鶴満寺
3行でわかるあらすじ
鶴満寺の和尚が権助に花見客を入れるなと言いつけて出かけるが、権助は百文をもらって客を入れ、さらに一朱銀をもらって酒も許す。
権助も一緒に酒を飲んで酔っぱらい、結局ドンチャン騒ぎになって庭は散らかり放題になってしまう。
戻った和尚に怒られた権助が「風流人で歌も詠んだ」と言い訳し、百人一首を詠むと「百で一朱や」と金額と掛けたオチで落とす。
10行でわかるあらすじとオチ
毎年花見時期に鶴満寺の境内が花見客で荒らされるため、和尚は権助に風流人や歌詠み以外は入れるなと厳しく言いつけて出かける。
和尚が出かけた後、権助の知り合いが花見にやって来て、酒は飲まず静かに花見だけすると約束して百文を渡す。
権助は庭に入れるが、客はさらに静かに酒を飲みたいと言って一朱銀を袖に入れる。
権助は「静かに飲むくらいなら」と許可し、客に勧められて自分も一杯飲むつもりが、手酌で何杯も飲んで酔っぱらってしまう。
酔った権助は和尚の悪口を言い、客に重箱の肴や三味線を出させてドンチャン騒ぎを始める。
客たちが満足して帰った後、和尚が戻ってくると庭は散らかり、桜の枝は折られ、権助が酔って寝ている。
和尚が「これが風流人のすることか」と怒ると、権助は「風流人だ、歌も詠んだ」と言い訳する。
和尚が「どんな歌を詠んだか言ってみろ」と聞くと、権助は「花の色は移りにけるないたずらに…」と百人一首を詠む。
和尚が「それは百人一首ではないか!」と言うと、権助は「そや、初めが百で、あとが一朱や」と答える。
「百人一首」と客からもらった「百文+一朱銀」を掛けた地口オチで、権助の図々しさと機転の利いた言い訳が笑いを誘う。
解説
「鶴満寺」は関西落語の代表的な酒呑み噺で、権助という愛すべき悪役が主人公の滑稽噺である。
この噺の魅力は、権助の人間的な弱さと巧妙な言い訳にある。
和尚の厳しい言いつけを金に釣られて破り、さらに自分も酒に溺れてしまう権助の姿は、人間の欲望の浅ましさを描きながらも憎めないキャラクターとして描かれている。
特に酒を飲み始めてからの権助の豹変ぶりは見どころで、最初は遠慮していたのが、酔うにつれて和尚の悪口を言い、最後は客と一緒になってドンチャン騒ぎをする様子が絶妙に描写されている。
オチの「百人一首」と「百文+一朱」の掛け言葉は、古典落語の地口オチの傑作の一つで、権助の機転の利いた言い訳と、それまでの流れを見事に総括した秀逸な締めくくりとなっている。
この噺は単なる酒癖の悪い男の話ではなく、人間の欲望と機知を巧みに組み合わせた関西落語の名作である。
あらすじ
毎年、花見時になると鶴満寺の境内は見物客が押し寄せてやかましく、酔客などもいて境内は荒らされてしまう。
そこで出掛ける前に和尚は権助を呼んで、
和尚 「風流人や歌詠みなら庭に入れてもいいが、酒、肴を持ち込んで、境内でドンチャン騒ぎをやるような花見の客を入れてはいかん」、「へえ、わかりやした」。
和尚が出掛けると権助の顔見知りが何人か連れて花見にやって来た。
権助 「そりゃだめだ。和尚さんにきつう言われたさかいに、花見の客は入れるちゅうことはできん」
花見客 「なにもせえへんがな。酒なんぞ飲まんで静かに花見させてもらうだけやがな。・・・なあ、ちょっとこれで・・・」と、権助に百文を渡した。
権助 「そうか、ならば花見るだけなら・・・」と、権助は庭に入れた。
花見客 「ほう、咲いてますなぁ。・・・けど、やっぱり、"酒なくて・・・"、なんて言うくらいやし、権助さん、静かに飲むくらいはかまへんやろ」
権助 「そんな、酒なんか飲んでもろたら困る・・・」
花見客 「まあ、そないこと言わずに・・・」と、また一朱銀を権助の袂へ。
権助 「まあ、静かに飲むくらいやったら、かまへんが、唄、唄うたり、太鼓叩いたり、三味線なんぞ弾いてもろたらあかへんで」
花見客 「そんなことせやへん。花を眺めて、こう静かに飲むだけや。・・・あんたも飲みなはれ」
権助 「そんな・・・そや、一杯だけやで」、酒好きな権助さん、一杯で終わるはずもなく、二杯、三杯と勧められ、ついには手酌で飲み始めだいぶ酔っぱらてしまった。
権助 「前の和尚は良かったが、今度の和尚はうるさいばかりで、融通のきかん坊主や。
だいたい修行がなっちょらんのや・・・おい、そこに重箱あるやないか、なんで出さんのや。肴がなかったら酒飲まれへんがな」、「かまへんか?」
権助 「かまへん、かまへん、三味線もあるやないか、・・・おい、そこの姉さんちょっくら弾いてみろ」」、すっかり盛り上がってのドンチャン騒ぎになってしまった。
べろべろに酔った権助を残して客たちは満足げに帰って行った。
しばらくして戻って来た和尚、庭は散らかり、桜の枝は折られ、その下で権助が酔って寝ている。
和尚 「これ!起きんかい!わしがあれほど言うたやろ。歌詠みや風流人ならええけど、・・・これが歌詠みや風流人のすることかいな・・・」
権助 「いやぁ、風流人だ、歌も詠んだ」
和尚 「ならばどんな歌、詠んだか言うてみい」
権助 「・・・"花の色は移りにけるないたずらに 我が身世にふるながめせしまに"」
和尚 「こら、お前、それは百人一首やないか!」
権助 「そや、初めが百で、あとが一朱や」
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 鶴満寺(かくまんじ) – 架空の寺の名前。落語では実在しない地名や寺社名を使うことがあります。
- 権助(ごんすけ) – 寺男(寺の雑用係)の名前。落語では愚直で欲深い人物の定番名として使われます。
- 一朱(いっしゅ) – 江戸時代の銀貨の単位。一朱は約25文に相当し、現代の貨幣価値で約1,000円程度と言われています。
- 百文(ひゃくもん) – 銭の単位。現代の貨幣価値で約2,000円程度。百文と一朱で合計約3,000円ほどの賄賂になります。
- 百人一首(ひゃくにんいっしゅ) – 小倉百人一首のこと。藤原定家が選んだ和歌集で、歌がるたとしても親しまれています。この噺では小野小町の「花の色は移りにけりな…」の歌が引用されます。
- 風流人(ふうりゅうじん) – 風雅を解する教養のある人。和歌や花見を楽しむ文化人を指します。
よくある質問(FAQ)
Q: 鶴満寺は実在する寺ですか?
A: いいえ、架空の寺です。落語では実在しない地名や寺社名を使うことが多く、これは特定の場所や人物への批判を避ける知恵でもあります。
Q: 権助がもらった百文と一朱は現代のお金でどのくらいですか?
A: 諸説ありますが、百文が約2,000円、一朱が約1,000円程度と言われています。合計3,000円ほどで言いつけを破ったことになります。当時としてはそれなりの金額でしたが、大金というほどではありません。
Q: なぜ和尚は「風流人や歌詠み」なら入れてもいいと言ったのですか?
A: 江戸時代、寺社の境内は風雅を楽しむ場所としても機能していました。品のある文化人が静かに花を愛でるのは寺の格を上げることにもなるため、むしろ歓迎されたのです。一方、騒々しい酒宴は寺の品位を損なうため禁じられました。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 上方落語(関西)の演目です。権助の語り口や「~やがな」「~おます」といった関西弁が使われているのが特徴です。江戸落語にも似た構造の噺はありますが、「鶴満寺」は上方落語の代表作です。
Q: 引用された百人一首の歌の意味は?
A: 小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」は、「桜の花の色は色あせてしまった。むなしく降る長雨を眺めている間に。同じように私の美貌も衰えてしまった」という意味で、美人として知られた小野小町が自身の老いを嘆いた歌です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語四天王の一人で人間国宝。権助の愚かさと愛嬌を絶妙なバランスで演じ、和尚との掛け合いも見事でした。
- 桂枝雀(二代目) – ハイテンションな演技で知られる名人。権助の酔っ払いぶりを大げさに演じ、爆笑を誘う高座が人気でした。
- 桂春団治(三代目) – 伝統的な上方の語り口を守りながら、権助の人間臭さを巧みに表現しました。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれる人気落語家。現代的な解釈を加えながらも、古典の良さを残した演出で若い世代にも人気です。
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この噺の魅力と現代への示唆
「鶴満寺」のオチ「百で一朱や」という地口は、単なる言葉遊びを超えて、権助という人物の機知を表しています。酔っ払って和尚に怒られながらも、最後の最後で機転を利かせて言い訳する権助の姿は、憎めない愛嬌があります。
この噺が描く人間の弱さ――金に釣られる、酒に溺れる、口先だけで誤魔化そうとする――は、現代でも変わらない人間の本質です。SNS時代の今、ちょっとした小遣い稼ぎで信用を失ったり、飲み会で調子に乗って失敗したりする話は後を絶ちません。
江戸時代の権助も、現代の私たちも、根本的な人間性は変わらないのかもしれません。だからこそ、この噺は200年以上経った今でも笑いを誘い、共感を呼ぶのでしょう。
実際の高座では、権助が酔っ払っていく様子の演技が見どころです。最初は遠慮がちだったのが、徐々に調子に乗り、和尚の悪口まで言い出す変化を、演者がどう表現するかで噺の面白さが大きく変わります。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


