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【古典落語】大仏餅 あらすじ・オチ・解説 | 失明の乞食が茶人で突然目が開く奇跡の人情物語

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話芸の殿堂-古典落語-大仏餅
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大仏餅

3行でわかるあらすじ

盲目の乞食親子が上野山下の商家に怪我の手当てを求め、父親が元茶人でお上のご用達だったことが判明する。
店主が昔の知り合いと分かり茶でもてなし、大仏餅を食べた時に父親が喉に詰まらせて背中を叩く。
すると盲目だった父親の目が開いて鼻が詰まり、「大仏餅、目から鼻へ抜けた」というオチで終わる。

10行でわかるあらすじとオチ

上野山下の商家に父親が怪我をした盲目の乞食親子がやってきて、血止めの煙草の粉を求める。
父親は新米の盲乞食で、縄張りを荒らすなと他の乞食に殴られて怪我をしたと説明する。
店主は鎧の袖という名薬を塗って治療し、袴着の祝いの八百善の料理の残りを分けてやる。
父親が朝鮮鈔鑼の水こぼしを差し出すのを見て、店主は乞食をしても茶道具を手放さない真の茶人だと気づく。
父親は千家の川上宗寿の弟子で、芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だと名乗る。
店主は御徒町の河内屋金兵衛で、神幸がお上のご用達をしていた頃の知り合いだった。
奇遇を喜んだ店主が茶を点てて、薄茶を一服差し上げようと丁寧にもてなす。
父親は生涯お薄は頂けないと思っていたので感激し、もうこの世に心残りはないと涙ぐむ。
店主が大仏餅を勧めると父親が喉に詰まらせて苦しむので、背中をポンポンと叩いて助ける。
盲目だった父親の目が開いて見えるようになったが鼻が詰まり、「大仏餅、目から鼻へ抜けた」というオチ。

解説

「大仏餅」は三遊亭円朝作の三題噺として有名な作品で、「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」という三つのお題を巧妙に組み合わせて作られた人情落語の名作です。冒頭の「大仏の目」のエピソードは、最後のオチ「目から鼻へ抜けた」への巧妙な布石となっています。

この演目の最大の魅力は、社会の底辺にいる乞食親子の悲哀と、商人の温かい心遣いを描いた人情の深さにあります。神谷幸右衛門という元茶人が落ちぶれて乞食になりながらも、朝鮮鈔鑼の水こぼしを手放さない茶人としての誇りを持ち続けている姿は、江戸時代の士農工商という身分制度の中での人間の尊厳を描いています。

また、河内屋金兵衛の人情深いもてなしは、商人道の理想を表現しており、単なる施しではなく、同じ茶人としての敬意を込めた接待という形で描かれています。最後の「大仏餅、目から鼻へ抜けた」というオチは、奇跡的な回復を言葉遊びで表現した円朝らしい洒脱な結末で、聴衆に温かな余韻を残す構成になっています。

あらすじ

昔、奈良の大仏さんの片方の目玉が腹の中に落ちた。
男が落ちた目の空洞から中に入り、内側から目をスポッとはめ込んだ。
みながどうやって出て来るのかと心配していると、鼻の穴からスゥーと出て来た。「利口な人だ目から鼻へ抜けた」(『大仏の目』)。
この噺は三遊亭円朝作の「大仏餅」、「袴着の祝い」、「新米の盲乞食」の三題噺。

上野山下の商家に、父親が怪我をしたので血止めの煙草の粉をくださいと、子どもの乞食が入って来た。
父親「・・・あたくしは新米の盲乞食で、この山下でいただいていると、大勢の乞食が縄張りを荒らすなと、寄ってたかって殴られました」という。
店の主人は”鎧の袖”という名薬を塗ってやるとすぐに血は止まった。
主人 「この子はお前さんの子かい。・・・年は幾つだい」

父親 「六つでございます」

主人 「そうかい大変な違いだ。
今日は家(うち)の子どもの袴着の祝いで八百善の料理を取り寄せて・・・おい、料理の残ったもんがあったろ。それをやっとくれ。・・・なんか容物(いれもの)、面桶(めんつう)なんか持ってるかい?」

父親 「へい、これで」と、差し出したのが朝鮮鈔鑼(さはり)の水こぼし。
八百善の料理の残りを美味そうに食べている親子を見ながら、

主人 「お前さんはお乞食(こも)をしても朝鮮鈔鑼を手放さないとは真の茶人だ。ご流儀は?」

父親 「千家の川上宗寿の弟子でございます」

主人 「お名前は」

父親 「・・・名前は申し上げたくないのですが、数々のご親切・・・あたくしは、芝片門前に住んでおりました、神谷幸右衛門でございます」

主人 「えぇ、あのお上のご用達をなすっていた神幸・・・こりゃあ驚いた」

父親 「・・・そうおっしゃいますこちら様は?」

主人 「あたしは御徒町におりました河内屋金兵衛ですよ」

父親 「はあ、それでこの水こぼしがお目に止まりましたので。・・・ありがたいことでございます」

主人 「こりゃ奇遇だねえ。・・・お薄を一服あげたいねえ、・・・ああ、その鉄瓶点(だ)てでいい・・・」

父親 「あたくしはもう生涯、お薄などは頂けないものと思っておりました。旦那様のお点前を頂戴する、もうこの世に心残りはございません」

主人 「・・・なにかお菓子があったろ。・・・ああ、大仏餅があったろ。・・・これを食べてくださいよ」、主人が子どもに渡した大仏餅を、子どもに手のひらに載せてもらって、

父親 「・・・この大仏餅というのは、お茶うけには結構なお菓子でございます。では頂戴いたします・・・ううっ、ううっ・・・」と喉に詰まらせてしまって目を白黒。

驚いた主人が「神幸さん、しっかりしなさい」と、ポンポンと背中を叩くと、喉のつかえが下りたようで、
父親 「ふぁりがとふございまふ。ほかげでつかあえはほれまひてございまふ・・・」、主人が見ると目が開いている。

主人 「あれ、あなた目が開いたね」

父親「ふあぁい、目が開きまひたが、ふぁな(鼻)がこんなに・・・」

主人 「ああ、食べたのが大仏餅、目から鼻へ抜けた」


落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 朝鮮鈔鑼(さはり)の水こぼし – 朝鮮製の真鍮製茶道具で、茶席で使用済みの湯や水を捨てるための容器。高級な茶道具として珍重されました。
  • 八百善(やおぜん) – 江戸時代の超高級料亭。現在の東京・両国にあり、将軍家御用達としても知られた名店。その料理の残りでも庶民には贅沢品でした。
  • 袴着(はかまぎ)の祝い – 数え年で三歳から五歳の男児に初めて袴を着せる儀式。七五三の原型となった祝い事です。
  • 鎧の袖(よろいのそで) – 江戸時代の止血薬の名前。実在した薬で、傷薬として広く使われていました。
  • 面桶(めんつう) – 元々は洗面用の桶ですが、ここでは食べ物を入れる容器として使われています。
  • 千家(せんけ) – 茶道の流派。千利休を祖とする茶道の三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)を指します。
  • お上のご用達(おかみのごようたし) – 幕府や大名家に商品を納める特権を持つ商人のこと。大変な名誉であり、信用の証でした。

よくある質問(FAQ)

Q: この噺は本当に三題噺なのですか?どの部分が三題になっていますか?
A: はい、三遊亭円朝が「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」という三つのお題を組み合わせて作った三題噺です。それぞれが物語の重要な要素として巧みに織り込まれています。

Q: 「目から鼻へ抜けた」とはどういう意味ですか?
A: 本来は「利口な人、機転の利く人」という意味の慣用句です。この噺では、大仏餅が喉に詰まって背中を叩いたら目が開いて鼻が詰まった、という文字通りの「目から鼻へ抜けた」状態と、慣用句を掛けた言葉遊びになっています。

Q: 乞食になった茶人が朝鮮鈔鑼を手放さないのはなぜですか?
A: 茶人としての誇りとアイデンティティを保つためです。どんなに貧しくなっても茶道具を手放さない姿は、江戸時代の価値観における「道」を極めた人の生き方を象徴しています。

Q: この噺の奇跡(目が開く)は本当にあり得ることですか?
A: 医学的には心因性の失明が強い刺激で回復することは稀にあります。ただし、落語としては奇跡というより、言葉遊びのオチへの布石として描かれています。

Q: 三遊亭円朝とはどんな落語家ですか?
A: 幕末から明治にかけて活躍した江戸落語の大名人です。怪談噺「牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」などの長編人情噺を創作し、落語を芸術の域まで高めた人物として知られています。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 三遊亭円生(六代目) – 人間国宝。円朝の芸風を受け継ぎ、格調高い語り口で人情噺の真髄を表現。この噺でも父子の哀れさと主人の温情を繊細に演じました。
  • 古今亭志ん朝 – 江戸前の粋な語り口で知られる名人。人情の機微を軽妙に表現し、オチの言葉遊びまで品格を保った演出が特徴。
  • 柳家小三治 – 現代の人情噺の名手。間の取り方が絶妙で、登場人物の心情を深く掘り下げた演出が光ります。
  • 柳家権太楼 – 円朝作品を得意とし、この噺でも元茶人の誇りと商人の心遣いを丁寧に描き出します。

関連する落語演目

同じく三遊亭円朝作の人情噺

茶道を題材にした古典落語

奇跡や不思議な展開の古典落語

この噺の魅力と現代への示唆

「大仏餅」の最大の魅力は、人間の尊厳と温かな人情を描いた点にあります。乞食に身を落としながらも朝鮮鈔鑼の水こぼしを手放さない神谷幸右衛門の姿は、どんな境遇にあっても自分の信じる「道」を貫く生き方の美しさを教えてくれます。

一方、河内屋金兵衛の対応も素晴らしいものです。単なる施しではなく、かつての茶人仲間への敬意を込めて薄茶を点てる。この「相手の誇りを傷つけない思いやり」は、現代の支援のあり方にも通じる普遍的な価値観です。

最後の「目から鼻へ抜けた」というオチは、深刻になりがちな人情噺を軽妙に締めくくる円朝の技法の見事さを示しています。奇跡的な回復を言葉遊びで表現することで、聴衆に温かな余韻を残す構成は、まさに落語の醍醐味と言えるでしょう。

現代においても、自分の専門性や技術、大切にしている価値観を守り続けることの意義、そして困っている人に寄り添う際の心配りの大切さを、この噺は教えてくれます。実際の高座では、演者によって父子の描写や主人の心遣いの表現が異なり、それぞれの個性が光る演目でもあります。

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