祇園会
3行でわかるあらすじ
京都に残った江戸っ子の留吉が祇園祭でお茶屋に上がり、京都と江戸の自慢合戦が始まる。
欲深い芝居のおよくが客の職業を聞いては、飛脚屋には手紙の配達、石屋には石塔の建立を無心する。
留吉が「おんぼう(火葬場の人)」と答えると「死んだらただで焼いてくれ」と無心するオチ。
10行でわかるあらすじとオチ
京見物の江戸っ子三人のうち、二人は女郎買いで金を使い果たして江戸に帰ってしまう。
留吉だけが京都の伯父の所に世話になって残っていた。
祇園祭の日に伯父らと祇園のお茶屋に上がって酒を飲み交わす。
京都と江戸の自慢話になり、京都の人たちが江戸を「むさいへど」と馬鹿にする。
そこへ欲深いことで評判の悪い芝居のおよくがやってくる。
およくは客の職業を聞いては無心をするのが常で、飛脚屋には手紙の配達を頼み、石屋には石塔建立を頼む。
留吉は絶対に無心されないような職業を言おうと考え、「死人を焼く商売のおんぼう」と答える。
するとおよくは「おんぼうはんに御無心がおます」と言い、留吉が何かと聞く。
およくの答えは「わたいが死んだらなぁ、ただで焼いておくんなはれ」であった。
どんな職業でも無心をしてしまうおよくの図太さを描いたオチである。
解説
「祇園会」は京都の祇園祭を舞台とした古典落語で、京都と江戸の文化的対立と、欲深い女性のキャラクターを描いた作品です。
特に芝居のおよくというキャラクターは、名前の通り欲深く、客の職業を聞いてはそれに関連した無心をするというパターンが繰り返されます。
飛脚屋には手紙の配達、石屋には石塔建立と、どんな職業にも対応して無心をする才覚を発揮します。
しかし留吉が「おんぼう(火葬場の人)」と答えたときの「死んだらただで焼いてくれ」という無心は、その図太さが極まった究極のオチとなっています。
この作品は京都を舞台としているため上方落語で演じられることが多く、関西弁の情趣を楽しむことができる作品でもあります。
あらすじ
京見物の江戸っ子の三人旅は、三条大橋を渡って京に入った。
二人は女郎買いで遊び過ぎて金を使い果たして江戸に帰ってしまい、留吉だけが伯父さんの所に世話になっている。
祇園祭のある日に、伯父さんの友達らと見物がてら祇園のお茶屋に上がる。
酒を飲み交わすうちに京と江戸の自慢話になる。「伏見の酒は天下一」ぐらいはよかったが、京の者は江戸は犬の糞ばかりで、「武蔵江戸」でなく、「むさいへど」なんて相手の悪口まで飛び出て来た。
京者は「祇園の祭を見て、目の玉でんぐり返さんように。山鉾囃子も、ゴンゴンチキチキ、ゴンチキチ・・・・と王城の地で上品だ」と、鼻高々で江戸者の留吉を馬鹿にして見下している。
留吉も、「何言ってやがる。
なんて間抜けなお囃子だ。神田祭、三社祭のお囃子は・・・」と言い争いはエスカレートして行く。
そこへ運よく、およくと言う芸妓が入って来た。
祭礼の日でほかの芸妓は出払っておよく一人しか残っていないのだ。
年増のけっこういい女だが、名前のとおり欲が深くて、「あんたはんの御商売なんどすえ」と聞いて、それが欲しいとねだりごとばかりするので評判が悪いのだ。
女将からそのことを聞いていた留吉らは、ねだってもとてもやれないような商売を言うことにしようと相談済なのだ。
案の定、およくは座敷に入って来るなり、「あんたはんの御商売なんどすえ」、京の者が飛脚屋だと言うと、およくは「あんたはんに御無心がありまんのや、わてのお客はんが尾張の名古屋にいるさかいに手紙を届けておくれやす」。
もう一人が石屋と言うと、「おっかさんの石塔を建てておくれやへんか」と、一枚上手だ。
次は留吉に、「こっちゃのお客さんは江戸の方やおますなぁ、あんたはんの御商売なんどすえ」
留吉 「俺は死人を焼く商売のおんぼうだ」
およく 「そうどすか。おんぼうはんに御無心がおます」
留吉 「おんぼうに無心とは何だ」
およく 「わたいが死んだらなぁ、ただで焼いておくんなはれ」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 祇園会(ぎおんえ) – 祇園祭のこと。京都八坂神社の祭礼で、7月に行われる日本三大祭の一つです。
- 山鉾(やまほこ) – 祇園祭で巡行する装飾された山車。「動く美術館」と呼ばれるほど豪華です。
- 芝居(しばい) – この噺では芸妓の源氏名の一つ。「およく」という名は「欲」を連想させます。
- おんぼう – 火葬場で働く人のこと。江戸時代は身分の低い職業とされていました。
- 飛脚屋(ひきゃくや) – 手紙や荷物を運ぶ商売。江戸時代の運送業者です。
- 石屋 – 墓石や石塔を作る職人。この噺では石塔建立を無心されます。
- 三条大橋 – 京都の鴨川に架かる橋。東海道五十三次の終点で、江戸から京都に入る玄関口でした。
- 武蔵江戸(むさいえど) – 「むさい(汚い)」と「武蔵」を掛けた江戸への悪口です。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜおよくは欲深いと言われているのですか?
A: 客の職業を聞いては、必ずそれに関連した無心(金品をねだること)をするからです。飛脚屋には配達、石屋には石塔建立と、どんな職業でも無心のネタにしてしまいます。
Q: なぜ留吉は「おんぼう」と答えたのですか?
A: 絶対に無心されないような職業を考えた結果です。火葬場の仕事は誰もが避ける職業なので、これなら無心されないだろうと思ったのです。
Q: 「死んだらただで焼いてくれ」は本当に無心ですか?
A: はい、れっきとした無心です。通常は火葬にもお金がかかるので、それをタダにしてくれという要求です。およくの図太さが極まったオチです。
Q: この噺は上方落語ですか?
A: はい、京都を舞台にした上方落語です。関西弁のニュアンスが重要で、主に上方の落語家が演じます。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語の人間国宝。京都の雰囲気とおよくの欲深さを見事に表現しました。
- 桂枝雀(二代目) – 祇園祭の華やかさと、およくのしたたかさを対比的に演じました。
- 桂文枝(五代目) – 京都と江戸の文化対立を軽妙に描き、オチの皮肉さを際立たせました。
関連する落語演目
同じく「欲深い人」を描いた古典落語
芸妓が登場する古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「祇園会」は、欲深さという人間の本質と、京都と江戸の文化対立を描いた作品として、現代にも通じるメッセージを持っています。
最大の魅力は、およくのキャラクターです。客の職業を聞いてはそれに関連した無心をする。この図々しさは呆れるほどですが、同時にその機転の良さと生きる力強さも感じさせます。現代でも、あらゆる機会を自分の利益に結びつける人はいますが、およくほど堂々とした人は珍しいでしょう。
留吉の「おんぼう」という回答も興味深いものです。絶対に無心されないだろうと思って選んだ職業が、それでも無心のネタにされてしまう。これは「どんな状況でも無心する人はする」という人間の強欲さを示しています。現代でも、想定外の角度から要求してくる人はいます。
「死んだらただで焼いてくれ」という無心は、究極の図太さを示しています。自分の死後のことまで計算に入れて無心する。この先見性と図々しさの組み合わせは、ある意味で天才的です。現代でも、長期的な利益を見据えて行動する人はいますが、およくのレベルには達していないでしょう。
京都と江戸の文化対立も見逃せません。「むさいえど」という悪口や、祇園祭と神田祭のお囃子の優劣争い。これは地域間の文化的プライドの衝突です。現代でも、東京と大阪、あるいは他の都市間での文化的優越感や対抗意識は存在します。
興味深いのは、およくの欲深さが「評判が悪い」とされながらも、茶屋に呼ばれて接客している点です。欲深いとわかっていても、年増の良い女なので客をつける。これは現代の社会でも、問題があるとわかっていても魅力的な人が受け入れられる現象に似ています。
また、この噺は「想定外への対応」の難しさも示しています。留吉は完璧な対策を考えたつもりでしたが、およくはそれを上回る無心を考え出します。現代のビジネスでも、あらゆるリスクを想定したつもりでも、想定外の事態は起こります。
火葬場の仕事という職業選択も意味深です。江戸時代は身分の低い職業とされていましたが、社会に必要な仕事です。現代でも、人が避ける仕事が社会を支えている。その重要性を、この噺は逆説的に示しています。
およくの無心のパターンも興味深いものです。飛脚屋には配達、石屋には石塔建立と、それぞれの職業の専門性を利用しています。現代でも、相手の専門性や立場を利用した依頼や要求は日常的です。断りにくい形での要求は、一種の社会技術です。
最後のオチの皮肉さは見事です。死後のサービスを無料で要求するという発想は、現世の欲望が死後まで続くことを示しています。現代でも、生前契約や終活など、死後のことまで計画する時代ですが、それを無心のネタにするという発想は斬新です。
この噺は、欲深さを批判しながらも、どこかでその生命力を認めている面があります。およくは嫌われながらも生き延びる。この図太さは、ある意味で現代を生き抜く力にも通じます。
実際の高座では、関西弁のニュアンス、およくの図々しさ、留吉の驚きなど、演者の表現力が見どころです。ぜひ実際の高座や動画でお楽しみください。




