兵衛は誠実な商売人として生きている──どちらも真剣で、どちらも正しいのです。ただ、見ている世界が違うだけ。この寛容さと多様性の肯定こそが、江戸落語の懐の深さであり、現代に通じる普遍的なメッセージです。
さらに、六兵衛が最後に怒るのは、実は「騙された」と思ったからではなく、自分の商品を「これっぽっち」と馬鹿にされたと感じたからです。職人としてのプライド、商人としての誇り──そうした人間の尊厳を大切にする江戸庶民の価値観が、笑いの中にしっかりと描かれています。
実際の高座では、演者によって禅問答の格式ばった雰囲気と、商売話の庶民的な雰囲気の対比が様々に演出されます。機会があれば、ぜひ生の落語会でこの「文化の衝突と調和」をお楽しみください。













