鼻ほしい
3行でわかるあらすじ
病気で鼻が欠けた手習いの師匠の浪人が、子どもたちにバカにされて引きこもってしまう。
妻女の勧めで気晴らしの旅に出て、途中で馬子と川柳の応酬になり、お互いに欠点をからかい合う。
帰宅後、妻女が「口惜しゅうございます」と言うと、浪人が「そなたは口おしいか、わしは鼻がほしい」と言葉遊びで返す。
10行でわかるあらすじとオチ
裏長屋で手習いの師匠をしている浪人が病気で鼻が欠け、言葉が鼻に抜けるようになってしまう。
子どもたちから「鼻欠け先生」「フニャフニャ先生」とバカにされ、恥ずかしがって引きこもってしまう。
心配した妻女が気晴らしに箱根への旅を勧め、浪人は東海道を西に向かって歩き始める。
鈴ヶ森で年老いた馬子の馬に乗り、馬子の禿頭を見て川柳でからかう。
浪人「はぎやま(禿山)のみゃえ(前)に鳥居はなけれども うひろ(後ろ)にかみ(神・髪)がひょっとまひまふ」
馬子も負けじと浪人の欠けた鼻をからかう川柳を詠み返す。
馬子「山々に名所古蹟は多けれど、はな(花・鼻)のねえのが淋しかるらん」
怒った浪人が馬から下りて駕籠で家に引き返し、妻女にこの話をする。
妻女も血相を変えて薙刀を持って無礼討ちに出ようとするが、浪人が「雉も鳴かずば撃たれみゃい」と自省する。
妻女が「口惜しゅうございます」と言うと、浪人が「そなたは口おしいか、わしは鼻がほしい」と言葉遊びで返す。
解説
「鼻ほしい」は身体的ハンディキャップを抱えた人間の悲哀と、それを言葉遊びで昇華させる江戸庶民の機知を描いた秀作です。最大の見どころは「口惜しい」と「鼻欲しい」という音韻の類似性を利用した絶妙なオチにあります。
物語前半では、病気で鼻を失った浪人の深刻な悩みが描かれます。手習いの師匠として生計を立てていた浪人が、子どもたちから「鼻欠け先生」「フニャフニャ先生」と呼ばれて社会的な居場所を失う様子は、現代の差別や偏見の問題にも通じる普遍的なテーマです。
中盤の馬子との川柳の応酬は、江戸時代の庶民文化である川柳を効果的に取り入れた場面です。お互いの身体的欠点(禿頭と欠鼻)をからかい合うこの場面は、ユーモアの中に人間の本質的な残酷さも含んでいます。浪人が「雉も鳴かずば撃たれみゃい」と自省するのは、自分から相手をからかったことへの反省を示しています。
最後のオチである「そなたは口おしいか、わしは鼻がほしい」は、「口惜しい(くちおしい)」と「鼻欲しい(はなほしい)」の音韻の類似性を巧妙に利用した言葉遊びです。この一言で悲劇が喜劇に転換され、人間の不幸をユーモアで包み込む落語の真骨頂が発揮されています。
あらすじ
裏長屋で手習いの師匠をしている浪人、病気で鼻が欠け言葉が鼻に抜けてしまう。
読み書きを教えても、何を言っているのがよく分らず、子どもたちからは、「鼻欠け先生」、「フニャフニャ先生」なんて馬鹿にされ、最近は恥ずかしがって外へも出ずふさぎ込んで、引きこもりの毎日。
心配した妻女は気晴らしに箱根へでも物見遊山の旅に出るように勧める。
東海道を西に気楽に歩いていると、見知った人もなく、街道の風景を眺めながら歩いて行くと、自ずから気が晴れ晴れとしてくる。
鈴ヶ森あたりで、年を取った馬子の馬に乗って揺られて行く。
馬子の頭を見ると綺麗さっぱりと禿げている。
余裕の出て来た浪人は、「はぎやま(禿山)のみゃえ(前)に鳥居はなけれども うひろ(後ろ)にかみ(神・髪)がひょっとまひまふ(ちょっとまします)」、とからかった。
すると馬子も浪人の顔見上げて、「だんなさんよぉ、わしも一つ返すべえ。けども、怒っちゃいけねえよ」
浪人 「おぉ、さようか、怒らんからやってみろ」
馬子 「山々に名所古蹟は多けれど、はな(花・鼻)のねえのが淋しかるらん」、馬子にまで馬鹿にされるとはと、真っ赤になって怒った浪人、馬から下りて駕籠に乗って家に引き返してしまった。
憤懣やるかたない浪人はこの話を妻女にすると、妻女は血相を変えて薙刀を小脇に抱えて飛び出そうとする。
浪人 「これ、女房、血相変えていずれへみゃいる」
妻女 「あなたに恥辱を与えた馬子を無礼討ちに参ります」
浪人 「ひいそぐまい(急ぐまい)、雉(きじ)も鳴かずば撃たれみゃい、歌も詠ますば返歌もしみゃい」
妻女 「口惜しゅうございます」
浪人 「そなたは口おひいか、わひははにゃ(鼻)がほひい」
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 手習いの師匠(てならいのししょう) – 江戸時代の庶民の子どもに読み書きを教える私塾の教師。寺子屋の師匠とも呼ばれ、浪人や僧侶が生計を立てるための職業として一般的でした。
- 浪人(ろうにん) – 主君を失ったり、仕官先のない武士。この噺の浪人は貧しい裏長屋で手習いの師匠をして暮らしています。
- 川柳(せんりゅう) – 五七五の定型詩で、俳句よりも風刺や滑稽を重視した庶民的な詩形。江戸時代に大流行し、日常の機知を競う文化が根付いていました。
- 鈴ヶ森(すずがもり) – 東海道の品川宿近くにあった刑場跡。江戸時代には処刑場として知られた場所で、旅人が通る東海道の名所の一つでもありました。
- 馬子(まご) – 旅人を馬に乗せて案内する職業。街道沿いで馬を引いて商売をしていた庶民で、この噺では禿頭の老馬子が登場します。
- 雉も鳴かずば撃たれまい – 余計なことをしなければ災難に遭わないという諺。浪人が自分から馬子をからかったことを反省する言葉として使われています。
- 無礼討ち(ぶれいうち) – 武士に対して無礼を働いた者を、武士が切り捨てる権利。江戸時代の武士の特権でしたが、実際には厳しい制約があり、この噺では妻女の気持ちを表現する誇張表現として使われています。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜ浪人は鼻が欠けてしまったのですか?
A: 噺では「病気で鼻が欠けた」とだけ説明されています。江戸時代には梅毒などの感染症で鼻が欠損することがあり、当時は珍しくない不幸でした。現代の医療では考えにくい状況ですが、当時は深刻な社会問題でした。
Q: 川柳の意味を詳しく教えてください
A: 浪人の川柳「禿山の前に鳥居はなけれども 後ろに神がちょっとまします」は、馬子の禿頭を禿山に見立て、前に鳥居(前髪)はないが後ろに神(髪)が少しあるという皮肉です。馬子の川柳「山々に名所古蹟は多けれど、花のないのが淋しかるらん」は、顔という山に目鼻という名所はあるが、鼻(花)がないのが残念だという返しです。
Q: オチの「口惜しい」と「鼻欲しい」の意味を教えてください
A: 妻女が「口惜しゅうございます(くちおしゅうございます)」と悔しがると、浪人が鼻声で「そなたは口おしいか、わしは鼻がほしい」と返します。「口惜しい(悔しい)」と「鼻欲しい(鼻が欲しい)」の音が似ていることを利用した言葉遊びで、悲劇をユーモアで包み込むオチです。
Q: この噺は江戸落語ですか?上方落語ですか?
A: 「鼻ほしい」は江戸落語の演目です。東海道や鈴ヶ森という江戸近郊の地名が登場し、江戸言葉で演じられます。身体的ハンディキャップという重いテーマを言葉遊びで昇華させる、江戸落語らしい作品です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん朝(三代目) – 浪人の品格と悲哀を丁寧に描き、鼻声の演技を自然に表現する名演が知られています。川柳の応酬場面でのテンポの良さと、オチの言葉遊びの鮮やかさが見事です。
- 柳家小三治 – じっくりとした語り口で、浪人の心の動きを細やかに描きます。子どもたちにからかわれる辛さから、旅での開放感、馬子との応酬での怒り、最後の自嘲まで、感情の変化を丹念に表現します。
- 春風亭一朝 – 軽快なテンポで浪人の人間臭さを強調した演出が特徴です。川柳の場面を楽しげに描き、悲劇と喜劇のバランスを取る技術が光ります。
- 柳家喬太郎 – 現代的な視点で身体的ハンディキャップの問題を扱いながらも、古典の言葉遊びの面白さを前面に出した演出です。若い世代にも分かりやすい語り口が人気です。
関連する落語演目
同じく「言葉遊び・地口オチ」が秀逸な古典落語
「身体的特徴」をテーマにした古典落語
江戸落語の他の名作
この噺の魅力と現代への示唆
「鼻ほしい」の最大の魅力は、深刻な悲劇を言葉遊びで喜劇に転換する落語の本質が凝縮されている点にあります。病気で鼻を失い、社会的な居場所を失った浪人の物語は、現代の障害者差別や外見至上主義の問題にも通じる重いテーマです。
子どもたちが「鼻欠け先生」「フニャフニャ先生」とからかう場面は、無邪気な残酷さを表現しています。子どもには悪意がなくても、その言葉が相手を深く傷つけることがあります。現代のいじめ問題でも、「からかっているだけ」という言い訳がよく使われますが、この噺は200年前に同じ問題を描いていたのです。
妻女が気晴らしの旅を勧める場面は、環境を変えることの重要性を示しています。「見知った人もなく、街道の風景を眺めながら歩いて行くと、自ずから気が晴れ晴れとしてくる」という描写は、旅の癒し効果を表現しています。現代でも、悩みがある時に旅に出ることの効用は変わりません。
馬子との川柳の応酬は、人間の本質的な残酷さと機知の両面を描いています。浪人が先に馬子の禿頭をからかったことで、自分の欠点を返されてしまうという展開は、「人を呪わば穴二つ」の教訓を示しています。他人の欠点を笑う者は、自分の欠点も笑われる覚悟が必要なのです。
「雉も鳴かずば撃たれまい」という浪人の自省は、自己責任の重要性を表現しています。自分から相手をからかわなければ、返り討ちに遭うこともなかったという反省は、現代のSNSでの炎上問題にも通じます。不用意な発信が自分に返ってくる構造は、江戸時代も現代も変わりません。
妻女が薙刀を持って無礼討ちに出ようとする場面は、夫婦の絆を表現しています。夫の恥辱を晴らそうとする妻の行動は、愛情の裏返しです。しかし浪人は妻を止め、自分の非を認めます。この冷静さは、怒りに任せて行動することの危険性を教えています。
最後のオチ「そなたは口おしいか、わしは鼻がほしい」は、言葉遊びによる昇華の極致です。「口惜しい」という悔しさの感情を、「鼻欲しい」という自分の状況に転換することで、悲劇を喜劇に変えています。不幸をユーモアで包み込む江戸庶民の知恵が、この一言に凝縮されています。
現代では身体的特徴をからかうことは差別として厳しく批判されますが、当事者自身がユーモアで自分の状況を受け入れる態度は、今でも尊重されるべき生き方です。この噺は、深刻な問題を笑いに変える人間の強さを教えてくれます。
実際の高座では、鼻声の演技、川柳を詠む場面の格調、妻女の激昂、そして最後の言葉遊びなど、演者の技術が試される場面が多数あります。ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。







