石返し
3行でわかるあらすじ
与太郎が親父の代わりに汁粉売りに出るが、悪い侍に汁粉を全部取られて代金をもらえない。
門番に狸に化かされたと言われ、代金を払ってもらえずに帰宅する。
親父が仕返しに石を鍋に入れて「石返し(意趣返し)」を決める。
10行でわかるあらすじとオチ
与太郎が風邪の親父の代わりに汁粉売りに出て番町の暗い場所で売り声を出す。
塀の窓から侍が鍋を下ろして汁粉を全部入れろと言う。
与太郎は汁粉を全部入れるが代金をもらえず、窓は閉められてしまう。
門番に代金を求めるが、狸に化かされたと言われて相手にされない。
与太郎は空荷で帰宅し、親父に事情を話す。
親父は番町鍋屋敷の悪い侍の仕業だと説明し、一緒に仕返しに行く。
親父が今度はうどん売りに化けて同じ場所に行く。
侍が鍋を下ろすと親父は汁粉の代わりに石を入れる。
侍が「これは何だ」と文句を言うと親父が答える。
「へえ、さっきの石返し(意趣返し)で」
解説
「石返し」は江戸落語がもとで、後に上方にも移植された演目です。番町鍋屋敷は実在した場所で、怪談仕立ての演出として浪人者がたむろする場所として描かれています。この演目の最大の見どころは、身分制度の厳しい江戸時代に、武士の横暴に対する町人の反骨精神とレジスタンス精神を表現している点です。
オチは「石返し」と「意趣返し」を掛けた言葉遊びで、石(イシ)と意趣(イシュ)の音の類似を利用したダジャレです。単純なオチですが、理不尽な仕打ちを受けた庶民が知恵を絞って仕返しする痛快さが魅力となっています。
三代目柳家小さんから四代目小さん、七代目三笑亭可楽、五代目小さんへと継承されてきましたが、最近はあまり演じられていない演目です。しかし江戸時代の町人文化と武士への反骨精神を表現した興味深い演目として評価されており、弱い者が知恵で強い者に立ち向かう普遍的なテーマが込められています。
あらすじ
与太郎さんが風邪で腰が痛いと言う親父の代わりに、汁粉の荷をかついで夜の商売に出る。
教わった売り声を出そうとするが、明るいところではうまく声が出て来ない。
番町の暗いところまで行って、「お、お汁粉~、お汁粉~」となんとか様になって来た。
すると長い塀の高い窓から声が掛かる。「おい、汁粉屋、今ここから紐で鍋を下げるから汁粉を入れろ」
与太郎 「へい、かいこまりやした」と、大鍋に汁粉全部を入れると、上から鍋を引き上げて窓は閉められてしまった。
代金を受け取っていないことに気づいた与太郎さん、大声で「まだ、お足をもらっちゃいませんが」と怒鳴ると、窓が開いて「ここから塀沿いに十間ほど行くと門があって門番がいるからそこでもらへ」
与太郎さんすぐに門まで行って「お汁粉のお足を・・・」
門番 「貴様、何を言っとるか。当家で汁粉など買ってはおらんぞ」
与太郎 「今、あそこの塀の上の窓からお鍋が下りて来てお汁粉を全部・・・」
門番 「ははあ、悪い狸に化かされおったな。
夜分にこのあたりを通る夜商人を狙って狸めが悪さをしおるんだ。
狸に取られた汁粉の代金など当家で払えるか。さっさと帰れ」
与太郎 「あんな大きな鍋が狸・・・」
門番 「あれは狸のキンだ。狸のキンタマ八畳敷きと言うだろ」
与太郎 「そんなこと言ったってまだお足が・・・」
門番 「ははあ、貴様、総領の甚六だな」、「オラ、与太郎だ」
門番 「"総領は尺八を吹く面に出来"という、世の中をプゥォ~と生きておるからそういう目にあうんだ。・・・まごまごしているとこの六尺棒で向こう脛かっぱらうぞ!」、与太郎さん仕方なく空荷をかついで家に戻ると、
親父 「ああ、寒い中ご苦労だったな。・・・汁粉全部空になったじゃねえか。全部売れたのか?」
与太郎さん泣き声になって、「売れたんじゃねえや。全部取られたんだ」、
顛末を聞いた親父、「そうか言って置くのを忘れちまった。
あそこは番町鍋屋敷と言って、ゴロツキのような侍たちが夜商人(よあきんど)をからかって、いじめているんだ。よし、オレについて来い」
行燈(あんどん)に"なべ焼きうどん"の紙を貼り、汁粉の代わりにに石を持って番町鍋屋敷の下までやって来て、
親父 「鍋や~きうど~ん、鍋や~きうど~ん・・・」
侍 「おい、ご同輩今日は獲物が多く通る晩だ。汁粉のあとのうどんの味も格別・・・おーいうどん屋、今ここから鍋を下ろすから・・・・」
親父 「へーい、かしこまりやした」、下りて来た鍋に石を入れて、「どうぞ、引き上げてくだせえ」、
侍 「うむ?これは重いうどんじゃな」と、引き上げて鍋の中を見ると石、
侍 「これこれ!うどん屋、これは何だ」
親父 「へえ、さっきの石返し(意趣返し)で」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 番町鍋屋敷(ばんちょうなべやしき) – 江戸番町(現在の東京都千代田区)にあったとされる武家屋敷。この噺では素行の悪い浪人者が集まる場所として描かれています。番町は実在の地名で、江戸城西側の武家地でした。
- 与太郎(よたろう) – 落語における定番のキャラクター。のんびり屋で少し間の抜けたところがあるものの、純真で愛すべき青年として描かれます。
- 夜商人(よあきんど) – 夜間に商売をする行商人のこと。汁粉売り、うどん売り、納豆売りなど、夜に食べ物を売り歩く商人が江戸時代には多く存在しました。
- 意趣返し(いしゅがえし) – 受けた仕打ちに対して仕返しをすること。この噺のオチである「石返し(いしがえし)」と音が似ており、言葉遊びとして使われています。
- 十間(じっけん) – 距離の単位。一間は約1.8メートルなので、十間は約18メートルに相当します。
- お足(おあし) – お金の俗称。江戸時代の銭貨が足のような形をしていたことに由来します。
- 総領の甚六(そうりょうのじんろく) – 長男は甘やかされて育つので世間知らずになりやすいという意味のことわざ。門番が与太郎を馬鹿にする際に使った表現です。
- 六尺棒(ろくしゃくぼう) – 六尺(約1.8メートル)の長さの棒。武家屋敷の門番が護衛用に持っていた武器です。
よくある質問(FAQ)
Q: 番町鍋屋敷は実在したのですか?
A: 番町という地名は実在しましたが、「鍋屋敷」という屋敷が実在したかは定かではありません。おそらく落語の創作上の設定と思われます。ただし、江戸番町は武家屋敷が多く、素行の悪い浪人者が集まる場所もあったと言われています。
Q: 江戸時代、本当に武士が商人をこのように騙したのですか?
A: 江戸時代は身分制度が厳しく、武士が庶民に対して横暴な振る舞いをすることは残念ながらありました。特に浪人(仕官先のない武士)の中には生活に困窮し、悪事に手を染める者もいたとされています。この噺はそうした社会的背景を反映しています。
Q: なぜ親父はすぐに仕返しに行けたのですか?風邪だったのでは?
A: これは落語のお約束の一つです。息子が理不尽な目に遭ったことで、親父の怒りが病気を吹き飛ばしたという解釈もできますし、実は仮病だったという解釈もできます。細かいリアリティよりも、親子愛と痛快な復讐劇を優先した演出です。
Q: 石を鍋に入れるのは危険ではないですか?
A: 確かに現実的には危険です。しかしこれも落語の「荒唐無稽の妙」の一つで、リアリティよりも痛快さを優先しています。悪い侍を懲らしめるという痛快さと、「石返し」という言葉遊びのオチのために、多少の非現実性は許容されています。
Q: この噺は現代でも演じられていますか?
A: 解説にもあるように、最近はあまり演じられていない演目です。武士と庶民の身分差を扱ったテーマが現代社会との距離があることや、オチが単純すぎると感じられることが理由かもしれません。ただし、弱者が知恵で強者に対抗するという普遍的なテーマは評価されています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 柳家小さん(三代目) – この噺を継承した名人の一人。江戸落語の伝統を守りながら、庶民の反骨精神を見事に表現しました。
- 柳家小さん(四代目) – 三代目から継承し、さらに磨きをかけた演出で知られています。
- 三笑亭可楽(七代目) – この噺の継承者の一人として記録されており、軽妙な語り口が特徴でした。
- 柳家小さん(五代目) – 人間国宝。古典落語の保存者として、この噺も継承しました。
関連する落語演目
同じく「与太郎」が主人公の古典落語


「仕返し・復讐」がテーマの落語


「親子愛」が描かれる落語

「言葉遊び」のオチが秀逸な落語


この噺の魅力と現代への示唆
「石返し」が持つ最大の魅力は、弱者が知恵を使って強者に対抗するという痛快さにあります。江戸時代の身分制度の中で、武士の横暴に苦しめられた庶民の怒りと反骨精神が、この噺には込められています。
現代社会においても、権力の不均衡や理不尽な扱いは依然として存在します。上司と部下、大企業と個人事業主、既得権益層と新参者——様々な場面で力の差が生まれ、弱い立場の者が不当な扱いを受けることがあります。そんな時、この噺は「知恵と勇気があれば立ち向かえる」という希望を与えてくれます。
親父が息子のために立ち上がる姿も印象的です。与太郎は騙されて泣いて帰ってきましたが、親父は病気を押して(あるいは仮病を捨てて)息子のために仕返しに行きます。この親子愛は時代を超えて共感を呼ぶテーマです。現代でも、子供がいじめられたら親が学校に乗り込む、部下が理不尤な扱いを受けたら上司が抗議する——こうした「守るべき者を守る」という姿勢は普遍的な価値を持っています。
「石返し」と「意趣返し」という言葉遊びのオチは、確かにシンプルです。しかし、このシンプルさこそが江戸落語の特徴であり、複雑な言葉遊びよりも「やられたらやり返す」という明快なメッセージが聴衆の心に響くのです。
この噺が最近あまり演じられなくなったのは残念なことですが、その背景には身分制度という歴史的文脈が現代の聴衆に伝わりにくくなったという事情があるのかもしれません。しかし、理不尽に対する抵抗、弱者の知恵、親子の絆というテーマは、決して古びることのない普遍的な価値を持っています。
機会があれば、ぜひこの噺の音源や動画を探して聴いてみてください。シンプルながら痛快な仕返しの物語に、きっと胸がスッとすることでしょう。


