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【古典落語】御慶 あらすじ・オチ・解説 | 富くじ大当たり成金騒動

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話芸の殿堂-古典落語-御慶
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御慶

3行でわかるあらすじ

富くじに夢中の八五郎が鶴と梯子の夢を見て、千五百四十八番の札を買う。
見事に一の富に大当たりし八百両を手に入れ、一夜にして成金になる。
正月に裃と刀で年始回りに行き、「御慶」の挨拶で言葉遊びのオチになる。

10行でわかるあらすじとオチ

富くじに夢中の八五郎が梯子の上に止まる鶴の夢を見る。
妻の半纏を質屋に入れて金を作り、湯島天神へ富くじを買いに向かう。
大道易者に相談し、千五百四十八番の札を買うことにする。
見事に一の富に大当たりし、八百両という大金を手に入れる。
急に金持ちになり、妻に珊瑚珠をねだられ、大家に溜まった店賃を払う。
裃一式と五両の刀を買い、正月の準備を整える。
正月の朝、裃を着て刀を差し、大家へ年始回りに行く。
大家から「御慶」という上品な挨拶を教わる。
友人三人に会い「おめでとう」と言われ「御慶!御慶!御慶!」と返す。
「御慶(ぎょけい)」が「どけえ(どこへ)」に聞こえ「ああ、恵方参りよ」とオチになる。

解説

「御慶」は江戸時代の富くじ(現在の宝くじの原型)と新年の風習を背景にした古典落語の名作です。五代目古今亭志ん生が得意とした演目として知られ、年末年始の庶民の生活と心境を巧みに描いています。

この噺の見どころは、まず富くじという江戸時代の文化的背景です。湯島天神などで行われた富くじは庶民の夢と希望の象徴で、年末の苦しい生活から抜け出したい庶民の心情が八五郎の行動によく表れています。妻の着物まで質に入れてしまう八五郎の行動は、現代の宝くじファンにも通じる人間臭さがあります。

最大の特徴は「御慶」という正月の格式高い挨拶を使った言葉遊びのオチです。急に成金になった八五郎が覚えたての上品な挨拶を使いたがる心理と、それが「どこへ」に聞こえてしまう音の近似性を利用した秀逸な落としです。「恵方参り」は明治以前の一般的な新年行事で、現在の初詣の前身とも言える風習でした。

演出面では、八五郎の性格変化と富くじ当選前後の心境の変化を表現する技術が求められます。貧乏な時の必死さから、当選後の舞い上がった様子、そして年始の得意げな様子まで、幅広い感情表現が楽しめる演目です。

あらすじ

富くじに狂っている八五郎。
夢で梯子(はしご)の上に止まっている鶴を見て、鶴は千年、梯子は八百四十五で、千八百四十五番の札を買えば千両に当たるんじゃないかと、夢みたいなことを考える。

八さんは女房の着ていた一張羅の半纏(はんてん)を脱がせ、質屋に無理を言って一分の金を作り、湯島天神へ富くじを買いに向かう。

途中、大道易者に夢のことを話すと、「鶴の千まではよろしいが、上から八百四十五番はまずいな。
梯子は上りの方が肝心だ。下から五百四十八番と上がらなくちゃいけない」との判断。
なるほどと納得した八さん、鶴の千五百四十八番の札を買った。

川柳に「一の富どっかの者が取りは取り」、「富くじの引き裂いてある首くくり」。
さあ、八さんの運命はどっちだ。
まあ、首をくくってしまったら怪談話くらいにしかならないが。

湯島天神で一の富の千両に突き上げられた札はなんと、「鶴の・・・・千五百四十八番・・・千五百四十八番」で大当たり。

腰を抜かした八五郎、来年の二月末まで待てば千両丸ごと貰え、今すぐだと八百両だと言われるが、来年なんて悠長なことは言っていられない。
八百両貰って長屋へまっしぐら。
初めは信じなかったかみさんも現ナマを見て腰を抜かしそうになる。

かみさんはすぐに、春着の一枚と珊瑚珠の三分珠をねだるが、そんなのは朝飯前、屁の河童と大請け合い。
八さんは溜まっている店賃を払いに大家のところへ行く。
大家は全額即金で払うと言う八さんを、何か悪事を働いて作った金と疑うが、富くじに当たったと聞いて大安心。
さらに八さんは大家のばあさんに二分の小遣いを大盤振る舞い。

次に八さんは裃(かみしも)一式を買い、刀屋で五両の刀を買う。
さあ、いつもの年の暮れなら掛取りを断る算段に追われ、正月の用意など二の次の八さん夫婦だが今年は違う。
借金取りはゼロ。
大晦日には餅屋が餅を、酒屋が籠被り(こもかぶり)の樽酒を、魚屋が新鮮な魚を、世辞、べんちゃらを言いながら届けに来る。

そして待ちに待った正月の朝、八さんは裃を付け、刀を差して大家のところへ年始回りに行く。
八さん 「おめでとうござんす」

大家 「裃姿で、おめでとうござんすはないだろ」

八さん 「そういうもんかねえ。じゃあ何と言えばいいんで」

大家 「明けましておめでとうございます。
旧年中は・・・・本年も相変わらず・・・お願いいたします。ぐらいのことを言えば十分だ」

八さん 「もっと短くて気の利いたあいさつはねえんで」

大家 「”御慶”なんてのはどうかな。”銭湯で裸同士の御慶かな”なんて句もある。”おめでとう”ということだ。
年始回りに行った家で”どうぞお上がりください”と言ったら、”永日”と言えばいい。後日いずれまたということだ」、いいことを教えて貰ったと八五郎、早速、手当たり次第に”御慶”、”永日”を連呼して行く。

向こうから虎公、半公、留公がやって来た。「やあ、八公、たいそうな身形(なり)をしやがって。
大当たりだそうじゃねえか。おめでとう」、続いて半公、留公も「おめでとう」、「おめでとう」

八さん 「えへへへへ、三人でおめでとうときたな。よーし、三人まとめて、御慶!御慶!御慶!」

虎公 「おいおい何だ、鶏が卵を産むような声出しやがって」

八さん 「御慶(ぎょけい=どけえ=どこへ)といったんだ」

虎公 「ああ、恵方参りよ」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 富くじ(とみくじ) – 江戸時代に寺社が資金調達のために発行した現在の宝くじの原型。湯島天神、谷中感応寺、目黒不動などが特に有名で、庶民の夢と希望の象徴でした。
  • 湯島天神(ゆしまてんじん) – 東京都文京区にある天満宮。学問の神様として有名で、江戸時代は富くじの興行地としても知られていました。
  • 裃(かみしも) – 武士の礼装。肩衣と袴からなる正装で、成金になった八五郎が無理して着る様子がこの噺の見どころです。
  • 珊瑚珠(さんごじゅ) – 珊瑚で作られた装身具。当時は高級品で、妻がねだる「三分珠」は三分(約7,500円相当)の珊瑚玉を意味します。
  • 店賃(たなちん) – 長屋の家賃のこと。八五郎のような貧乏な長屋住まいは常に家賃滞納の危機にありました。
  • 恵方参り(えほうまいり) – その年の吉方位にある神社仏閣に参拝する新年の風習。明治以前の一般的な初詣の形態でした。
  • 籠被り(こもかぶり) – 藁や竹の皮で編んだ籠で包んだ酒樽。新酒や贈答用の酒に使われました。

よくある質問(FAQ)

Q: 富くじは現在の宝くじとどう違いますか?
A: 基本的な仕組みは似ていますが、富くじは寺社の修繕費用調達が目的で、年に数回特定の寺社で興行されました。一の富(一等)は千両で、現在の価値で約1億円相当です。八五郎が受け取った八百両は約8,000万円に相当します。

Q: なぜ八五郎は来年まで待たずに八百両を選んだのですか?
A: 江戸時代の庶民にとって、来年まで待つ余裕はありませんでした。また、当時は幕府の政策変更や経済状況の変化で、権利が無効になるリスクもありました。確実に今手に入れるという庶民の知恵とも言えます。

Q: 「御慶」は実際に使われていた挨拶ですか?
A: はい、「御慶」(ぎょけい)は江戸時代から明治時代にかけて、格式高い新年の挨拶として実際に使われていました。ただし、一般庶民が使うには気取った表現で、そこがこの噺の笑いのポイントになっています。

Q: この噺のオチの仕掛けを教えてください
A: 「御慶(ぎょけい)」という格式高い挨拶が、江戸の方言で「どけえ(どこへ)」に聞こえるという音の近似性を利用した言葉遊びです。覚えたての挨拶を連呼する八五郎の様子と、それが別の意味に聞こえてしまう滑稽さが絶妙なオチになっています。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 古今亭志ん生(五代目) – 昭和の名人として知られ、この噺を十八番としていました。貧乏から成金への心境変化を絶妙に表現し、特に富くじに当たった時の興奮と舞い上がった様子の演技が秀逸でした。
  • 古今亭志ん朝(三代目) – 志ん生の息子。父譲りの軽妙な語り口で、八五郎の性格変化を鮮やかに描きました。
  • 柳家小三治(十代目) – 人間国宝。この噺でも独特の間と語り口で、八五郎の人間臭さを丁寧に表現します。
  • 春風亭一之輔 – 現代の人気落語家。テンポの良い語り口で、若い世代にもこの噺の面白さを伝えています。

関連する落語演目

同じく「富くじ」がテーマの古典落語

言葉遊びが秀逸な古典落語

正月・新年がテーマの古典落語

長屋の庶民生活を描いた古典落語

この噺の魅力と現代への示唆

「御慶」は一攫千金の夢と、急に裕福になった人間の心理変化を巧みに描いた作品です。現代の宝くじブームにも通じる普遍的なテーマを扱っています。

特に注目すべきは、八五郎が金持ちになっても本質的には変わっていないという点です。覚えたての上品な挨拶を使いたがる様子は、成金の滑稽さと同時に、どこか愛嬌があって憎めない人間性を表しています。

また、妻の半纏を質に入れてまで富くじを買う八五郎の行動は、現代人から見れば無謀に見えますが、当時の庶民が抱えていた経済的困窮と、それでも夢を諦めない人間の強さを象徴しています。

「一の富どっかの者が取りは取り」「富くじの引き裂いてある首くくり」という川柳が示すように、富くじは庶民にとって天国と地獄の分かれ目でした。この噺は幸運にも天国側に転がった男の物語として、聴く者に爽快感を与えてくれます。

実際の高座では、演者によって八五郎の性格付けや、富くじに当たった瞬間の表現が大きく異なります。ぜひ複数の演者の口演を聴き比べて、それぞれの解釈の違いを楽しんでください。

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