大師小咄二題
3行でわかるあらすじ
相模屋の若旦那作次郎がチャラキ(幇間)と大師巡りに行くという話から始まり、弘法大師が豆を分けてもらおうとする昔話へ展開する。
女房が大師を乞食坊主と判断して「これは馬の餌で人間の食う物ではない」と嘘をついて断ると、その豆を食べた亭主が本当に馬になってしまう。
大師に人間に戻してもらう際、女房が馬の性器の部分だけは「そこだけはそのままにしておいてくだせえ」と言う艶笑オチで締めくくる。
10行でわかるあらすじとオチ
相模屋の若旦那作次郎は道楽が過ぎて親に二階に軟禁されているが、幇間のチャラキが大師巡りと偽って南地に遊びに連れ出そうとする。
親旦那も一緒について来てしまい、南地でばったり会った時に「落つれば同じ谷川の水じゃ」と弘法大師の教えを引用する。
諸国巡錫中の弘法大師がある家で豆を炒っているいい匂いに誘われて、女房に少し分けてもらおうと頼む。
女房は大師を乞食坊主と判断し「これは馬の餌で人間の食う物ではねえだよ」と嘘をついて断る。
その後畑から帰ってきた亭主がその豆を美味しそうに食べると「ヒヒ、ヒヒーン」と馬になってしまう。
女房は慌てて大師を追いかけ、嘘をついたことを謝って亭主を人間に戻してもらうよう懇願する。
大師が戻ってきて亭主の頭から順に撫でていくと、撫でた部分が馬から人間の身体に戻っていく。
女房はそばでじっと見ているが、大師が馬の両足の間(性器)を撫でようとすると慌てて止める。
「あぁ、そこだけは、そのままにしておいてくだせえ」と女房が言うのが艶笑オチ。
馬の性器はそのまま残しておきたいという女房の本音が露呈して笑いを誘う。
解説
「大師小咄二題」は弘法大師空海(774-835年)の諸国巡錫の逸話を題材にした古典落語で、特に後半部分は艶笑落語として分類される作品です。弘法大師は平安時代初期の僧侶で真言宗の開祖として知られ、全国各地に数多くの伝説や民話が残されており、この落語もそうした民間信仰を背景にしています。
この作品の構成は二部構成になっており、前半は相模屋の若旦那と幇間のやり取りで導入部とし、後半で弘法大師の本格的な昔話へと展開します。「落つれば同じ谷川の水じゃ」という台詞は、弘法大師の教えとして引用されており、物事の本質は同じであるという仏教的な教訓を示しています。
後半の核心部分では、女房の嘘(「馬の餌」発言)が文字通り現実になってしまうという因果応報の展開と、最終的に馬の性器だけは残しておきたいという女房の本音が露呈する艶笑オチが絶妙に組み合わされています。これは江戸時代の庶民の性に対する開放的な感覚と、同時に仏教的な因果応報観を織り込んだ巧妙な構成となっています。
この落語は弘法大師信仰という宗教的背景と下ネタを組み合わせた作品として、江戸時代の庶民の宗教観と世俗性を同時に表現した興味深い作品といえます。現代でも艶笑落語として演じられることがあり、その意外性のあるオチで聴衆を楽しませ続けています。
あらすじ
相模屋の若旦那の道楽息子の作次郎、お茶屋遊びが過ぎて親旦那から二階へ幽閉、軟禁状態にされている。
幇間の喜三郎、”チャラキ”が二十一日の”大師巡り”にかこつけて、作次郎を連れ出して、南地へ遊びに行こうとやって来る。
息子を遊びに誘いに来たと思い、親旦那に素っ気なくあしらわれて、チャラキ 「今日は若旦那と大師巡りに行く約束が・・・」
親旦那「それは御奇特なことじゃ。わしも連れて行ってもらおう」で、ちょっと計画からはずれたが、三人で出掛ける。
途中、足の遅い親旦那を撒いて南地へやって来たが、ばったりと親旦那に会ってしまった。
親旦那 「これ作次郎、お大師さんのおっしゃったことに嘘はないやろ」
作次郎 「・・・何のことでっしゃろ?」
親旦那 「落つれば同じ谷川の水じゃ」
諸国巡錫中の弘法大師がある家の前を通り掛かると女房が豆を炒っている。
いい匂いなので空腹を感じて、
大師 「その豆を少しだけ分けていただけないか」、女房は大師の頭の上から足の先までをずーっと見て、こいつは乞食坊主と判断、
女房 「これは馬の餌で、人間の食う物ではねえだよ」で、あっさりと諦めた大師は立ち去って行った。
しばらくして亭主が畑から帰って来た。
炒り立ての豆を出すと亭主は美味そうにぱくついた。
すると、「ヒヒ、ヒヒーン」と亭主は馬になってしまった。
さっきの坊さんは大師さまだったと気づいた女房は後を追いかけ、「先程は馬が食べると嘘をつきました。
帰って来た亭主があの豆を一口食うなり、馬になってしもうた。どうか戻って亭主を人間の身体に戻しておくれなせえ」
大師が戻って亭主の頭から順に撫でて行くと、そこが馬から人間の身体に戻って行った。
そばでじーっと見ている女房、大師が馬の両足の間を撫でようとすると、「あぁ、そこだけは、そのままにしておいてくだせえ」
さらに詳しく知りたい方へ
落語用語解説
この噺をより深く理解するための用語解説です。
- 弘法大師(こうぼうだいし) – 平安時代初期の僧侶、空海(774-835年)の尊称。真言宗の開祖として知られ、全国各地に数多くの伝説や民話が残されています。「弘法も筆の誤り」など、多くの慣用句の題材にもなっています。
- 諸国巡錫(しょこくあんじゃく) – 僧侶が各地を巡り歩いて仏法を説いて回ること。「巡錫」とは錫杖を持って巡ることを意味します。弘法大師は実際に全国を巡り、各地に温泉や寺院の由来となる伝説を残しました。
- 幇間(ほうかん) – 太鼓持ちとも呼ばれ、宴席で座を盛り上げる職業的な遊び人。この噺では「チャラキ」という愛称で登場します。
- 南地(みなみ) – 大阪・難波にあった遊郭地帯。正式には「新町」と呼ばれ、江戸時代の大阪を代表する花街でした。
- 大師巡り(だいしまわり) – 弘法大師ゆかりの寺院や霊場を巡礼すること。特に毎月21日は弘法大師の縁日とされ、参詣者で賑わいました。
よくある質問(FAQ)
Q: この噺は実際にあった弘法大師の伝説がベースですか?
A: 弘法大師にまつわる民間伝承は全国に数千あると言われており、この噺もそうした民間伝承の一つをアレンジしたものと考えられます。特に「食べ物を断った報い」という因果応報の構造は、仏教説話に多く見られるパターンです。
Q: なぜ「豆が馬の餌」という嘘が現実になったのですか?
A: これは弘法大師の持つ神通力(超自然的な力)によるものとされています。仏教では悟りを開いた高僧には様々な奇跡を起こす力があるとされ、嘘をついた女房への戒めとして、その言葉が文字通り現実になったという設定です。
Q: このようなオチの落語は艶笑落語と呼ばれるのですか?
A: はい、性的な要素をユーモラスに描いた落語を「艶笑落語」と呼びます。江戸時代の庶民は性に対して比較的開放的で、こうした噺も娯楽として楽しまれていました。現代でも演じられますが、会によっては演目を選ぶこともあります。
Q: 前半の「南地」の部分と後半の弘法大師の話はどう繋がっているのですか?
A: 前半は「導入部」や「マクラ」と呼ばれる部分で、弘法大師の教え「落つれば同じ谷川の水じゃ」という台詞を自然に引き出すための仕掛けです。この言葉から後半の本題へとスムーズに移行する構成になっています。
Q: 「落つれば同じ谷川の水」とはどういう意味ですか?
A: これは「どんなに高い所から流れる水も、低い所から流れる水も、最終的に谷川に落ちれば同じ水になる」という意味で、人間の本質は皆同じであるという仏教的な教えを表しています。若旦那が遊郭に行った言い訳として使われるのが皮肉な笑いを生んでいます。
名演者による口演
この噺を得意とした落語家をご紹介します。
- 桂米朝(三代目) – 上方落語四天王の一人で人間国宝。弘法大師ものの噺を多く演じ、この「大師小咄二題」も得意演目の一つでした。格調高い語り口ながら、艶笑部分も品よく演じる技術は見事でした。
- 桂枝雀(二代目) – 独特の演出と表現力で知られた名人。この噺でも馬になる場面での身体表現や、女房の心理描写が秀逸でした。
- 桂文枝(五代目) – 上方落語の重鎮として、この噺を十八番の一つとしていました。前半の若旦那とチャラキのやり取りから後半の本題への移行が自然で巧みでした。
関連する落語演目
同じく「弘法大師」を題材にした古典落語
「因果応報」がテーマの古典落語
「動物に化ける・変身」を扱った古典落語
艶笑落語の他の名作
この噺の魅力と現代への示唆
「大師小咄二題」の魅力は、宗教的な因果応報の教えと庶民的なユーモアを見事に融合させた点にあります。高僧である弘法大師という尊厳ある存在を登場させながらも、最後は艶笑オチで笑いに転換する大胆な構成は、江戸時代の庶民の宗教観を反映しています。
「嘘をつけば報いがある」という単純な道徳話ではなく、その報いすらも最終的には夫婦の実利に転換してしまうという皮肉な展開が、人間の欲望の本質を描いているようで興味深いですね。
弘法大師の神通力という超自然的な要素と、夫婦の現実的な性生活という極めて世俗的な要素が同居するこの噺は、聖と俗、宗教と日常が分かちがたく結びついていた江戸時代の庶民文化を象徴する作品といえるでしょう。
現代でも演じられる際には、艶笑部分を暗示的に表現したり、前半の若旦那とチャラキの掛け合いを強調したりと、演者によって様々な工夫が見られます。機会があれば、ぜひ実際の高座でお楽しみください。









