胴斬り
3行でわかるあらすじ
大工の竹さんが侍に辻斬りされて体が上下真っ二つになってしまう。
友人の又さんの世話で、胴は風呂屋の番台、足は麩屋の職人として別々に働き始める。
胴が水を飲みすぎると足が小便に行きたくなるという、つながっているオチで終わる。
10行でわかるあらすじとオチ
夜更けに風呂帰りの大工の竹さんが、侍の試し斬りで体を真っ二つにされてしまう。
胴は天水桶の上、足は地面に分離し、動けなくなった竹さんは友人の又さんに助けを求める。
又さんが胴と足を別々に竹さんの家まで運び、妻のお咲さんも事態を受け入れる。
翌日、又さんの世話で胴は風呂屋の番台の仕事、足は麩屋の職人の仕事に就くことになる。
胴は番台に座っているだけの楽な仕事に満足し、足は朝から晩まで麩を踏み続ける。
数日後、足も話せるようになり、それぞれ別の場所で元気に働いている。
胴から足へ「目がかすむから三里に灸を据えてくれ」という伝言が届く。
足から胴への返事は「水やお茶をガブガブ飲まないでくれ」というもの。
理由を聞くと「小便が近くなってしょうがない」と答える。
体は別々に働いているのに、胴が飲んだ水で足がトイレに行きたくなるというオチ。
解説
『胴斬り』は江戸時代のナンセンス落語の代表作で、現実にはありえない奇想天外な設定を扱った作品です。辻斬りという当時の恐ろしい社会問題を、体が真っ二つになっても生きているという非現実的な設定で笑い飛ばす、江戸っ子の逞しい精神性が表れています。
見どころは、体が分離しても普通に生活し、むしろ「もっと早く辻斬りに遭えばよかった」と言うほど前向きな竹さんの能天気さです。また、胴と足がそれぞれ別の職場で働くという発想の奇抜さも秀逸で、胴は座っているだけの番台、足は踏み続ける麩屋という、それぞれの部位に適した仕事を与える合理性も笑いを誘います。
オチは、別々に働いているはずの胴と足が実は生理的につながっているという矛盾を巧みに利用しています。胴が水を飲めば足が小便に行きたくなるという、分離しているようで分離していない状態を描くことで、この荒唐無稽な話に妙なリアリティを与えています。演者によっては、足が麩を踏む動作や、胴だけで番台に座る姿を身振り手振りで表現し、視覚的な面白さも加わります。
あらすじ
夜更けに風呂帰りの大工の竹さんが中之島あたりをブラブラと歩いていると、後ろからついて来た侍が追い抜きざまに、刀で「エィ」と居合抜き、竹さんの体は真っ二つになり胴はそばの天水桶の上に乗ってしまった。
新身(あらみ)の刀で試し斬りをした侍は新刀の切れ味に満足して、何事もなかったように謡いながら去って行った。
一方、辻斬りあった竹さんはたまったもんじゃない。
体は上下に泣き別れ、そばに足はあるが手が届かない。
天水桶の上の胴は、「早よ帰らんと嫁さん心配しとる・・・」なんて呑気なことを言っているが動けないので誰か来るのを待つしかない。
しばらくすると運のいいことに友達の又さんが酔っぱらってけったいな歌を歌いながらやって来た。
すると暗がりから、「又はん、又はん」と呼ぶ声。
前にも後ろにも姿はない。
怖がり屋の又さんはその場に立ちすくして小便ちびる有様だ。
やっと天水桶に乗っている竹さんの胴に気づいた又さんはことの顛末を聞いて、胴を背負い、フンドシをつかんで足を引っ張って何とか竹さんの家にたどりついた。
かみさんのお咲さんは、竹さんが酔ってかつがれて来たものと思ったが、胴と足は別々、足が勝手に歩いているのを見て、「足が足で歩いているわ」なんて、事の重大さが分かっていないのか、ショックで脳みその働きが停止してしまったのか。
又さんは、「とりあえず今日は遅いよって、また明日にしよ」と、言って帰って行った。
翌朝、心配しながら竹さんが来ると、お咲さん「何の苦しみもおまへん。まことに達者で、うちの人が大きな声で歌うと、足が合わせて踊りまんのんや」、なるほど竹さんを見ると元気でひと安心して、
又さん 「もう、その体では大工は無理や。
どや、桜湯の番台に座ってみいへんか。ジーッと座っているだけの仕事や」
竹さん 「おおきにありがとさん。わては一度はあそこへ座ってみたいとかねがね思うて・・・」と、呑気と言うか、前向き、積極的というか。
すると聞いていた?足がバタバタと騒ぎ出した。
竹さん 「弟はどうしまひょ?」
又さん 「お前に弟がいるとは聞いてやへんが」
竹さん 「そこの足でんがな。
血肉を分けた兄弟や。こんなに元気で・・・」
又さん 「そや、上町の麩屋(ふや)にぴったしや。麩踏む職人一人世話してもらいたいて、頼まれてたんや」、それなら万事好都合、二人前の給金は入るし、お咲さんも亭主とはいえけったいな二人?といつも顔?を合わせずともすむ。
早速、胴は胴で風呂屋の番台へ、足は足で麩を踏む職人になって取り合えず一件落着。
二、三日後、又さんは竹さんの様子を心配して風呂屋に行く。「店の主人も奥さんも親切で、ここに座っているだけで、ご飯も仕事も寝床も一緒、こんなええとこ世話してもろて、ありがとさん又やん。もっと早よ、辻斬りに逢わなんだかとつくづく思う今日この頃・・・」、いやはやこの能天気、いや生命力には恐れ入る。
竹さん 「弟の方はどうでっしゃろ」
又さん 「向こうの方が心配やので、これから行くのや」
竹さん 「そなら言付けを一つ願いたいんやが」、「なんやねん」
竹さん 「慣れん仕事で、湯気で目がかすむさかい、三里に灸(やいと)据えるように言ってくなはれ」、なるほど納得、又さんは麩屋へ行く。
麩屋 「ええ職人さん世話しとくれなはったなあ。
よそ見も無駄話もせんは、ご飯も食べずに朝から晩まで麩踏み通し、働き通しですわ。あんなんのあと五、六組おまへんかいな」、又さんは口入屋ではないのだが。
奥で麩踏んでいる足のところへ行くと、「お越しやす。又はんでしゃろ」
又さん 「お前、物言えるようになったんかい?」
竹さん(足) 「ええ、お蔭さんでおとついあたりからボツボツと」
又さん 「そりゃ結構なこっちゃ。番台の兄貴から、”目がかすから三里に灸すえてくれ”と、言付けを言い使って来たのや」
竹さん(足) 「なるほど分かりました、ほならわても兄貴に言付けを一つ」
又さん 「何やんねん?」
竹さん(足) 「水やお茶あんまりガブガブ飲まんように言うとくなはれ・・・小便近うなってしょうがおまへんのや」
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 辻斬り(つじぎり) – 江戸時代に武士が刀の試し斬りのために通行人を斬る行為。重大な犯罪でしたが、夜道では恐れられていました。
- 新身の刀(あらみのかたな) – 新しく作られた刀、または新しく購入した刀のこと。切れ味を試すために辻斬りが行われることがありました。
- 天水桶(てんすいおけ) – 雨水を溜めておく桶。火事の際の消火用水として江戸の町中に設置されていました。
- 番台(ばんだい) – 銭湯の入口付近にある高い台。番頭や主人が座って客の入浴料を受け取り、浴場を監視する場所でした。
- 麩屋(ふや) – 麩(小麦粉のグルテンを加工した食品)を製造・販売する店。麩を作るには足で踏み続ける作業が必要でした。
- 三里(さんり) – 足三里というツボの名前。膝の下にあり、疲労回復や胃腸の調子を整える効果があるとされました。
- 灸(やいと) – もぐさを皮膚の上で燃やして体を温め、病気を治療する民間療法。江戸時代は広く行われていました。
- 口入屋(くちいれや) – 現代の人材紹介業。奉公人や職人の仕事を斡旋する仲介業者のことです。
よくある質問(FAQ)
Q: 胴斬りは江戸落語ですか、上方落語ですか?
A: 上方落語(大阪の落語)の演目です。「中之島」という大阪の地名が登場し、大阪弁で演じられます。
Q: 辻斬りは本当にあったのですか?
A: はい、江戸時代には実際にありました。新しい刀の切れ味を試すために夜道で通行人を斬るという恐ろしい行為で、重大な犯罪として取り締まられていましたが、夜道を歩く際の大きな恐怖でした。
Q: なぜ胴は風呂屋、足は麩屋なのですか?
A: それぞれの体の部位に適した仕事が割り振られています。胴は座っているだけでいい番台の仕事、足は踏み続ける麩屋の仕事という、極めて合理的な(そして馬鹿馬鹿しい)配置が笑いのポイントです。
Q: このような荒唐無稽な噺は他にもありますか?
A: はい、落語には「頭山」「饅頭こわい」など、現実離れした設定の「ナンセンス落語」というジャンルがあります。江戸時代の庶民のユーモアと想像力の豊かさを示しています。
Q: オチの意味を教えてください
A: 胴と足が別々に働いているにもかかわらず、体は生理的につながっているという矛盾がオチです。胴が水を飲めば足がトイレに行きたくなるという、分離しているようで分離していない状態を描いた、ナンセンス落語ならではの結末です。
名演者による口演
この噺を得意とした・している落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語四天王の一人で人間国宝。荒唐無稽な設定を丁寧に語り、笑いの中にも品格を保った名演でした。
- 桂枝雀(二代目) – エネルギッシュな語り口で、胴と足の分離という非現実的な状況を見事に表現。身振り手振りも効果的でした。
- 桂文枝(六代目) – 現代的な感覚を加えながらも、古典の面白さを損なわない演出で人気があります。
- 桂南光(三代目) – 「べかこ」の愛称で親しまれ、軽妙な語り口でナンセンスな展開を自然に聞かせます。
関連する落語演目
同じく「ナンセンス・奇想天外」な古典落語
「職人」がテーマの古典落語
「侍・武士」が登場する古典落語
この噺の魅力と現代への示唆
「胴斬り」の最大の魅力は、辻斬りという恐ろしい事件を、徹底的にナンセンスな展開で笑い飛ばす江戸っ子の逞しさです。体が真っ二つになっても「もっと早く辻斬りに遭えばよかった」と言う竹さんの能天気さは、どんな困難も前向きに受け止める江戸庶民の生命力を象徴しています。
現代的な視点で見ると、この噺は「分業」や「適材適所」という概念をユーモラスに描いていると言えるでしょう。胴は座る仕事、足は踏む仕事という配置は、一見馬鹿馬鹿しいようで、実は極めて合理的です。
オチの「胴が水を飲むと足が小便したくなる」という展開は、物理的に分離していても本質的にはつながっているという真理を、滑稽な形で表現しています。これは組織や社会における人と人とのつながりを暗示しているとも解釈できます。
実際の高座では、演者が胴だけで番台に座る仕草や、足だけで麩を踏む動作を表現する場面が見どころです。この視覚的な笑いと、荒唐無稽な設定を真面目に語る演者の技量が、この噺の面白さを倍加させます。機会があれば、ぜひ生の落語会や動画配信でお楽しみください。










