人俵
3行でわかるあらすじ
吉兵衛が吉原遊びの金に困り、お菰さんを米俵に入れて米屋に担保として預ける奇策を実行する。
2両を借りて吉原に出かけ、お菰さんは米俵の中で一晩過ごすことになる。
夜中に泥棒が米俵を盗み出すと中から人が出てきて「四斗なら二斗づつ分けよう」でオチとなる。
10行でわかるあらすじとオチ
友達から吉原遊びに誘われた吉兵衛だが金の持ち合わせがない。
お菰さんに一晩で500文稼がせてやると持ちかけ、米俵に入ってもらう仕事を依頼する。
米俵に入ったお菰さんを米屋に運び、担保として2両を借りる約束をする。
「明日の朝には迎えに来て米俵を持って帰る」と約束して吉兵衛は吉原に出かける。
お菰さんは米屋の土間で米俵の中で暖かく快適に眠りにつく。
夜中に二人組の泥棒が米俵を棒を差してかつぎ出し盗もうとする。
揺られて目覚めたお菰さんが「たいそう早かったですね、ありがてえ」と声をかける。
驚いた泥棒が「おい、こりゃ人(しと)だぜ!」と叫ぶ。
先棒の泥棒が慌てて「四斗なら二斗づつ分けよう」と言ってしまう。
「人(しと)」と「四斗(しと)」の音の掛け合わせによる言葉遊びでオチとなる。
解説
「人俵」は古典落語の中でも特に奇想天外なアイデアが光る廓噺の名作です。金策に困った男が人間を米俵に入れて担保にするという発想は、落語ならではの大胆な設定で、聞き手を一気に引き込む魅力があります。
この演目の最大の見どころは、予想外の展開と絶妙な言葉遊びにあります。米俵の中で眠るお菰さんが泥棒に盗まれるという二重の意外性に加え、泥棒と被害者(お菰さん)の立場が逆転する滑稽さが巧妙に描かれています。お菰さんが泥棒を吉兵衛だと勘違いして礼を言う場面は、落語らしい人情味のあるユーモアです。
オチの「四斗なら二斗づつ分けよう」は、米俵の容量単位「四斗」と「人(しと)」の音の掛け合わせによる地口オチです。泥棒が慌てて口にした言葉が、図らずも米俵に入った人間を分配するような響きになってしまう言葉遊びの妙味が秀逸です。
江戸時代の吉原遊びという背景設定も重要で、当時の庶民の娯楽と金銭事情、そして人々の知恵と工夫を描いた社会風俗としての価値も持っています。荒唐無稽でありながら人間味あふれる登場人物たちの描写が、この演目を単なる笑い話以上の深みのある作品にしています。
あらすじ
友達から今晩、吉原へ遊びに行こうと誘われた吉兵衛。
あいにく金の持ち合わせがない。
明日になれば金の入る当てがあるのだが、友達も立て替えてくれるほど金を持っちゃいない。
そこでやりくり算段の上手な吉兵衛は何かいい方策をと考えて、近所の顔見知りにお菰さんに、
吉兵衛 「楽な仕事で一晩で五百文稼がせてやるが、どうだ一つ話に乗っちゃみねえか」
お菰さん 「そんなおいしい話には罠があるから引っ掛かりゃしませんが・・・どんな仕事で?」
吉兵衛 「米俵に入(へえ)ってもらって一晩、米屋の店の中で寝ていりゃいいだけだよ。
明日の朝になったら俺が米俵をもらい出しに行って、表へ出てお前さんが米俵から出た所で五百文渡す。それでお終いよ」
お菰さん 「必ず明日の朝には迎えに来てくれるんですね」、という事で交渉は成立、吉兵衛はお菰さんを米俵に入ってもらい、米屋へ運んで行って、
吉兵衛 「どうしても今晩二両入り用になったんだが、あいにくと金がねえんだ。この米俵をカタに二両ほど貸してもれえてんだが」
米屋 「そりゃあ、かまいませんがその米俵はいつ取りに来るんです?」
吉兵衛 「明日の朝、金が入ることになっているんだ。そしたら二両返しに来て米俵は持って帰(けえ)るよ」で、二両持って吉兵衛は吉原に行ってしまった。
一方の米屋の土間に置かれた米俵の中のお菰さん、土間は静かで米俵の中は暖かくて気持ちがよく、ぐっすりと寝てしまった。
すると真夜中に二人組の泥棒が入って来て、お菰さんの入っている米俵を棒を差してかつぎ出した。
揺られて目を覚まして、
お菰さん 「おや、明日の朝という約束でしたが、たいそう早かったですね。ありがてえ」、びっくりした後棒をかついでいた泥棒、「おい、こりゃ人(しと)だぜ!」
先棒の泥棒 「四斗なら二斗づつ分けよう」
落語用語解説
人俵(ひとたわら)
米俵の中に人が入った状態を指す言葉。この噺では金策のために考案された奇想天外な手段として描かれる。米俵は通常、四斗(約72リットル)の米を入れる大きさで、小柄な人なら中に入ることができる。江戸時代の庶民の生活苦と知恵を象徴する設定となっている。
お菰(おこも)
身分の低い女性を指す江戸時代の俗語。多くは貧しい境遇にあり、日雇い仕事などで生計を立てていた。この噺では吉兵衛に500文の報酬で米俵に入る仕事を引き受けるお菰さんが登場する。名前の由来は「菰」という藁むしろに由来すると言われ、身を包むものさえ粗末な境遇を表している。
吉原(よしわら)
江戸時代の公許遊郭で、現在の東京都台東区千束付近にあった。正式には「新吉原」と呼ばれ、日本橋から北東約4キロの位置にあった。吉原遊びには相当な費用がかかり、この噺でも吉兵衛が2両という大金を工面するために人俵という奇策を考え出す。江戸の男たちにとって吉原は憧れの場所であり、落語の題材として頻繁に登場する。
二両(にりょう)
江戸時代の金銭単位。一両は当時の相場で約10万円前後に相当すると言われ、二両なら約20万円の価値がある。庶民にとっては決して小さくない金額で、吉兵衛がこれだけの金を工面するために人俵という大胆な策を編み出したことがわかる。吉原遊びには最低でも一晩数両が必要だったと言われている。
四斗(しと)
米俵の容量単位。一斗は約18リットルなので、四斗は約72リットルになる。米俵は通常この四斗俵が標準サイズで、重さは約60キロになる。この噺のオチでは「人(しと)」と「四斗(しと)」の音の掛け合わせが言葉遊びとして使われており、泥棒が慌てて口にした「四斗なら二斗づつ分けよう」という台詞が秀逸な地口オチとなっている。
米屋(こめや)
米を扱う商人。江戸時代には米は重要な商品であり、現金と同等の価値を持っていた。米俵を担保に金を貸すという設定は当時としてはありえない話だが、落語ならではの奇想天外な展開として聴衆を楽しませる。米屋の土間は涼しく静かで、お菰さんが米俵の中で快適に眠れる環境として描かれている。
地口オチ(じぐちおち)
言葉の音の掛け合わせや語呂合わせで笑いを取る落語のオチの形式。この噺では「人(しと)」と「四斗(しと)」の音が同じことを利用して、泥棒が「四斗なら二斗づつ分けよう」と言ってしまう滑稽さで落とす。江戸落語の伝統的なオチの手法の一つで、言葉遊びの面白さが際立つ。
よくある質問(FAQ)
なぜお菰さんは米俵に入ることを承諾したのですか?
お菰さんは一晩で500文という報酬に魅力を感じて承諾しました。当時の500文は現在の価値で5000円程度に相当し、貧しいお菰さんにとっては大金でした。また仕事の内容も「米屋の店の中で寝ているだけ」という楽なもので、吉兵衛が「明日の朝には必ず迎えに来る」と約束したことで安心したようです。貧しい境遇にあった当時の庶民の生活苦が背景にあります。
米俵を担保に金を借りるのは現実的にありえたのですか?
実際には米俵を担保に金を貸すという商慣習はほとんどありませんでした。米そのものは価値がありましたが、俵一つでは二両という大金を貸す担保としては不十分です。これは落語ならではの荒唐無稽な設定で、聴衆に「まさかそんな馬鹿な」と思わせながらも、吉兵衛の大胆な発想と話術の巧みさで米屋が納得してしまうという展開が笑いを生み出しています。
泥棒はなぜ「四斗なら二斗づつ分けよう」と言ったのですか?
後棒を担いでいた泥棒が「おい、こりゃ人(しと)だぜ!」と叫んだ時、先棒の泥棒は「しと」という音を聞いて反射的に米俵の容量単位「四斗(しと)」と勘違いしてしまいました。泥棒は米俵を盗もうとしていたので「四斗の米なら二斗ずつ分けよう」という意味で言ったつもりが、実際には「人間なら二人で分けよう」という物騒な意味にも取れてしまう言葉遊びになっています。この音の掛け合わせが絶妙なオチとなっています。
この噺の時代背景と社会風刺的な意味は何ですか?
「人俵」は江戸時代の庶民の生活苦と、それに対する知恵と工夫を描いた作品です。吉原遊びという贅沢のために人間を米俵に入れるという発想は荒唐無稽ですが、金策に困った人々の切実さと、貧しい境遇のお菰さんが500文のために危険な仕事を引き受ける様子は、当時の経済格差を反映しています。また泥棒が登場することで、治安の問題も織り込まれており、江戸時代の社会状況を風刺的に描いた作品と言えます。
名演者による口演
五代目古今亭志ん生
志ん生の「人俵」は、吉兵衛とお菰さんのやり取りが軽妙で人情味あふれる演出が特徴です。お菰さんが米俵の中で快適に眠る場面の描写が丁寧で、泥棒に盗まれて揺られて目を覚ます場面では、お菰さんの間の抜けた様子が見事に表現されています。オチの「四斗なら二斗づつ分けよう」も自然な流れで落とし、聴衆を笑わせます。
八代目桂文楽
文楽の口演は細部まで計算された緻密な演出で知られ、「人俵」でも吉兵衛が米屋を説得する場面の話術が絶妙です。米俵に入ったお菰さんの様子を詳細に描き、泥棒が登場する場面では緊張感を持たせつつ、オチへの伏線を効果的に張っています。地口オチの「四斗なら二斗づつ分けよう」も間合いが完璧で、言葉遊びの面白さを最大限に引き出しています。
十代目柳家小三治
小三治の「人俵」は、吉兵衛とお菰さんの人間関係を深く掘り下げる演出が特徴です。お菰さんが500文という報酬に魅力を感じながらも不安を抱く心情、吉兵衛の口八丁で説得する様子が立体的に描かれています。泥棒に盗まれて目を覚ましたお菰さんが吉兵衛だと勘違いして礼を言う場面は、人情味あふれる温かみのある演出となっています。
三代目桂米朝
米朝の口演は、江戸時代の吉原や米屋の雰囲気を豊かに描き出すことで知られます。「人俵」でも、吉原遊びという背景設定を詳細に説明し、当時の社会状況を聴衆に伝えています。お菰さんが米俵に入る場面の描写が丁寧で、泥棒との遭遇場面では臨場感あふれる演出が光ります。上方落語版としての演じ方も魅力的です。
関連する落語演目
この噺の魅力と現代への示唆
「人俵」の最大の魅力は、人間を米俵に入れて担保にするという奇想天外な発想にあります。吉原遊びという贅沢のために編み出された大胆な金策は、落語ならではの荒唐無稽な設定でありながら、聞き手を一気に引き込む魅力があります。吉兵衛の口八丁でお菰さんを説得し、さらに米屋まで納得させる話術の巧みさは、江戸っ子の機転と知恵を象徴しています。
この噺は貧富の格差と人間の生存戦略を描いた社会風刺でもあります。500文という報酬のために米俵に入ることを承諾するお菰さんの境遇は、江戸時代の貧しい女性たちの切実な生活苦を反映しています。一方で吉原遊びという贅沢を楽しむ吉兵衛との対比が、当時の経済格差を浮き彫りにしています。
オチの「四斗なら二斗づつ分けよう」は、「人(しと)」と「四斗(しと)」の音の掛け合わせによる地口オチの傑作です。泥棒が米俵を盗もうとして「四斗の米なら二斗ずつ分けよう」と言ったつもりが、「人間なら二人で分けよう」という物騒な意味にも取れてしまう言葉遊びの妙味が秀逸です。この一言で全ての展開が収束する落語の技法が見事に発揮されています。
泥棒とお菰さんの遭遇場面も見どころの一つです。米俵を盗もうとした泥棒が、中から人が出てきて驚くという二重の意外性に加え、お菰さんが泥棒を吉兵衛だと勘違いして「ありがてえ」と礼を言う間の抜けた様子が滑稽です。被害者と加害者の立場が逆転し、お菰さんの方が感謝している状況が落語らしいユーモアを生み出しています。
現代社会においても、この噺は多くの示唆を与えてくれます。まず、経済的困窮と知恵の問題です。金策に困った人々が編み出す様々な手段は、現代でも形を変えて存在します。吉兵衛の大胆な発想は、困難な状況を打開するための創造性の重要性を示しています。
また、貧富の格差という普遍的なテーマも重要です。お菰さんが500文という小額の報酬のために危険な仕事を引き受ける一方で、吉兵衛は二両という大金を使って吉原遊びを楽しむという対比は、現代の経済格差の問題にも通じます。経済的な立場の違いが人々の選択肢を大きく左右することを、この噺は巧みに描いています。
言葉遊びの文化も見逃せません。「四斗」と「人」の音の掛け合わせは、日本語の持つ豊かな同音異義語の面白さを活用した表現で、言葉の多様性と遊び心を示しています。現代でもダジャレや語呂合わせは人気がありますが、その原点が江戸時代の落語にあることがわかります。
「人俵」は、奇想天外な設定と絶妙な言葉遊び、そして社会風刺を兼ね備えた古典落語の傑作です。人間を米俵に入れるという荒唐無稽な発想から始まり、泥棒との遭遇、そして地口オチへと続く展開は、落語の持つ自由な発想と言葉の魔術を存分に味わえる名作として、今も多くの落語家によって演じ続けられています。


