いかけ屋
3行でわかるあらすじ
町内の悪ガキたちが道端で仕事をしている鋳掛屋をからかい、質問攻めにしたり金づちを貸せと迫ったりする。
悪ガキたちは最後にホースで鋳掛屋の炉の火を消してしまい、今度はうなぎ屋に向かってそこでもいたずらをする。
物語の最後に「おなじみのいかけ屋でございました」というオチで、鋳掛屋ではなく悪ガキたちこそが「いかけ屋(いたずら屋)」だったことが分かる。
10行でわかるあらすじとオチ
町内の悪ガキたちが道端で仕事をしている鋳掛屋を取り囲み、「おっさん、えらいご精が出まんなぁ」とからかい始める。
悪ガキたちは「キミィ、そこで火ィ起してるのは、どういう目的じゃ?」「造幣局か造船所か?」と質問攻めにして楽しむ。
さらに「その青い火から幽霊が出るか?」「鋳掛屋同士でよくくっつくな」などとダジャレを言って鋳掛屋をいらだたせる。
悪ガキの大将が「金づちを貸せ」と言うと、鋳掛屋は「家帰って鍋釜の底に穴あけて来い」と逆に悪知恵を教える。
悪ガキが「お父う、お母んに叱られる」と言うと、鋳掛屋は「おっちゃんがお前らの頃は穴あけに回っとった」と告白する。
悪ガキは「そんで、大きゅうなって直しに回ってんのんか」と返して鋳掛屋を完全にやり込める。
悪ガキたちが「火ィ消すぞ」と脅すと、鋳掛屋は「消せるもんやったら消してみい」と挑発してしまう。
悪ガキたちは「松ちゃん、梅ちゃん、よっちゃんに竹ちゃんみな来い」と仲間を呼んで自前のホースで一斉放水する。
鋳掛屋は「あぁぁ~、ホンマに消しゃがった」と嘆き、悪ガキたちは次の標的のうなぎ屋に向かってそこでもいたずらをする。
最後に「おなじみのいかけ屋でございました」というオチで、悪ガキたちこそが真の「いかけ屋(いたずら屋)」だったことが分かる。
解説
「いかけ屋」は言葉遊びを巧妙に使った古典落語の傑作で、鋳掛屋と悪ガキたちの知恵比べを通じて庶民の生活と子供たちのいたずらを描いた愉快な作品です。この演目の最大の魅力は、タイトルに込められた二重の意味による見事なオチにあります。
物語の構造は、職人対子供たちという古典的な対立構図を基本としながら、最終的には逆転の発想で観客を驚かせる仕掛けになっています。表面的には鋳掛屋が悪ガキたちに振り回される話ですが、実際には悪ガキたちの巧妙な言葉遊びと機転に富んだ行動が主役となっています。
見どころの一つは、悪ガキたちの質問攻めの巧妙さです。「造幣局か造船所か?」「鋳掛屋同士でよくくっつくな」といったダジャレや言葉遊びは、単なるからかいを超えた知的な遊びとして描かれており、江戸時代の庶民の言語感覚の豊かさを表現しています。
鋳掛屋のキャラクターも興味深く設定されています。悪ガキたちに「家帰って鍋釜の底に穴あけて来い」と逆に悪知恵を教えたり、「おっちゃんがお前らの頃は穴あけに回っとった」と自分の過去を告白したりする場面は、職人の人生経験と諦観を表現した深みのある描写となっています。
最後のオチである「おなじみのいかけ屋でございました」は、この落語の核心となる言葉遊びです。「いかけ屋」とは本来「鋳掛屋(金属製品の修理業)」を指しますが、ここでは「いかけ(いたずら、からかい)屋」という意味に転換されています。つまり、真の主役は鋳掛屋ではなく、いたずらを専門とする悪ガキたちだったという巧妙な仕掛けで、観客は言葉の二重性による驚きと笑いを同時に味わうことができます。
あらすじ
今日も町内の悪ガキどもが道端で仕事をしているいかけ屋を取り囲んだ。
悪ガキの「おっさん、えらいご精が出まんなぁ」から今日のいたぶり、からかい、おちょくりが始まった。
悪ガキ 「キミィ、そこで火ィ起してるのは、どういう目的じゃ?」
いかけ屋 「錫(カネ)を湯に溶かしてるんじゃ」
悪ガキ 「おっさん造幣局か造船所か?」
悪ガキ 「おっさん、その青い火から幽霊が出るか?」、「君は細君がおりますか?」、「鋳掛屋だけに鋳掛屋同士でよくくっつくな」、「お子さんはお嬢ちゃんですか、
お坊ちゃんですか?」などと、次々と質問をしてからかっては、いかけ屋が苛立つのを楽しんでいる。
悪ガキの大将は「金づちを貸せ」という。「一番大事な道具や、貸したる代わりにな、家帰って、おのれとこの鍋釜の底に、コツンコツンと穴あけて来い」
悪ガキ 「そんなことしたら、お父う、お母んに叱られるがな」
いかけ屋 「それくらいのこともできんで、一人前の悪さになれるか。おっちゃんがお前らの頃は、金づち持って、鍋釜の底に穴あけに回っとったわい」
悪ガキ 「ははぁ、そんで、大きゅうなって直しに回ってんのんか」と、いかけ屋は完全にやり込められ、無視して仕事をするしかないが、悪ガキどもはしぶとく、あきらめない。
悪ガキ 「貸さんかったら火ィ消すぞ」
いかけ屋 「おっちゃんが苦労して起した火、どないして消すねん」
悪ガキ 「へへへ。ションベンで消したろか」
いかけ屋 「抜かしやがったなこのガキ。消せるもんやったら消してみい」
悪ガキ 「あぁ、何でもないこっちゃ。おい、松ちゃん、梅ちゃん、よっちゃんに竹ちゃんみな来い」、悪ガキどもは自前のホースで炉に向かって、一斉に消火放水を始めた。
いかけ屋 「あぁぁ~、ホンマに消しゃがった」
今日のいかけ屋いじめはこれ位にしてと、悪ガキたちは次の標的、犠牲者のうなぎ屋をめざして駆けて行く。
うなぎ屋に到着した悪ガキ隊は、看板を「へび屋」に書き替えたり、五十円の品札を百円の品に掛け替えたり、ウナギのタレの瓶に指を突っ込んでなめるは、タレのしゃもじをなめて落とし、拾って瓶の中に突っ込むはのやりたい放題の大活躍で、うなぎ屋も商売上がったりとなってしまった。
おなじみのいかけ屋でございました。
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 鋳掛屋(いかけや) – 金属製品(鍋、釜、やかんなど)の修理や補修を専門とする職人。「鋳掛け」とは、穴の開いた金属製品に溶けた錫(すず)や鉛を流し込んで塞ぐ技術のこと。江戸時代から昭和初期まで、道端で仕事をする移動型の職人として庶民の生活に欠かせない存在でした。
- 錫(すず)・カネ – 鋳掛屋が使う金属材料。融点が低いため、携帯用の小さな炉で溶かして修理に使用できました。「カネ」は金属全般を指す俗語です。
- 炉(ろ) – 鋳掛屋が錫を溶かすために使う小型の火鉢状の道具。木炭や練炭を燃やして高温を作り出します。
- いかけ(いたずら) – この噺の核心となる言葉遊び。「いかけ屋」は「鋳掛屋」と「いたずら屋」の掛詞になっており、最後のオチで意味が反転します。
- 悪ガキ – いたずら好きの子供たち。江戸時代の町内では、子供たちが集団で遊び、時には大人をからかうことも日常的な光景でした。
- 金づち – 金属加工に使う工具。鋳掛屋にとっては商売道具の一つで、貸し借りはできない大切なものでした。
- 商売上がったり – 商売ができなくなること。いたずらによって営業妨害を受けた状態を表現しています。
よくある質問(FAQ)
Q: 鋳掛屋は現代でも存在しますか?
A: 現代ではほとんど見られなくなりました。使い捨ての時代になり、金属製品の修理より新品購入の方が安くなったためです。ただし、一部の職人が伝統技術として継承しており、文化財の修復などで活躍しています。
Q: なぜ鋳掛屋は道端で仕事をしていたのですか?
A: 鋳掛屋は移動型の職人で、町から町へと渡り歩いて仕事をしていました。客の家を訪問して修理することもありましたが、道端で作業をすることで「営業中」であることを示し、通りかかる人から仕事を受注する仕組みでした。
Q: 最後のオチ「おなじみのいかけ屋でございました」の意味を詳しく教えてください
A: この言葉には二重の意味があります。表面的には「おなじみの鋳掛屋(職人)でした」という意味ですが、真の意味は「おなじみのいかけ屋(いたずら屋)でした」となります。つまり、悪ガキたちこそが「いかけ(いたずら)」を専門とする真の主役だったという逆転の発想によるオチです。
Q: 悪ガキたちが「松ちゃん、梅ちゃん、よっちゃんに竹ちゃん」と呼ぶのはなぜですか?
A: これは「松竹梅」という縁起の良い組み合わせをもじった言葉遊びです。「よっちゃん」は「梅」の後に続く語呂合わせとして挿入されています。江戸時代の庶民は言葉遊びを好み、子供の名前にもこうした遊び心が反映されることがありました。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 「いかけ屋」は上方落語の演目です。関西弁で演じられ、大阪や京都の町内の雰囲気が色濃く反映されています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語の人間国宝。悪ガキたちの軽妙なやり取りと鋳掛屋の諦観を絶妙に演じ分け、最後のオチを鮮やかに決める名手でした。
- 桂枝雀(二代目) – エネルギッシュな芸風で、悪ガキたちのいたずらを躍動感たっぷりに表現。鋳掛屋が炉の火を消されるシーンでは、観客を大爆笑させる演出が特徴的でした。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれ、子供たちのキャラクターを活き活きと演じます。現代でも頻繁に高座にかけている噺の一つです。
- 桂ざこば(二代目) – 豪快な語り口で知られ、悪ガキと鋳掛屋の掛け合いをテンポよく展開し、観客を引き込む力強い演出が魅力です。
関連する落語演目
同じく「子供のいたずら」がテーマの古典落語



言葉遊びが秀逸な古典落語



職人が登場する古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「いかけ屋」のオチ「おなじみのいかけ屋でございました」は、タイトル自体が伏線となっている見事な構成です。観客は最初「鋳掛屋の話」だと思って聴き始めますが、最後に「いかけ(いたずら)屋の話」だったと気づかされる逆転の発想が秀逸です。
この噺に描かれている悪ガキたちのいたずらは、現代の視点から見ると営業妨害に当たる行為ですが、江戸時代の町内では子供たちの遊びとして一定程度許容されていた面もありました。大人と子供、職人と客という社会的な関係性の中で、どこまでが許されるかという境界線を探る子供たちの姿は、成長過程における社会学習の一環として捉えることもできます。
また、鋳掛屋が「おっちゃんがお前らの頃は、金づち持って、鍋釜の底に穴あけに回っとったわい」と告白する場面は、大人もかつては子供だったという普遍的な真理を示しています。悪ガキと鋳掛屋の対立構造は、実は世代を超えた同じ人間の姿を映し出しているのです。
現代では失われつつある職人の技術や、道端での商売、子供たちの集団遊びといった文化が、この噺には生き生きと描かれています。物質的には豊かになった現代ですが、人と人との距離が近く、言葉遊びや機転を楽しむ江戸時代の文化には、学ぶべき点も多いでしょう。
実際の高座では、演者によって悪ガキたちの人数や性格設定、いたずらの描写が異なり、それぞれの個性が光る演目です。特に、最後のホースで消火するシーンの演出は演者によって大きく異なり、聴き比べの楽しみがあります。


