けんげしゃ茶屋
3行でわかるあらすじ
縁起担ぎ(けんげしゃ)で有名な芸妓国鶴一家を困らせようと、村上の旦那が正月早々に縁起の悪いことばかり言う悪ふざけを企画。
屠蘇を土葬、昆布巻きを棺巻きと言い換えて国鶴を困らせ、又兵衛が葬列姿で「冥土から死人が迎えに来た」と登場する。
最後に幇間の繁八が死装束で現れて「死に恥」と改名するが、また「めでたい」と言ってしくじうオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
村上の旦那が新町で粟餅を使った下品ないたずらをして「ババの旦那」という仇名がついてしまう。
大晦日に遊び仲間の又兵衛と出会い、縁起担ぎ(けんげしゃ)で有名な芸妓国鶴の店で悪ふざけを企画する。
正月早々、旦那は国鶴一家に「昨夜、国鶴が井戸に飛び込む夢を見た」と縁起の悪い話を始める。
屠蘇を土葬、お燗を湯灌、昆布巻きを棺巻き、にしんを死人と正月料理を全て縁起の悪い言葉に言い換える。
国鶴が初詣の話をすると天満天神は「一人寂しく死んだ」、大黒さんは「大きに苦労」と返して困らせる。
座敷が盛り上がった頃、又兵衛が葬列姿で現れて「冥土から死人が迎えに来た」と名乗る。
旦那は又兵衛を「渋谷藤兵衛、略してめいどのしぶとう」と紹介し、二人で縁起の悪いことを言い放題。
幇間の繁八が「おめでとう」を連発して叱られ、慌てて死装束で戻ってくる。
繁八は「繁八改め死に恥と改名、年玉の御礼が頓死玉の憂い」と見事な言い換えで旦那の機嫌を直す。
しかし最後に「ああ、めでたい」と言ってまたしくじい、懲りない繁八のオチで締まる。
解説
「けんげしゃ茶屋」は上方落語の代表的な茶屋噺の一つで、別題に「国鶴」「かつぎ茶屋」があります。大阪の花街を舞台にした演目で、江戸落語にも移植されて演じられていますが、茶屋遊びの伝統に乏しい江戸にはない独特の文化的背景を持つ上方ならではの作品です。
「けんげしゃ」とは「験(げん)担ぎ」、つまり縁起を気にする人のことを指します。京都では「ケイゲイシイ人」の訛りで「ケーゲシャ」「ケゲシャ」から潔癖な人の意味、大阪では御幣かつぎの意味とされています。この演目は縁起担ぎを逆手に取った悪ふざけを描く、正月を舞台にしながらもブラックユーモア満載の異色作です。
この落語の最大の特徴は、正月の縁起物を次々と不吉な言葉に言い換える言葉遊びの巧妙さにあります。屠蘇→土葬、昆布巻き→棺巻き、にしん→死人といった一連の駄洒落は、単なる語呂合わせを超えて、縁起担ぎという庶民の迷信を風刺する社会批評的な側面も持っています。
演者としては人間国宝の故・桂米朝師匠が得意とし、現在は弟子の桂米二師や桂文珍師などが継承しています。特に米朝師の演出では、村上の旦那の悪戯心と国鶴一家の困惑ぶりの対比が絶妙に表現され、観客は罪悪感を抱きながらも笑ってしまう複雑な心境に陥ります。年末年始の季節性を持つ演目でありながら、新年に演じるには憚られるという矛盾した性格も、この噺の独特な魅力の一つです。
あらすじ
新町のなじみに店に向かう村上の旦那、大門あたりの幾代餅の店でアンコをつけていない粟餅を買って包を懐(ふところ)に入れ店に上がる。
いつもの連中と騒いでいると、旦那は腹が痛いと浮かぬ顔、隙をみて粟餅を取り出し、足の間にそっと落として立ち上がり、「あぁ、出るもんがコロッと出たさかい、すっくりと治った」、皆が旦那の足元を見て、「旦さん、何という事を遊ばしますねん」、雑巾だ、ほうきだと大騒ぎ。
旦那は少しも慌てず騒がず、「わしの体から出たもの、わしが始末つけたるわい」と、それをつまんで口の中にポイと入れ、美味そうに食ってしまた。
芸者たちは逃げ出すやら、反吐(へど)を吐くやらの大騒ぎ。
幇間(たいこもち)の一八がしゃしゃり出て旦那に説教を始めた。「・・・あんたがこんなことをなさるとは御人体(ごじんてい)にかかわります・・・」なんて偉そうな物言いに、旦那は懐から粟餅を取り出し、「・・・趣向を見破って、旦さんのお身体から出たもんなら私が頂戴いたしますと、食う真似でもしてみい。お前の額(でぼちん)に百円札一枚、ペタッと貼りつけたるんや」、一八「旦さん、それを先に言うといてくれはったら」なんて虫のいいことを言っている。
そのうちに旦那は本当に手洗いに行きたくなり、そっと座敷から出た。
それを見逃さずに一八、また旦那の悪ふざけを始めると思って、百円札目当てについて来て、「旦さん、この辺でどうです」としつこい。
手洗いの入口でもめているいるうちに、旦那はこんどは本物(ほんまもん)を、コロッと落とした。
一八が、「ありがたい、ここでご祝儀」と、つまみ上げて口元まで持って行った時の顔が旦那には忘れられない。
それ以来、”ババの旦那”という仇名がついてしまい体裁が悪いので新町からは遠ざかっている。
大晦日にそんなことを思い出しながら一人でぶらついていると、遊び仲間の又兵衛に出会う。
旦那は明日、南に一軒店を持たせてある若い芸妓の国鶴のところで遊ぼうと誘う。
むろん、旦那はただ飲んで騒ぐだけではない趣向を考えている。
国鶴一家は大のけんげしゃ、かつぎやで、何でもかんでもの御幣かつぎ。
正月早々、縁起でもないこと言ったりしたりして、国鶴たちの困った顔を肴に酒を楽しもうという悪巧みだ。
又兵衛には十人ほどの葬礼の姿で”冥土から死人(しぶと)が迎えに来た”と店を訪ねて来るように頼む。
さあ、元旦の朝、旦那は船場の本宅で年酒を祝って家を出て南へ、戎橋を渡り橋筋中筋東へ入った南側の「鶴の屋」看板、横に国鶴の親父さんの、林松右衛門の表札のかかる家へ入る。
国鶴の母親の長い年始の挨拶を聞き流した旦那「この家で何か変わったことはなかったか?」、「いえいえへ別に変わったことなど・・・」、旦那「・・・昨夜、国鶴が井戸に飛び込み、後を追ってお前(ま)はんも続いてドボーン・・・”何をするねん!”と言う自分の声で目が覚めた」と、旦那のおふざけ趣向が始まった。
母親はもう始まったかと冷静に「縁起でもない、おかげさまでこの通りみな無事で・・・それに旦さん、昔から夢は逆夢と言いますよってに」と逆手に出た。
旦那「そうか逆だったか、国鶴が先に飛び込んだと思ったが、お前さんが先だったか」と、一枚も二枚も上手だ。
旦那 「親父どんの顔が見えんが?」、「早々からお礼に参っとります」、旦那「正月早々、葬礼かいな。国鶴は?」、母親「二階で髪を・・・」、「下ろしてるか」、げんの悪いことばかり並べ旦那は二階へ上がる。
旦那 「おお、春の飾りが見事にでけて・・・この短冊は」、国鶴「錆田の先生がお父つぁんの還暦祝うて作ってくれはりました。名前の林松右衛門を折り込んで、”のどかなる林にかかる松右衛門”でおます」、旦那「けったいな句やな”のどが鳴る早や死にかかる松右衛門”」、国鶴「そんなもう・・・お母ちゃん、こんな短冊、外してしまいなはれ」と、きりきりして来る。
さらに旦那は屠蘇(とそ)を土葬、お燗を湯灌、黒豆を苦労豆、昆布(こん)巻きを棺巻、にしんを死人と、止まらない。
重箱の蓋を取って、煮しめの上の青のりを見て「煮しめが草葉の陰から」なんて絶口調だ。
国鶴は話題を変えて芸妓仲間と初詣に連れて行ってとねだる。
旦那「おお、行こ行こ、どこがええ」、「天満の天神さんへ行きたいわ」、旦那「あの人は無実の罪で大宰府に流され、一人寂しゅう死にはったなあ」、
国鶴 「そなら木津の大黒(大国)さん」、旦那「大黒さんは大きにくろうすると書く」
国鶴 「ほな、恵比寿さんにします」、「今宮の恵比須さんは耳が遠くて目が近い」
国鶴 「生玉はん!」、「生玉はんは松屋町筋を真っすぐ、迷わずただ一筋に・・・・」
国鶴 「そんなご法談みたいなこと、わて、もうどこへも行かへん」とお冠。
そのうちに芸妓仲間が来て座敷は賑やか、陽気に盛り上がり、国鶴の機嫌も直った頃、又兵衛が昨日の打ち合わせの手筈通りに葬列姿でやって来た。
又兵衛 「村上の旦那に冥土から死人(しぶと)が迎えに来たとお取次ぎを」、びっくりした母親が仕方なく取り次ぐと、
旦那「京都の御影堂のそばに住んでいる、渋谷藤兵衛という男や、略して”めいどのしぶとう”や」、二階に上がった又兵衛に旦那は、「これがこの頃ひいきにしている妓や。まだ鼻垂れ芸者やけど国鶴というて」と紹介する。
又兵衛「鼻も垂れるやろ、首つるなら」、二人がかりでげんの悪いことばかり言いたい放題で、国鶴は今にも泣きださんばかり。
ちょうど下を通り掛かったのが幇間の繁八、葬列にびっくりして母親に聞いて納得、あの旦那ならやりそうな趣向と、中に入って二階へ上がってみなの前で、「・・・・どなたはんも、こなたはんもおめでとうさん、おめでとうございます」の連呼。
旦那 「なんや呼びもへんのにいきなり上がって来て、めでたい、めでたいとべらべら、何がめでたいねん。・・・お前のような目先の見えん奴はもうひいきにせん。帰れ!」、しもたこいつはしくじったと繁八、下へ駆け下りて表へ飛び出したが、すぐに死装束でまた上がった来た。
繁八 「・・・初春(はる)早々、旦さんのような良(え)えお客さんをしくじるようでは、もうあかんと思いまして、繁八改め”死に恥”と改名いたしまして、頓死玉の憂いに参りました。これはこころばかりの位牌でございます」
旦那 「うーむ、繁八を死に恥、年玉の御礼が頓死玉の憂い、心ばかりの祝いが心ばかりの位牌とは・・・よう出来た。よし、今までどおりひいきにしてやるぞ」
繁八 「ご機嫌が直りましたか。ああ、めでたい」で、またしくじった。
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- けんげしゃ(験下者) – 「験担ぎ」のこと。縁起を気にする人を指します。京都では「ケイゲイシイ人」の訛りで「ケーゲシャ」、大阪では「御幣かつぎ」の意味として使われました。縁起の良し悪しを極端に気にする性格を表します。
- 新町(しんまち) – 大阪の代表的な遊郭があった地域。現在の大阪市西区新町付近。江戸時代は花街として栄え、茶屋遊びの文化が発達していました。
- 幇間(ほうかん) – 太鼓持ちとも呼ばれ、宴席で座を盛り上げる職業的な芸人。客の機嫌を取り、場を和ませる役割を担っていました。この噺では繁八がその役です。
- 屠蘇(とそ) – 正月に飲む縁起物の薬酒。漢方薬を浸した酒で、一年の邪気を払い無病息災を願う風習がありました。これを「土葬」と言い換えるのがこの噺の笑いのポイントです。
- 湯灌(ゆかん) – 死者の遺体を清める儀式。亡くなった人の体を湯で拭き清めることから、お燗(酒を温めること)を湯灌と言い換える言葉遊びになっています。
- 昆布巻き(こんぶまき) – 正月料理の定番。「よろこぶ」に通じる縁起物。これを「棺巻き(かんまき)」と言い換えて不吉にしています。
- にしん – 鰊。昆布巻きに使われる魚で「二親」に通じる縁起物。これを「死人(しびと)」と言い換えています。
- 位牌(いはい) – 死者の戒名を記した木製の札。仏壇に祀られるもので、本来は最も不吉なものを正月に持ってくる繁八の機転が笑いを誘います。
よくある質問(FAQ)
Q: 「けんげしゃ」とは具体的にどんな人のことですか?
A: 縁起を非常に気にする人のことです。例えば朝一番に会った人が葬式帰りだったら商売をやめる、出かける時に「行ってきます」ではなく「行って参ります」と言わないと気が済まない、など、縁起の良し悪しで行動を決める人を指します。現代でも験を担ぐ人は多いですが、国鶴一家はそれが極端な設定です。
Q: なぜ正月に縁起の悪いことを言う噺が作られたのですか?
A: これは縁起担ぎという庶民の迷信を風刺する意図があります。江戸時代、特に商家では縁起を過度に気にする風習があり、それが時に滑稽に映ることもありました。この噺は、縁起担ぎの行き過ぎを笑いながらも、人間の俗信に対する複雑な心情を描いています。
Q: 繁八の「死に恥」という改名は何が優れているのですか?
A: 三重の言葉遊びが見事だからです。①名前の「繁八」を「死に恥」に、②「年玉の御礼」を「頓死玉の憂い」に、③「心ばかりの祝い」を「心ばかりの位牌」にと、全て縁起の悪い言葉に変換しています。これを咄嗟に思いついて実行する機転が、幇間としての芸の高さを示しています。
Q: 最後に「めでたい」と言ってしくじるのはなぜですか?
A: 繁八が懲りない性格であることを示すオチです。せっかく見事な言葉遊びで旦那の機嫌を直したのに、思わず本音が出て「めでたい」と言ってしまう。この人間臭さが笑いを誘います。完璧ではない、失敗する人間の愛嬌が落語の魅力です。
Q: この噺は江戸落語にもありますか?
A: はい、江戸落語にも移植されていますが、元は上方落語の演目です。新町という大阪の花街や、茶屋遊びの文化は上方特有のもので、上方で演じられる方が地域色が濃く出ます。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。この噺を得意としており、村上の旦那の悪戯心と国鶴一家の困惑を絶妙に表現。言葉遊びの巧みさが光る演出でした。
- 桂文珍 – 上方落語の人気演者。軽妙な語り口で、正月の華やかさと縁起の悪さの対比を見事に演じます。
- 桂米二 – 米朝の弟子。師匠から受け継いだこの噺を、現代的な解釈も加えながら演じています。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれ、繁八の失敗と機転を愛嬌たっぷりに演じる名手です。
関連する落語演目
同じく「言葉遊び」がテーマの古典落語



「正月」を舞台にした古典落語



「幇間・花街」が登場する古典落語


この噺の魅力と現代への示唆
「けんげしゃ茶屋」の最大の魅力は、正月という最も縁起を担ぐべき時期に、あえて縁起の悪いことばかりを言うという逆説的な面白さです。
屠蘇→土葬、昆布巻き→棺巻き、にしん→死人といった一連の言葉遊びは、単なるダジャレを超えて、言葉の持つ力と迷信の関係を浮き彫りにしています。言葉を変えるだけで縁起物が不吉なものに変わるという構造は、言葉と現実の関係について深く考えさせられます。現代でも「言霊」という概念があり、言葉には霊的な力があると信じる人は多く、この噺のテーマは時代を超えて普遍的です。
また、縁起担ぎという風習を笑いながらも、それを完全に否定していないところが興味深い点です。村上の旦那は悪ふざけをしていますが、それは国鶴一家が過度に縁起を気にするから面白いのであって、縁起担ぎそのものを全否定しているわけではありません。日本人の多くが初詣に行き、験を担ぐという行為に一定の理解を示しながら、その行き過ぎを笑うという絶妙なバランスが、この噺の奥深さです。
繁八の「死に恥」という改名場面は、落語における「機転」の重要性を象徴しています。失敗してもすぐに挽回する臨機応変さは、現代のビジネスシーンでも求められる能力です。しかし最後に「めでたい」と言ってまたしくじるというオチは、人間は完璧にはなれないという諦めと愛情を込めた描写でもあります。
実際の高座では、縁起物を次々と不吉な言葉に変換していく場面でのテンポと、繁八が死装束で登場する場面の視覚的効果が見どころです。演者によって言葉遊びのバリエーションが異なることもあり、複数の落語家の演じ分けを楽しむのもおすすめです。機会があれば、ぜひ生の落語会でこのブラックユーモア満載の名作をお楽しみください。


