強欲五右衛門
3行でわかるあらすじ
強欲五右衛門が洪水で流れてきた葛籠からお婆さんを引き上げるが、金にならないとまた川に流してしまう。
善人の又一が助けて介抱したところ、息子が迎えに来てお礼に五十両を置いて行く。
五右衛門が金を要求し、庄屋の仲裁で川に飛び込むが、葛屋が背中に当たって「葛屋負うた」の言葉遊びオチになる。
10行でわかるあらすじとオチ
河内の国の強欲五右衛門が洪水で流れてくる物を手鉤で引き上げ、金になるものだけ残している。
大きな葛籠が流れてきて引き上げると、中には布団を敷いたお婆さんが座っていた。
五右衛門は「こんな婆さん、飯食わさんならん」と蓋をしてまた川に流してしまう。
善人の又一が「生きた人間が入ってる」と葛籠を引き上げ、お婆さんを家で介抱する。
お婆さんが元気になった頃、川上の村から息子が迎えに来る。
息子は高安五郷の大庄屋で、お礼に五十両の金を置いて母親を連れて帰る。
話を聞いた五右衛門が「葛籠を引き上げたのは自分だから金をよこせ」と要求する。
庄屋が仲裁に入り、「もう一度川に金を投げ込むから拾え」と提案する。
実際には包みの中は石ころで、五右衛門だけが川に飛び込んでしまう。
川上から葛屋ぶきの小屋が流れてきて背中に当たり、「五右衛門が葛屋負うた」と言葉遊びで落ちる。
解説
「強欲五右衛門」は因果応報をテーマにした人情噺と言葉遊びのオチが巧妙に組み合わされた古典落語の秀作です。この演目の最大の特徴は、勧善懲悪の道徳的な物語構成と、最後の「強欲(ごうよく)」と「葛屋(くずや)」をかけた言葉遊びにあります。
物語前半では、人命よりも金銭を優先する五右衛門の冷酷さと、人情に厚い又一の善良さが鮮明に対比されています。お婆さんを「飯食わさんならん」と言って再び川に流す五右衛門の行為は、当時の観客にとっても衝撃的な非道として描かれており、この後の因果応報への布石となっています。
中盤の展開では、善行が報われる又一が五十両という大金を得る一方で、強欲な五右衛門は何も得られないという対照的な結果が示されます。この部分は典型的な勧善懲悪の構造で、観客の道徳的満足感を満たす仕掛けになっています。
見どころである最後のオチは、庄屋の機転により五右衛門だけが川に飛び込み、流れてきた葛屋ぶきの小屋が背中に当たるという物理的な「報い」と、「五右衛門が葛屋負うた」という言葉遊びの二重構造になっています。「強欲」が「葛屋」に転じるこの洒落は、江戸時代の観客にとって絶妙な言葉の妙味として楽しまれました。
あらすじ
河内の国、高安の里の「強欲五右衛門」と異名を取る我利我利亡者の五右衛門。
ある年、大洪水があって川上からいろんな物が流れて来た。
五右衛門は岸から手鉤で、流れて来るものを手当たり次第に土手に引っ張り上げている。
少しでも金になりそうなものは手元に置き、あとはみんな川に流してしまう。
すると大きな葛籠(つづら)が流れて来た。
これはいい物が流れて来たと引き上げて蓋を開けると、中には布団を敷いたお婆さんがぽつんと座っていた。
五右衛門 「なんじゃい、こんな婆さん。こんなん引き上げたら飯食わさんならん」と、蓋をしてまた流してしまった。
そばで見ていたのが人が良くてやさしい、仏の又一、「こら!なんちゅうことをするねん。中には生きた人間が入ってんのやないか」
五右衛門 「金にならん物は拾わんのじゃ」
又一は葛籠を引き上げて、すっかり衰弱したお婆さんを自分の家に連れて帰って、介抱し面倒を見る。
ようやくお婆さんも元気になった頃、川上の村から、お婆さんの息子と言う人が訪ねて来る。
これが高安五郷の大庄屋家という家だ。
息子 「・・・噂に聞いて参りましたんですが、先日の大洪水の時に、葛籠の中に入って流れて来た年寄りを、こちらさんで助けて養うてくださっているそうな。それはうちの母親ではないかと・・・」ということで、お婆さんと息子さんは無事に対面。
息子 「あの時はとっさの事で一緒に逃げることも出来ず、母親を葛籠の中に布団を敷いて入れて川へ流しました。あんさんみたいなお方に拾うて助けていただいて、有難うございました」と、お礼に五十両の金を置いて母親を連れて帰って行った。
すぐにこの話は村中に広まって、やって来たのが強欲五右衛門、「その金をよこせ。
葛籠を引き上げたのはわしやさかいに婆さんは助かったんじゃ。
又一 「そやけど、お前はまた川へ流したやないか」
五右衛門 「わしが初めに葛籠を引き上げなんだら婆さんが中にいることが分らんのやさかい、半分よこせ」と、強引な言いようで収まりそうもない。
仕方なく二人の間に村の庄屋が仲裁に入った。
庄屋 「川の中から葛籠を拾うた事が喧嘩の始まりやさかいに、もう一ぺんわしがこの金を川へ放り込む。お前ら二人、川へ飛び込んで拾いなはれ」、五右衛門は文句があるはずもないが、
又一 「わてはそないしてまで金なんかいらんよって・・・」と、逃げ腰なのを、
庄屋 「まあまあ、そう言わんとここはわしにまかせてくれ」と連れて行く。
川はまだ洪水の余波で水かさが多く、流れも早く、川上からはいろんな物が流れて来る。
庄屋は「えいっ!」っと、川の中に金の包みを放り込んだ。
五右衛門は待ってましたとばかりにフライング気味に飛び込んだ。
又一 「よう、こんなとこに飛び込むわ」と、呆れて見ていると、
庄屋 「お前は飛び込まんでもええで、金はここにある。
包みの中は石ころじゃ。五右衛門は上から流れて来る材木かなんかに当たって死んでしまうだろう」
村人たちはどうなることかと見ていると、川上から葛屋ぶきの小屋が流れて来て、五右衛門の背中にドーンと当たった。
みんなのワーッという歓声やら笑い声が聞こえて、
五右衛門 「五右衛門が葛屋負うたが、おかしいか」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 河内の国(かわちのくに) – 現在の大阪府東部にあたる旧国名。高安の里は現在の八尾市周辺を指します。
- 我利我利亡者(がりがりもうじゃ) – 自分の利益だけを追求し、他人のことを顧みない強欲な人物を指す言葉。
- 葛籠(つづら) – 竹や葛(くず)の蔓で編んだ衣類や貴重品を入れる箱。軽量で丈夫なため、旅行や引っ越しに使われました。
- 手鉤(てかぎ) – 先端に鉤(かぎ)が付いた棒。川に流れてきたものを引き上げたり、火事場で建物を引き倒すのに使用されました。
- 五十両(ごじゅうりょう) – 江戸時代の金額単位。現在の価値で約750万円〜1,000万円相当の大金です。
- 庄屋(しょうや) – 村の有力者で、村政を取り仕切る役職。現在の村長や区長のような存在でした。
- 葛屋(くずや) – 屋根を葛(くず)の蔓や草で葺いた粗末な小屋。貧しい人々の住居や作業小屋として使われました。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜお婆さんは葛籠に入って川を流されたのですか?
A: 当時の洪水避難方法の一つでした。逃げ遅れた老人や子供を密閉性の高い葛籠に布団と共に入れて川に流し、下流で助けてもらうことを期待しました。葛籠は浮力があり、ある程度の防水性もあったため、緊急避難手段として使われることがありました。
Q: 五右衛門が再び婆さんを川に流すシーンは現代でも演じられますか?
A: はい、演じられています。ただし、この非人道的な行為が五右衛門の強欲さを際立たせる重要な場面であり、後の因果応報のオチへの伏線となっています。多くの演者は五右衛門の冷酷さを強調しながらも、最終的には制裁を受けることで道徳的バランスを保っています。
Q: このオチの言葉遊びはどういう意味ですか?
A: 「強欲(ごうよく)五右衛門」と「葛屋(くずや)負うた」という二つの言葉の音韻的類似性を利用した洒落です。「強欲」を体現していた五右衛門が、最後には文字通り「葛屋」を背負うことになるという、音と意味の両面でオチをつける高度な言葉遊びになっています。
Q: 庄屋は五右衛門を殺そうとしたのですか?
A: 落語の中では「流れて来る材木かなんかに当たって死んでしまうだろう」と言っていますが、実際には葛屋が当たる程度で済んでいます。これは因果応報の教訓話として、五右衛門に痛い目を見せるが命までは奪わないという、落語らしい絶妙なバランスです。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。上方落語の代表的演目として、五右衛門の強欲さと又一の善良さを鮮やかに演じ分けました。特に洪水の情景描写と、お婆さんを川に戻す場面の冷酷な演技が秀逸でした。
- 桂枝雀(二代目) – エネルギッシュな語り口で、五右衛門の欲深さをコミカルに表現。最後のオチでの葛屋が当たる場面の身体表現が印象的でした。
- 桂南光(三代目) – 人間味あふれる演出で、強欲でも憎めない五右衛門像を創り上げています。
- 桂ざこば – 豪快な語り口で、因果応報の爽快感を前面に出した演出が特徴です。
関連する落語演目
同じく「因果応報」がテーマの古典落語
言葉遊びが秀逸な古典落語
洪水・災害を扱った古典落語
善人と悪人の対比を描いた古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「強欲五右衛門」は、因果応報という普遍的なテーマを扱いながら、最後に絶妙な言葉遊びで笑いに転換する上方落語の傑作です。
現代社会でも、利益だけを追求し他者を顧みない行動は「我利我利亡者」として批判されます。この噺は、そうした強欲な行為が最終的には自分に跳ね返ってくるという教訓を、ユーモラスに描いています。
特に注目すべきは、単純な勧善懲悪に終わらせず、最後の言葉遊びのオチで笑いに昇華させている点です。五右衛門の行為は確かに非道ですが、最後には「葛屋負うた」という洒落で締めくくることで、観客は道徳的満足感と笑いの両方を得られる構造になっています。
また、庄屋の機転による解決も見どころです。暴力や裁判に訴えるのではなく、知恵と策略で悪人を懲らしめるという展開は、日本の民話や説話に通じる伝統的な物語構造を踏襲しています。
実際の高座では、五右衛門の強欲さの表現方法や、お婆さんを再び流す場面の演出、最後の葛屋が当たる瞬間の表現など、演者によって大きく異なります。ぜひ複数の演者の口演を聴き比べて、それぞれの解釈の違いを楽しんでください。










