近眼の煮売屋
3行でわかるあらすじ
清八の豪華な酒の肴を見た喜六が羨ましがり、清八が冗談で近眼の煮売屋から品物を騙し取る悪知恵を教える。
喜六が冗談を真に受けて本当に実行してしまい、親爺を転ばせて逃げて来る。
肝心の品物について聞かれると『あっ、忘れて来た』と答える抜けたオチで終わる。
10行でわかるあらすじとオチ
清八がかまぼこや酒の肴を豪華に並べて一人酒を楽しんでいる。
喜六がやって来て豪華な肴を羨ましがり、ご馳走になろうと図々しく座る。
清八がからかって「これくらいの物はタダで手に入る」と冗談を言う。
近眼の煮売屋で品物を包ませ、金を払う時に偽金を屋台の向こうに落とす。
親爺が金を探してかがんだ隙に背中を押して転ばせ、品物を持って逃げる方法。
喜六が「そんな悪いことしてええのか」と言いながらも実行すると言って出て行く。
清八が「冗談や」と止めようとするが喜六は聞かずに出発する。
しばらくして喜六が走って帰って来て「行って来た」と報告。
清八の言った通りに親爺を転ばせて逃げて来たと得意げに話す。
肝心の品物を聞かれて『あっ、忘れて来た』と答える抜けたオチ。
解説
「近眼の煮売屋」は、上方落語の代表的な喜六・清八噺の一つで、コンビ漫才の原型とも言える掛け合いが魅力的な作品です。清八の皮肉っぽい性格と喜六の純朴で抜けた性格の対比が、絶妙なユーモアを生み出しています。この作品は、友情とからかい、そして予想外の結末が組み合わさった、上方落語特有の軽妙洒脱な世界を体現した名作です。
物語の構成は非常に巧妙で、清八の嫌味から始まって冗談の提案、喜六の実行、そして期待を裏切る結末へと流れる展開は、古典落語の教科書とも言える完璧な起承転結を示しています。特に清八が「これくらいの物、その気になったらお前かて揃えられる」と言って悪知恵を教える場面は、友達同士の微妙な心理を巧みに描写した秀逸な部分です。
最後のオチである『あっ、忘れて来た』は、落語史上最も有名な「抜けたオチ」の一つとして知られています。喜六が悪事を働く度胸はあったのに、肝心の目的を忘れてしまうという設定は、人間の愚かしさと可愛らしさを同時に表現した絶妙なバランス感覚を示しています。この作品は、上方落語の持つユーモアと人情味を代表する傑作として、現在でも多くの演者に愛され続けています。
あらすじ
清八がおかずをぎょうさん並べて、一人で酒を飲んでいるところへ喜六がやって来る。「うわーぁ、えらい、ええ景気やな。・・・このかまぼこ、えらい大きいな。美味そうやな」
清やん 「これは紀州のかまぼこやで。酒は灘の蔵出しで、九谷の猪口(ちょこ)で冷(ひや)でやってるのや」、喜六は、「これは、何や、これは何や」と、指さしながら聞いて行く。
清やんは、「これは、このわた、きずし、イカの木の芽和え、焼き豆腐、・・・」などと、説明しながら食べている。
喜六 「こら、ええとこへ来たな。ご馳走さん」、友達とはいえ、ずうずうしく今にもおかずに箸をつけそうな喜六にちょっとむかついた清やん、「何や、まだ飲めと言わんのかと言うような顔で、前にどっかり座ってられたら、こっちは意地でも飲めとはよう言わんのや」
喜六 「ほんに、わしが悪かったわ、謝るは。謝るよって一杯の飲まして」と、あっさり頭を下げる情けなさ。
清やんはからかってやろうと、「これぐらいの物、その気になったらお前かて揃えられるんや。こら皆、タダや」
喜六 「盗んでくるんか」
清やん 「そやないわ。
隣町の煮売屋へ行てな、欲しいものみな包ませて金を払う時に、屋台の向こう側に金落とすねん。
ほんまの金やなく、紙切れでもなんでもかまへん。”ああ、えらいことした、そこへ金おとした”と言うのや。
親爺はたいそうな近眼(ちかめ)で、”どこでやす”と、地面近くまでかかんで探すから、そこで親爺の背中を押すのや。親爺がへたり込んだ隙に包を抱えて逃げて帰ってくるねん」
喜六 「何と無茶な事するのやな。そんな事してええのかいな」、むろんええ事はなく立派な犯罪で、冗談のつもりで言ったのだが、「よし、わしもやって来たろ」と穏やかでない。
清やんが「ちょっと待て、冗談やがな。一杯飲ますがな」と、引き留めるが喜六は、「・・・気兼ねしながら飲んだかて美味くもなんともあらへんがな・・・」と、行ってしまった。
しばらくすると走って帰って来た喜六、「行って来たで」
清やん 「そんなことほんまにするやつがあるかい」
喜六 「お前と同じようにかまぼこ、イカの木の芽和え、このわた、焼き豆腐・・・みんな包んで・・・親爺の背中を押してへたり込んだ隙に逃げて帰って来たんや」
清やん 「そんな可哀そうなことしないな。で、品物は?」
喜六 「あっ、忘れて来た」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 煮売屋(にうりや) – 江戸時代から明治時代にかけて存在した惣菜屋。野菜の煮物、豆腐料理、かまぼこなどを売る屋台形式の店で、庶民の食生活を支えていました。現代のお惣菜屋の原型。
- 喜六・清八(きろく・せいはち) – 上方落語の定番コンビ。喜六は純朴でおっとりした性格、清八は皮肉屋で悪知恵が働く性格として描かれます。江戸落語の熊さん・八っつぁんに相当します。
- このわた – なまこの腸を塩辛にした珍味。江戸時代から高級珍味として知られ、酒の肴として珍重されました。現在でも日本三大珍味の一つ。
- きずし – 小鯖(こさば)の酢〆。関西地方の郷土料理で、酢で〆めた鯖を使った押し寿司の原型。酒の肴として人気がありました。
- 木の芽和え(きのめあえ) – 山椒の若芽を使った和え物。春の香りを楽しむ料理で、イカなどの海産物と合わせることが多い。
- 九谷の猪口(くたにのちょこ) – 石川県の九谷焼で作られた酒器。江戸時代後期から明治にかけて高級品として扱われました。
- 灘の蔵出し(なだのくらだし) – 兵庫県灘地方の日本酒。江戸時代から銘酒の産地として有名で、「下り酒」として江戸でも人気がありました。
よくある質問(FAQ)
Q: 喜六はなぜ品物を忘れて帰って来たのですか?
A: 喜六の性格設定として、一生懸命になると肝心なことを忘れてしまう「抜けた」人物として描かれています。親爺を転ばせることに必死になって、本来の目的である品物を持って帰ることを完全に忘れてしまったのです。これが落語の笑いの核心となっています。
Q: 清八は本当に悪知恵を実行したことがあるのですか?
A: いいえ、清八も実際にはやったことはありません。喜六をからかうための冗談として話しただけです。まさか喜六が本当に実行するとは思っておらず、慌てて止めようとしますが間に合いませんでした。
Q: この噺は実際の犯罪を扱っていますが、問題ないのですか?
A: 落語では社会風刺や人間の愚かさを描くために、時に犯罪行為も題材にします。ただし、最終的には「忘れて来た」というオチで犯罪が成立しない形になっており、道徳的な落とし前がついています。また、喜六の抜けた性格によって深刻な犯罪話にならないよう工夫されています。
Q: 上方落語と江戸落語で演じ方に違いはありますか?
A: 「近眼の煮売屋」は上方落語の演目で、江戸落語ではあまり演じられません。上方落語特有のはめもの(お囃子)を使った演出や、関西弁での掛け合いが特徴的です。喜六・清八の性格描写も上方独特のものです。
Q: なぜ煮売屋の親爺は近眼という設定なのですか?
A: 近眼という設定は、清八の悪知恵を成立させるための重要な要素です。目が悪いため偽金を落としても気づかず、地面近くまでかがんで探すという動作が必要になり、それが親爺を転ばせる隙を作ります。落語では、このような身体的特徴を巧みに利用してストーリーを構築します。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。上方落語の復興に尽力し、この噺でも喜六と清八の性格の対比を見事に演じ分けました。品のある語り口で、下品になりがちな内容を上品な笑いに昇華。
- 桂枝雀(二代目) – 爆笑王と呼ばれた名人。喜六の抜けた性格を身振り手振りを交えて演じ、観客を大爆笑させました。
- 桂春団治(三代目) – 上方落語四天王の一人。伝統的な演出を守りながら、現代的な解釈も加えた名演を残しています。
- 桂文枝(六代目) – 現代の上方落語界の重鎮。若い世代にも分かりやすい演出で、この噺の面白さを伝えています。
関連する落語演目
同じく喜六・清八コンビが登場する上方落語
忘れ物や抜けた人物が登場する古典落語
上方落語の他の名作
この噺の魅力と現代への示唆
「近眼の煮売屋」は、単純な筋書きながら人間関係の機微を巧みに描いた作品です。清八の嫌味と優越感、喜六の素直さと抜けた性格、この二人の関係性は現代の友人関係にも通じるものがあります。
特に興味深いのは、冗談を真に受けてしまう喜六の純粋さです。現代社会では「空気を読む」ことが重視されますが、喜六のような真っ直ぐな性格の人物は、時に騙されやすくても、その純粋さゆえに愛されるキャラクターとして描かれています。
また、「肝心なものを忘れる」というオチは、現代人にも身に覚えがある失敗ではないでしょうか。目的と手段を取り違えて、本来の目的を見失ってしまう。この普遍的な人間の愚かさを、笑いに転換した落語の知恵は、今なお私たちに大切なことを教えてくれます。
実際の高座では、演者によって喜六の走る仕草や、清八の嫌味な表情の演じ方が異なります。ぜひ複数の演者で聴き比べて、それぞれの解釈の違いを楽しんでください。










