本堂建立
3行でわかるあらすじ
床屋で若い連中が本堂建立の勧進坊をからかい半分で呼んで寄進の話を聞く。
坊主はお七、お染、小紫、夕霧、梅川、浦里、高尾など歴史上有名な女性たちとの華麗な恋愛遍歴を滔々と語る。
最後に今まで話したことは全部嘘だったと明かし、「本堂」と「ほんとう(本当)」の言葉遊びでオチとなる。
10行でわかるあらすじとオチ
床屋で若い連中が本堂建立の勧進坊をからかい半分で呼んで寄進話を聞くことにする。
坊主は湯島の陰間茶屋時代に男の坊さんに惚れられて身受けされたと語り始める。
駒込の吉祥寺でお七と恋仲になるが、お七は放火の罪で火あぶりの刑となる。
大坂に逃れて質屋の娘お染と恋仲になるが大評判となり江戸に戻ることになる。
江戸で幡随院長兵衛に世話になり、吉原の小紫、浦里と次々に恋愛遍歴を重ねる。
才三と名を改めて髪結いをしながら白木屋のお駒と恋仲になる。
最後は吉原の高尾を身請けするも振られ、とうとう三つ又で釣るし斬りにしてしまう。
高尾の一念が憑き纏い夜も眠れず、菩提を弔うために坊主になって念仏三昧の日々を送る。
床屋の連中に「一つも本当のことはない」と指摘され、坊主は全部嘘だったと白状する。
最後に「この旗を持って表へ出れば決して嘘は吐きまへん。"ほんとう"建立に歩きます」でオチとなる。
解説
「本堂建立」は古典落語の中でも特に文学的な要素が豊富な演目として知られています。勧進坊が語る恋愛遍歴には、江戸時代の人々に親しまれた歌舞伎や浄瑠璃の名作が数多く盛り込まれており、当時の観客にとっては馴染み深い物語の登場人物たちとの出会いを楽しめる仕掛けとなっています。
この演目の最大の見どころは、次から次へと登場する有名な女性たちの名前にあります。お七は「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」の八百屋お七、お染は「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」のお染、小紫、夕霧、梅川、浦里、高尾はそれぞれ実在した吉原や新町の名妓で、これらの名前を聞くだけで観客は様々な物語を思い浮かべることができました。
坊主の語り口も巧妙で、最初は陰間茶屋という設定から始まり、徐々に男性としての恋愛遍歴に変化していく構成が面白く、聞き手を飽きさせない工夫が凝らされています。また、各エピソードには実際の歌舞伎や浄瑠璃の筋書きが正確に盛り込まれており、演者にとっては相当な知識と記憶力が要求される高度な演目でもあります。
オチの「本堂」と「ほんとう(本当)」の掛け合わせは、単純ながら効果的な地口オチです。散々嘘をついた坊主が最後に「ほんとう建立」と言うことで、今度こそ本当のことを言うという皮肉と、本来の目的である本堂建立への回帰を同時に表現した見事な落としとなっています。
あらすじ
町内の若い連中が床屋でわいわいがやがやっていると、店の前を幟り旗を持った坊さんが通り掛かった。
床屋の中の誰かが、「あの本堂建立の勧進の坊さんを呼んで、少しばかり寄進して、若い頃の道楽やら、のろけ話なんかを聞いてやろう」と、面白半分、からかい半分で言い出す。
早速、坊さんを呼んで中に入れると、坊さんは寄進してくれると聞いて話し出した。
坊主 「私は湯島の陰間茶屋におりました時分、男の坊さんに惚れられました」
床屋の連中 「失礼な事を申し上げるようだが、陰間という者は、十七、八の色の白い綺麗な若衆か何かで。お前さんはあまり綺麗じゃありませんね」
坊主 「今は年を取りまして、このような風体になりました。
それも本堂建立のために雨に打たれ、風に吹かれ、日に照らされ、自然と垢や埃も染みましたのです。背もスラリとしておりましたが、毎日歩き通しでちょっと踵(かかと)が摺り切れました」
床屋の連中 「冗談言っちゃいけねえ。
踵が摺り切れた日にゃ終いには人間首ばかりになっちまう。それでその坊さんとはどうなりました」
坊主 「その坊さんに身受けをされて、駒込の吉祥寺へ預けられました。
その寺へ家を焼かれた本郷四丁目の八百屋の娘のお七さんが来て、私と好い仲になりました。
しかしそれも長くは続かずに親御さんに仲を引き裂かれました。
ところが娘心の一筋、あさましさから、またも我が家が焼けたなら、吉三さんにまた会えると、我が家へ火をつけて、釜屋の武助に訴人され、江戸八百八町を引き廻された上、鈴ヶ森で火焙りの刑になりました。
私の手でお七さんを殺したわけではないが、私にも責任がございます。
江戸のいるのも心苦しゅうなって、大坂へと向かいました。
高輪の大木戸では易者の白井左近という者に呼び止められ、西へ行っても東へ行っても女難の相が出ているとの見立て。
易など"当たるも八卦、当たらぬも八卦"、ええい、ままよと西に向かいました。
鈴ヶ森の刑場ではお七さんが火焙りにされた火炙(ひあぶり)台に手を合わせ、六郷の渡しで多摩川を渡って東海道を西へ向かいました。
箱根のお山も難なく越えましたが、吉田の宿場で大火事に遭い、旅籠から着の身着のままで逃げ出しました。
路銀も乏しくなって難儀をして困っていると、親切な旦那さんに会いまして家(うち)へ来いと言われ、連れて行かれた先は質屋さんで油屋さん。
そこの娘のお染さんと好い仲になりましたところ、主人の娘を唆(そそのか)したと、歌祭文にも歌われ、大坂三郷の大評判になりました。
そんなことで大坂にも居られなくなりまた江戸へ戻る決心をいたしました。
東海道を下って箱根の山を越え、多摩川を渡って、鈴ヶ森の寂しい所にさし掛かると、多くの悪党どもが取り巻いて、「丸に井の字じゃ、丸に井の字の紋じゃ」と騒ぎ立てられる始末。
我が名を知られし上からは、生かしてはおけぬと、無益の殺生とは知りながら、片っ端から切り倒しなぎ倒して、刀の血を拭って鞘に納め、行き過ぎようとすると駕籠の中から小田原提灯を差し出して、「お若えのお待ちなせえ」と声が掛かかりました。「待てとお止めなされしは、拙者がことでござるかな」と、振り向くとこれが名代の幡随院長兵衛さん。
それから長兵衛さんに連れられて花川戸の家へ行き、暫らく厄介になっておりますうちに、若い者に連れられての吉原遊び。
三浦屋の小紫に惚れて惚れられ足繁く通っているうちに、遊里の金には詰まるが慣い、土手八丁の辻斬りも、昨晩(ゆうべ)は三人今夜は五人、ついにはそれが知れ渡って追われる身となりました。
夫婦約束までした小紫にもう一度逢ってからまた大坂へ旅立ちました。
追手の目から逃れるため今度は中山道回りで行きました。
新町まで来て姿を変えて深編笠に紙子を着て、吉田屋の前へ立つと夕霧が飛んで出て、「伊左衛門はんやおまへんか、こっちへ上がんなはれ」。
勘当も許されて晴れて夕霧を身請けいたしました。
それも長くは続かずにまた悪い遊びの癖が出て、新町の梅川にぞっこん惚れてしまいました。
三百両の金に手を付け、梅川と手に手をを取って新口(にのくち)まで参りました時には、四十両の金使い果たして残った金がたった二分。
女子(おなご)は足手纏、可哀想とは思ったが、梅川を放ったらかして、江戸へ取って返しました。
箱根の山で道に迷って難渋している時に、仇討ち成就のため滝に打たれていた初花さんに助けられて無事に小田原へ下ることが出来ました。
江戸に入って花川戸の助六親分のお世話になりました。
助六親分について吉原へ行った時に浦里にぞっこん惚れられ、いい仲になり通いつめましたが金も底をつき、浦里の部屋の夜具の中に隠れていましたが、。
若い衆(し)に見つかり、打つやら蹴るやら叩くやら、とうとう表へ投げ出されました。
可哀想に浦里は庭の松の木へ縛り付けられ、時次郎と縁を切れよと責め折檻、折しも振り出す大雪に浦里を助けんと、用意の一振口にくわえて身を固め、忍び返しを押し取って、梯となして忍び入り、浦里の手を取って逃げ出しました。
真っ当な仕事につこうと思い、使い馴れたる剃刀一丁、名前も才三と改めて、廻り髪結で歩くうち、得意客の白木屋の娘お駒さんに惚れられて好い仲になりました。
ある日の事、佃屋喜蔵と番頭丈八のひそひそ話、聞くともなしに立ち聞けば、有難くも大事の一巻、これさえあれば五十四郡の御主(おんあるじ)の様子が分かったりと、家名を継いで吉原の三浦屋の高尾のもとへ通いましたが、いくら男っ振りが好くっても、金があっても高尾には嫌われ、振られ振られて振られ抜かれ、悔しいやらむかつくやら。
どうもならんと高尾を身受けして、高尾丸という舟に乗せ、禁酒を破って差す盃も、強情張って受けやせん。
とうとう堪忍袋の緒が切れて高尾を三つ又で釣るし斬り、しかし女子の執念は恐ろしいもの。
高尾の一念が私の身体に憑き纏(まと)うて、夜も寝むれず。
そこで頭をこのように丸めまして、高尾の菩提を弔うために、毎日、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」の念仏三昧でございます。
床屋の連中 「なかなか浮気の坊さんだ、大僧な苦労人だね こちとらよりよっぽどこの坊さんの方が金がかかってる。何しろどうも御苦労様、ねえ坊さん、お前さんが今言った事は一つも本当の事なぞありゃしませんね」
坊主 「あっはっはっ、面目次第もない。嘘じゃ、嘘じゃ、今まで喋った事は全部嘘じゃけれど、この旗を持って表へ出れば、決して嘘は吐きまへん。"ほんとう"建立に歩きますのじゃわい」


