鯉津栄之助
3行でわかるあらすじ
鯉津家の新生児『栄之助』の名前にちなんで『こいつぁええ』が禁句となった特殊な関所を清八・喜六が通過。
芸事で関所を突破し、ドジョウ料理店で三味線を聞いた喜六がつい『こいつぁええ!』と叫んで逮捕。
清八が『濃茶がええ』と言い訳しようとしたら、役人もつい『こいつぁええ!』と言ってしまうオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
清八・喜六の二人は旅を続け、伊賀国名張に入ろうとすると鹿高の関という新しい関所に出くわす。
鯉津家に『栄之助』という新生児が誕生し、その名前に通じる『こいつぁええ』を使わぬよう忠告するための関所。
通行手形がない二人に役人は「何か芸事をやれば通してやる」と提案。
清八・喜六は都々逸で難なく突破し、他の旅人たちも手妻使いや俄師などで無事パス。
腹が減った二人は名物ドジョウ汁の店に入り、喜六は店の小倅と将棋をしながら待つ。
裏手から綺麗な三人の娘が弾く三味線の音色が聞こえてくる。
浸していた喜六が「一杯飲んでいる所へ、あんなおつな音色がこんな田舎で、こいつぁええ!」と叫んでしまう。
役人たちが入ってきて喜六を取り押さえ、清八が「三味線の娘さんの中で濃い茶の着物の人が一番巧そうで濃茶がええ」と言い訳。
しかし役人が「うまい言い訳をする奴じゃ、濃い茶がええ…ついには膝を叩いて、こいつぁええ!」と言ってしまい、全員御用となるオチ。
解説
「鯉津栄之助」は特定の言葉を禁止するという設定から始まるユニークな旅落語です。
鯉津家の新生児「栄之助」の名前に音が似ている「こいつぁええ(これはいい)」を禁句にするという設定は、江戸時代の名前の忌み(実名を直接呼んではいけないという習慣)を極端に誇張したユーモアです。
この落語の見どころは、最初は芸事で突破した関所で、最終的にはその禁句が原因で大騒動になる構成です。
特に秀逸なのは、清八が喜六を守ろうとして「濃茶がええ」という苦しい言い訳をしたのに、役人がその言い訳に感心して結局禁句を口にしてしまうというオチの構造です。
これは「禁止された言葉が伝染していく」という皆無を描いたもので、禁止することの無意味さを浮き彫りにした社会批判的な一面もあります。
旅落語としては、道中の様々な旅人たちの芸事を紹介し、郷土料理のドジョウを登場させるなど、旅の情緒を豊かに描いた作品でもあります。
あらすじ
七度狐に化かされたりしながらも、清八、喜六の二人連れは墨坂峠を越えて、榛原宿へと入った。
旅籠油屋の前の札の辻で山越えの本街道と分かれ、初瀬街道を進む。
山部赤人の墓がある山辺三を過ぎ、琴弾峠を越え、藤堂藩本陣がある三本松から青葉の滝の先で、伊賀国名張に入ろうとすると安宅ならぬ鹿高(かだか)の関という新しい関所がある。
領主の鯉津家に「栄之助」という嫡男が誕生し、その名前に通じる「こいつぁええ」という言葉を使わぬよう、忠告するための関というまるで落語に登場するような関所だ。
役人は通行手形を見せろと言うがそんな用意はない。
すると役人は目出度い折であるから、何か芸事をやれば通してやるという。
清八・喜六は粋で、色っぽい、洒落て、下らない都々逸で難なく突破。
他の旅人も、手妻使い、俄(仁輪加)師などの芸達者で、田舎の役人は面白がって全員、無事パスで名張宿へ進む。
思わぬ所で手間取って宿までは腹が持たない二人、「名物ドゼウ汁」の店に入る。
この店はこれから「ドジョウをすくいに行く」なんて言わない。
喜六はドジョウを待つ間に店の小倅と将棋を始めるが、弱すぎて(むろん喜六)相手にならない。
出てきたドジョウと酒でくつろいでいると、裏手から三味線の音が聞こえてきた。
見ると綺麗な三人の娘が三味線を弾いている。
思わず喜六 「一杯飲んでいる所へ、あんなおつな音色がこんな田舎で、こいつぁええ!」と叫ぶと、役人達が入って来て喜六を取り押さえた。
びっくりして声も出ない喜六に代わって清八が役人をあしらう。
清八 「三味線を弾いていた娘さんの中で濃い茶の着物の人が一番巧そうなので濃茶がええなぁ、 濃茶がええなぁ、濃茶ぁえぇと、申したんで」
役人 「うまい言い訳をする奴じゃ、濃い茶がええ、濃い茶ぁええ、・・・ついには膝を叩いて、こいつぁええ!」で御用となった。
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 鯉津栄之助(こいつえいのすけ) – この噺の題名であり、架空の武家の新生児の名前。「こいつぁええ」という言葉に音が似ているため、禁句の設定に利用されています。
- 関所(せきしょ) – 江戸時代に街道の要所に設けられた検問所。通行手形の検査や「入鉄砲に出女」(武器の持ち込みと女性の江戸からの退去)の取り締まりを行いました。
- 鹿高の関(かだかのせき) – この噺に登場する架空の関所。実在の「安宅の関」(歌舞伎「勧進帳」で有名)をもじった名前です。
- 通行手形(つうこうてがた) – 関所を通過するために必要な証明書。藩や村から発行され、身分や目的を記載していました。
- 芸事(げいごと) – 芸能や芸術。この噺では関所通過の条件として様々な芸が披露されます。
- 都々逸(どどいつ) – 七五七五の音数律を持つ定型詩。恋愛や人情を題材にしたものが多く、江戸時代から明治時代に流行しました。
- 手妻使い(てづまつかい) – 手品師、マジシャンのこと。江戸時代は「手妻」と呼ばれる日本伝統の奇術が人気でした。
- 俄(にわか) – 即興の寸劇や滑稽芸。「仁輪加」とも書きます。
- ドジョウ汁(どじょうじる) – ドジョウを使った料理。江戸時代は庶民の栄養源として重要で、名物料理として知られていました。
- 濃茶(こいちゃ) – 茶道で濃く点てた抹茶。この噺では「こいつぁええ」の言い訳として「濃茶がええ」が使われます。
- 名前の忌み(なまえのいみ) – 実名を直接呼んではいけないという日本の伝統的な習慣。特に貴人や武家の名前には敬意を表して避諱(ひき)が行われました。
よくある質問(FAQ)
Q: 「こいつぁええ」を禁句にする関所は実在しましたか?
A: いいえ、これは落語の創作です。ただし「名前の忌み」という習慣は実際にあり、貴人や武家の実名を直接呼ぶことは避けられました。この噺はその習慣を極端に誇張して笑いに変えています。
Q: なぜ芸事で関所を通過できるのですか?
A: 通行手形がない場合の特別措置という設定です。実際の江戸時代の関所では考えられないことですが、「目出度い折」(新生児誕生)という理由で、役人が融通を利かせるという落語的な発想です。歌舞伎「勧進帳」の影響も感じられます。
Q: オチの「役人もつい禁句を言ってしまう」の意味は?
A: これは「禁止された言葉が伝染していく」様子を描いています。清八の「濃茶がええ」という言い訳があまりに巧妙なので、役人が感心して繰り返すうちに、つい本来の「こいつぁええ」を言ってしまうという構造です。禁止することの無意味さや、言葉狩りの矛盾を風刺しています。
Q: ドジョウ料理はなぜ名物なのですか?
A: 江戸時代、ドジョウは安価で栄養価が高く、庶民の重要な栄養源でした。特に街道沿いの宿場町では名物料理として提供されることが多く、滋養強壮に効くとされていました。
Q: この噺の舞台はどこですか?
A: 大阪から伊勢参りの帰路、伊賀国名張(現在の三重県名張市)周辺です。墨坂峠、榛原宿、琴弾峠など、実在の地名が多く登場し、旅の情緒を豊かに描いています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 三代目桂米朝 – 上方落語の人間国宝。旅の情景描写を丁寧に語り、禁句が伝染していく様子を絶妙な間で表現しました。
- 五代目古今亭志ん生 – 江戸落語の名人。清八・喜六のコンビを軽妙に演じ、役人のとぼけた雰囲気を自然体で描きました。
- 桂文枝(六代目) – 上方落語協会会長。芸事の場面を華やかに演じ、オチまでのテンポが秀逸です。
- 柳家小三治(十代目) – 現代の名人。言葉が伝染していく過程を繊細に描き、社会風刺的な側面を際立たせています。
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この噺の魅力と現代への示唆
「鯉津栄之助」の最大の魅力は、特定の言葉を禁止するという設定から生まれる連鎖反応を描いた構造にあります。「こいつぁええ」という日常的な感嘆詞を禁句にするという設定自体が荒唐無稽ですが、その禁句が最終的には役人自身に災いするという展開は、言葉狩りや過度な規制の無意味さを風刺しています。
「名前の忌み」という江戸時代の実際の習慣を極端に誇張して笑いに変えている点も巧妙です。貴人の実名を避けるという本来の敬意の表現が、日常会話まで規制する馬鹿馬鹿しさに変化する様子は、現代の「言葉狩り」や「過度な配慮」にも通じる普遍的なテーマです。
関所を芸事で通過する場面は、歌舞伎「勧進帳」の影響を感じさせます。通行手形がない弁慶一行が関所で問答をする名場面を、庶民的な旅落語にアレンジした発想は落語ならではです。都々逸、手妻、俄など様々な芸が披露される場面は、江戸時代の芸能文化を垣間見ることができます。
ドジョウ料理店での三味線の場面も秀逸です。田舎の宿場町で聞く美しい三味線の音色に感動した喜六が、思わず「こいつぁええ!」と叫んでしまう自然な流れは、禁句を意識すればするほど口にしてしまうという人間心理を的確に描いています。
清八の「濃茶がええ」という言い訳は、苦し紛れながらも巧妙な機転です。「こいちゃ」と「こいつぁ」の音の類似を利用した言葉遊びは、現代の「言葉の言い換え」や「婉曲表現」にも通じます。しかし最終的には役人がその言い訳に感心して繰り返すうちに、つい本来の禁句を口にしてしまうという構造は見事です。
オチの「役人もつい禁句を言ってしまう」は、規制する側も規制される側も結局は同じ人間であることを示しています。「濃茶がええ」と繰り返すうちに「こいつぁええ」に変化していく言葉の連鎖は、禁止された言葉が伝染していく様子を巧みに描いており、言論統制や検閲の無意味さを風刺しています。
現代社会でも「言ってはいけない言葉」や「不適切な表現」について議論が絶えませんが、この噺が示すのは、言葉を禁止することの困難さと矛盾です。規制する側も結局は同じ言葉を使ってしまうという構造は、言葉狩りの本質的な問題を浮き彫りにしています。
実際の高座では、演者によって清八・喜六のキャラクター設定や、役人が禁句を口にする瞬間の表現が異なり、それぞれの個性が楽しめます。特にオチに向けての「濃茶がええ」から「こいつぁええ」への変化は、演者の技量が試される部分です。


