色事根問
3行でわかるあらすじ
喜六が甚兵衛さんに女性にモテる方法を教わりに来て、一見栄から十評判まで十ヶ条を聞くがどれも全くダメ。
特に蛍踊りでは座敷中を糞だらけにしてしまい、女性たちに逃げられてしまった過去を持つ。
最後に下駄泥棒の評判を否定しようとして「裸足で行って下駄履いて帰る」と自分から白状してしまうオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
喜六が横町の甚兵衛さんに女性にモテる方法を教えてくれと相談に来た。
甚兵衛は「一見栄、二男、三金、四芸、五声、六未通、七科白、八力、九肝、十評判」の十ヶ条を教える。
一見栄について喜六は十歳の時の着物を着ており、二男についてはブリの粗のような顔と言われてしまう。
三金は貧乏でパス、四芸では自慢の蛍踊りを披露するが、体に墨汁を塗って蝋燭をケツに挟む踊り。
清やんの新築祝いで披露した時、最後の屁が出ずに気張ったら身も一緒に飛び出して座敷が糞だらけに。
五精は不精でずぼら、六おぼこは照れ知らずのすれっからし、七科白は犬の喧嘩の仲裁しかできない。
八力と九肝も情けない状態で、九肝では嵐の夜中に一人で便所に行けたと自慢する始末。
最後の十評判では、風呂屋で下駄を履き替えて帰ると悪い評判が立っていると指摘される。
喜六は「履き替えた」と言われるのが腹立つと言い、風呂屋には裸足で行くと弁明する。
そして帰りには下駄を履いて帰ると言ってしまい、完全に下駄泥棒を自白してしまうオチ。
解説
「色事根問」は古典落語の中でも特に関西弁の味わいが楽しめる代表的な演目で、笑福亭仁鶴などの名人によって演じられてきました。この落語の最大の魅力は、女性にモテるための十ヶ条という体系的な構成を使いながら、主人公の喜六が一つ一つ見事に条件を満たしていない現実を描く絶妙なコントラストにあります。
演目の見どころは、甚兵衛さんの的確すぎるツッコミと喜六の天然ボケの掛け合いです。特に「ブリの粗のような顔」という辛辣な表現や、蛍踊りという一見風流な芸事が実は座敷を汚す下品な踊りだったという落差が笑いを誘います。また、便所に一人で行けたことを勇気として自慢する喜六の感覚のズレも秀逸です。
最後のオチは古典落語の技法として「自白オチ」の典型例で、下駄泥棒の疑いを晴らそうとした喜六が逆に犯行を自白してしまうという逆転の構造が見事です。これは単なる言葉の綾ではなく、喜六のキャラクター設定から必然的に生まれる笑いで、関西弁特有の「ツッコミ待ち」的な要素も含んでいます。恋愛をテーマにしながら、結局は人間の滑稽さを描いた普遍的な笑いが時代を超えて愛される理由となっています。
あらすじ
横町の甚兵衛さんの所へ女子(おなご)に惚れられる方法を教えてくれと喜六がやって来る。
甚兵衛 「昔から、一見栄、二男、三金、四芸、五声(せい)、六未通(おぼこ)、七科白(せりふ)、八力、九肝(きも)、十評判、てなことを言うなあ」
喜六 「なんぞ火傷か油虫のまじないか?」
甚兵衛 「今、言うた十の中で、一つでもお前にあったら女に持てるてなもんや。
まず一見栄、見え形が肝心じゃ。粋な風とかこざっぱりしてるとか・・・」
喜六 「なるほど、わたしのこの格好はどおでおます」
甚兵衛 「どうでおますやなかろうが。つんつるてんの着物着よってからに」
喜六 「これね、十歳の時の着物ですねん」
甚兵衛 「それではあかんなあ。
二は男前じゃが・・・はっきり、あっさり言うとお前の顔はブリの粗(あら)や。ドス黒くて、油ぎって、骨太で血生臭~い、えげつない顔やで」
喜六 「そんなはっきりと言わんといてえな。三の金は素通り、パスで結構でおます」
甚兵衛 「そりゃあ、言わずもがなやな。ほたら四の芸事はどうや、唄とか踊りとか?」
喜六 「踊りですか、踊りやったら得意でっせ」
甚兵衛 「ほぉ、どんな踊りやねん?」
喜六 「素っ裸にになってフンドシも取って、体中に墨汁塗って真っ黒にし、赤い手ぬぐい頭に被って、蝋燭(ろうそく)に火つけてケツに挟んで踊りまんのや」
甚兵衛 「何やそれ?」
喜六 「ケツの蝋燭が光って蛍になってまんねん。
踊りの最後に屁で蝋燭の火を消しまんねや。
ここが一番肝心の見せ場でっせ。ほんで、"宇治の名物ほ~たる踊り"」
甚兵衛さん 「そんなもん、人前でやったんかいな」
喜六 「こないだの清やんの新築祝いでやりましたんや。友達も女たちも面白がって笑うて拍手喝采やったんやが、最後の屁が出やへんで気張ったら、身が一緒に飛び出しよって、座敷中、蛍の糞だらけ、女の子たちはキャーと逃げ出すし、清やんはそれから口聞いてくれまへんのや」
甚兵衛 「汚いわ、臭いわ、もうええわ。
五の精も駄目やろ。
不精でずぼらで、いつもフラフラして、精出して働いたことなどありゃせんだろうが。六のおぼこもお前は照れるとか、きまりが悪い、恥ずかしいなんてのとはまったく無縁で反対のすれっからしやし無理やな」
喜六 「七のセリフちゅうのは?」
甚兵衛 「そやなあ、喧嘩の仲裁でもできるよなセリフがあったらえぇが」
喜六 「仲裁やりましたがな、横町のポチとシロの喧嘩の仲裁」
甚兵衛 「そら犬やないか、何を考えとんねん」
喜六 「八の力も結構でおます。"色男金と力は・・・"ですねん」
甚兵衛 「色男はともかく、お前はおのれを知っちょるな。九の肝はどうじゃ、男は度胸ちゅうやろ」
喜六 「こう見えても度胸だけはありまっせ。嵐の夜中に一人で行って帰って来ましたんや」
甚兵衛 「それは偉いもんや。どこへ行ったんや?」
喜六 「一人で便所に小便に行けましたんや」
甚兵衛 「情けないわ、ほんまに。
十は評判やが、お前あんまり評判ええことないんとちゃうか。
悪い評判が立ってるで。風呂屋行たら下駄を履き替えて帰って来るちゅうて」
喜六 「わたい"履き替えた"やなんて言われるのが一番腹立ちまんねん。
わて、風呂屋へ行く時は裸足で行きまんねん。そんで、帰りしなに下駄履いて帰って来まんねん」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 色事根問(いろごとねどい) – 「色事」は恋愛や異性関係のこと、「根問」は根掘り葉掘り問いただすこと。恋愛について詳しく尋ねるという意味のタイトルです。
- 一見栄(いちみばえ) – 見た目の良さ、第一印象のこと。「見栄え」と同じ意味で、身なりや容姿の美しさを指します。
- 二男(にだん) – 男前、イケメンのこと。「男」は容姿の良さを表す言葉として使われています。
- 四芸(しげい) – 芸事、芸能のこと。唄や踊り、三味線などの才能を指します。江戸時代には芸事ができる男性はモテる要素の一つでした。
- 六未通(ろくおぼこ) – 「おぼこ」は世間知らずで純粋な様子、初心(うぶ)なこと。恥じらいがあることを指します。
- 七科白(しちせりふ) – 話し方や会話の巧みさ。気の利いた言葉を言えるかどうかという意味です。
- 九肝(きゅうきも) – 「肝」は度胸や勇気のこと。男らしい勇気があるかどうかを指します。
- 下駄泥棒(げたどろぼう) – 銭湯などで他人の下駄を履いて帰る窃盗行為。江戸時代から現代まで続く迷惑行為でした。
よくある質問(FAQ)
Q: 「一見栄、二男、三金…」という十ヶ条は実際にあった格言ですか?
A: はい、江戸時代から明治にかけて実際に言われていた「モテる男の条件」です。地域や時代によって順番や項目が若干異なることもありますが、基本的な内容は共通しています。
Q: 蛍踊りは実在する踊りですか?
A: いいえ、これは落語の創作です。ただし、江戸時代には様々な珍奇な芸や見世物があり、そうした時代背景を反映した設定となっています。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 上方落語(大阪・京都の落語)の演目です。関西弁の掛け合いと、甚兵衛さんと喜六というコンビが典型的な上方落語の特徴です。
Q: 「喜六」はどんなキャラクターですか?
A: 上方落語における典型的な「ボケ」キャラクターです。純朴で世間知らず、天然ボケな性格で、相方の清八(この噺では甚兵衛)にツッコまれる役回りが定番です。
Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、現在も多くの上方落語家が高座にかけています。特に笑福亭仁鶴師匠の演出が有名で、関西弁の味わいを楽しめる人気演目です。
Q: 最後のオチはどういう意味ですか?
A: 喜六は「下駄を履き替えて帰る(他人の下駄を盗む)」と言われるのが嫌だと弁明しますが、「裸足で行って下駄を履いて帰る」と言ってしまい、結局は下駄泥棒を自白してしまうという「自白オチ」です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 笑福亭仁鶴(三代目) – 上方落語の重鎮として、この噺を十八番の一つとしていました。関西弁の味わいと喜六のキャラクター造形が秀逸で、特に蛍踊りの場面の演出が印象的でした。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。上方落語の復興に尽力し、この噺でも品格ある語り口ながら笑いを取る技術は圧巻でした。
- 桂枝雀(二代目) – 独特のテンポと身体表現で知られる名人。この噺でも喜六の動きを大げさに演じる演出が人気でした。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれ、軽妙な語り口で若い世代にも人気があります。甚兵衛と喜六の掛け合いが絶妙です。
関連する落語演目
同じく「恋愛」がテーマの古典落語




「勘違い・自白」がオチの古典落語



「喜六・清八」コンビの上方落語


この噺の魅力と現代への示唆
「色事根問」の最大の魅力は、「モテる条件」という普遍的なテーマを通して、人間の滑稽さと哀愁を描いている点にあります。十ヶ条という体系的な構成を使いながら、喜六が一つ一つ見事に条件を満たしていない様子は、理想と現実のギャップを象徴しています。
現代社会でも「モテる方法」や「恋愛術」は常に関心を集めるテーマです。SNSやネット上には無数の恋愛アドバイスが溢れていますが、結局のところ、喜六のように「自分を知らない」「場違いな自慢をする」「気づかずに失敗する」という人間の本質は江戸時代から変わっていません。
甚兵衛さんの辛辣なツッコミも見どころの一つです。「ブリの粗のような顔」という容赦ない表現は、現代なら「パワハラ」と言われかねませんが、落語の世界では愛情を込めたツッコミとして成立しています。これは長年の人間関係があってこそ成り立つコミュニケーションで、現代の希薄な人間関係への問いかけともなっています。
蛍踊りのエピソードは、「一芸があれば良い」という単純な発想の危うさを示しています。芸事の内容が問われる時代は今も昔も同じで、「何でもいいから特技を持て」というアドバイスの限界を笑いを通して教えてくれます。
最後の下駄泥棒の自白オチは、「言い訳をすればするほど墓穴を掘る」という教訓を含んでいます。現代でも、嘘を隠そうとして新たな嘘を重ね、結局はバレてしまうという事例は後を絶ちません。喜六の素直すぎる性格が生み出す自爆は、嘘をつくことの難しさと、正直であることの大切さを逆説的に示しています。
上方落語特有の関西弁のリズムと、喜六と甚兵衛(または清八)という定番コンビの掛け合いは、漫才のルーツともいえる形式です。現代のお笑い文化にも通じる要素があり、落語と現代コメディの連続性を感じられる作品でもあります。
実際の高座では、蛍踊りの場面での演者の身体表現や、最後の自白に至るまでのテンポの取り方など、演者の個性が光る場面が多くあります。特に関西弁のイントネーションやリズムは、上方落語ならではの味わいです。
恋愛というテーマを通して、人間の滑稽さ、哀愁、そして温かみを描いた「色事根問」は、時代を超えて楽しめる上方落語の傑作です。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


