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【古典落語】雁風呂 あらすじ・オチ・解説 | 水戸黄門と淡屋辰五郎の運命的出会い

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話芸の殿堂-古典落語-雁風呂
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雁風呂

3行でわかるあらすじ

水戸黄門が掛川宿の茶店で「松に雁」の屏風絵の意味がわからず困っている。
上方の商人淡屋辰五郎が雁風呂の伝説を語り、黄門様から三千両の借金回収の目録をいただく。
「高い雁(かりがね)」「そのはずじゃ、貸金(かしがね)を取りに行くのじゃ」というオチ。

10行でわかるあらすじとオチ

水戸黄門の一行が東海道掛川宿の茶店で休んでいると、土佐将監光信作の「松に雁」の屏風絵が目に入る。
黄門様は「松に雁」の意味がわからず、そこへ上方の商人が二人やってきて「雁風呂だ」と話し始める。
商人たちが武士をけなしているのを聞いた黄門様は、彼らに絵解きを依頼する。
主人の辰五郎は雁風呂の由来を語る:雁は柴をくわえて飛び、疲れると海に落として羽を休める。
函館の松の根元に柴を落とし、春になると又くわえて帰るが、残った柴は死んだ雁の供養に使われる。
黄門様が姓名を尋ねると、彼は御取り潰しとなった大阪の淡屋辰五郎の息子と名乗る。
柳沢家に用立てた三千両を回収するため江戸に向かう途中であることを聞いた黄門様。
黄門様は借金回収のための目録に印を押して与え、一行は立ち去る。
後で喜助が「雁風呂の話一つで三千両とは高い雁(かりがね)」と言うと、辰五郎は答える。
「そのはずじゃ、貸金(かしがね)を取りに行くのじゃ」―雁と貸金の言葉遊びでオチ。

解説

『雁風呂』は、水戸黄門と淡屋辰五郎の出会いを描いた人情噂で、日本最古の噂本『醒睡笑』(寛永5年・1628)に見られる雁と貸金のダジャレオチが特徴です。
歷史上の淡屋辰五郎は実在の人物で、鴻池と並ぶ大阪の豪商でしたが、宝永2年(1705)に公儀により資産没収・大阪追放処分を受けました。
雁風呂の伝説は青森県に実際に伝わる民話で、雁が柴をくわえて渡ってきて、残った柴で風呂を沸かして供養するというものです。
戦後は六代目三遊亭円生が二代目桂三木助直伝で上方系のやり方で演じ、現在でも名演として知られています。
教養ある黄門様と商人の交流、民話と武士道の対比など、深い内容を持つ古典落語の名作です。

あらすじ

諸国漫遊の水戸黄門の一行が東海道の遠州掛川宿の茶店で休んでいると、松に雁(かりがね)が描かれている屏風が黄門様の目に止まった土佐将監光信の作とまでとは分かったが、「松に雁」の意味が分らない。
そこへ上方風の町人が二人やって来て屏風絵を見て、「これは雁風呂だ」と話し始めた。
伴の喜助が、「・・・二本差した侍で判らん奴が多いんでっせ。武士ゆうたかて鰹節にもならん、眼があっても節穴同然・・・」と、大声でけちょんけちょんに武士をけなしている。

これを聞いた黄門様は格さんに、「あの者たちにこの絵解きをするよう、ここへ呼びなさい」と申し付ける。
主人の男は「恐れ多いこと」と断るがついには断り切れずに黄門様の前で、雁風呂の由来話を始める。「秋に常盤の国から渡って来る雁(かりがね)は、柴をくわえて飛び、疲れるとこれを海に落として羽を休める。
函館まで飛んで来た雁は浜辺の一木(ひとき)の松の根元に柴を落として、日本国中を飛び回る。
この柴をしまっておいて、春になって松の根元に出してやると、雁はこれをくわえて常盤の国に帰る。
あとにはたくさんの柴が残るが、これだけの雁が日本で死んだのだと、供養のためこの柴で風呂をたき、旅人の疲れをいやしてやった。紀貫之の歌に”秋は来て春帰り行く雁(かりがね)の羽交(はがい)やすめぬ函館の松”、これが函館の雁風呂でございます」

黄門様はすっかり感心し、姓名を尋ねると、お上より御取り潰し(闕所(けっしょ)処分)となった、大坂の淀屋辰五郎のせがれの辰五郎で、柳沢美濃守に用立てた三千両を返してもらうため江戸に向かう途中という。

小汚い爺さんが「恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀公であらせまするぞ」で、驚いて土間に飛び下がった黄門様は辰五郎に、「・・・もし柳沢家で三千両下げ渡しなき時は、江戸の上屋敷に願い出れば三千両を下げ渡す・・・」という目録に印を押して与えた。
驚いて喜んで平伏して目録を押し頂く辰五郎をあとに、黄門様一行はお発(たち)になる。
辰五郎はその後ろ影をずっと伏し拝んでいる。

喜助 「旦那、柳沢様で払わなんだら水戸様のお屋敷に行って・・・どっち道、取りっぱぐれのない三千両・・・、雁風呂の話一つで三千両とは、高い雁(かりがね)ですな」

辰五郎 「そのはずじゃ、貸金(かしがね)を取りに行くのじゃ」


さらに詳しく知りたい方へ

落語用語解説

この噺をより深く理解するための用語解説です。

  • 雁風呂(がんぶろ) – 青森県に伝わる民話。雁が柴をくわえて渡ってきて、春に帰る際に残った柴を死んだ雁の供養として風呂を沸かすという伝説です。
  • 淡屋辰五郎(あわやたつごろう) – 実在した大阪の豪商。鴻池と並ぶ大商人でしたが、宝永2年(1705)に公儀により資産没収・大阪追放処分を受けました。
  • 水戸黄門(みとこうもん) – 徳川光圀のこと。水戸藩第二代藩主で、『大日本史』の編纂で知られる実在の人物です。諸国漫遊は創作です。
  • 掛川宿(かけがわしゅく) – 東海道五十三次の26番目の宿場町。現在の静岡県掛川市にあたります。
  • 土佐将監光信(とさのしょうげんみつのぶ) – 土佐派の絵師。狩野派と並ぶ室町時代から江戸時代の画派の一つです。
  • 柳沢美濃守(やなぎさわみののかみ) – 五代将軍徳川綱吉の側用人として権勢を誇った柳沢吉保のこと。甲斐国主でもありました。

よくある質問(FAQ)

Q: 雁風呂の伝説は実在するのですか?
A: はい、青森県津軽地方に実際に伝わる民話です。雁が柴を運んで渡ってくるという部分は伝説ですが、地域の人々が残った柴で風呂を沸かして供養したという風習は実在したとされています。

Q: 淡屋辰五郎は本当に実在した人物ですか?
A: はい、実在の大阪の豪商です。鴻池善右衛門と並ぶ大商人でしたが、宝永2年(1705)に幕府により全財産没収と大阪追放の処分を受けました。この噺はその史実を基にしたフィクションです。

Q: 水戸黄門が本当に諸国漫遊したのですか?
A: いいえ、徳川光圀の諸国漫遊は創作です。実際の光圀は領国経営や『大日本史』の編纂に尽力しましたが、全国を旅したという記録はありません。

Q: このオチの「雁(かりがね)」と「貸金(かしがね)」の言葉遊びはいつ頃から?
A: 日本最古の笑話本『醒睡笑』(寛永5年・1628年)に既に見られる古い言葉遊びです。江戸時代から親しまれてきた洒落です。

名演者による口演

この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。

  • 六代目三遊亭円生 – 戦後を代表する落語の名人。二代目桂三木助直伝で上方系のやり方を江戸で演じ、この噺の代表的な名演として今なお語り継がれています。人間国宝。
  • 五代目柳家小さん – 江戸前の語り口でこの噺を演じ、水戸黄門と辰五郎の人物造形に定評がありました。
  • 三代目桂米朝 – 上方落語の重鎮として、本来の上方らしい演出でこの噺を高座にかけました。人間国宝。
  • 柳家さん喬 – 円生の芸風を受け継ぎ、格調高い語り口で現代でもこの噺を演じ続けています。

関連する落語演目

「人情噺」の名作

「言葉遊び」が秀逸な古典落語

この噺の魅力と現代への示唆

「雁風呂」は単なる言葉遊びの噺ではなく、教養と人情の深さを描いた作品です。

武士をけなしていた商人が、実は水戸黄門の前で雁風呂の故事を語ることになるという展開。黄門様は辰五郎の教養の深さと境遇に心を動かし、借金回収の道筋をつけてやります。

雁が柴を運んで海を渡るという伝説は、商人が困難を乗り越えて借金を回収しようとする姿と重なります。死んだ雁への供養という心優しい風習は、没落した商人への黄門様の思いやりとも響き合います。

現代でも、教養と人柄が思わぬ出会いを生み、人生の転機となることがあるでしょう。この噺は、知識と人情の大切さを今に伝える名作です。

実際の高座では、演者によって黄門様の威厳、辰五郎の品格、喜助の軽妙さなど、それぞれのキャラクター描写が異なり、聴き比べの楽しみがあります。特に六代目円生の音源は必聴です。

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