穴どろ
穴どろ(あなどろ) は、大晦日に金に困った男が商家に忍び込み、酔って穴蔵に落ちてしまう古典落語です。「三両なら俺の方から上がって行く」というオチが秀逸で、金額によって立場が完全に逆転する人間心理の妙を描いた傑作です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演目名 | 穴どろ(あなどろ) |
| ジャンル | 古典落語・江戸落語 |
| 主人公 | 泥棒の男 |
| 舞台 | 大晦日の商家 |
| オチ | 「三両なら俺の方から上がって行く」 |
| 見どころ | 逃げられない泥棒と怖がる鳶頭の立場逆転の駆け引き |
3行でわかるあらすじ
大晦日に金の工面ができずに家を飛び出した男が、商家に忍び込んで酒食を楽しんでいるうちに穴蔵に落ちてしまう。
逃げられない泥棒と、怖がって下りてこない鳶頭との間で、金額を巡る奇妙な駆け引きが始まる。
最後は三両という金額で立場が完全に逆転し、泥棒の方から出てくると言い出すオチで締めくくられる。
10行でわかるあらすじとオチ
大晦日に三両の金の工面ができずに妻から罵られた男が家を飛び出し、商家の裏木戸から侵入する。
座敷に残された酒と料理を飲み食いしながら都々逸を歌って一人酒盛りを楽しんでいる。
酔った勢いで火鉢につまづき、床下の防火用穴蔵に落ちてしまい出られなくなる。
家の主人が帰宅して穴蔵の底で騒ぐ泥棒を発見し、縁起を担いで鳶頭を呼びにやる。
入れ墨自慢で勇ましく登場した鳶頭だが、泥棒の凄まじい逆襲宣言に完全に怖気づく。
主人が一両を提示すると少し元気になるが、泥棒の更なる脅しでまた怯む。
二両に値上げされても鳶頭は「一両やるから上がって来い」と逆提案する始末。
泥棒は「股をピィーと裂いてやる」と拒否し、鳶頭は完全に逃げ腰になる。
困った主人が「三両やるから」と提示すると、鳶頭は勢いづいて「下りて行くぞ」と言う。
すると泥棒は「三両なら俺の方から上がって行く」と立場が完全に逆転するオチとなる。
解説
「穴どろ」は江戸時代の古典落語の中でも特に巧妙な構成で知られる作品です。物語の核心は、通常なら捕まえる側が強者であるはずの状況が、泥棒が穴蔵に落ちて逃げられないという特殊な環境により完全に逆転してしまうところにあります。
鳶頭は江戸時代の町火消しの頭で、普段は威勢が良く度胸があることで知られていました。しかし、この噺では入れ墨自慢から始まる虚勢が、泥棒の具体的で生々しい脅し文句によって完全に崩れ去る様子が滑稽に描かれています。
金額の駆け引きも秀逸で、一両、二両と上がっていく報酬と、それに応じて変わる鳶頭の態度、そして最終的に三両という金額で立場が完全に逆転するという構成は、江戸時代の貨幣感覚と人間心理を巧みに表現した傑作といえます。特に泥棒の「三両なら俺の方から上がって行く」という最後のセリフは、金の力で人の心が変わることを端的に表した名台詞として親しまれています。
あらすじ
大晦日に三両の金の工面ができずにかみさんから、「豆腐の角に頭をぶつけて死んでおしまい」と罵られ、家を飛び出した男。
夜寒の町をすきっ腹をかかえて歩いていると、蔵のある商家の裏木戸が開いている。
ぶっそうだから教えてあげようと中に入ると、祝い事でもあったのか座敷には酒と料理が片づけられずに残っている。
背に腹は代えられないと男はがつがつと飲み食いし始める。
酒の勢いでだんだん大胆になってきた男は、「酒飲めばいつか心も春めいて借金取り(鳥)もうぐいすの声」、なんて都々逸なんか歌いながら一人酒盛りで盛り上がっている。
そのうちにすっかり酔って火鉢につまづき、防火の物置用に床下に掘ってある穴蔵へ落ちてしまった。
座敷に戻って来たこの家の旦那、穴蔵の底で男が「まだ、何も盗っていないのに、こんなところに突き落したのは誰だ!」、なんてわめきちらしているのでびっくり、孫の誕生日の祝の席なので、縄付きを出すのは縁起が悪いと鳶の頭(かしら)を呼びにやる。
勇んでやって来た頭は「二の腕に上り龍と下り龍、背中に般若(はんにゃ)の入れ墨だ」と自慢し、逃がしてしまって惜しいことをしたなんて、泥棒はもう逃げたものと思い込んでいるが、穴蔵からまだ出て来ないと聞いた途端に尻込みしだした。
それでも「下りて行ってふん捕まえるぞ」と空威張りだが、泥棒は「下りて来てみろ、ふくらはぎを食いちぎってやる」と牙をむいている。
逆襲のセリフにたじたじの頭に、旦那は「一両やるから」とせかす。
少しは元気づいた頭は「一両下さると仰る。下りて行くぞ」に、泥棒は「股ぐらにぶら下がって、グルっと回って引きちぎるぞ」と凄いことを言っている。
また怖気づいた頭に旦那は二両やると値を上げた。
今度は下りて行くと思いきや、頭は「一両やるから上がって来い」と、せこい譲歩案を提示した。
泥棒は「両足をつかんで股をピィーと裂いてやるから下りて来い」と、提案を真向(まっこう)から拒否。
あくまで徹底抗戦の構えだ。
頭はすっかり弱気になって旦那に「あっしはご免こうむって」とすっかり逃げ腰になった。
困った旦那が「じゃあ、三両やるから」、三両に勢いづいた頭、「三両下さるから、下りて行くぞ」
泥棒 「なに三両くれる、下りてくんな。三両なら俺の方からから上がって行く」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 鳶頭(とびがしら) – 江戸時代の町火消しの頭。鳶職人の親方で、町の防火・消火活動を取り仕切る役職。威勢が良く度胸があることで知られ、入れ墨を入れている者も多かった。
- 穴蔵(あなぐら) – 江戸時代の商家にあった地下の貯蔵庫。防火や保存のために床下に掘られた穴で、貴重品や食料などを保管した。
- 三両(さんりょう) – 江戸時代の貨幣単位。一両は現在の価値で約10万円程度とされ、三両は約30万円相当。庶民にとっては大金だった。
- 大晦日(おおみそか) – 年の最後の日。江戸時代は掛け売りの支払い期限で、この日までに借金を返済する習慣があり、金策に走る人が多かった。
- 都々逸(どどいつ) – 江戸時代後期に流行した七・七・七・五の音数律を持つ俗謡。恋愛や世相を歌った庶民的な歌。
- 入れ墨(いれずみ) – 江戸時代の鳶職人や職人たちの間で流行した身体装飾。龍や般若などの図柄が人気で、男気の象徴とされた。
- 縁起担ぎ(えんぎかつぎ) – 吉凶を気にして行動を決めること。江戸時代は特に祝い事の際には縁起を重視する風習が強かった。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜ泥棒は三両で態度が変わったのですか?
A: 三両は江戸時代の庶民にとって大金で、現在の価値で約30万円相当です。最初に家を出た理由も三両の工面ができなかったことですから、その金額がもらえるなら自ら出て行くという心理は理解できます。
Q: 鳶頭はなぜ最初は威勢が良かったのに怯えたのですか?
A: 鳶頭は普段は町の英雄的存在ですが、泥棒の具体的で生々しい脅し(ふくらはぎを食いちぎる、股を裂くなど)に、実際の危険を感じて怯えました。虚勢と実際の勇気の差を描いているのです。
Q: 穴蔵とはどのような構造だったのですか?
A: 商家の床下に掘られた深さ2-3メートル程度の穴で、はしごや階段で出入りしました。泥棒が落ちて出られなくなったのは、酔っていたことと、はしごが外されていたか、深さがあったためと考えられます。
Q: この噺は実話に基づいているのですか?
A: 実話ではありませんが、江戸時代の年末の金策苦や、鳶頭という職業、穴蔵という建築構造など、当時の実際の生活様式を反映した創作落語です。
Q: 現代でもこの噺は演じられていますか?
A: はい、古典落語の人気演目として現在も多くの落語家が高座にかけています。泥棒と鳶頭の駆け引きの面白さは時代を超えて楽しまれています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 昭和の大名人。穴どろを十八番の一つとし、泥棒の凄みと鳶頭の怯えを絶妙なバランスで演じた。人間国宝。
- 三遊亭圓生(六代目) – 端正な語り口で知られ、穴どろでも緻密な人物描写と駆け引きの妙を見事に表現。昭和の名人の一人。
- 柳家小さん(五代目) – 飄々とした芸風で、泥棒と鳶頭のやり取りを軽妙に演じ、観客を笑いの渦に巻き込む名手。人間国宝。
- 立川談志(七代目) – 独自の解釈を加えた演出で知られ、穴どろでも現代的な皮肉を効かせた語り口で新しい魅力を引き出した。
関連する落語演目
鳶職・職人が登場する江戸落語
この噺の魅力と現代への示唆
「穴どろ」は、強者と弱者の立場が状況によって逆転するという普遍的なテーマを扱った傑作です。通常なら捕まる側の泥棒が、穴蔵という特殊な環境によって交渉の主導権を握るという構図は、現代のビジネス交渉にも通じる心理戦の妙を描いています。
また、金額によって人の態度がコロコロ変わる様子は、江戸時代も現代も変わらない人間の本質を浮き彫りにしています。一両、二両、三両と上がっていく報酬と、それに応じて変化する登場人物たちの心理描写は、まさに落語の醍醐味といえるでしょう。
鳶頭の虚勢から恐怖への変化も見どころです。普段は町の英雄として振る舞う鳶頭が、実際の危機に直面して本性を現す様子は、見栄と実力の差を皮肉った社会風刺としても楽しめます。
実際の高座では、泥棒の脅し文句の迫力と、鳶頭の怯えぶりの対比が最大の見せ場となります。演者によって脅しの凄み方や怯え方が異なり、それぞれの個性が光る噺でもあります。機会があれば、ぜひ寄席や動画配信でお楽しみください。








