片側町
3行でわかるあらすじ
芝居好きの髪結床の親方が歌舞伎の話に夢中になりながら客の髭を剃り、興奮して剃刀で客を切ってしまう。
客に芝居の話をやめるよう注意されても止められず、五右衛門の楼門の場面を語りながら更に興奮する。
ついに幕切れの場面で興奮のあまり客の片鬢を剃り落とし、「片側町お歩きなさい」と言葉遊びで締める。
10行でわかるあらすじとオチ
芝居好きの髪結床の親方と歌舞伎好きの客が、浄瑠璃物と生世話物のどちらが良いかという話をしている。
親方は最初は役者の髷の結い方ばかり見ていたが、今は番立から最後まで全て見るようになったと語る。
話に夢中になった親方が櫛のつもりで剃刀の刃の方で客の頭を叩き、客を切って血を出してしまう。
客は芝居の話をやめるよう注意するが、親方は「だんまり」の言葉から三幕目のだんまりを思い出してしまう。
五右衛門が南禅寺の楼門で「絶景かな」と言う場面から、久吉が巡礼姿で現れる場面まで詳細に語り始める。
興奮した親方は「かかかかか」と効果音まで入れながら幕の動きまで真似して話し続ける。
客が「人の頭で幕を開けたり閉めたりするな」と怒ると、長い毛が落ちてきたことに気づく。
親方は幕切れの動作で興奮のあまり客の片鬢を剃り落としてしまったことを告白する。
客が「みっともなくて表が歩けない」と嘆くと、親方は「当分、片側町お歩きなさい」と提案する。
片鬢がない状態を隠すため片側だけを歩けという意味と、町名「片側町」をかけた絶妙な言葉遊びのオチ。
解説
「片側町」は江戸時代の職人文化と歌舞伎文化を背景にした古典落語で、髪結い(床屋)の職業病的な失態を描いたユーモラスな作品です。江戸時代の髪結いは単なる散髪屋ではなく、髷を結う専門技術者として重要な社会的役割を担っていました。特に男性の髷は身分や職業を表す重要な要素で、その仕上がりは社会的信用に直結していました。
この噺の魅力は、歌舞伎への愛が職業意識を上回ってしまう親方の人間臭さにあります。最初は役者の髷の技術面に注目していた職人が、やがて芝居そのものの魅力に取り憑かれていく過程が丁寧に描かれています。特に石川五右衛門の「楼門五三桐」の場面を語る部分では、煙管の材質から幕の引き方まで、当時の歌舞伎演出の詳細な知識が盛り込まれており、江戸時代の演劇文化を知る貴重な資料としても価値があります。
オチの「片側町お歩きなさい」は、実用的な助言と地名を掛けた巧妙な言葉遊びです。片鬢を剃り落とされた客が恥ずかしくて歩けないという状況に対し、片側だけを見せて歩けば良いという現実的な解決策を提示しながら、同時に「片側町」という架空の町名で笑いを取る構造になっています。職人の失敗を洒脱な言葉遊びで収める、江戸っ子らしい機知に富んだ締めくくりとなっています。
あらすじ
芝居好きの髪結床の親方が、芝居好きの客と話しながら顔を剃っている。
客 「・・・親方は生世話物がいいかい、浄瑠璃物が好きかい?」
親方 「芝居とくりゃあ何でもいいんで。
もちろん始めは狂言より役者の頭を見て、あの銀杏はよく結えているとか、市川流の髷(まげ)はどうだとか、誰それの豆本多はいいとか、そんなとこばかり見てましたが、・・・今じゃ番立から見なきゃ気が済みません。
脇狂言、一番目の序幕、たいがい早大拍子で幕が開く。テケテッテッテ、スッテッテレツク・・・」、段々と話に夢中になってきて、
客 「ちょっと、親方待ってくれ。
剃刀持ってるから、気ちげえに刃物持たせてるようなものだ。頭ひやりとしたが、やりゃあしねえか?」
親方 「すみません。
いつもの櫛のつもりで、ぽんと一つやりました。剃刀で・・・」
客 「背のほうか?」、「それが刃のほうで・・・」
親方 「切れやしねえか?」、「ちょっと一寸ばかり」
客 「冗談じゃねえ、血が出たろう」
親方 「血止めの烏賊の甲羅をこう振りかければ、血の止まるのがおかしかろ」
客 「おかしかろうもねえもんだ」
親方 「なんのこれしきのかすり傷」
客 「ふざけちゃいけねえや。もう芝居の話はよしとくれ」
親方 「もうよします、よします。
剃刀持ってるあいだはだんまりだんまり・・・あっ、だんまりで思い出した。
三幕目のだんまり、五三桐の五右衛門、大百(だいびゃく)で南禅寺の楼門に上がったところはたまりませんねえ。
この頃は五右衛門は銀の延べ煙管(きせる)を持つが、どうも自来也のように見えていけません。村田の看板のようでも真鍮のねじった煙管の方がようございます。・・・南禅寺の楼門がせり上がるんだ。・・・煙管を持って"絶景かな、絶景かな"、・・・楼門がまた上がって、霞の幕を切って落とすと、巡礼姿の久吉が、"石川や浜の真砂は尽きるとも"、"何がなんと"、"世に盗人の種は尽きまじ"、五右衛門がエイッと投げる手裏剣を柄杓でぽんと受けて、"巡礼に"というところで、カチと柝頭で"ご報謝"と、柝がきざみになって拍子幕、かかかかか、すぅ~っとこの幕を引くのがなんでもないようで、なかなか骨の折れるのもので・・・」
客 「おい、親方、剃刀を止めておくれ、何が、かかかかか、だ。人の頭で幕を開けたり閉めたりするやつもねえもんだ。・・・あっ、馬鹿に長い毛が落ちてきたぜ・・・」
親方 「今の幕切れで片鬢(びん)剃り落としてしまった」
客 「冗談じゃねえや、これじゃみっともなくて表が歩けやしねえ」
親方 「当分、片側町お歩きなさい」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 髪結床(かみゆいどこ) – 江戸時代の理髪店。髷を結う専門技術者である髪結いが営む店で、男性客が髪を整える社交場でもありました。
- 髷(まげ) – 江戸時代の男性の髪型。身分や職業によって様々な形があり、武士は月代(さかやき)を剃って髷を結いました。
- 鬢(びん) – 顔の両側の髪。耳の前から頬にかけての部分で、髷を結う際の重要な要素でした。片鬢を剃り落とされると左右非対称で非常に目立ちました。
- 楼門五三桐(さんもんごさんのきり) – 歌舞伎の演目「金門五山桐」の通称。石川五右衛門が南禅寺の楼門で「絶景かな」と見得を切る名場面で知られます。
- 絶景かな – 五右衛門の有名な台詞。南禅寺の楼門から京の景色を眺めて発する言葉で、歌舞伎の名台詞として現在も広く知られています。
- 番立(ばんだて) – 芝居の演目表。一日の興行で上演される演目の順序を示したもので、開演前から確認するのが通人の習慣でした。
- 大百(だいびゃく) – 歌舞伎の演技法の一つ。大きく派手な動きで演じる様式で、五右衛門のような荒事(あらごと)の役に用いられました。
- 柝(き) – 歌舞伎で使われる拍子木。幕の開閉や場面転換の合図に打たれる音で、「ツケ打ち」とも呼ばれます。
- 拍子幕(ひょうしまく) – 歌舞伎の緞帳の一種。柝の音に合わせて素早く引く幕で、特に幕切れで使われました。
- 生世話物(きぜわもの) – 江戸時代の庶民の日常生活を題材にした歌舞伎の演目。浄瑠璃物(時代物)に対して、現代劇的な作品を指します。
よくある質問(FAQ)
Q: 片側町は実在する町名ですか?
A: いいえ、架空の町名です。片鬢を剃り落とされた客に「片側だけ見せて歩け」という意味と、町名をかけた言葉遊びです。江戸時代の地図にも片側町という地名は存在しません。
Q: 江戸時代、髷を失うことはどれほど恥ずかしいことでしたか?
A: 非常に深刻な問題でした。髷は男性の身分や職業を示す重要な要素で、髷を崩すことは社会的信用を失うことを意味しました。特に片側だけ髪がない状態は著しく不格好で、人前に出られないレベルの恥辱でした。
Q: 「絶景かな」の場面は実際の歌舞伎にありますか?
A: はい、実在します。「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」という演目で、石川五右衛門が南禅寺の楼門に登って京の景色を眺める名場面です。現在でも歌舞伎の代表的な演目として上演されています。
Q: なぜ髪結いの親方はこれほど歌舞伎に詳しいのですか?
A: 江戸時代、髪結いは役者の髷を結う機会も多く、芝居小屋との関わりが深い職業でした。また、当時の歌舞伎は庶民の最大の娯楽で、特に職人層には熱烈なファンが多く存在しました。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。江戸の髪結床と歌舞伎文化を背景にした典型的な江戸落語で、江戸っ子の言葉遊びの機知が光る作品です。
Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、現在も多くの落語家によって演じられています。初心者にもわかりやすく、歌舞伎の知識がなくても楽しめる軽妙な噺として人気があります。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 戦後を代表する名人。独特の崩しと間で、髪結いの親方の芝居バカぶりを愛嬌たっぷりに演じました。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 志ん生の次男。流麗な語り口で、五右衛門の場面を臨場感たっぷりに表現しました。歌舞伎の描写が特に見事でした。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。格調高い語り口で、江戸の髪結床の雰囲気を丁寧に描き出しました。
- 柳家小さん(五代目) – 江戸っ子気質の噺家。テンポの良い語り口で、職人の人間臭さを巧みに表現しました。
- 桂文楽(八代目) – 「無声映画の弁士」と評された名人。歌舞伎の場面描写を詳細に語り、聴衆を舞台に引き込みました。
関連する落語演目
同じく「髪結い・床屋」が登場する古典落語

芝居・歌舞伎を題材にした古典落語


言葉遊びのオチが秀逸な古典落語


この噺の魅力と現代への示唆
「片側町」の魅力は、職業意識と趣味が逆転してしまう人間の可笑しさを描いている点にあります。髪結いという技術職の親方が、本来集中すべき仕事よりも歌舞伎の話に夢中になり、ついには客の片鬢を剃り落としてしまう。この「本末転倒」は、現代のあらゆる職業にも通じる普遍的なテーマです。
特に興味深いのは、親方の歌舞伎への愛が段階的に深まっていく描写です。最初は職人として役者の髷の技術面に注目していたのが、やがて芝居そのものの魅力に取り憑かれていく。この過程は、趣味が高じて本業をおろそかにしてしまう「趣味人」の典型的なパターンを示しています。
現代に置き換えれば、仕事中にSNSに夢中になったり、スポーツの話で盛り上がって仕事を忘れたりする状況に似ています。また、好きなことになると饒舌になり、周囲が見えなくなる「オタク気質」の描写としても秀逸です。江戸時代にも現代と同じような「仕事より趣味」という人間の性質が存在したことを示す好例です。
五右衛門の「絶景かな」の場面を詳細に語る部分は、単なる失敗談を超えて、江戸時代の歌舞伎演出の貴重な記録としても価値があります。煙管の材質、幕の引き方、柝の打ち方など、当時の舞台技術が詳細に描写されており、落語が文化の記録媒体としても機能していたことがわかります。
オチの「片側町お歩きなさい」は、失敗を洒落で収める江戸っ子の機知を体現しています。深刻な失態を前にしても、言葉遊びで笑いに変えてしまう。この精神は、困難を前向きに受け止める現代人にとっても学ぶべき姿勢かもしれません。
実際の高座では、親方が興奮して歌舞伎の場面を語る部分の演技が見せ所です。特に「かかかかか」と幕を引く真似をする仕草や、剃刀を持ったまま身振り手振りで語る危うさなど、身体表現の巧拙が笑いの質を左右します。
機会があれば、ぜひ実際の高座でこの軽妙な噺をお楽しみください。江戸文化への理解も深まる、教養と娯楽を兼ね備えた名作です。


