げほう頭
3行でわかるあらすじ
福禄寿のような長い頭を持つ岩松が、偶然娘のお腫(おでき)をなめて治したことから評判となる。
大阪の薬問屋の主人と番頭が商売を思いつき、岩松を生き神様として出開帳まで開いて大儲けする。
しかし祭り上げられた岩松本人は空腹で「げほうは・・・ひだるい、ひだるい」と嘆く。
10行でわかるあらすじとオチ
播磨国の廻船問屋の息子・岩松は福禄寿のような長い頭に生まれ、父の過去の悪事の祟りと言われ大坂に奉公に出される。
芝居見物で船場の大店の乳母に頼まれ、娘のお腫をなめて治してやり13両のお礼をもらう。
薬問屋の主人と番頭が「腫れ物合い薬あり」の看板を出し、岩松のなめ薬で商売を始める。
医者も匙を投げた患者たちに効果抜群で大評判となり、岩松は生き神様として祭り上げられる。
調子に乗った番頭が出開帳を企画し、「生き神、生き仏の出開帳」として大々的に宣伝する。
大坂中から見物人が殺到し、お供え物が山のように積まれて大繁盛となる。
しかし神様として安置された岩松は身動きできず、お供え物もつまめずに空腹で困り果てる。
番頭が「げほうさん、近う寄って御拝とげられましょう」と案内すると、岩松は情けなく答える。
「げほうは・・・ひだるい、ひだるい」のオチは「外法(げほう)」と「飢法(ひもじい法)」をかけた地口オチ。
商売に利用される岩松の哀れさと大阪商人の逞しさが絶妙に描かれた名作である。
解説
「げほう頭」は大阪落語の代表的な演目の一つで、商売に目ざとい大阪商人の気質と、それに振り回される人々の滑稽さを描いた作品です。「外法(げほう)」とは本来、仏教で正統でない修行法や邪法を指す言葉ですが、ここでは福禄寿のような長い頭の形容として使われています。
物語の見どころは、偶然の出来事から始まった「奇跡」が、大阪商人の商魂によってどんどん大きな商売に発展していく過程です。岩松の頭の形というハンディキャップが、逆に商売の種になるという皮肉な展開が面白く、「災い転じて福となす」を地で行く大阪商人の逞しさが描かれています。
最後のオチ「げほうは・・・ひだるい、ひだるい」は、「外法」と「飢法(ひもじい法)」をかけた地口オチの傑作です。生き神様として祭り上げられながら、実際は空腹に苦しむ岩松の哀れさと、商売のためには何でも利用する大阪商人の強かさが見事に対比されています。
あらすじ
播磨の国、飾磨津(しかまづ)の廻船問屋淡路屋の息子の岩松。
生まれつき頭が大きかったが、成長するにつれて長い頭になって、七福神の福禄寿、げほう(外法)さんのようになってしまった。
ある日、表に立った旅の僧が家の中から異様な気配を感じると入って来た。
気品のある立派な僧で、いい加減なことを言って金をせびる生臭坊主のようではなく、主人は店の中に入れて過去の話をする。
淡路屋の主人は以前に、抜け荷、密貿易をやっていたことがあり、後ろめたいことも随分とある。
話を聞いた僧は、過去のやましいこと、悪事が子ども岩松に祟っているといい、「そのお子さんは、この家に置いてはいかん。どこか奉公にでも出しなはれ」と、言って立ち去った。
早速、主人は岩松を取引先の大坂の道修町の薬問屋の葛城屋に丁稚として預ける。
岩松の長い頭は目立ち過ぎて、店番をすればジロジロ見られ、外へ使いに行けば子供が面白がってついて来たりする。
可哀想だし、店も薬より長い頭の方が評判になってしまい、岩松は奥の人目につかない部屋で、薬研で薬を切る仕事につくようになった。
今日は、年に一度の芝居見物、店中そろって道頓堀の芝居小屋へ繰り出した。
だが、座敷に座った岩松の頭は見物客の邪魔だし、目立ち過ぎて客は芝居そっちのけで珍しがって頭を見ている。
はては舞台の役者まで長い頭に気を取られ、台詞を忘れる有様だ。
岩松も居たたまれなく、「もう帰ります」と今にも泣きだしそう。
可哀想に思った番頭は岩松を芝居茶屋に連れて行く。
するとそこへ、上品な年増の女が岩松にお願いがあると近づいてきた。
聞くと船場の大店の乳母で、「じつはお嬢さんのお乳の間にお腫(おでき)ができて、医者でも薬でも治らしまへん。
高名な易者の先生に見てもらいますと、七福神のげほうさんのよな頭の人になめてもらえば、たちどころに治ると言われました。
あちこち探しましたが見つからず、お嬢さんのお腫はひどくなるばかり。
今日は気晴らしにと芝居見物にお連れしたところ、あなた様にお目にかかりました。どうかお嬢さんのお腫をなめてやっていただきまへんやろか」
岩松 「・・・わて、そんなん、知りまへんで。わたしがなめて治るなんちゅうことが・・・」、絶句する岩松に、娘も顔を真っ赤にして、「どうかお願いいたします」、自分と同じ、十五、六の綺麗な娘さんのたっての頼み、「・・・なめたらよろしいので・・・」と、承諾。
娘は恥ずかしそうに帯を解くと、小さなお乳の間に大きな黒ずんだお腫が飛び出している。
岩松は顔を近づけチョイ、チョイとなめてやった。
すぐにも腫れが引いて行くようにも見えて、「へえ、これでいいんで・・・」、乳母は「ありがとうございます。これで治ると思います。・・・いずれ改めてお礼にうかがいます。・・・これはほんの手土産代わりに・・・」と、三両包んで帰って行った。
店に帰った岩松はあの娘のことが忘れられず、これが恋患いと言うのかぼぉーっとしている。 四、五日すると、あの時の御礼と言って、十両を届けに来た。
ちょっと岩松がなめただけで、しめて十三両、主人と番頭は、岩松の恋患いなんかどうでもいい。
店の薬のよく聞かないことは重々知っているから、表に大きな看板「腫れ物合い薬あり」を掲げて、岩松のチョイなめで大儲けを企んだ。
さすがは大阪商人魂と褒めるべきか。
さあ、実績のある岩松のチョイなめ薬は、医者から見放された者たちに効能あらたか。
噂が噂を呼び大評判となって列をなして押すな押すなの大盛況。
ついにはげほう頭の岩松は生き神様、生き仏様にまつり上げられる。
そこでまたひと儲けを考えた番頭、「旦那はん、あちこちでやっている出開帳のようにげほうの出開帳ちゅうのやろまへんか。お腫をなめてもらいに来る人のほかにも一目、生き仏さんを見ようと大勢来やはりまっせ」で旦那もすっかり乗り気。
適当な場所を借りて、お供えやら線香、蝋燭などをそれらしく並べて、通路は一方通行、「右、参詣道 左 下向道」なんかにして、丁稚が大声で、「さあさあ、めったに見られへん、生き神、生き仏さんの出開帳だっせ」、これが大評判、大坂中、そのまた近郷近在からゾロゾロと見物人が絶えない。
一方の奥に鎮座されられた生き神、生き仏のげほう頭の岩松さん。
絶え間なく流れて行く見物人を前にして座ったまま動くこともできず、うず高く積まれたお供え物をつまむこともできずに腹はペコペコ、ひだるく(ひもじい)てしょうがない。
番頭 「正面に安置したてまつるが、げほうさん・・・近う寄って、御拝とげられましょう」
岩松 「げほうは・・・ひだるい、ひだるい」(左ィ・ひもじい)
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 外法(げほう) – 本来は仏教で正統でない修行法や邪法を指しますが、この噺では福禄寿のような長い頭の形容として使われています。
- 福禄寿(ふくろくじゅ) – 七福神の一柱で、長い頭と長い髭が特徴。幸福、富貴、長寿を司る神様です。
- 播磨国飾磨津(はりまのくにしかまづ) – 現在の兵庫県姫路市飾磨地区。江戸時代は廻船問屋が栄えた港町でした。
- 抜け荷 – 密輸、密貿易のこと。江戸時代には厳しく取り締まられていました。
- 道修町(どしょうまち) – 大阪の薬問屋街。江戸時代から日本の薬の中心地として栄えました。
- 道頓堀(どうとんぼり) – 大阪の芝居小屋街。江戸時代から現在まで大阪を代表する繁華街です。
- 出開帳(でがいちょう) – 本来寺院にある仏像などを別の場所に移して拝観させること。資金調達の手段でもありました。
- ひだるい – 大阪弁で「ひもじい」「空腹である」という意味。
よくある質問(FAQ)
Q: なぜ岩松の頭はなめると治るのですか?
A: これは全くの偶然です。易者が「げほうさんのような頭の人になめてもらえば治る」と言ったため、岩松がなめたら偶然治っただけです。この偶然を大阪商人が商売に利用したというのがこの噺の面白さです。
Q: 「外法」と「飢法」のオチはどういう意味ですか?
A: 「外法(げほう)」と「飢法(ひもじい法)」の音の近似性を利用した地口オチです。生き神様として祭り上げられた岩松が、実は空腹で苦しんでいるという皮肉な状況を、言葉遊びで表現しています。
Q: この噺は大阪落語特有の演目ですか?
A: はい、大阪落語の代表的な演目で、大阪商人の商魂逞しさを描いています。東京ではあまり演じられませんが、上方落語の定番として今も人気があります。
Q: 実際に出開帳はこのように商売に利用されていたのですか?
A: 出開帳は本来宗教的行事ですが、資金調達の手段でもあり、見世物的な要素もありました。この噺はそれを極端に誇張したもので、大阪商人のたくましさを風刺しています。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 人間国宝。大阪落語の代表として、この噺を格調高く演じました。岩松の純真さと大阪商人の逞しさの対比が見事でした。
- 桂枝雀(二代目) – エネルギッシュな語り口で、出開帳の場面を特に印象的に演じました。岩松の空腹の様子を身体表現豊かに表現しました。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれ、この噺でも独特の間で大阪商人の魂を表現します。
- 桂ざこば – 豪快な語り口で、商売繁盛の場面を活き活きと描きます。
関連する落語演目
同じく「大阪商人」を描いた古典落語
地口オチが秀逸な古典落語
偶然から商売を思いつく古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「げほう頭」は、ハンディキャップが逆転の発想で商売の種になるという、大阪商人の逞しさを描いた作品です。現代でも「ピンチをチャンスに変える」という発想は重要で、この噺はその精神を体現しています。
岩松の長い頭というコンプレックスが、偶然の出来事から「奇跡」となり、最終的には生き神様として祭り上げられる展開は、現代のマーケティングやブランディングにも通じる要素があります。商品の特徴を如何に価値に転換するかという視点は、今も昔も変わりません。
しかし、この噺の真の面白さは、商売に利用される岩松の哀れさにあります。生き神様として祭り上げられながら、実際は空腹に苦しむという皮肉な状況は、現代の「利用される側」の人々の姿にも重なります。インフルエンサーやタレントが事務所に搾取される構造など、形を変えて現代にも存在する問題です。
「外法は飢法(ひもじい)」というオチは、表面的な華やかさの裏にある現実の厳しさを端的に表現しています。SNS時代の「映え」と実態の乖離にも通じるテーマで、今も新鮮な示唆を与えてくれます。
また、大阪商人の「何でも商売の種にする」という精神は、ポジティブに見ればイノベーションの源泉でもあります。既成概念にとらわれず、新しい価値を創造する姿勢は、現代のスタートアップ精神にも通じるものがあります。
実際の高座では、岩松の長い頭の表現、お腫をなめる場面の演技、出開帳での空腹の様子など、演者の身体表現が見どころです。ぜひ生の落語会や動画でお楽しみください。






