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東の旅① 落語|あらすじ・オチ「水臭い酒・酒臭い水」意味を完全解説

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話芸の殿堂-古典落語-東の旅1
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東の旅①(発端~煮売屋)

3行でわかるあらすじ

喜六と清八がお伊勢参りの旅に出発し、奈良を経て道中で言葉遊びを楽しむ。
煮売屋で店主をからかい、どじょう汁やくじら汁を注文して店主を困らせる。
最後は店主が勧める酒「村雨」「庭雨」「直雨」から「水臭い酒」「酒臭い水」のオチ。

10行でわかるあらすじとオチ

喜六と清八がお伊勢参りの旅に出発し、安堂寺橋から東へ向かう。
玉造の二軒茶屋で見送りの人々と酒を飲み、深江で笠を買って奈良へ入る。
奈良の印判屋に泊まり、翌朝は奈良名所を巡ってから野辺へ出る。
道中で喜六が「腹減った」と言うと、清八は「腹はラハ」と隠し言葉を使えと言う。
体の部位をひっくり返す言葉遊びをして、喜六が一枚上手を見せる。
煮売屋を見つけて入り、品書きの「口上」や「貸し売りおことわり」を注文してからかう。
どじょう汁を注文すると「婆さんが山越え三里の町まで味噌を買いに行く」と言われる。
くじら汁と言うと「熊野の浦へ鯨買いに行く」と仕返しされる。
最終的に高野豆腐にかつお節のだし汁をかけてもらい、店主が酒を勧める。
「村雨」「庭雨」「直雨」の説明から「水臭い酒やなあ」「酒臭い水じゃ」のオチ。

解説

「東の旅①」は上方落語の代表的な道中記シリーズの第1部で、喜六と清八という二人組がお伊勢参りの旅に出かける物語です。この演目は全部で3部構成になっており、発端から煮売屋での騒動までを描いた導入部となっています。

この噺の最大の特徴は、関西弁による軽妙な会話と言葉遊びにあります。特に「腹はラハ」という隠し言葉の場面では、体の部位をひっくり返すという言葉遊びを通じて、喜六が清八の一枚上手を見せる構成になっています。「とこまに、ぼくめんだいしもない」(まことに面目次第もない)という表現は、上方落語特有の洒脱な言い回しとして秀逸です。

煮売屋での場面は、この演目のもう一つの見どころです。品書きの「口上」や「貸し売りおことわり」を注文するくだりから、「いろは」の濁点遊び、そして「どじょう汁」と「くじら汁」の応酬まで、店主と客の機知に富んだやり取りが描かれています。特に店主の「熊野の浦へ鯨買いに行く」という切り返しは、客の無理難題に対する商人の知恵を表現した名台詞です。

最後のオチ「水臭い酒やなあ」「酒臭い水じゃ」は、「村雨」「庭雨」「直雨」という酒の名前に込められた皮肉と、実際の酒の薄さを掛け合わせた地口オチです。これは江戸時代の旅先の安い酒の実情を反映したもので、旅の現実と理想のギャップを笑いに変えた巧妙な落としとなっています。

この演目は桂米朝をはじめとする上方落語家の十八番として愛され続けており、関西弁の響きと旅情豊かな描写、そして軽快な言葉遊びが三位一体となった上方落語の傑作です。

あらすじ

ぽちぽち陽気もよくなった頃、喜六と清八のウマの合う二人、お伊勢参りでもしようかと、黄道吉日を選び、大勢の人に見送られて安堂寺橋から東へ東へと旅立つ。

玉造の二軒茶屋で、見送りの連中とす(酸)いい酒を飲み交わし、あとは二人連れ、中道、本庄、玉津橋から笠の名所の深江で「深江笠」を買い、くらがり峠(暗峠)、榁木(むろのき)峠を越えて尼ケ辻の追分から南都奈良へと入った。

奈良には印判屋庄右衛門、小刀屋善助二軒の大き な旅篭ある。
何日逗留しても、夜具と家具が変わるのが自慢だ。
二人は印判屋の泊って翌朝はゆっくりと奈良名所を巡ってから、野辺へとやって来る。

百人ばかりの陽気な道中連とすれ違ったり、尻取り遊びをしながらの道中だ。
そのうちに喜六が大きな声で「腹減った」と言い出す。
清八はそんな無粋な言葉では百姓に笑われる、「腹はラハ」とひっくり返して隠し言葉を使えという。

清八が人の体は何でもひっくり返ると言うと、喜六は目・手・耳なんて並べて、清八の面目は丸つぶれ、喜六は「とこまに、ぼくめんだいしもない」(まことに面目次第もない)と思わないかと一枚上手だ。

そのうちに道沿いに煮売屋を見つけて入る。
品書きを見て、「口上」や「貸し売りおことわり」なんかを注文したり、オヤジが「いろは」の文字に濁りを打てば その音が変わるというので、「い・ろ・に」などを並べて、濁りを打って言って見ろと店のオヤジをからかう。

どじょう汁を頼むとこれから婆さんが山越え三里の町まで味噌を買いに行き、オヤジは裏の水溜りでどじょうをすくって来るという。
それならくじら汁と言うと、オヤジは「熊野の浦へ鯨買いに行く」、すっかりおちょくられて、仕返しされている。

何やかやで、やっと高野豆腐にかつを節のだし汁をかけてもらうことで一件落着。
そうなれば酒だ。
オヤジは村の銘酒を勧める。「村雨」、「庭雨」に「直雨(じきさめ)」だ。
村を出る頃に醒めるから「村さめ」、庭に出ると醒めるから「庭さめ」、飲むとすぐに醒めるから「じきさめ」だ。

清八 「酒ん中にぎょ~さん水混ぜるんやろ」

オヤジ 「そうではねえ、水ん中へ酒混ぜる」

清八 「水臭い酒やなあ」

オヤジ 「酒臭 い水じゃ」


落語用語解説

お伊勢参り(おいせまいり)

伊勢神宮への参詣のこと。江戸時代には庶民にとって一生に一度の大旅行として憧れの対象だった。「お蔭参り」として集団で参詣する風習もあり、大阪からは東海道を経由して伊勢へ向かうのが一般的なルートだった。この噺では喜六と清八が大阪から奈良を経由して東へ向かう旅の様子が描かれている。

喜六と清八(きろくときよはち)

上方落語の定番コンビ。喜六は素直でおっちょこちょいのおばさん、清八は略した狡獪さを持つ調子者という役割分担が確立している。東京落語の八っつぁんと熊さんに相当するキャラクターで、多くの上方落語でこの二人が登場する。「東の旅」シリーズでは、この二人の道中でのやり取りが物語の軸となっている。

隠し言葉(かくしことば)

言葉をひっくり返したり変形させたりして、直接的な表現を避ける言葉遊び。この噺では「腹」を「ラハ」とひっくり返す遊びが登場し、喜六が「目」「手」「耳」など回文になる言葉を並べて清八を言い負かす場面がある。江戸時代の庶民の言語感覚と機智を示す典型的な遊びの一つ。

煮売屋(にうりや)

煮物や汁物などの惣菜を売る店。江戸時代の庶民向け飲食店の一種で、旅人や日雇い労働者などが気軽に利用できた。この噺では道中の煮売屋で喜六と清八が店主と機知に富んだやり取りを繰り広げる場面が描かれており、当時の庶民の食文化を垣間見ることができる。

村雨・庭雨・直雨(むらさめ・にわさめ・じきさめ)

この噺に登場する架空の酒の銘柄で、いずれも「醒める」(さめる)という言葉を掛けている。「村雨」は村を出る頃に酔いが醒める、「庭雨」は庭に出ると醒める、「直雨」は飲むとすぐに醒めるという意味。実際には水で薄めた粗悪な酒を指しており、旅先の安酒の実情を皮肉った表現となっている。

地口オチ(じぐちおち)

言葉の音や意味を掛けた洒落でオチをつける手法。この噺の「水臭い酒やなあ」「酒臭い水じゃ」は、水で薄めた酒の実態を言い表すと同時に、「水臭い」(よそよそしい)という慣用句と「酒臭い」(酒の匂いがする)という表現を掛け合わせた地口オチになっている。

印判屋(いんばんや)

印判(印鑑)を扱う店のことだが、ここでは奈良の大きな旅籠(旅館)の名前として登場する。「印判屋庄右衛門」と「小刀屋善助」という二軒の大きな旅籠があり、「何日逗留しても夜具と家具が変わる」という豪華さが自慢だったとされる。江戸時代の奈良の繁栄を示す描写となっている。

よくある質問(FAQ)

なぜ喜六と清八はお伊勢参りに行くのですか?

お伊勢参りは江戸時代の庶民にとって一生に一度の大旅行であり、憧れの対象でした。伊勢神宮への参詣は信仰的な意味合いだけでなく、観光や娯楽としての側面も強く、「陽気もよくなった頃」に「黄道吉日を選び」という描写からも、二人が楽しみにしている様子が伝わります。上方落語では、このような旅の道中を描いた演目が複数あり、庶民の旅への憧れを反映しています。

「腹はラハ」という隠し言葉のやり取りの意味は?

清八が喜六に対して、「腹減った」という直接的な表現は無粋だと言い、「腹」を「ラハ」とひっくり返して隠し言葉を使えと教えます。しかし喜六が「目」「手」「耳」など回文になる言葉(ひっくり返しても同じ)を並べて、清八の理屈を覆してしまいます。最後に喜六が「とこまに、ぼくめんだいしもない」(まことに面目次第もない)と言うのは、清八が面目を失ったことを皮肉った表現で、喜六が一枚上手を見せる場面として笑いを誘います。

煮売屋での「どじょう汁」と「くじら汁」のやり取りの面白さは?

喜六と清八が無理難題を言って店主をからかおうとする場面です。「どじょう汁」を注文すると、店主は「婆さんが山越え三里の町まで味噌を買いに行き、オヤジは裏の水溜りでどじょうをすくって来る」と返します。さらに「くじら汁」と言うと「熊野の浦へ鯨買いに行く」と切り返され、完全に仕返しされてしまいます。客が店主をからかおうとして逆にやり込められるという構図が面白さの核心です。

「水臭い酒」「酒臭い水」というオチの意味は?

「村雨」「庭雨」「直雨」という酒の名前は、いずれも「醒める」(さめる)という言葉を掛けており、すぐに酔いが醒めるほど薄い酒であることを示しています。清八が「酒ん中にぎょ~さん水混ぜるんやろ」と言うと、店主は「水ん中へ酒混ぜる」と返し、清八の「水臭い酒やなあ」に対して「酒臭い水じゃ」と切り返します。これは旅先の安酒の実態を笑いに変えた地口オチで、水で薄めた粗悪な酒を皮肉ると同時に、「水臭い」(よそよそしい)という慣用句を掛けた言葉遊びになっています。

名演者による口演

三代目桂米朝

上方落語の大御所として「東の旅」シリーズを得意ネタとしていました。米朝の口演では、喜六と清八のキャラクターが明確に描き分けられ、特に「腹はラハ」の場面での喜六の機智や、煮売屋での店主とのやり取りが軽妙なテンポで進んでいきます。関西弁の響きを活かした語り口が秀逸で、旅の情景描写も豊かです。

二代目桂枝雀

枝雀の「東の旅」は、喜六と清八の掛け合いを高速テンポで演じるスタイルが特徴です。特に煮売屋での品書き遊びや「いろは」の濁点遊びを、観客を巻き込むような勢いで進めていきます。オチの「水臭い酒」「酒臭い水」の言い回しも、枝雀独特の間合いで笑いを引き出しています。

六代目笑福亭松鶴

松鶴の口演は、旅の風景描写を丁寧に行い、喜六と清八の旅情を感じさせる演出が特徴です。安堂寺橋から奈良へ至る道中の地名や、奈良の印判屋の描写など、一つ一つの場面を大切に演じることで、観客を旅の世界へと誘います。煮売屋での店主との掛け合いも、人情味のある温かい笑いとして表現されています。

桂文枝(五代目)

文枝の「東の旅」は、言葉遊びの面白さを前面に押し出した口演スタイルです。「腹はラハ」の場面では、喜六の機智を際立たせ、煮売屋での「口上」「貸し売りおことわり」の注文から「どじょう汁」「くじら汁」の応酬まで、テンポよく進めていきます。オチの「水臭い酒」「酒臭い水」も、地口の面白さを最大限に引き出しています。

関連する落語演目

  • 粗忽長屋 – 同じく喜六と清八コンビが登場する上方落語の名作
  • へっつい盗人 – 清八と喜六の掛け合いが楽しめる泥棒噺
  • 時そば – 店主と客の機知に富んだやり取りが描かれる
  • 転失気 – 言葉の意味を取り違えて騒動になる笑いの構造が共通

この噺の魅力と現代への示唆

「東の旅①」の最大の魅力は、上方落語特有の関西弁による軽妙な会話と言葉遊びにあります。喜六と清八という定番コンビの掛け合いは、単なる旅の描写を超えて、庶民の機知とユーモアを体現しています。特に「腹はラハ」の場面で、清八が教えた隠し言葉の理屈を喜六が「目」「手」「耳」という回文で覆してしまう展開は、知恵比べの面白さを凝縮しています。

お伊勢参りという江戸時代の庶民にとって憧れの大旅行を題材にすることで、観客は自然と旅情に浸ることができます。安堂寺橋から玉造、深江、暗峠を経て奈良へ至る道中の地名描写は、実際の大阪から奈良への旅路を忠実に辿っており、当時の人々にとっては共感できる情景だったでしょう。現代の観客にとっても、地名を通じて歴史的な旅のルートを追体験できる貴重な資料となっています。

煮売屋での場面は、この噺のもう一つの核心です。品書きの「口上」や「貸し売りおことわり」を注文するという悪戯から始まり、「いろは」の濁点遊び、そして「どじょう汁」「くじら汁」の応酬まで、客と店主の知恵比べが繰り広げられます。特に店主の「熊野の浦へ鯨買いに行く」という切り返しは、客の無理難題を逆手に取った商人の機智を示しており、単なるからかいではなく、対等な言葉遊びの応酬となっています。

最後のオチ「水臭い酒やなあ」「酒臭い水じゃ」は、旅先の安酒の実情を笑いに変えた地口オチです。「村雨」「庭雨」「直雨」という酒の名前に込められた皮肉と、実際の酒の薄さを掛け合わせることで、旅の現実と理想のギャップを表現しています。江戸時代の旅においても、理想と現実の差は存在し、それを笑いに変えることで旅人たちは気持ちを軽くしていたのでしょう。

現代社会においても、この噺は多くの示唆を与えてくれます。まず、旅における予期せぬ出来事や不便さを笑いに変える姿勢は、現代の旅行においても大切です。計画通りにいかないことや、期待外れの食事なども、捉え方次第では楽しい思い出になります。

また、喜六と清八の関係性は、友人同士の旅の楽しさを象徴しています。互いに知恵を競い合いながらも、最終的には一緒に笑い合える関係は、現代の友情にも通じるものがあります。「腹はラハ」の場面で、清八が教えた理屈を喜六が覆してしまうというやり取りは、上下関係ではなく対等な関係での知的な遊びを示しており、健全な友人関係の在り方を教えてくれます。

煮売屋での客と店主のやり取りは、サービス業における機智の重要性を示しています。店主は無理難題を言う客に対して、怒るのではなく機知に富んだ切り返しで対応しています。これは現代のカスタマーサービスにおいても参考になる姿勢で、困難な状況をユーモアで乗り切ることの大切さを教えてくれます。

「東の旅①」は、上方落語の魅力が凝縮された傑作です。旅という非日常の舞台設定、喜六と清八という魅力的なキャラクター、関西弁の響き、そして言葉遊びの妙が三位一体となって、時代を超えた笑いを提供しています。このシリーズは全3部構成で、それぞれに異なる笑いと旅情が詰まっており、上方落語の豊かな表現力を体験できる名作として、今も多くの落語家によって演じ続けられています。


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