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【古典落語】子ほめ あらすじ・オチ・解説 | ただ酒欲しさの世辞天才が生んだ究極の言葉遊び

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話芸の殿堂-古典落語-子ほめ
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子ほめ

3行でわかるあらすじ

ただ酒欲しさの松ちゃんが隠居に世辞の仕方を教わり、赤ちゃんを褒めてただ酒をもらおうと奥手を使う。
しかしお爺いさんと赤ちゃんを間違えたり、『猿みたい』『茶でたんか』などとんでもない褒め方で大失敗。
最後は赤ちゃんに『今朝生まれたてより若く見える』と言って『まだ生まれてないみたい』というオチ。

10行でわかるあらすじとオチ

ただ酒欲しさの松ちゃんが隠居の家を訪問し、「灘の酒」を「ただの酒」と聞き間違いしている。
隠居はただ酒を飲むなら世辞やお世辞が必要だと教え、年齢を若く言う技や赤ちゃんの褒め方を伝授。
松ちゃんは早速実践しようと伊勢屋の番頭に声をかけるが、年齢を無理やり変えさせて失敗。
今度は竹やんの家の生まれたての赤ちゃんを褒めに行くことに。
しかし松ちゃんは昼寝中のお爺いさんを赤ちゃんと間違えて「頭がはげて歯が抜けて」と言い出して大失敗。
本物の赤ちゃんに対しても「猿みたい」「茶でたんか」「近所から祝い取りよった」などとんでもないことばかり。
仕込みの誉め言葉を使っても「亡くなったお爺いさんそっくり」と言ってしまい、さらに「お腹押さえたらキュッキュッいうてる」でぶち壊し。
最後の奥手で赤ちゃんの年齢を聞くと「今朝生まれたとこ」と答えられる。
松ちゃんは「今朝生まれたてより若く見える」と言い、最終的に「どう見てもまだ生まれてないみたい」という究極の言葉遊びでオチをつける。

解説

「子ほめ」はただ酒欲しさの主人公が世辞を覚いで酒を手に入れようと奥手を使って失敗するコミカルな落語です。

特に秀逸なのは、隠居から教わった「年齢を若く言う」という世辞の技術を、赤ちゃんに適用して「今朝生まれた」よりも若く見えるという理屈で「まだ生まれてないみたい」という結論に至るオチの構造です。

このオチは単なるダジャレではなく、教わった技術を論理的に推し進めた結果、論理的には正しいのに現実的には無茶苦茶な結論になるというユーモアの精妙さがあります。

また、松ちゃんのキャラクター設定も絶妙で、世辞を覆いでただ酒をもらおうという欲望と、実際の不器用さのギャップが、お爺いさんと赤ちゃんを間違える、「猿みたい」「茶でたんか」というとんでもない褒め方など、連続したボケで笑いを誘います。

この落語は世辞やお世辞という人間関係の潤滑油をテーマにしながら、それが逆効果を生む様子をコミカルに描いた作品でもあります。

あらすじ

隠居の家へ松ちゃんが、「ただの酒を飲ませてくれと」やって来た。
芳さんから「灘の酒」と聞き間違っているのだ。
隠居はただで酒を飲ませてもらうには、お世辞、べんちゃらの一つも言わないとあかんという。

それでもだめなら、奥の手を出せばいいという。
相手の歳を聞いて、それより若く見えると言うのだ。45歳なら、「どう見ても厄(42)そこそこ」、「50なら47.8」・・・・「100なら95.6」とこんな調子だ。

子どもの場合には反対に歳を余計に、「10歳ですか? しっかりしたはりますなぁ、どお見ても12、3歳には見えま す」と言わなあかん。

赤子の誉め方は、「さて、これがあんさんのお子さんでございますか。
どおりで目元から鼻筋にかけてはお父さん、口元から あごのあたりにかけてはお母さんそっくり、額の広い所なんかは亡くなったお爺さんに似て長命の相がございます。栴檀は双葉より芳し、蛇は寸にしてその武威を顕わす、私もこういうお子さんに、あぁ~、あやかりたいあやかりたい」 とこんな具合だと教わり、松ちゃんは早速、人体実験すべく隠居の家を飛び出す。

すぐに見知らぬ人に声を掛け失敗、次に伊勢屋の番頭にばったりと出くわし声を掛けると、番頭から「よぉ、町内の色男」と機先を制される。
隠居から教わったお世辞とべんちゃらで攻めるが失敗し、奥の手の歳を聞く。
番頭の「今年40だ」の想定外の歳に困った松ちゃん、無理に番頭に「45だ」と言わせて、「どう見ても厄そこそこ」と言って、番頭は怒って行ってしまいただ酒どころではない。

大人はあかんこうなら子どもだ、竹やんの所に生まれた赤子を誉めに行くことにする。
竹やんは早速赤子を見に来てくれたのには嬉しいが、なにせ松ちゃんのこと不安でもあるが奥へ通す。
案の定、松ちゃんは昼寝をしているお爺さんを赤ん坊と間違え、「随分と大きい、産まれたてのくせに頭がはげて歯が抜けて皺だらけだ・・・・」なんて言っている。

赤ん坊のそばに座った松ちゃん、「猿みたいやなぁ、赤い顔して、これ茹でたんか」ときた。「可愛らしぃ 手やなぁ、もみじみたいやなぁ」で始めてまともなことを言い竹やんも嬉しがる。
すると、「こんな可愛らしぃ手して、近所から祝い取りよった」で台無しだ。

竹やんの「うまいこと褒めてくれ。一杯でも二杯でも飲ませるから」に、松ちゃんは仕込みの誉め言葉を並べ始めたが、「さて、・・・・額の広いところなんかは亡くなったお爺さんそっくり・・・・」とすぐに脱線だ。

でも松ちゃんの「お人形さんみたいやなぁ」の一言に、竹やん「もぉ 何にも言ぃな、”人形さんみたい”か、嬉しいこと言うてくれた」と喜ぶが、松ちゃん「何や知らんけど、お腹押さえたら”キュッキュッ”いうてるで」でぶち壊しだ。
こうなれば最後の奥の手を出すしかない。

松ちゃん 「あんさん、お歳はおいくつで」

竹やん 「幾つも何も、今朝産まれたとこやがな」

松ちゃん 「今朝産まれたとこ? とはお若こう見える」

竹やん 「アホなこと言ぅな、産まれたてより若かったらどやっちゅうねん?」

松ちゃん 「どぉ見ても、まだ産まれてないみたいや」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • ただ酒(ただざけ) – 無料で飲む酒のこと。この噺では「灘の酒(なだのさけ)」を聞き間違えて「ただの酒」と勘違いしたことから物語が始まります。
  • 世辞・お世辞(せじ・おせじ) – 相手を褒めたり持ち上げたりする社交辞令。人間関係を円滑にするための言葉ですが、過剰になると逆効果になります。
  • べんちゃら – お世辞よりも軽い意味で使われる、相手を褒める言葉。関西弁で「おべっか」「お世辞」のこと。
  • 厄(やく) – 厄年のこと。男性の場合、42歳が大厄とされています。「厄そこそこ」は42歳前後という意味です。
  • 栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし) – 優れた人は幼い頃から優れた資質を示すという意味のことわざ。赤ちゃんを褒める定型句として使われます。
  • 蛇は寸にしてその武威を顕わす(じゃはすんにしてそのぶいをあらわす) – 優れた人物は小さい時から非凡な才能を示すという意味のことわざ。「栴檀は双葉より芳し」と同様の意味です。
  • 灘の酒(なだのさけ) – 兵庫県灘地方で醸造される上質な日本酒。江戸時代から銘酒として知られていました。

よくある質問(FAQ)

Q: 「まだ生まれてないみたい」というオチはどういう意味ですか?
A: 隠居から教わった「年齢を若く見えると言う」という世辞の技術を、赤ちゃんに適用した結果です。「今朝生まれた」よりも若く見えると言おうとして、論理的に推し進めると「まだ生まれてない」という結論になるという言葉遊びです。

Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 上方落語の演目です。松ちゃんや竹やんという登場人物、関西弁での語り口が特徴です。江戸落語にも類似の演目がありますが、設定や細部が異なります。

Q: 「灘の酒」を「ただの酒」と聞き間違えるのは無理がありませんか?
A: これは落語の設定上の笑いです。実際には聞き間違えにくいですが、松ちゃんの愚かさと欲深さを表現するための仕掛けとなっています。

Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、現在でも多くの落語家が高座にかけています。お世辞や社交辞令という普遍的なテーマを扱っているため、時代を超えて共感される内容です。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 桂米朝(三代目) – 人間国宝。この噺を上方落語の基本的な演目として大切に演じ、松ちゃんの愚かさと憎めなさを巧みに表現しました。
  • 桂枝雀(二代目) – 独特のテンポとオーバーアクションで、松ちゃんの失敗を次々と畳み掛ける演出が印象的でした。
  • 桂ざこば – 関西弁の味わいを活かした語り口で、庶民的な雰囲気を醸し出す演出が特徴です。
  • 桂文枝(六代目) – 軽妙な語り口で、お世辞と本音のギャップを効果的に表現しました。

関連する落語演目

同じく「ただ酒」を題材にした古典落語

言葉遊びのオチが秀逸な古典落語

失敗を重ねる愚か者が主人公の古典落語

赤ちゃんが登場する古典落語

この噺の魅力と現代への示唆

「子ほめ」の最大の魅力は、「年齢を若く言う」という世辞の技術を論理的に推し進めた結果、「まだ生まれてない」という無茶苦茶な結論に至るオチの構造にあります。これは単なるダジャレではなく、教わった技術を忠実に適用した結果、論理的には正しいのに現実的には無意味な結論になるというユーモアの精妙さを示しています。

現代社会でも、お世辞や社交辞令は人間関係の潤滑油として重要な役割を果たしています。しかし、この噺が示すように、過剰なお世辞や不器用な褒め方は逆効果になることがあります。松ちゃんの失敗は、形式的なお世辞ではなく、心からの言葉が大切だということを教えてくれます。

松ちゃんのキャラクター設定も絶妙です。ただ酒欲しさという欲望と、実際の不器用さのギャップが、お爺いさんと赤ちゃんを間違える、「猿みたい」「茶でたんか(茹でたのか)」「近所から祝い取りよった(祝儀をもらい歩いた)」というとんでもない褒め方など、連続したボケで笑いを誘います。

この噺はまた、言葉の論理性と現実の矛盾を巧みに突いた作品でもあります。「年齢を若く言う」という技術を赤ちゃんに適用すると、論理的には「まだ生まれてない」という結論になる。この論理の暴走が生む笑いは、落語ならではの知的なユーモアです。

上方落語の特徴である軽妙な関西弁の語り口、庶民的な登場人物たち、そして人間の欲望と愚かさを愛嬌たっぷりに描く手法が、この噺を時代を超えて愛される作品にしています。もし高座で演じられる機会があれば、松ちゃんが次々と失敗を重ねる場面と、最後のオチの展開に特に注目して聴いてみてください。


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