居酒屋
3行でわかるあらすじ
縄のれんの居酒屋に入った口の達者な客が、店の小僧を言葉遊びでからかい続ける。
品書きの早口言葉や濁点の話、「ようなもの」を注文するなど、小僧を翻弄して楽しむ。
最後は棚にいる番頭を見て「番こう鍋」として注文するという秀逸なオチで締めくくる。
10行でわかるあらすじとオチ
縄のれんをくぐって居酒屋に入った客が、醤油樽に腰掛けて酒を注文する。
小僧が「澄んだのか濁ったのか」と聞くと、客は「濁ったのなんか飲めるか」と返す。
酒を飲みながら「酸っぱ口の酒は初めてだ」とからかい、「甲正宗」という名前だと小僧が答える。
小僧が早口で品書きを読み上げると、客は「ようなもの」を注文して困らせる。
次に濁点の話で小僧をからかい、「いろは48文字に濁りをうてば音が変わる」と教わる。
客は「い」や「ろ」に濁点をつけて言ってみろと無理難題を出して小僧を赤面させる。
魚を選ぶ段になり、棚に吊るされた「あんこう」で「あんこう鍋」を注文しようとする。
その隣にいる番頭を見つけた客は「出刃包丁を持って考えているのは何だ」と聞く。
小僧が「うちの番頭です」と答えると、客は「番頭を一人前こしらえてくれ」と言う。
「番こう鍋」という言葉遊びで、番頭を料理として注文するオチで落とす。
解説
「居酒屋」は江戸の庶民文化である居酒屋を舞台にした滑稽噺で、言葉遊びの妙が光る一席である。
主人公の客は典型的な「江戸っ子」として描かれ、口八丁で小僧をからかう様子が生き生きと表現されている。
品書きの早口言葉「つゆはしらたらこぶあんこうのようなもの」は、当時の居酒屋で実際に使われていた口上を元にしており、「ようなもの」という曖昧な表現を逆手に取って注文する場面は秀逸である。
また、濁点の話では日本語の音韻体系を題材にした知的な言葉遊びが展開される。
オチの「番こう鍋」は「あんこう鍋」との音の類似を利用した地口で、番頭を料理として注文するという荒唐無稽な発想が笑いを誘う。
この噺は単なるからかい話ではなく、江戸時代の居酒屋の雰囲気や、庶民の娯楽としての言葉遊び文化を伝える貴重な作品でもある。
あらすじ
縄のれんを頭で分け居酒屋へ入ってきた客。
醤油樽に腰掛け、店の小僧をからかいながら酒を飲み始める。
客 「小僧さん お酒持ってきておくれ」
小僧 「へーい お酒は澄んだんですか、濁ったんですか」
客 「おい、お前は人のガラを見るね。濁ったのなんか飲めるかよ、澄んだんだよ」
小僧 「へーい 上一升」
客 「おい、ちょっと待てよ。一合でいいんだよ」
小僧 「へい、これは景気でございます」
酒が出てきて、小僧に勺をさせ飲み始める。
客 「なんだかすっぱいね、この酒は。辛口、甘口の酒は随分飲んだけど、酸っぱ口の酒てのははじめてだ」
小僧 「名前があります」
客 「何て言うんだ。甲正宗 頭にくるような名前だな」
小僧 「お魚、何にしますか」
客 「何ができるんだ」
小僧 「できますものはつゆはしらたらこぶあんこうのようなもの、ぶりにおいもにすだこでございます エーイ」
客 「おっそろしく早いな、しまいのエーイだけ分かった。
真ん中の方はさっぱり分からねえ。ゆっくりもう一度やってみろ」、小僧はゆっくり繰り返す。
小僧 「今申したものは何でもできます。何にいたしますか」
客 「今言ったものは何でもできるのか。じゃあすまないが、ようなものを一人前持って来い」
小僧 「そんなものできません。」
客 「今、言ったじゃねえか。もう一ぺんやってみろ」
小僧 「できますものはつゆはしらたらこぶあんこうのようなもの・・ へへえ、これは口癖ですよ」
客 「口癖でもいいから一人前持って来い」
小僧 「壁に書いてあるものなら何でもできます」
客 「一番最初の口の上てのは何だ」
小僧 「口上です」
客 「ああ、口上か、口上一人前持って来い」
小僧 「そんなものできません。その次ぎから何でもできます」
客 「その次ぎ、何だい とせうけ てえのは、食ったことがねえな」
小僧 「どじょう汁です。
肩の所に濁りがうってあります。いろは48文字濁りをうてば皆、音が変わります」、客は、い・ろ・ま・ぬ・などに濁りをうって言ってみろとからかい、小僧が真赤な顔で苦労するのを面白がる。
小僧 「棚に並んでいるものなら何でもできます」
客 「ぶる下がっている大きな口の魚は何だ」
小僧 「あんこうでございます。鍋にいたしましてあんこう鍋」
客 「その隣にしるし半纏着て、出刃包丁持って考えているのは何だ」
小僧 「あれはうちの番頭でございます」
客 「あれ一人前こしらえて来いよ。番こう鍋てえのをこしらえてくれ」
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 縄のれん(なわのれん) – 安価な居酒屋の入口に掛けられた縄で編んだ暖簾。庶民的な飲み屋の象徴で、高級店では布の暖簾を使用していました。
- 醤油樽(しょうゆだる) – 居酒屋では空になった醤油樽を椅子代わりに使用していました。テーブルも簡素な作りで、立ち飲み・立ち食いが基本のスタイルでした。
- 澄んだのか濁ったのか – 清酒(澄んだ酒)か濁り酒かを聞いています。清酒の方が高級で、濁り酒は安価でした。
- 上一升(じょういっしょう) – 上等の酒を一升(約1.8リットル)の意味。小僧が景気よく大きな単位で答えるのは江戸っ子の粋な会話術です。
- 勺(しゃく) – 酒を注ぐ柄杓のこと。客が自分で注ぐのではなく、小僧に注がせるのが当時の作法でした。
- 甲正宗(こうまさむね) – 架空の酒の銘柄。「頭にくる」という客の言葉遊びにつながります。
- 品書き(しながき) – メニューのこと。壁に貼られていたり、口頭で伝えられたりしました。
- つゆはしらたらこぶあんこうのようなもの – 「露」「白子」「たら」「昆布」「あんこう」「のようなもの」と区切る早口言葉。当時の居酒屋の定番料理が並んでいます。
- 濁点(だくてん) – 「゛」のこと。いろは48文字に濁点をつけることで音が変わるという日本語の特徴を使った言葉遊びです。
- しるし半纏(しるしばんてん) – 店の印(屋号や紋)が入った半纏。店員や番頭が着用していました。
- 番こう鍋(ばんこうなべ) – 「あんこう鍋」をもじった言葉。「番頭」を料理として注文するという荒唐無稽な地口落ちです。
よくある質問(FAQ)
Q: 江戸時代の居酒屋は現代の居酒屋とどう違うのですか?
A: 江戸時代の居酒屋は現代よりもずっと簡素で、縄のれんをくぐって醤油樽に腰掛け、立ち飲み立ち食いが基本でした。メニューも限られており、酒と簡単な魚料理が中心でした。価格も非常に安く、庶民の日常的な娯楽の場として親しまれていました。
Q: なぜ客は小僧をこんなにからかうのですか?
A: 江戸時代の庶民文化では、言葉遊びや洒落が重要な娯楽でした。客のからかいは単なる意地悪ではなく、知的な遊びとして楽しまれており、小僧も嫌がりながらも付き合っているという関係性があります。これは江戸っ子の「粋」な会話術の一つでした。
Q: 「ようなもの」を注文するのはどういう意味ですか?
A: 品書きの最後に「のようなもの」という言葉が付いていたのを逆手に取り、「ようなもの」という料理を注文するという言葉遊びです。小僧が「口癖です」と説明しても、客は屁理屈で押し通すのが面白さの核心です。
Q: 最後のオチ「番こう鍋」の意味を詳しく教えてください
A: 客は棚に吊るされた「あんこう」を見て「あんこう鍋」を注文しようとします。その隣に番頭がいるのを見て、「あんこう」と「番頭」の音の類似から「番こう鍋(番頭鍋)」という架空の料理を注文する言葉遊びです。人間を料理として注文するという荒唐無稽さが笑いを生みます。
Q: この噺は江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 「居酒屋」は江戸落語の演目です。江戸の庶民文化や江戸っ子の言葉遊び、粋な会話術が色濃く反映されています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – 江戸落語の名人。客の軽妙なからかいと小僧の反応を絶妙に演じ分け、言葉遊びの面白さを最大限に引き出す名手でした。
- 三遊亭圓生(六代目) – 人間国宝。品書きの早口言葉を見事に演じ、江戸の居酒屋の雰囲気を丁寧に描き出す演出が特徴的でした。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 美声と明瞭な語り口で知られ、言葉遊びの部分を聴きやすく楽しく演じました。客と小僧の掛け合いが心地よいリズムを生み出します。
- 柳家小三治(十代目) – 現代の名人。客のキャラクターに深みを持たせ、単なるからかい話ではなく、人間味のある演出で人気があります。
関連する落語演目
同じく「店」が舞台の古典落語



言葉遊びが秀逸な古典落語



酒がテーマの古典落語



この噺の魅力と現代への示唆
「居酒屋」のオチ「番こう鍋をこしらえてくれ」は、言葉遊びの極致を示す秀逸な地口落ちです。「あんこう」から「番頭」への連想は単なる音の類似ではなく、客の機転と遊び心が生み出した即興の芸術とも言えるでしょう。
この噺の真骨頂は、江戸時代の居酒屋文化と庶民の娯楽を生き生きと描いている点にあります。縄のれん、醤油樽、品書きの早口言葉など、細部まで当時の雰囲気が再現されており、落語を通じて江戸時代にタイムスリップできる貴重な作品です。
客と小僧のやり取りは、現代で言えば常連客と店員の軽妙な会話に相当します。ただし、江戸時代の言葉遊びは現代よりもずっと高度で知的でした。「濁点をうつ」という日本語の音韻体系を題材にした遊びや、「ようなもの」という曖昧な表現を逆手に取る屁理屈など、言葉に対する鋭い感覚と機知が必要でした。
現代では居酒屋も高級化し、立ち飲み立ち食いのスタイルは少なくなりましたが、店員と客のコミュニケーションの楽しさは変わりません。この落語は、人と人との会話による娯楽の価値を改めて教えてくれます。スマートフォンを見ながら黙々と飲食する現代において、言葉を交わす喜びを思い出させてくれる作品です。
実際の高座では、演者によって品書きの早口言葉のスピードや、濁点の言葉遊びの演出が異なり、それぞれの個性が光ります。特に最後の「番こう鍋」の落とし方は演者の技量が試される部分で、聴き比べの楽しみがあります。


