後生鰻
3行でわかるあらすじ
信心深い隠居が殺生を嫌い、毎日鰻屋で鰻を買い取って川に放す善行を続ける。
しばらく来ない日があり、その日鰻屋は商品がないため赤ん坊をまな板に乗せて包丁を振り上げる。
驚いた隠居が赤ん坊を100円で買い取り、「あんな恐ろしい家に生まれるな」と川に投げ込んでしまう。
10行でわかるあらすじとオチ
信心に凝った大家の隠居は蚊も殺さない殺生嫌いで、浅草観音参りが日課だった。
天王橋脇の鰻屋前で親方が鰻をキリで刺そうとするのを見て、殺生だと止めに入る。
隠居は鰻を2円で買い取り、「もう人間に捕まるな」と川に放して功徳を積んだと満足する。
翌日も翌々日も同じことを繰り返し、鰻屋は大儲けで仲間からうらやましがられる。
しばらく隠居が来なくなり、鰻屋は金づるが切れたのを惜しんでいた。
ある日隠居が現れたが、その日は河岸に行かず鰻を仕入れていなかった。
まな板に乗せる物を探してもドジョウも金魚もなく、困った鰻屋は赤ん坊をまな板に乗せる。
親方が出刃包丁を振り上げると、驚いた隠居が赤ん坊を100円で買い取る。
隠居は「決してあんな恐ろしい家に生まれて来るな」と因果を含めて赤ん坊に説教する。
そして「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら、赤ん坊を前の川にボチャーンと投げ込んでしまう。
解説
「後生鰻」は元々上方落語の「淀川」という演目で、明治期に東京へ移植された古典落語である。別題を「放生会」とも呼び、5代目古今亭志ん生、3代目三遊亭金馬、桂歌丸らの名人によって演じられてきた。わずか6分程度の短編演目だが、古典落語屈指のブラックユーモア作品として知られている。
この演目の最大の特徴は「錯覚をサゲにした」点にある。信心深い隠居の善意が皮肉な結果を招くという、落語特有の逆説的な笑いを生み出している。隠居は自分が鰻を救っていると信じているが、実際は鰻屋の商売を助けているだけ。そして最後には人間の赤ん坊まで「救済」してしまうという、常識を覆す衝撃的なオチが待っている。
1940年には警視庁への届出により禁演落語53演目に含められた歴史もある。これは「残酷な噺」との理由からだったが、現代では古典落語の傑作として復活している。善意の押し売り、思い込みの危険性、本末転倒のばかばかしさなど、多層的な笑いと教訓を含んだ珍無類の作品である。志ん生の演出は特に評価が高く、「志ん生にかなう者なし」とまで言われている。
あらすじ
信心に凝った大家(たいけ)の隠居、蚊が腕に止まっても叩かず、血を吸われっぱなしにする大の殺生嫌い。
日課の浅草観音へ参った後、天王橋脇の鰻屋の前を通りかかると、親方がまないたの上に鰻を乗せ、キリで刺そうとしている。
これを見た隠居、殺生だからそんなことをするなというが、親方は商売で蒲焼にするのだから仕方ないという。
それならと隠居は鰻を2円で買い取り、ざるへ入れて前の川に持っていき、「南無・・・・・、これからはもう人間につかまるやよ」とボチャーンと投げ込んで、「ああ、いい功徳をした」。
次の日も、次の日も隠居が来て鰻を買って、川へ投げ込んで行く。
おかげで鰻屋は大儲けだ。
鰻屋仲間は、「あの隠居つきでお前の店を買おう」なんてうらやましがる。
そのうちぷっつりと隠居がは来なくなった。
鰻屋は金づるが切れたのを惜しがっていたが、ある日また隠居が現れた。
だが、その日は河岸に行かず鰻を仕入れなかった。
まな板に乗せる物をと、ドジョウ、金魚を探したがこれもない。
もう何でもいいと赤ん坊をまな板に乗せキリを振り上げる。
これを見て驚いた隠居、赤ん坊を100円で買い取り、
「もう決してあんな恐ろしい家に生まれて来るのではないぞ、南無・・・・・」と前の川へボチャーン。
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 後生(ごしょう) – 仏教用語で、来世のこと。後生を願って善行を積むことを「後生のため」といいます。この噺の隠居は後生のために鰻を救っているつもりです。
- 放生会(ほうじょうえ) – 捕らえられた生き物を野に放し、殺生を戒める仏教行事。この噺の別題でもあり、隠居の行為はこの儀式のつもりでした。
- 大家(たいけ) – 裕福で経済的に余裕のある人。単なる家主の「おおや」ではなく、資産家の意味で使われています。
- 功徳(くどく) – 仏教で、善い行いをすることで得られる利益や幸福。隠居は鰻を救うことで功徳を積んでいると信じています。
- 天王橋 – 現在の東京都台東区にあった橋。浅草観音(浅草寺)への参詣路にあり、江戸の庶民になじみ深い場所でした。
- 錯覚をサゲ – 落語のオチの一種で、登場人物の思い込みや勘違いで落とす手法。この噺では、隠居の善意の思い込みが衝撃的な結果を生みます。
- 禁演落語 – 戦時中、内務省や警視庁により演じることを禁じられた落語演目。「後生鰻」は残酷という理由で1940年に53演目の一つとして指定されました。
よくある質問(FAQ)
Q: この噺は本当に禁演になったのですか?
A: はい、1940年に警視庁への届出により、残酷な内容という理由で禁演落語53演目の一つに指定されました。戦後になって復活し、現在では古典落語の傑作として演じられています。
Q: 隠居は本当に赤ん坊を川に投げ込んだのですか?
A: これは落語的な誇張表現です。隠居は鰻を救うのと同じ感覚で赤ん坊も「救済」しようとした、という錯覚を描いた笑い話です。実際に赤ん坊を投げ込む描写はショッキングですが、善意の暴走を風刺したブラックユーモアとして理解すべきです。
Q: 鰻屋は本当に赤ん坊をまな板に乗せたのですか?
A: これも演出上の誇張です。鰻を仕入れていない日に隠居が来たため、何か代わりのものをまな板に乗せようとした結果、たまたま赤ん坊が目に入ったという設定です。鰻屋の困惑と隠居の思い込みが生む笑いが主題です。
Q: この噺の教訓は何ですか?
A: 善意の押し売りや思い込みの危険性を風刺しています。隠居は功徳を積んでいるつもりですが、実際は鰻屋を儲けさせているだけ。善意も相手の状況を考えない一方的なものでは意味がない、という教訓が含まれています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 古今亭志ん生(五代目) – この噺の名演で知られ、「志ん生にかなう者なし」と評されました。隠居の思い込みと鰻屋の困惑を絶妙に演じ分けました。
- 三遊亭金馬(三代目) – ブラックユーモアを得意とした昭和の名人。この噺でも独特の間と語り口で笑いを生み出しました。
- 桂歌丸 – 笑点でおなじみの名人。短編ながら印象深い演目として、この噺を大切に演じました。
関連する落語演目
同じく「善意の暴走」を描いた古典落語
ブラックユーモアの古典落語
鰻を扱った古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「後生鰻」は、わずか6分程度の短編ながら、現代社会にも通じる鋭い風刺を含んだ作品です。
最大の魅力は、善意の本末転倒を極端な形で描いている点です。隠居は功徳を積んでいるつもりですが、実際は鰻屋に利益を与え、結果的に鰻の需要を増やしています。現代でも、「エコのため」と言いながら逆効果の行動をとったり、「支援のため」と称して相手を困らせるケースは少なくありません。
特に興味深いのは、隠居の思い込みの強さです。鰻を救うことに固執するあまり、最後には赤ん坊まで同じ扱いをしてしまう。これは現代の「正義の暴走」にも通じます。自分が正しいと信じ込むと、周囲が見えなくなり、常識外れの行動をとってしまう。SNSでの炎上や過激な活動家の行動に、この隠居の姿が重なります。
また、鰻屋の視点も見逃せません。最初は商売として普通に鰻を扱っていたのに、隠居が介入することで儲かる仕組みができてしまう。これは現代の「偽善ビジネス」にも似ています。善意を利用した商売や、支援の名目で利益を得る構造は、今も昔も変わらないのです。
この噺が禁演になった理由は「残酷」でしたが、実際には社会への鋭い風刺が問題だったのかもしれません。善意の押し売り、思い込みの危険性、偽善の構造。これらは権力者にとって都合の悪い真実を突いているからです。
最後の衝撃的なオチは、まさに「錯覚をサゲ」の典型です。聴衆は隠居が赤ん坊を救うと期待しますが、彼は鰻と同じように「救済」してしまう。この予想を裏切る展開が、強烈な笑いと同時に深い考察を促します。
短編ながら多層的なテーマを含むこの噺は、現代人にこそ聴いてほしい作品です。善意とは何か、正義とは何か。この噺はそれを問いかけています。





