芋俵
3行でわかるあらすじ
泥棒の兄貴分と弟分が木綿問屋から盗みを働く計画を立て、間抜けな松公を騙して芋俵に入れて店に預ける。
夜中に丁稚の定吉と女中のおきよどんが腹を空かせて芋俵から芋を盗もうとし、定吉が手探りで松公のお尻を触り回す。
松公が我慢できずに大きな屁をすると、定吉が「おや、気の早いお芋だ」と焼き芋が出来上がったと勘違いする。
10行でわかるあらすじとオチ
泥棒の兄貴分と弟分がこのところ良い仕事にありつけず、三丁目の木綿問屋から盗みを働く計画を立てる。
兄貴分は芋俵に人間を入れて店に預け、夜中に内側から心張棒を外して侵入する作戦を考える。
しかし二人では一人が俵に入ると運べないことに気づき、間抜けな松公を騙して仲間に引き入れる。
松公を芋俵に入れて木綿問屋に預け、芋屋の忘れ物だと嘘をついて兄貴分と弟分は帰っていく。
夕方になっても芋屋が取りに来ないので、番頭は定吉に芋俵を土間に運ばせる。
定吉は重い俵を横にしてコロコロ転がし、中の松公は目を回しながらもじっと我慢している。
夜更けに腹を空かせた定吉が女中のおきよどんと一緒に芋俵から芋を盗もうと土間に向かう。
定吉が手探りで俵の中から芋を取り出そうとすると、芋が柔らかくて暖かいので不思議に思う。
定吉が松公のお尻の周りを撫で回したり握ったりするので、松公はくすぐったくて我慢できなくなる。
松公が思わず「ブーッ」と大きな屁をすると、定吉は「おや、気の早いお芋だ」と焼き芋が出来上がったと勘違いする。
解説
「芋俵」は泥棒を題材にした古典落語の中でも特に下品で愉快な作品として知られており、計画の破綻と偶然の出会いが生み出すコメディの傑作です。この演目の最大の魅力は、真面目な窃盗計画が思わぬ形で頓挫し、最終的に下ネタオチに帰着する構造の巧妙さにあります。
物語の構造は三段階に分かれており、第一段階では泥棒たちの緻密な計画が描かれます。芋俵に人間を隠して店内に侵入するという発想は、当時としては斬新で知的な犯行手口として設定されており、観客の興味を引く導入部となっています。
第二段階では計画の実行中に起こる予想外の展開が描写されます。定吉が俵を転がして運ぶ場面や、松公が俵の中で我慢する場面は、緊張感とユーモアが絶妙にバランスされており、観客の関心を最後まで維持する効果的な構成となっています。
見どころの一つは、各キャラクターの心理描写の巧妙さです。泥棒たちの身勝手さ、松公の純朴さ、定吉とおきよどんの食欲という、それぞれ異なる動機が偶然に交錯することで笑いが生まれる仕組みになっています。
最後のオチである「おや、気の早いお芋だ」は、屁を焼き芋の完成と勘違いする言葉遊びです。「気が早い」という表現は、通常は人間の性格を表す言葉ですが、ここでは芋が勢いよく「音を立てた」という意味で使われており、聴覚的な錯覚を利用した秀逸な仕掛けとなっています。
この演目は江戸時代の庶民の生活(盗み、夜食、下ネタ)を背景としながら、現代にも通じる身体的ユーモアの普遍性を持った作品といえるでしょう。
あらすじ
このところいい仕事にありつけない泥棒コンビ。
兄貴分が三丁目の木綿問屋へ入り込む方策を思いつく。
弟分「あそこは金はたんとあるが、しまりが厳重でとても入れやしねえよ」、兄貴分「米俵に人間を入れてかついで行って、店の前まで来たら大声で芋屋に忘れ物をしたと言って、取りに行く間、店の片隅に置いといてくれと頼み、そのまま戻らない。
夕方、店じまいになっても取りに来ないので、そのままにするわけにも行かず、土間かなんかに運んで置くだろう。夜中にみんな寝静まった頃、芋俵から抜け出して、中から心張棒をはずして開けてくれば俺たちは店の中に入って仕事ができる」という段取りだ。
弟分「そいつはうめえ考えだが、誰が芋俵へ入(へえ)るんだ?」、兄貴分「おめえだよ」、「芋俵は誰がかつぐんだ?」、「おれとおめえだ」、弟分「馬鹿いっちゃいけねえ、一人で俵へ入ったり、かついだり、できやしねえや」、兄貴分「不器用な野郎だ」だが、やっと兄貴分も状況が飲み込めて、もう一人俵に入る奴を生け捕ることにする。
ちょうど「やあ、泥棒」と大声で通りかかった、ちょっと足りない松公をおだてて、たんと分け前をやるからと旨いことを言って仲間に引き入れる。
早速、松公を俵に入れ、二人がかついで木綿問屋の前まで行き、段取り通りに店に頼んで預かってもらい二人は帰ってしまう。
芋俵の中の松公は、店にバレると分け前がなくなってしまうので、じっと静かにしている。
夕方、店じまいになって、番頭は定吉に芋俵を土間に入れて置くよう言いつける。
定吉は芋俵は重いので横にしてコロコロ転がして行く。
中から、"痛い"だの"目が回る"だのと聞こえたような気もしたが、お構いなしで土間に運び入れた。
芋俵の中の松公は横にされ、中は暖かいのでそのままぐっすり寝込んでしまった。
夜も更けて、腹が減って我慢がならない定吉は台所に何かないか探しに行く。
台所でまだ片付けている女中のおきよどんに、何か食べるものはないかとせびるが、おきよどんはあいにく今日は残飯のかけらもないという。
余計に腹が減ってきた定吉、芋俵のことを思い出す。
こっそり芋を盗み出し食べようと、おきよどんと一緒に暗い土間に入る。
手探りしながら芋俵にたどり着き、俵の横っ腹に手を突っ込んで芋を引きずりだそうとする。
定吉 「なんだかこのお芋おかしいや。柔らかくてへこんだるする・・・」
おきよどん 「柔らかくてへこむ? 腐ってるんじゃないか。握って見て堅いのをお出しよ」
定吉 「・・・このお芋はぽかぽか暖かいよ。焼き芋の俵かな?」
おきよどん 「焼き芋の俵なんぞあるもんかね」、定吉は俵の中を手で撫でたり、つついたり、握ったりしてかき回すものだから、中の松公はたまらない。
お尻の回りを撫で回されてくすぐったくて我慢がならず、思はず「ブーッ」と大きいやつを一発。
定吉 「おや、気の早いお芋だ」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 芋俵(いもだわら) – サツマイモや里芋を詰めて運搬・保管するための藁製の容器。円筒形で、人間が一人入れるほどの大きさがありました。江戸時代の物流で広く使われていました。
- 木綿問屋(もめんどんや) – 木綿製品を扱う卸売業者。江戸時代には木綿は庶民の衣類として需要が高く、木綿問屋は裕福な商家として知られていました。
- 心張棒(しんばりぼう) – 戸や引き戸の内側から突っ張って施錠する棒。現代のドアチェーンに相当する防犯具で、外からは開けられない仕組みでした。
- 定吉(さだきち) – 商家で働く丁稚(でっち)の名前。丁稚は10歳前後から商家に奉公に出た少年で、雑用をこなしながら商売を学びました。
- おきよどん – 女中(お手伝いさん)の呼び名。「どん」は親しみを込めた呼び方で、江戸の商家では女中が家事全般を担当していました。
- 番頭(ばんとう) – 商家で店の経営を任される最高責任者。主人に次ぐ地位で、丁稚や手代を統括していました。
- 分け前(わけまえ) – 泥棒仲間で盗んだ品物や金銭を分配すること。この噺では、松公を騙す口実として使われています。
よくある質問(FAQ)
Q: 実際に芋俵に人間が入って盗みを働く事件はあったのですか?
A: 記録には残っていませんが、江戸時代の犯罪手口としては非常に創意工夫に富んだものです。落語の世界ならではの誇張された設定ですが、芋俵が人間一人入れるサイズだったことは事実です。
Q: なぜ定吉は暗闇で芋を探していたのですか?
A: 当時は電気がないため、夜中に灯りをつけると番頭に見つかる危険がありました。そのため手探りで芋を探すしかなく、それが勘違いを生む原因となっています。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 江戸落語の演目です。江戸の商家を舞台にした泥棒噺で、江戸弁のリズムと下町の雰囲気が色濃く反映されています。
Q: 「気の早いお芋」とはどういう意味ですか?
A: 焼き芋は時間が経つと芋の中の糖分が発酵してガスが発生し、「プシュッ」と音を立てることがあります。定吉は松公の屁の音を、焼き芋が勢いよく「出来上がった」音と勘違いしているのです。
Q: 現代でも演じられていますか?
A: はい、現在も多くの落語家が高座にかけています。下ネタを含む演目ですが、計画の破綻と勘違いのコメディとして幅広い年齢層に楽しまれています。
Q: このオチは何オチと呼ばれますか?
A: 「勘違いオチ」または「見立てオチ」の一種です。屁の音を焼き芋の音と勘違いする聴覚的な錯覚を利用したオチで、落語の代表的な技法の一つです。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん朝 – 明瞭な語り口と巧みな間で、泥棒たちの計画と松公の純朴さを見事に演じ分けました。特に最後の「おや、気の早いお芋だ」のタイミングが絶妙でした。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。格調高い語り口ながら、下ネタも品よく演じる技術は圧巻でした。
- 柳家小三治 – 現代の名人。丁寧な人物描写で、定吉と松公の心理を細やかに表現し、笑いの中にも温かみのある演出が特徴です。
- 春風亭昇太 – 現代の実力派。テンポの良い語り口で若い世代にも人気があり、泥棒たちのやり取りが特に面白いと評判です。
関連する落語演目
同じく「勘違い」がテーマの古典落語




「食べ物」が重要な役割を果たす古典落語



「間抜けな人物」が活躍する古典落語


この噺の魅力と現代への示唆
「芋俵」の最大の魅力は、真面目な犯罪計画が思わぬ形で破綻する構造の面白さにあります。泥棒たちの緻密な計画、松公の純朴さ、定吉とおきよどんの食欲という、それぞれまったく異なる動機を持つ三者が偶然に交錯することで、予想外の展開が生まれます。
この噺は「計画通りにいかない人生」というテーマを、笑いを通して描いています。現代社会でも、綿密に立てた計画が思わぬところで頓挫することは日常茶飯事です。泥棒たちは完璧な計画を立てたつもりでしたが、腹を空かせた定吉という予想外の要素によって、計画は実行される前に破綻してしまいます。
また、松公のキャラクターも興味深い存在です。「ちょっと足りない」と表現される彼ですが、騙されながらも俵の中で我慢強く耐える姿には、ある種の純朴な誠実さが感じられます。最後に屁をしてしまうのも、人間の生理的な限界を示しており、どんなに我慢しても人間らしさは隠せないという普遍的なテーマが込められています。
「おや、気の早いお芋だ」という最後の一言は、単なる下ネタではなく、聴覚的な錯覚を利用した巧妙な言葉遊びです。暗闇の中で音だけを頼りに判断する定吉の姿は、情報が限られた状況での人間の判断の不確かさを象徴しているとも言えるでしょう。
江戸時代の庶民の生活(夜食を盗み食いする丁稚、泥棒の手口、商家の防犯など)がリアルに描かれている点も、この噺の魅力の一つです。歴史的な資料としても価値があり、当時の人々の暮らしぶりを垣間見ることができます。
実際の高座では、松公が俵の中で転がされる場面や、定吉が手探りで芋を探す場面など、演者の身体表現が見どころとなります。特に最後の「ブーッ」という擬音と「おや、気の早いお芋だ」のタイミングは、演者の技量が試される場面です。
下品なオチではありますが、計画の破綻、偶然の出会い、勘違いという要素が絶妙に組み合わさった、古典落語の醍醐味を味わえる作品です。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。


